fc2ブログ

●2024年冬某日/解体を待つ「大杭橋」、その最後の姿。

2303ookuibtop.jpg
2024年某日、長野県の千曲川に架かる廃吊り橋、大杭橋が解体撤去されたと知った。
最後にこの橋を訪れたのは数年前の冬、中央だけ残された廃橋の姿が印象的だった。
取り壊しの噂はありつつもその後も橋は一向に解体が行われる
気配もなかったため特に記事にすることもなく眠っていた。
それから数年、大杭橋はついに地上から姿を消したようなので改めて掲載する。
本来、橋を目指していたのではなく、長野県の山間部某所に向かったものの積雪で足止め、
急遽変更し訪れたのがこの廃橋だった。


※本記事は訪問時のものです。現在の状況は異なっている可能性もあります。

2303ookuibridge0101.jpg

青と白。真冬の長野県。某目的地を目指し林道を歩き続けたものの積雪は次第に増していく。まだ進めそうだが今回は深入りを断念。雪解けまで寝かせておこう。
そんな訳で急遽行き先を変更、予定地リストを開き近隣のめぼしい予定地をピックアップ、そのひとつが同じ長野県、千曲川に架かり解体も噂されている廃橋「大杭橋」跡だった。観光地巡りでは無いため、現地に到着したら消滅されていたなんてことはよくあること。あまり期待しないで橋へと向かった。

⚫︎

平地まで下ると雪は消え去った。千曲川が長い年月をかけて削り取り形成された河岸段丘が続く長野県北部。その底を架橋する吊り橋が見えた。大杭橋はまだあった。

長野県小諸市大杭橋2303ookuibridge0111.jpg

川面を目指し急勾配の細道を下っていくと枯れた木々の合間から古びた吊り橋が見えた。
雪解けの濁った水が流れる千曲川にそびえる門を思わせる荘厳な主塔。橋は一見渡ることができそうに思われるが辿り着くすべをもなたい。なぜなら中央部以外は右岸側左岸側共に欠損しているのだ。

2303ookuibridge0105.jpg
2303ookuibridge0102.jpg

竣工は大正期、長い歴史を持つ大杭橋は災害によって現在の姿となった。その災害とは2019年10月に上陸した台風19号。ここで掲載しているように試験湛水中だった八ッ場ダムを一夜にして満水にした大型台風だ。→LINK
増水した千曲川の水位は桁付近まで達し、その一部を崩壊させた。

長野県小諸市大杭橋2303ookuibridge0109.jpg

橋名が入れ込まれた美しい主塔と重量感ある橋脚。実際この橋脚自体は台風でも崩落することなく耐え続けた。橋桁が健在ならば決して見ることができないこのアングル。
現地到着までは橋全体が吊り橋だと思っていたのだが観察すると釣られているのは中央のみ、岸側は通常の桁橋だったようで左岸には流失した橋脚の基礎が残されていた。

2303ookuibridge0103.jpg

「橋を壊しています」と記された工事用看板があったものの周囲には重機も見当たらず解体工事が始める気配は感じられなかった。工事用看板脇には2.0トン標識が残されているが、橋自体の老朽化のため災害のずいぶん前から通行止めとなっていたようだ。

2303ookuibridge0106.jpg
2303ookuibridge0104.jpg
2303ookuibridge0107.jpg

大杭橋の特徴は見学アングルが豊富なことだ。新道として架けられた小諸大橋は深い谷間を一挙に架橋するため大杭橋の絶好の俯瞰ポイントとなっている。中央部には丁寧に展望台まで設置されていため、じっくりと大杭橋を観察できるすばらしい構造。
巨大な小諸大橋と比べるとサイズ的には見劣りしてしまう大杭橋だが弧を描くケーブルが醸し出す美しさでは引けを取らない。竣工時には橋の竣工を祝う盛大な落成式も行われたことだろう。

2303ookuibridge0108.jpg

諸外国から技術が輸入されたばかりの日本では土木自体が近代化の象徴であり現在以上に美が求められた。大正期に竣工した大杭橋も全体や細部から感じさせられる凝った意匠からもその想いがうかがえる。

