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●2023年7月某日/毛無峠、積乱雲の下で過ごした夏の風景。

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長野県、群馬県県境に位置する毛無峠。
毎年この時期、標高1,800mを越えるこの場所で
車中泊を行うのは涼しいといった理由意外にも夏場は霧、悪天など
様々な気象条件下でドラマチックな光景が見られことが多いからだ。
今年も刻一刻と形を変える積乱雲に魅了された日となった。
それにしても雲の写真ばかりとなってしまった・・・。


※本記事は訪問時のものです。現在の状況は異なっている可能性もあります。

→毛無峠、過去の風景

毛無峠。それは長野県・群馬県境にある行き止まりの鞍部。峠とは言っても群馬県側は封鎖されており実質通行止めとなっている行き止まりの道。標高1,823m、風が通り抜ける荒涼とした空間は日本離れしたどこか心を揺さぶられる場所だ。

毛無峠ドローン空撮2023kenashipass030d.jpg

かつては知る人ぞ知るマニアックな場所だった毛無峠も最近は人気スポットへ変貌、混雑がひどく休日の日中は車を停める場所にも苦労するため、到着時間を午後遅めに設定。

曲がりくねる山道を走り続けようやく峠に到着、駐車場代わりの砂利の空き地に車を停める。車から降りると冷気と吹き続ける風が体を包み込んだ。

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峠に立つ錆び付いた索道群はかつて群馬側にあった小串鉱山と長野県とを結ぶ物資運搬用として建設されたもの。
小串鉱山閉山後、ほとんどの建物が解体されたが、不思議なことに索道だけは撤去されることもなく風雪に耐え続け峠のシンボルとなっている。その索道の彼方から白い雲が湧き上がり続けた。

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小さかった積雲は成長と集合をくり返しやがて積乱雲へと成長していく。
猛暑に包まれた7月某日、下界では気温が38度近くまで達した場所もあった。上空の寒気と地表の熱との寒暖差による大気の乱れが雲のパワーを生み出す。

毛無峠積乱雲2023kenashipass0104.jpg
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毛無峠積乱雲2023kenashipass0108.jpg
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自分は幼少期から美しさと危険さが相反する積乱雲に魅了されており、索道斜面に転がる石に腰掛けるとその動きや形状に見入ってしまう。遠目に見るだけならば美しい積乱雲。しかし黒い雲の真下、長野県側の山裾は激しい雷雨に見舞われていることだろう。

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上昇気流と共にうごめきながら成長を続ける積乱雲。雲上が成層圏へ達すると上昇を止め、横へと薄く広がり「かなとこ雲」と言われる形状へと変化し始めた。やがて遙か遠くから低い雷鳴がとどろきはじめた。



最強とも言われる「かなとこ雲」。10年ほど前、吹きさらしのこの場所でかなとこ雲の雷雲にすっぽりと閉じ込められ、至近距離での落雷、暴風に揺さぶられる車内で震え上がったことがあった。→LINK
このまま雲に巻き込まれる覚悟をしていたものの、今回は幸いなことに、かなとこ先端部が峠上をかすめたため嵐に見舞われることはなかった。

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毛無峠夕日2023kenashipass0203.jpg

18時、かなとこ雲の先端が赤く染まり、毛無峠に日が沈む。索道の彼方にわずかな赤みを残し周囲は闇に包まれた。日没と同時に供給源となる熱源を失った積乱雲。崩れ去る雲の残骸は遙か遠方で力なく放電をくり返していた。

毛無峠雷2023kenashipass0204.jpg

気がつくと車やバイクは一台、また一台と峠を去って行きわずか数台の車が残っているだけ。これらの持ち主は今夜峠で一夜を過ごすと決意した人々のようだ。



夜の毛無峠。濃霧に包まれることも多く、過去視界ゼロだった夜も珍しくはないが、今夜は雲も流れ去ったため満天の星空が約束されるはず。夜も更けた頃、車から降りる。意外なことに見上げた夜空に星は少ない。その原因は煌々と夜空を照らす満月だった。

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毛無峠群馬県看板夜景2023kenashipass0302.jpg

しかたがないので深夜の峠を徘徊。月明かりに照らし出される夜道に懐中電灯も不要。
「この先危険につき関係者以外立入禁止」と書かれた右側に立つ朽ちた看板には「群馬県」と書かれていた。2015年頃にはまだはっきりと明記されていた「群馬県」の文字も風雪にさらされ次第に風化、最近は読み取ることも困難になった。



峠で夜を過ごすのはもう何度目だろうか。かつては夜になれば完全な無人地帯となり心細い思いをしたこともあった峠も年を追うごとに宿泊者が増加、今回も数台の車が静かに寝静まっている。熱帯夜、蚊、そして暇をもてあます余す若者の騒ぎに巻き込まれやすい真夏の車中泊やキャンプ。それを解消する唯一の手段は標高差を活すこと。今年も涼しく、静まりかえる峠で予定通りシュラフにくるまり安眠。
峠の夜明けは早い。4時前には東の空は白み始める。

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やがて朝日が昇ると同時に車やバイクが毛無し峠に次々に到着し始めた。気がつくと駐車場代わりの砂利の空き地も車やバイクで埋まり始めている。混雑する峠に長居は無用、あわただしく車中泊セットを片付け一晩を過ごした峠を後にした。

[了]
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●2023年6月某日/温見峠と冠山峠。県境を越える2つの国道。

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岐阜県と福井県。
急峻な山々が行く手を阻み直接行き来できる車道はわずかしか存在しない。
そんな両県を細々と繋ぐ数少ない二本の国道がある。
「酷道」とも証されるその道はそれぞれ冠山峠と温見峠、2つの峠を越えている。
緯度、標高もほぼ同じ、双子のような峠のひとつ国道417号冠山峠越えを数年前に行った。
それに匹敵する難路と言われているのが東側の国道157号温見峠(ぬくみとうげ)ルート。
あまりに有名な国道であるが数多の通行止めに阻まれ
全線走破するチャンスがなかったが2023年ようやく挑戦することができた。
すると時を同じくして前回走破した冠山峠が通行止め。
帰路に使用しようと考えていたのだがうまくはいかないものだ。
温見峠ルート沿線には無人となったいくつかの集落が点在しており
これらを訪ね歩きながらついでに訪れた福井県の面谷鉱山とまとめて掲載。


※本記事は訪問時のものです。現在の状況は異なっている可能性もあります。

冠山峠温見峠地図2306gifunukumipassmap.jpg


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国道157号、岐阜県本巣市北の果て。青空と緑、そして対向車の姿もまったく見当たらない広大な車線。気分も高揚する素晴らしい出だし。「温見峠」と書かれた看板も真新しく、天候の良さも相まってか、峠までこのような道が続くと錯覚してしまうかのような光景。とはいえいつものことでそんなにうまく事は運ばない。わかって来ているのだが。



最後の集落を通過すると両側から山が迫り、ありとあらゆる警告が書かれた様々な看板とゲートが現れた。ゲートは開かれており、ここから温見峠越えがスタート、道幅は一気に狭まり、断崖上に作られた狭隘な道が続く。

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密集する木々の合間から眼下に太陽を反射する根尾西谷川がちらりと見える。視界が開けた広いスペースがあったため、車を停め渓谷を覗くと澄み切った清流が流れていた。

根尾西谷川2306nukumipass0103.jpg
根尾西谷川2306nukumipass0105.jpg
根尾西谷川2306nukumipass0104.jpg

真新しい路面や張り直したばかりの法面も多く、災害で崩れる度に工事が行われているのだろう。通行止めの多さも納得の国道。
このような道が峠まで延々と続くのかと思うと先が思いやられる。と考えながら車を走らせていると意外なことに根尾堰堤を越え渓谷地帯を脱すると谷間が広がり、国道157号は落ち着きを取り戻した。確かに国道らしからぬ道ではあるが先ほどに比べると荒れてもおらず、よくある山道。

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後ほど調べると、先ほどの狭隘な区間は根尾西谷川が蛇行し深い渓谷を形作っているため、沿線で等高線の間隔が最も狭まる箇所だった。逆に根尾堰堤から北側は等高線も緩み、川幅も広がるため余裕のある道路敷設が可能になったのか。

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国道は切通を作り、根尾西谷川に沿って北上を続ける。谷間が広がり、傾斜がゆるやかになったこのあたりの沿線には黒津、大河原と呼ばれる集落跡や廃校が残されている。



下記写真、一見ただの森にしか見えないが、杉に覆われた樹冠の下には10棟程の民家が点在している。これらは大河原と呼ばれる集落の跡地。国道から見た感じでは、木々の合間に見え隠れする建物はいずれもこぎれいでいわゆる「廃村」には見えない。

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温見峠廃村大河原集落跡ドローン空撮2306gifunukumipassd01.jpg

現在の大河原集落は完全に森に覆われており、紀伊半島の廃村の例に漏れず、ここでも離村時に植林がなされたのだろう。集落の横を流れる根尾西谷川右岸から下流にかけ続く平坦な箇所は耕作地だったようだ。これから越える温見峠はまだまだ先、写真奥の稜線鞍部のあたり。

根尾西谷川2306nukumipass0110.jpg

根尾西谷川は源流が近付いたはずなのに川幅は広く水量は豊富。時折現れる路肩に停められている車は、おそらく釣り人のものだろう。

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ここまでは比較的勾配がゆるやかな道中だったが、最後の集落、大河原集落跡を過ぎると国道157号は峠を目指しひたすら登りとなる。
ところで当サイトに登場する道はこのような道ばかりなので「難路、狭路が好きなのですね」と言われることがあるが、決してそんな訳ではなく、難路をバイパスできる楽な道があればそちらを選択したい怠け者人間。たまたま訪れたいマニアックな探索ポイントがあるのが奥地ばかりなのだ。



道中、路上を川が流れる「洗い流し」を何カ所か通過、窓を全開にしていたため、飛び散る冷たい水しぶきが心地よい。流れ込む沢で冷水に手を浸し休憩。

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次第に空の面積が広がり、雲が近付いてきた。やがて道路片側に路駐された車が目につき始めた。山中での路駐は駐車場が少ない著名な山の登山口でよく目にする光景、ということは峠も間近。