しかし橋はやがて解体される運命にある。とはいえ莫大な予算が必要な保存など口出しするつもりはまったくなく、解体も仕方がないことだとドライに思う。このような失われた空間はいずれ消滅するものと決めつけ、記録に残しておくくらいなのだ。と書いたもののその後も一向に解体される様子もなく時折小諸大橋を通過する度に眼下にその姿を見せていた。
似たような事例としては同じく建築学的価値を持ちながらまもなくダム湖に消え去る橋、旅足橋がある→LINK



年月は巡りあれから数年あまりたった2024年冬某日。大杭橋が撤去されたのは凍えるような真冬だった。

2402ookuibridge0201.jpg
2402ookuibridge0202.jpg

雪に閉ざされた灰色の空間。背後の山々は真っ白に染まっている。そして小諸大橋から見下ろす光景に橋の姿はなかった。橋が架かっていたと思しき空間には千曲川が流れ続けていた。ついに大杭橋は解体、姿を消した。

長野県小諸市大杭橋解体2402ookuibridge0207.jpg
2402ookuibridge0204.jpg

川面への車道は封鎖されていたため、橋上から俯瞰した限りでは地上構造物は全ては撤去されており、現在は橋脚の撤去作業の最中だった。頑丈そうな橋脚は基礎から撤去するようで重機が水に浸かり動き回っていた。雪が降りしきる冷たい空間で作業を行う人々には頭が下がる。

2402ookuibridge0205.jpg
長野県小諸市大杭橋2402ookuibridge0206.jpg

痕跡が消し去れ大杭橋の正確な位置が定かではなかったので健在だった頃の橋を合成してみる[上記]。周囲の地形や岩などから大杭橋が架けられていたのはやはりこの位置で間違いないようだ。

[了]
スポンサーサイト



●2023年秋某日/生まれる橋「河内川橋」、忘れ去られる橋、新旧の2つの橋を見る。


2312kawachigawabridge0401top.jpg
対称的な2つの橋を見た。
最新工法で建設される巨大アーチ橋、河内川橋。
谷底で錆つき人知れず朽ち果てる吊り橋。
生まれる橋と忘れ去られる橋、新旧の橋を徘徊記録。
ちなみに2つの橋の関連性はまったくない。
夜、河内川橋、翌日には旧橋に達したため24時間以内に
両橋を目の当たりにすることとなり対称的な姿が強い印象を残したため。


2312hasitopb.jpg

※本記事は訪問時のものです。現在の状況は異なっている可能性もあります。

秋空にそびえる曲線を描いた巨大構造物。神奈川県の山間部、新東名高速道路、河内川橋の建設現場は今まさにアーチ橋が繋がろうとしていた。2023年秋某日、工事は佳境を迎えている。

 新東名河内川橋建設現場2311kawachigawabridge0101.jpg
 新東名河内川橋建設現場2311kawachigawabridge0102.jpg

張出し架設工法によって両岸からじわじわと空中へと伸びていく橋桁。先端にぶら下がる四角い箱の中で次のアーチ部材が作られており、せり出した部材同士はまもなく支間中央で触れあい、閉合、橋は繋がることとなる。
最終的には下記のような形状の橋ができる。また適当な絵を描いてみた。[下記]
河内川橋3Dパース23122312kawachigawabridge3D021.jpg
上り下り車線に分けられた2つのアーチ橋、河内川橋。川面からの高さは約125m。
閉合してしまえば自重で支え合い安定感のあるアーチ橋も、建設中の現在は曲芸のような絶妙なバランスで保たれている。現在の不安感ある光景も接続後「橋」となってしまえば二度と見ることができない。

2311kawachigawabridge0106.jpg
2311kawachigawabridge0104.jpg
2311kawachigawabridge0103.jpg

河内川橋建設現場のある秦野〜御殿場工区は新東名で最後まで残った区間でもある。新東名は計画から50年、着工から30年近い年月をかけ建設が進み残すところあと25kmあまり。
自分は新東名建設初期の頃から現場を追っており、15年以上前には「東西に伸びる新東名建設現場を何工程にも分けて巡る」という酔狂な試みを行ったこともある。その際に橋桁だけが建っていたいずれの工区もすでに開通、現在は時速120kmで車が走り抜けている。



河内川橋建設現場での見所は張出し架設以外にもある。それは橋脚足元の山裾に横たわる巨大な仮設インクライン。

2311kawachigawabridge0105.jpg

インクラインとは斜めに接地された作業用大型エレベーター。ダム建設現場など、作業現場への取付道路接地が困難な山岳部では見かけることもあるがここまで大規模なものは珍しい。
インクラインの脇にある懸け造りを思わせる緻密な鉄骨組み上げも見事。こちらは足場となる仮設構台であり完成後はもちろん全て撤去される。イラストの赤い部分がインクラインと仮設構台。[下記]
河内川橋3Dパース23122312kawachigawabridge3D011.jpg

インクラインが接地されているのは"河内川左岸。一方対岸の右岸斜面にはインクラインの代わりに斜面上の現場と地上を繋がる工事用トンネルが掘られており、地形故の工事の困難さを物語る。

2312kawachigawabridge0406.jpg

実際、丹沢山地を酒匂川と河内川が削り取った周辺は東西交通の難所でもあり、初代東名高速道路も、この谷間を越えるために酒匂川橋の建設を余儀なくされた。それから50年あまり、旧東名に平行して建設された新東名は用地買収を容易にするためか、その多くが山岳部に建設され、また速度維持と渋滞解消のためカーブとアップダウンを減らすべく、高高度の橋と長大トンネルが連続する。そのため難工事区間が続出、特に高松トンネルを有する神奈川工区においては、開通が計画から4年遅れと大きく遅延することとなった。

それにしても河内川橋建設現場はとある橋の現場と瓜二つにみえる。それは山梨県の早川町の山間部で人知れず建設中のリニア中央新幹線早川橋梁。橋の形状、現場への取付道路、インクラインの設置等含めどこか似ていないだろうか。
→[LINK



一旦谷底から離れ河内川左岸の車道へと入る。山裾に刻まれた急勾配の山道を車で登り続けるとやがて木々が途絶え視界が開けた。斜面に整地された茶畑が広がる点在する明るくのどかな光景。その背後に無数のクレーンが見える。

2312kawachigawabridge0405.jpg
2311kawachigawabridge0201.jpg
2311kawachigawabridge0203.jpg

しばらく農道を歩き橋を見下ろすポイントに到着、先ほどまでの谷底とは違ったアングルで工事を観察することができる。
手前の斜面に点在する民家と比較すると橋の規模がわかる。先端にぶら下がる四角い「箱」の中で次にせり出すアーチ部材が作られているが、箱自体も巨大で民家がすっぽりと収まりそうなサイズ。

2312kawachigawabridge0403.jpg
2312kawachigawabridge0402.jpg

よく見ると上記写真の橋脚足元に右岸斜面現場へと続く工事用トンネル坑口が見える。工事用とはいいながらトラックも通ることができるかなりの大きさ。

2312kawachigawabridge0404.jpg

秋の日暮れは早い。吹き付ける寒風にさらされながら茶畑の農道をとぼとぼと歩く。最後のカーブを曲がると眼下に工区を俯瞰するポイントがある。
枯れ枝、電柱のシルエット、消えゆく道。その先の橋上に所狭しと接地された赤白の無数のクレーン、その先端に赤い航空障害灯が点滅を始めた。

2311kawachigawabridge0205.jpg
2311kawachigawabridge0204.jpg
河内川橋建設現場夜景2311kawachigawabridge0301.jpg

季節は進み冬の某日。夜の橋はまた雰囲気を変える。
谷底に広がる河原に立ち河内川橋を見上げる。やがて冬の星を背景に暗闇から橋が浮かび上がった。前回と比較すると工事は少しずつ進捗しているように見える。
夜空で点滅をくり返す航空障害灯。足元に目をやると滞留した川面に反射する航空障害灯は同じように点滅をくり返していた。

河内川橋建設現場夜景2311kawachigawabridge0302.jpg
河内川橋建設現場夜景2311kawachigawabridge0303.jpg
河内川橋建設現場夜景2311kawachigawabridge0304.jpg

伸び続けるアーチ、地下深くまで打ち込まれ膨大な重量を支えている太い橋脚、両サイドのタワークレーン。煌々と輝くライトに照らし出される建造物は曲線故かオブジェ的なものを思わせ、夜の風景も相まって近未来的なイメージを作り出す。

2311kawachigawabridge0305.jpg
2311kawachigawabridge0307.jpg
2311kawachigawabridge0306.jpg