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到着した1,020mの温見峠は峠手前から路駐された登山者の車、バイクで埋め尽くされていた。混雑のため、滞在時間もわずか、そのためかあまり達成感は感じられず。数年前、写真すら撮らなかった冠山峠とまったく同じ状態。

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岐阜福井国道157号温見峠ドローン空撮2306gifunukumipassd02.jpg

分水嶺を越え岐阜県から福井県へ。峠から少し下った場所にスペースがあったため休憩。
夏を思わせる積雲。その下に広がる福井県側は原生林が密集する谷間が広がる雄大な光景。温見峠を越えた国道157号線は九十九折りを繰り返し山を下っていく。

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断崖沿いの道を下り続け、傾斜が緩むと久しぶりに建物が現れた。温見集落跡。温見川沿いの杉林の合間に民家らしき建物や小屋が散開している様子が国道から見える。こちらも先ほど同じく廃村とはいっても元住民の出入りがあるようで建物は手入れがなされているようにも見える。



自分の中での勝手な「廃村の定義」とは定住者がいないことはもちろんだが、人々からも忘れ去られ朽ちるに任せたままの集落跡を指す。岐阜県側から福井県側へと抜けた今回の温見峠越えにおいては黒津、大河原、温見、計三つの集落跡を通過したがいずれも、現在も元住民によって管理されている雰囲気があった。おそらく離村後も元住民が定期的なメンテナンスを行っていると思われる。

国道157号温見ストレート直線道路ドローン空撮2306gifunukumipassd04.jpg

温見集落跡から逆、北西側へと目を向けると不思議な道路が続いている。森や草原を突き抜けてまっすぐ伸びる直線道路。ここまで数時間、ひたすらくり返すワインディングが続いてきたため、このような真っ直ぐな道が現れたことが不思議に、そして美しく感じる。

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温見ストレート2306gifunukumipassd03.jpg
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直線道路周辺にはかつて周囲は整地された耕作地が広がっており、国道はその中心を抜けていた。現在は等間隔に植えられた杉が成長し並木道のような姿を見せていた。



この辺りが西へ4kmほど隔て国道471号と国道157号が最も接する地点。冠山峠と温見峠。酷道という俗称を有する国道が通過し、岐阜・福井を跨ぐ2つの峠はまるで双子のようにも見える。一方で冠山峠では現在直下に冠山峠トンネルが建設中であり、完成後は劇的に改善すると思われるがこちらはそのような浮ついた話は一切浮上せず。

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福井県側は森というより平地や草原が多く、視界も開けており走りやすい。さらに雲川ダムを越えた辺りから道幅は一気に広がり数時間ぶりに二車線道路へ。洞門やトンネルも整備され国道157号は一気に近代的な様相となった。

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熊河川に架かる旧道らしき古びた橋。その下を流れ込む冷水に浸かってしばらくの間川遊びにふけってしまった。



国道157号は福井県大野市に向けてまだ続くが目的であった温見峠越えは完了、結果振り返った感想としては、やっかいだなと感じたのはスタート直後、岐阜県側最後の集落から根尾堰堤までの区間。ここさえ突破してしまえば温見峠に向けて割と普通の山道となる。とはいえよく走る紀伊半島425号に比べ交通量は割とあるため、対向車への注意と待避場所の確認は常に必要だ。

冠山峠温見峠地図2306gifunukumipassmap.jpg

[面谷鉱山跡編]

そのまま157号で大野市街地へと下るのも芸がないので、九頭竜ダム湖方面へ大きくを変え山中に残された面谷鉱山跡を目指す。途中のキャンプ場脇で長らく一緒だった157号に別れを告げ、県道230号へと入り山道を延々と東へ、伊勢峠を越える。この沿線にも集落の跡が点在している。現在は跡形もないがこのようなマニアックな場所巡りをしていると目が肥え、地形や道の形状、あるいは石垣などから集落があった場所なのだなとなんとかく想像できるようになる。



九頭竜ダム湖。湖畔とぽかぽかと浮かぶ積雲。のどかな風景だが道はさらに悪化していくため、気を引き締める。それがここから入る鉱山へと続くダート林道。

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林道は渓流に沿って谷間を遡る。埃を巻き上げながらダート道を上り続けると谷間が広がり、赤茶けた荒々しい空間が広がった。砂防ダムが何段もの滝を作る川の左岸にはズリで形成された斜面。数年前ぶりの訪問となる場所。

福井県面谷鉱山ドローン空撮2307omodanimainefdorone.jpg
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ここは福井県の山中、かつて銅を採掘・精錬していた面谷鉱山跡。
城郭や曲輪を思わせる何層に渡って積み重なる石垣は、傾斜を利用し鉱石を選別する選鉱場と精製する精錬所跡。閉山後、建物は石垣や基礎を残して撤去され現在は荒涼とした荒れ地となっている。
足元にはカラミ煉瓦や錆び付いた金属片が散乱する遺跡のような場所。何度目かの訪問となるがその度に新たな発見がある。