新東名神奈川区間全線開通は2027年予定。法定速度も緩められている新東名においては橋長771mの橋ならばわずかな時間で通過してしまう。高台を前提に作られている高速道路では橋の存在には意外に気づきづらいもの。これだけ苦労して架橋したアーチ橋だが、走行中この橋の高さと偉大さに気がつくドライバーはいるのだろうか。



15時間後・・・。
水位が低下し泥のような川底が露わになった川。その両岸を跨ぐ古びた橋がある。よく見るとケーブルが曲線を描いており橋は吊り橋であることがわかる。地図上では「通行止め」となっているがその実態は完全な廃橋。

2401kawatsuoohashi03.jpg
十津川村風屋ダムの川津大橋2401kawatsuoohashi02.jpg

曇天の空、静まりかえる無人空間、渇水によって干上がり露出した泥、そして朽ち果てた橋。彩度の低い空間。わずか半日ほど間前、煌々と照らし出され未来感あふれていた昨夜の河内川橋とはすべてが対称的な光景だった。

十津川村風屋ダムの川津大橋2401kawatsuoohashi05.jpg

膨大なコンクリートが使用された重量感溢れる河内川橋、こちらは簡素化された吊り橋であり等目には人道のように見えるが、6.0t制限と書かれた標識が物語るようかつては車の通行も可能だった。
床板は板敷きとなっており、ここを車が通行していたとは驚かされる。現在ではその板も割れ、隙間から眼下の泥が透けて見える。



橋は地図上「通行止め」扱いだがその実態は完全な廃橋。迂回用の橋があるため、今後修理がなされることも復活することもないだろう。この先の林道も通行止めとなっており滞在時間中、一台の車も通過することは無かった。

十津川村風屋ダムの川津大橋2401kawatsuoohashi06.jpg
十津川村風屋ダムの川津大橋2401kawatsuoohashi04.jpg

橋の主塔周辺は絡みつくツタに浸食されつつあり、これが夏場ならば旺盛な緑によって視界のほとんどは塞がれていただろう。
ツタの合間から見た銘板には1960年と刻まれていた。施工者は電源開発とあるため、下流の施設建設に伴う代替路としてこの吊り橋が用意されたことが読み取れる。

2401kawatsuoohashi08.jpg

繋がろうとしている河内川橋、忘れ去れた廃吊り橋。両者とも当時最先端の技術力、土木力で作られたもの。しかし一方は経年劣化によって朽ち果てていく。過去と未来が交錯した橋の光景だった。

[了]

●2023年秋某日/崖上の寺。雨中の廃村徘徊。

2310shigaabandonedvillagetop.jpg
滋賀県と言えば無数の廃村となった集落が残されていることで有名だが
それらを訪れたのははるか以前、麓にまだ廃校校舎が残されていた頃の一度だけ。
普段は山中や地の果てに存在する秘境廃校をメインにしているため、
廃村には疎く特に滋賀県の廃村は既に多くの方が調査されておりその足元にも及ばない。
今回は滋賀方面に予定がありそのついで行った徘徊。
当日の思いつきだったため、先駆者のサイトを参考にしながら回ったものの
行き当たりばったりの徘徊となり当然のことながら時間切れ。
計画性に加え時間もなく、結果到達できた目的地は4箇所程度にとどまった。


※本記事は訪問時のものです。現在の状況は異なっている可能性もあります。

予定が終了、滋賀と言えば廃村である。見上げる山塊には数多くの無人となった集落が眠っている。
うまい具合に雨もあがり雨上がりの霧との組み合わせが見られそうだ。

2310shigaabandonedvillage0102.jpg

山裾を流れる霧の中から現れた寺。どこか幽玄的なものを感じさせられる光景。
境内の先には抜けた空間が広がり、天候さえよければ見晴らしのよい寺に見える。しかしそのまま歩いて行くと空中に飛び出してしまう。谷底を挟んだ対岸の斜面から現在地を見ると寺は断崖の際に建っていることがわかる。

 霊仙入谷集落了眼寺の崩落現場2310shigaabandonedvillage0103.jpg
霊仙入谷集落了眼寺の崩落現場2310shigaabandonedvillage0504.jpg
霊仙入谷集落了眼寺の崩落現場2310shigaabandonedvillage0501.jpg