福井県面谷鉱山ドローン空撮2306omodanimainedorone02.jpg

最上段にあるひときわ大きな煉瓦群は煙突基礎だったと思われる。銅の精錬においては排出される亜硫酸ガスが周囲の環境に深刻な影響を及ぼしていた。とはいえ環境問題は戦前においても決して放置されていた訳ではなく、煙害対策として煙突が作られたがガスは地面に滞留するため実際のところ余り効果がなく、周囲の谷間は現在に至っても草木も生えていない。このような光景は全国各地の鉱山跡で目にしてきた。
結局は煙突の高さを伸ばすか当時の対応策はなく、その結果、日立鉱山、佐賀関、四阪島のような見上げるような大煙突が作られた。

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九頭竜湖対岸では岐阜・福井を繋ぐルートのひとつ中部縦貫道の建設が進んでおりトンネルや橋梁の建設現場を見ることができる。冠山峠、温見峠に並ぶ、県境の難所、油坂峠はいずれ高速道路として供用されることを見越し壮大なS字型高架橋によって急勾配を克服した。こうして山岳高速道路がまたひとつ開通する。

[了]

●2023年4月某日/紀伊半島、失われ行く痕跡を求めて。山中の無人集落。[中編]

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三重、和歌山、奈良を跨ぐ紀伊半島山岳地帯。
1年越しとなった国道425号の後半と、南紀の廃校探索を終え昨夜は山中で車中泊。
いずれの目的地も深い山中に点在、林道をひたすら走り続けた一日となった。 
翌朝、まだ冷え込む紀伊半島山中に停めていた車内で目を覚ます。
結露した窓から垣間見える周囲の様子はまだ薄暗く、
早朝5時台だろうと思っていたら既に7時前だった。
車を停めていたのが深い谷底だったため、日が射し込まず二度寝の恐怖。
寝坊によって少し予定が狂い始めたが、ポリタンの水で顔を洗い紀伊半島徘徊後半スタート。


※本記事は訪問時のものです。現在の状況は異なっている可能性もあります。

前回の記事

寝起きも早々に向かった最初の目的地は、車中泊地点から北上した谷間にある古びた某集落。
以前この脇を車で通過した際、車窓に偶然見えた廃村を思わせるその姿に目を引かれたものの、車列が連なっていたため急減速し集落への路地へ入ることができず通過してしまった。帰宅後ストリートビューで確認するとgoogleカーが撮影した画面には曇天の空と同化したようなトタン屋根の民家群が映し出されていた。
画面に映し出させる建物はいずれも古びており、人が住んでいるようには見えない。とはいえ、実際に現地を訪れてみないと実態は不明。

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早朝の朝日が谷底まで届き、茶褐色に錆び付いた複数のトタン屋根を立体的に浮かび上がらせる。狭い斜面に立ち並ぶのは10棟ほどの民家。

西垣内集落跡2304wakayamaruind02.jpg

ここに建つ建物はいずれも重量感ある屋根を持つ古民家を思わせる立派なものばかり。それらが斜面に整然と密集する様はまるで時代劇で登場する宿場町セットのようだ。建物はいずれも朽ち果てており、しばらく様子を観察していたがいずれの民家からも人が居住している気配は感じられない。

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ひっそりと静まりかえりる民家の合間の路地を歩く。足下には古びた洗濯機や、機械が錆び付いたまま草に埋もれている。ここが「廃村」のように完全に放棄されている場所なのかは不明だが、おそらく現在、定住者はいないだろう。

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集落は背丈程のススキに覆われつつあり、これらの民家も夏場になれば緑の草原に埋もれてしまうのだろう。
片隅の斜面に建つ最も大きな建造物。民家というよりも製材所のような雰囲気を持っており、開いたままの窓枠から内部を覗くと建築資材が散乱、なんらかの事務所だったのではと思われる。

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現在地は山々に埋もれた谷間ではあるものの、このサイトによく登場する「隔絶された山中の秘境集落」というほどでもなく、国道が近隣を通過する、紀伊山地にしては「交通の便は割とまとも」な立地。しかし今や、このような場所でも集落維持が困難なのだろうか。
森の中には吊り橋が見え、対岸にもある廃村へとたどり着けそうだったが、時間も押しているため切り上げた。



集落を離れ紀伊山地の北上を続けた。山道は次第に標高を増して行く。桜の花が開花を始め、道路脇の光景は初夏から春へと季節は逆戻り。

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どこまでも続く広大な紀伊山地の深い山々。これが奈良県の実態だ。寺社仏閣のイメージを持たれやすい奈良県、実はその8割を山が占める山岳県でもあるのだ。紀伊半島のマニアックな場所を巡る探索開始から2013年でちょうど10年目、これらの谷底には廃校、廃村を始めとする未踏の予定地が無数、埋もれている。全てを回りきるためにはどれほどの年月が必要となるだろうか。

紀伊半島廃村地図2205naramap.jpg

そして最深の地、奈良県野迫川村へ。人口わずか350人。その面積のほぼ全てを山岳地帯が占める野迫川村。山上のわずかな一画に役場を始めとする村の小さな機能が集中、それ以外は植林された険しい山々がひたすら続く。秘境とも言われる野迫川村はこのサイトに何度も登場する自分が好きな場所のひとつ。今回も時間の許す限り村内の予定地を回りきりたいところ。

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いつもの秘境集落へ立ち寄る。と言っても気軽に行けるような場所でもないのだが。
それは野迫川村の果て、延々と伸びる尾根沿いの山道を下り続けた斜面にある戸数わずか10数戸の集落「立里」。標高750m。自分はその特殊な立地に惹かれこの集落訪問がライフワークのようになっている。→LINK

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集落目指し、山上の尾根に張り付く狭い林道を走り続ける。やがて林道は急勾配の下りとなった。この先に目的地の集落があり林道もそこで行き止まりとなっている。
植林された薄暗い杉林が途絶え視界が広がると、日射しに包まれる何棟かの赤茶けたトタン屋根が現れた。

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眼に入る民家のほとんどは荒れ果てており、廃村のようにもみえるがここには現在もわずかに居住者がいる。いわゆる限界集落ではあるが「廃村」ではない。自分が興味を引かれる集落の特異な立地に関しては次項で詳しく触れたい。



眼下に深い谷間を見下ろす標高700mを超える尾根。密林のように続く杉林が切り開かれた明るい空間に民家が点在している。10棟近い民家が隙間無く密集していた先程の廃村と違い、ここ立里では民家同士が適度な間隔を持って斜面に散開しており、それが集落全体をどこかのどかに、美しく見せている。

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集落中央に建つ建物は廃校となった立里小学校の木造校舎。校舎の窓が破れているため、外からでも当時を偲ばせる教室の姿を間近に見ることが出来る。

[続く]

●2023年4月某日/失われ行く痕跡を求めて。1年越しの425号縦断記[前編]。

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国道425号線2304wakayama0101.jpg

4月早朝。紀伊半島の中央部、奈良県十津川村、果無集落。
高所の集落内を世界遺産熊野古道が通過するあまりに有名な観光地。 
厳冬期の廃校登山から2ヶ月、紀伊半島の山々は鮮やかな新緑に包まれていた。
果無のような観光地をこのサイトに登場させるのも躊躇するが
山上から本日走行予定のルートを見下ろすことができるので掲載。
果無集落西側に広がる山々、その谷間に刻まれている山道がこれから走る国道425号線。
国道とは言うものの、その実態は離合困難な山道が続くため一部からは酷道とも証されている道。
昨年は前半にあたる425号尾鷲〜十津川間を走破、→LINK
今回はその続きとなる。
やがて深い谷底に日が射し込み始めた。
1年越しとなる425号横断後編と南紀マニアック徘徊スタート。


※本記事は訪問時のものです。現在の状況は異なっている可能性もあります。

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いきなり外してしまった。上記写真の奥地へと続く国道425号は次第に高度を上げ、奈良和歌山県境の峠も間近。その最高部付近から分岐した山道の先にある最初の目的地への道は残り1kmでゲートで封鎖されていた。
その先には廃校となった小学校校舎が残されているはず。この廃校は標高900m近い高所にあり、航空写真には屋根が明瞭に映し出されている。その壮絶な立地からいつか訪れたいと思い続けていたのだが・・・。観光地巡りではないためこればかりは仕方がない。

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その後も425号はカーブ、狭路、急勾配をくり返し延々と西へと続く。一応これでも国道だ。
紀伊半島の交通網に関しては過去散々書いているが、近年高架橋やトンネルを贅沢に使用した高規格路によって南北移動は劇的に改善された。しかし東西縦断路は貧弱につきる。その中でも最も「まもと」なのが酷道と言った俗称でも有名な、現在走行中の紀伊半島山岳地帯を東西に縦断する425号。まともと言っても見ての通りの道のため、とにかく時間が必要となる。そのため、一挙走破では無く前半後半に分け走破を目指した。


国道425号横断地図2304kiimap.jpg

昨年2022年4月に縦断した425号、特に尾鷲〜下北山間においては現れる建物は朽ちた廃村、廃墟ばかり、数時間に亘り人の気配のない工程だった。→LINK
その際と比較すると、今回の十津川〜牛廻〜龍神温泉間の425号は沿線に居住中の民家が点在するためか、狭いものの路面は整備されている。とはいえ、民家があるということは交通量も割とあり時折現れる対向車への注意、すれ違い箇所の確認は欠かせない。



県境の牛廻越を越え奈良から和歌山へ。牛廻越からは山を一挙に下り谷底にあるひなびた温泉街の龍神温泉へと下り立った。

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約10年ぶりに行った425号牛廻越、とはいえ普段林道を走り慣れているためか、それほどの悪路には感じなかった。しかし夕刻、調子に乗って気が緩んでいたのか看板を見落とし通行止めの県道へと入り込んでしまうことに。
第一目的地の到達失敗から気を取り直し、南紀へと大きく進路を変更、次の廃校探しへ。



地方では廃校、閉校が相次いでいるが、その後の校舎に関する自治体の方針は様々のようで、市町村の境界線を跨ぐと校舎の有り無しがはっきり分かれることが多い。よって廃校が集中して残されている市町村は限られてくるのだが、その中でも紀伊半島S町は放置されている木造校舎の廃校が比較的多く、2013年に最初の探索を行っている。その後も時間をかけて回るつもりだったのだがここ一年の間に一挙に校舎の解体が始まったようで今回急遽徘徊予定地に組み込んだ。