崖から飛び出した本堂の一部、それを支える柱。一見、懸造り様式で設計された寺にも見えるが、もちろん当初からこの状態だった訳ではない。かつて本堂から左手の山手にかけては石垣張りとなっていた。おそらく豪雨によって石垣が崩落、かろうじて残った本殿も風前の灯火となっている。

2310shigaabandonedvillage0105.jpg

それでも応急処置が行われた形跡があり、頼りなさげな数本の柱によって本殿ごと支えられている。よく見ると屋根を支える柱を延長、崖の中腹を掘り下げ基礎となる簡易的な土台を設置したようだ。この柱が屋根どころか膨大な重量を持つ本堂全体を支える構造となっている。

2310shigaabandonedvillage0108.jpg

本殿正面側は地盤が深くえぐられたことで、床のコンクリは空中に突き出した雪庇のような状態となった。こちらを支えているのがさらに細い数本のパイプであり、そのまま進むと空中に飛び出す数m前に手前で自重によってコンクリごと崩れ落ちてしまいそうだ。

2310shigaabandonedvillage0106.jpg

一応境界線を主張する頼りないトラロープが張られてはいるが、側面から見るとロープのかなり手前の地下から既にえぐられているため近付かない方が良い。
手前にもかつては寺務所のような建物があったようだが、こちらも地面ごと崩落し建物は跡形もない。土砂は下の車道をも埋め尽くしたのだろう、道の擁壁には修復された形跡がある。

2310shigaabandonedvillage0104.jpg

崩壊寸前の寺があるのは滋賀県山中の無人となった集落一角。
ここに至るには急勾配の坂を登り続ける必要がある。森に覆われた薄暗い坂入口にはgooglemapにも丁寧に名所のような表記がなされている場所があり、道の両側に小屋が立ち並んでいる。

霊仙入谷集落車庫群2310shigaabandonedvillage0302.jpg
霊仙入谷集落車庫群2310shigaabandonedvillage0301.jpg
2310shigaabandonedvillage0303.jpg

雨に濡れ黒ずんだ小屋。屋根の多くは緑の苔で覆われている。苔は昨夜から降り続いた雨水をたっぷり含み膨れ上がっている。
ここに至る道中、各所で民家も畑もない道路際に古びた小屋が建ち並ぶ光景を目にした。自宅から離れてはいるものの、荷物の積み込みが容易な道路沿いに自分用作業用小屋を接地する方法は土地が痩せた他の山岳集落でも見ることができる。この車庫群も寺を有する集落の住人のための物置小屋として使用されていたようだ。

2310shigaabandonedvillage0201.jpg
2310shigaabandonedvillage0202.jpg

小屋群から集落へと繋がる細道には滑り止めの深い溝が刻まれ勾配の険しさを物語っている。
両側には古びた民家が斜面に密集、立派な土蔵も幾棟か目にした。最盛期には現在の倍近い戸数の民家が建っていたようだ。

2310shigaabandonedvillage0107.jpg
2310shigaabandonedvillage0204.jpg
2310shigaabandonedvillage0203.jpg
2310shigaabandonedvillage0205.jpg

上へと歩き続けるとそれほど古くはない家、森に飲まれた家、倒壊した家、様々な状態の民家が混在していた。それら民家の合間からは石垣が顔を覗かせている。傾斜集落の家とわずかな耕作地は緻密に組まれた石垣によって支えられてきた。遙か昔から住人が代代行ってきたメンテナンスも担い手を失いやがて崩壊していく。

2310shigaabandonedvillage0110.jpg

寺では崩落を食い止めようと努力した様々な痕跡が見られるが、あくまで手作り的な応急処置。このままでは豪雨の度、もろそうな地盤は削られ続け、長い歴史を持つ寺も倒壊するだろう。寺を守るためには地盤全体を固定する大がかりな土木工事が必要となるが、無人集落にはどのように予算が投入されるのだろうか。 



川沿いの小道を遡りさらに山中の廃村へと向かう。反対側からはもう少しまともな山道もあったのだが、距離を優先に考え極細の山道を走り次の目的地へと到着。幸いなことに対向車も現れず。森の奥に無人となった民家が密集している。あまりにも有名な廃村。 

滋賀県の廃村男鬼集落跡2310shigaabandonedvillage0402.jpg
滋賀県の廃村男鬼集落跡2310shigaabandonedvillage0401.jpg

ここでは大型トタン屋根の民家がほとんど。このような屋根の下には立派な茅葺きが封印されている。トタンをかぶせることによってメンテナンス困難な茅葺き屋根の寿命を伸ばすことができる簡易リフォームであり、田舎でよく見る。
それにしても道の両側に建ついずれの民家も雨戸が開け放たれ家具や調度品が並べられた状態となっており不思議でもある。

2310shigaabandonedvillage0403.jpg

滋賀県のイメージは一般的に琵琶湖の存在感のため「平面的」な印象が強いが、周囲は山々に囲まれており森の中には例の発電所跡や茅葺き廃村などが隠されている。またその地形故、緯度や標高の割に冬期には豪雪に見舞われることも多く、生活困難を理由に離村者が相次ぎ無人化、廃村となっていった。



午後、近隣山中に残る無人系の集落を訪れてはみたものの、住人が離村して間もないのかいずれも定期的なメンテナンスも行われている気配もあった。自分の中の勝手な定義では「廃村」とは完全に放棄され朽ち果てた集落を指す。午後に訪れた集落は廃村と言うよりも無人集落に近いため掲載はしていない。

2310shigaabandonedvillage0404.jpg
2310shigaabandonedvillage0405.jpg

最後に少し離れた集落にあるいつもの医院跡に立ち寄る。谷底の傾斜集落の石垣上に古びた医院の跡が残されている。まるで城郭を思わせる壮大な石垣と大木。
山を離れ平野に下ると雲と霧が切れ日が差し込み始めた。見つけたコンビニで遅い昼飯を購入。青空の下、原色きらめくオレンジ色のコンビニ看板、近代的な店内。彩度の低い幻想のような不思議な時間は終了し、現実に引き戻された。

[了]

●2023年秋某日/山塊の果て、小屋のある廃牧場にて。

2309hfarmtop.jpg
かつて放牧が行われていたものの現在は放棄された牧場跡地。
廃的なものにもかかわらず開放感あふれる光景とのギャップが魅力的な場所が多く
本サイト内にも各地の廃牧場がよく登場する。
規模はそれほどではないが草原と廃屋との組み合わせが絶妙の高所、
そんな今回訪れた廃牧場の風景の紹介。


※本記事は訪問時のものです。現在の状況は異なっている可能性もあります。

空撮写真で事前に調べた限り、牧場跡までは細々ながら車道が通じているようだ。山中の分岐から最終アクセス路である車道に入ると道は一気に荒れ始めた。季節柄、両側から覆い被さる草木が、複雑に分岐する車幅ぎりぎりの山道を覆い、それらが車体をこすり続ける嫌な音を聞きながら走り続けた。
草木が切れ視界が開けた。

富山県南砺市原山牧場跡2309harayamafarm0101.jpg

巻雲が広がる空と草原。青と緑の世界。延々と続いてきた山塊はここで切れ落ち、眼下には平野が続いている。
見渡す限り牛の一匹の姿も、人の姿もなく、もちろん観光客向けの施設も皆無の無人空間。やはり現在は使用されていないようだ。

2309harayamafarm0105.jpg

広大な風景の中にある人工物が好きだ。
今回の廃牧場のポイントは中央に建つ木造の建物。おそらくかつては牧場管理棟だったと思われる建物も現在は色褪せ廃屋のような状態。このような建造物、あるいは一本の大木があると単調になりがちな草原の構図が引きしまる。
とはいえ似たようなアングルばかりだ。

富山県南砺市原山牧場跡2309harayamafarm0102.jpg
2309harayamafarm0106.jpg


自分好みの廃牧場[下記リンク]には廃墟、池、小屋。いずれも草原以外のポイントがあるのだ。

能楽の里牧場2021contentnougaku.jpg鳥甲牧場2020contenttbokujyo.jpg
2020年長野県大鹿村天空の池2013contenttenkunoike.jpg廃墟牧場2013contentnatsuyaki02.jpg


2309harayamafarm0104.jpg

揺れ続けるススキの穂、流れゆく雲、地表を移動する雲の影。誰一人現れない風が吹き抜ける広大な草原。
色褪せ傾きかけた給水塔の足元には牛が使用していただろう水飲み場跡があった。