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山道を抜けると視界が広がり明るい雰囲気の里山が現れる。その片隅の小高い丘にある学校跡へ到着、静まりかえる校庭にウグイスの鳴き声が響き渡る。
石垣上に残されていた小さな木造校舎は、かつて同じS町内で見た木造校舎と構造がよく似ている。そちらは最近解体されてしまったようだ。校舎の扉は外れており、その隙間から内部の様子を見ることができた。

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頭上では相変わらず、さえずり続けるグイスの声。廃校は小高い丘に立地するため、日当たりも良く降り注ぐ日射しと野鳥の鳴き声に癒やされる明るくのどかな立地だった。

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ここからわずか数キロの距離に対称的な雰囲気の廃校が残されている。数キロといっても両者を結ぶのはすれ違い不可能の山道。道沿いに流れる渓流を横目に車を進めると森が途切れた。

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川幅が広がると谷間にわずかな民家が点在する集落が現れた。その外れの山中にひっそりと佇む神社がある。
紀伊半島を代表する樹木、それは人工的に植林された無数の杉。冒頭、新緑に包まれる紀伊半島と書いたが実は少し大げさで、紀伊山地のほとんどは紅葉も新緑もない杉の人工林となっている。見渡す限りの山々を埋め尽くす杉、その一角の杉林へと続く山道へと足を踏み入れる。

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苔むした石段の先の小さな社。周囲は倒木や落ちてきた葉が積み重なっており、手入れもなされていないように見えるが、雰囲気は良い。そして参道脇には茶褐色の木の幹と同化してしまったかのような木造の建物がある。



太陽光も届かない杉の木立の中、周囲と同化したような彩度の低い建物が浮かび上がる。廃校となった分校の校舎跡。周囲には子供用の椅子や机が散乱しているため、かろうじて学校であったと判別できる。
校庭だったと思われるわずかな平地は廃校後に植えられたと思われる杉が成長し建物全容を捕らえることは困難だ。当然車道からもその姿を視認することはできない。

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この廃校は以前周辺まで達したものの、どうしてもアクセスがわからず到達できなかった場所。今回は他の方の記録を参考に訪れることができた。樹幹に覆われ航空写真からも姿を隠し、ここを入ってくとは到底思われない森への入口。最初に「発見」した方はすごいと思う。



開いたままの正面入口から中を覗く。奥には教室跡と思われる空間がかろうじて見えたため、外から望遠でズーム。様々な要素が傾いているが、机の奥で最も大きく傾く板壁は黒板だったのではなかろうか。

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壁面の窓は板で塞がれており内部の様子をうかがい知ることはできない。校舎を回り込み、裏手に回るといくつかの窓が外れていたため、窓枠から室内を観察。先ほど見た教室跡の逆アングルとなる。

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窓枠からは教室跡の全容が見えた。屋根と天井は大きく崩落、梁が剥き出しとなった状態。正面から眺めた際には、割と形をとどめているように思えた校舎だったが、雨が吹き込んだことで、床が抜け落ち廃墟と化していた。他にも部屋があるようだがそちらの様子は窓からは確認できず。

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S町山中に点在する廃校となった木造校舎の解体は西から東へと進められているように思われ、今回訪問した東端の2棟の解体も時間の問題かも知れない。とはいえ維持管理は困難だろうし、廃墟を放置しておくわけにもいかず、こればかりは仕方がないことだろうと思う。隣接する神社を参拝、廃校を後にした。



古座川上流を通過。本日は森の渓流ばかり見てきたため開放的な大河に少し新鮮な気分。
透明度の高さで有名な古座川、上流各所にある淵を偵察。夏は毎週のように渓流や海に入るという別の趣味も併せ持つため(夏の更新率が低いのはそのため)、次回はマニアックな場所の探索ではなく、泳ぎメインで南紀を訪れたい。川沿いの適当な場所に車を停め昨夜買って置いた昼飯を車内で食べる。窓から流れ込む涼しい風によって眠気を催してしまった。



神社繋がりという訳でもないが古座川沿いに北上、支流へと分岐した山中にある神社を訪れた。神社は渓流を挟んだ対岸に建つ。

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古びた吊り橋を渡り神社に到着。
境内で目を引くのが地面を覆い尽くす絨毯のような分厚い苔。ここの特徴はこの苔であり、以前から予定地マップに入れていた場所。膨れ上がる苔の厚さは場所によっては10cm以上、射し込む木漏れ日が緑を際立たせる。

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神社境内に人の気配はゼロ。参拝者の少なさが、苔を成長を促しているのだろう。この場所の存在が人々に知られるようになれば苔も踏み荒らされ消滅してしまうかも知れない。
初夏を思わせる好天に恵まれた本日、白浜や熊野など南紀の近隣観光地は無数の観光客で溢れているに違いない。しかし自分の徘徊する場所はどこへ行っても誰もいないマニアック旅。


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かつて交通網の貧弱さから秘境とも言われた紀伊半島南部。近年紀勢自動車道が東西から半島を包み込むように延伸、交通は格段に改善された。しかし、それは沿岸部に限った話。一歩山中へ入れば集落同士は谷間を縫うような細々とした道で繋がれ、山間部の生活が営まれている。


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そんな紀伊半島を代表するような道のりがまだまだ続く。それが南紀山中の無人地帯を横断する将軍川林道。過去部分部分を通過していたが、全線走行はまだないため挑戦。名前だけは勇ましい林道だが、その実態はひたすら続く杉の人工林。狭路が延々と続くが幸いなことに今回も走行中、一度も対向車には出会うことがなかった。

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林道は将軍川と名付けられた渓流沿いに敷設されており、道中、車を停め水辺で休憩。冷え切った水に手をひたす。このように道路と水面の距離が近い道が好み。主要道だと路面は川面から高度差とガードレールで隔てられており、清流を発見しても降りることは難しい。

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将軍川林道のラストは大瀬を通過した。かの有名な廃校が残されている場所でもあり自身も10年近く前に一度訪れたことがある。当時、傾いていた校舎は今も健在だろうか。この廃校は林道脇に丁寧に案内看板があるため、見落とすことはない。



せっかくなので木々の合間から見える校舎を林道から偵察すると、校舎はまだ健在だった。ただし建物は10年前にはなかったロープで封鎖されていたので近付かず遠目に撮った。傾く廃校校舎は、いつまで残るだろうか。

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廃校から少し離れると林道沿いの杉の一部が伐採されており、久しぶりに視界が開けた。学校が設置されたのは明治初期。このような辺境の奥地に小さながらも学校が建設され(実際にはその後少し移転)教員が派遣された明治政府の偉業には改めて驚かされる。

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まる1日をかけ南紀の山中を一周、早朝通過した311号が近づいてきた。行程のほとんどが山中の狭路だったが、対向車もほとんど現れず、通行止め箇所もなく順調に終わりそうだ。と思ったらやはり紀伊半島は甘くはなく最後の最後で通行止めが待っていた。



薄暮に包まれた夕刻。山中の一本道を延々と走り、主要道311号への合流まで残りわずか1.5キロ。そこには集落もあり、Aコープもある。今夜は車中泊になるためAコープで購入する夕飯を頭に思い浮かべながら走り続けた。
そんな浮ついた気持ちを打ち砕いたのがヘッドライトに照らし出された「通行止」看板。その数メートル先で古びた橋が封鎖されている。おそらく最後の集落で予告看板があったのだろうが、ゴールを目前にして浮かれており見落としたのだろう。車が行き交う国道は目の前だというのに辿り着くすべはない。引き返すとなると山塊を回り込む30キロ近い大迂回を強いられる。

車と停めたまましばし思案。数キロ手前に怪しい細道があったはず。十数回の切り返しで車をUターンさせ、ナビにも掲載されない闇に沈む細道へ一か八かで侵入した。次第に幅を狭める極狭山道、いつ行き止まりとなるのかと胃を痛くしながら走り続け、なんとか国道へ合流することができた。



閉店間際のAコープで割引シールが貼られた食材を購入。「袋と箸もお願いします」と今日初めてとなる会話をレジの店員と交わした。誰とも会うことなく三重、奈良、和歌山と紀伊半島の人里離れた山中を根気強くひたすらトレースした1日となった。
続きは明日にして温泉でも探し車中泊でもするか。車内に籠もり、先ほど買った食材を食べながら明日の予定地mapを調査。さすがに夜は冷え込んだ。

[続く]

●2023年1月某日/主を失った吊り橋と集落。鹿吊橋を渡る。

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無数の河川が蛇行する紀伊半島山間部には数多くの吊り橋が架けられている。
そのほとんどが生活吊り橋として住民の必要に応じ作られたもので
近年日本国内に増殖中の観光用に作られた人工吊り橋に比べ好感がもてる。
その中でも規模の大きな吊り橋のひとつが十津川村にある鹿淵(かぶち)橋。
対岸の鹿淵集落とを繋ぐ生活手段のために架けられた生活吊り橋だが、
集落が無人となった後も廃止されることなく揺られ続けている。

予定地マップに入れてあった鹿淵吊橋だが、なかなか訪れることができなかった。
その理由は意外に単純で、観光地でもない鹿淵吊橋には「駐車場」がないことにつきる。
過去の紀伊半島探索時にも吊り橋脇を通過する度に、
車を徐行させ駐車場所を探すのだが周辺には空きスペースがまったく見当たらない。
徒歩圏内に建つ民家は、いずれも自家用車を停める場所にすら難儀している傾斜集落で
狭い旧道路肩に他府県ナンバーの車を長時間路駐するのもはばかられる。
普段とは違う別の意味でアクセス難の吊り橋と、
その先の廃村をようやく訪れることができたので報告記録。


※本記事は訪問時のものです。現在の状況は異なっている可能性もあります。

広大な山岳地帯が続く奈良県十津川村。山水画のような光景が広がる雨上がりの紀伊半島。

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緑に覆われた初夏の山々、その谷底を流れる熊野川に架けられた黒い線が、鹿淵吊橋。そして橋を渡った先、右手の森には廃村となった鹿淵集落が残る。場違いに思われる背後の高架橋については後述。



そして冬、駐車場の問題は解決、再びこの地を訪れた。旧道沿いの古びたガードレールの隙間に唐突に現れる狭い石段をしばらく下ると、冬枯れの木々が途切れ視界に吊り橋全景が広がった。