2309harayamafarm0107.jpg
2309harayamafarm0108.jpg
富山県南砺市原山牧場跡2309harayamafarm0103.jpg
2309harayamafarm0201.jpg

厚い雲、そして霧に覆われた灰色の牧場跡。天候によって場所の印象は大きく変わる。

2309harayamafarm0202.jpg

日没間近。眼下の大地に射し込む夕方の斜光が平野をきらめかせる。
灯り始めた店舗の光、移動するヘッドライトの光、生活が営まれている下界へは手が届きそうで届かない別世界。自分が立つ失われたこの空間とは実際以上の距離を感じてしまう。 

2309harayamafarm0204.jpg
2309harayamafarm0206.jpg
2309harayamafarm0205.jpg

やがて斜光は廃牧場にも到達した。今日最後の光が草原へと差し込み、揺れる無数のススキの穂が逆光に浮かび上がる。下界目を向けると眼下はすでに闇に包まれていた。

[了]

●2023年秋某日/海を望む丸い戦跡、目玉監的壕跡。

2309medamatop.jpg
遙か遠くに海を望む広大な傾斜地。
畑や荒れ地が混在する一角に奇妙なコンクリートの遺物がある。
乾いたダート道を土埃を上げて車を走らせていると
彼方にグレーの球体が見えた。


※本記事は訪問時のものです。現在の状況は異なっている可能性もあります。

目玉監的壕2309medama0101.jpg
立野原監的壕2309medama0105.jpg

緑の土手に半ば埋もれるように接地された灰色のコンクリート製球体。
強い日射しを浴びる側面にはいくつかの小さな穴が開けられている。このコンクリートの塊は目玉監的壕(かんてっこう)と付けられた旧陸軍の演習用施設の遺構だ。

立野原演習場2309medama0102.jpg
2309medama0103.jpg
2309medama0104.jpg

戦闘用構造物は直線や直角で構成された力強く無骨な姿を想像しがちだが、ここは全てが緩い曲線で構成されており、それが少しかわいらしくもある。



目玉を想像させる丸い形状から付けられたと思われる「目玉監的壕」という名称。堅物が多そうな戦前の陸軍も粋な名前を付けたものだと思っていたら、戦後に近隣住民が名付けた愛称なのだそうだ。正式名称は立野原監的壕。
監的壕は球体の半分が地中に埋められた半地下構造、その裏側には黒い穴が口を開けているのが見える。

2309medama0101d.jpg

雑草が生い茂る斜面を登り裏に回ると小さな出入り口があった。なんだか古墳の入口にも見える穴。実際ドーム型の箇所と四角い箇所で組まれた壕は前方後円墳を彷彿とさせる構造だ。

2309medama0106.jpg
2309medama0108.jpg
2309medama0107.jpg

分厚いコンクリートで防護された内部も曲線も帯びている。北側の地面すれすれに開けられた四つの銃眼のような小さな穴。その厚みがわかる。穴からは平野、さらに先には青い水平線も見えた。

立野原演習場2309medama0109.jpg

壕内に隠り敵を迎え撃つ軍用トーチカは上陸作戦が想定される海岸部に設置されることが多いが、現在地は海岸線から30km余り、あまりに遠いのでは思っていたら実戦を想定したものではないと後で知った。
全面に広がる広大な敷地は戦前、陸軍の演習場だった。4キロ先に砲弾の弾着地があり、監的壕はその名の通り、弾着観測と効果を測定するための壕だったようだ。分厚いコンクリートは観測者の身を守るためだった。

似たような遺構は以前、別の場所でも見た。[下記]→LINK こちらも弾着観測に使用されていたトーチカ。

御殿場富士山トーチカ跡1802fuji01.jpg

現在は静まりかえる原野も演習時には轟音で満ちていたことだろう。

[了]

Pagination

Utility

プロフィール

hou2san

Author:hou2san
失われ行く空間と生まれ行く空間。交錯する2つの光景を記録する。
※掲載内容は訪問時の状態であり、現在は異なっている場合があります。
なにかあれば下記メールフォームで。↓
場所を教えろよなんてことでもいいです。

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

最新記事

月別アーカイブ