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鹿淵吊橋。橋長150m高さ24m、吊り橋地帯と言われる奈良・和歌山・三重の紀伊半島においても上位サイズだが観光地でもないため、人の気配はゼロ。
日が当たらない黒い森を背景に、吊り橋本体をそれを支えるメインケーブルやサブケーブル、集落へ続くと思われる架線の繊細なワイヤーが逆光を浴び浮かび優雅に浮かび上がった。そしてそれらは逆放物線を描き森へと吸い込まれている。黒い空間の先にある廃村を目指し足を踏み入れた。

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遠近感を強調させるゆるやかな集中線が描くケーブルと黒い森。こんな時「揺れる吊り橋に恐怖を感じた」と書きたくなるところだが、鹿淵吊橋はその大きさ故か、無数のケーブルのためか安定感と安心感があり、また朽ちた吊り橋慣れしているためか正直なところ怖さは感じない。ゆったりと揺れる橋上を歩き、黒い空間が次第に目の前に広がって行く。



しばらく歩き橋上から振り返ると対照的な世界が広がっていた。老朽化した吊り橋、黒い世界と対極をなす順光の空と近代的な高架橋。
高速道路を彷彿とさせる高架橋は山岳地帯を打通する土木事業、国道168号「七色高架橋」。紀伊半島山間部を南北に縦断する168号は主要路としての重要性とは裏腹に難路として知られてきた。連続する狭路カーブ、民家の軒先すれすれの集落内。すれ違いもできない箇所も多く、そんな場所で対向車として大型バスが現れると絶望の淵に突き落とされたもの。

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しかし近年、紀伊半島山間部の道路は改良が進み特に2011年の水害以降、難所を突破する高規格の高架橋、トンネルが次々に建設され、紀伊半島横断時間は半分近くに短縮された。その代表とも言えるのが頭上を通過する七色高架橋だ。ちなみに七色(なないろ)とは地名が由来となっている。
延々と続く高架橋の下にはかつての国道が旧道となって現在も供用されており、交通量はほとんどないが、集落同士を行き来する地元車に利用されているようだ。

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山肌に張り付きどこまでも伸びるミスマッチな高架橋は近年中国の奥地で次々に建設されている山岳高速道路を彷彿とさせる。ナビに全てを任せ無意識に走行しているといつのまにか通過してしまう高架橋だが、一旦旧道に入り見上げてもらいたい紀伊半島のマニアックスポットのひとつだ。



吊り橋を渡り終え対岸へ到着。ここから集落跡へは森の山道が続く。古びた石段が続く薄暗い森を登り切ると、明るい空間が広がった。平坦なススキの草原を見下ろすように、いくつかの平屋の民家や小屋が斜面に点在している。ここが無人となった鹿淵集落跡。

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鹿淵集落と鹿淵吊り橋、両者の位置関係。
熊野川が大きく蛇行し作り出した尾根の突端、その凸部分に尾根上に民家と耕作地がある。見た限りでは熊野川左岸には他の集落や車道は見当たらず吊り橋は孤立した集落の維持のみに使用された。七色高架橋の背後には紀伊半島の特徴でもある斜面集落が山肌に張り付いている。

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中央の平坦な草原にはススキに埋もれた複数の石垣が見え隠れ。
この平坦地にもかつて民家があったのだろうと考えていたが、帰宅後、過去の航空写真を検索すると耕作地だったようで、鹿淵はそれほど大きな規模の集落ではなかったようだ。だからこそ車が通行可能な橋を架けず、簡易的な交通手段である吊り橋が選択されたのだろう。
点在する民家はいずれも古びてはいるが、それほど荒れておらず、わりと最近まで生活が営まれていたと思われる。

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山裾の森の奥にも何棟かの民家や小屋が残っていることに気がついた。こちらは人が離れて長いのかいずれも朽ち果て崩れかけていた。



鹿淵吊橋を観察するため河原へと降りた。川岸へのルートは水害のためか途中で消滅しており、最後は崖を下る。
光を浴び浮かび上がるメインケーブルやワイヤーの優雅で繊細な曲線。吊り橋は、その機能として軽量化が求められ、曲線が加わることで、重量感ある無骨な建造物が多い土木事業の中では別格の存在感を示している。

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紀伊半島山間部では深い谷間を渡河する簡易的、かつ経済的な手段として吊り橋が多用された。そのほとんどが住民の声によってによって架けられた生活吊り橋。
近年、日本各所に長さ・高さを競うように「日本一」を自称する観光用吊り橋が次々に作られたが、それらの類いにはどうも興味が湧かず訪れたこともない。自分の中での吊り橋とは交通手段を望む住民の悲願によって架橋された生活道としての「生活吊り橋」。その点、同じ奈良県十津川村内にあるかつて日本一を誇っていた「谷瀬の吊り橋」は現在でこそ観光地となったが、本来は60年も前に架橋を望む対岸集落住民の声によって建設された生活吊り橋である。

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鹿淵集落が無人となり主を失った吊り橋は生活吊り橋としての役割を終えた。しかし吊り橋自体は現在も維持管理がなされているように見える。集落と吊り橋に滞在中、誰一人会うこともなく人気のない鹿淵吊り橋は冬の斜光を浴び続けていた。

[了]

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