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●2024年冬某日/終わらない紀伊半島徘徊。県道沿いの廃校群。

  • 2024/05/12 22:22
  • Category: 廃校
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和歌山、奈良、三重を飲み込む巨大半島、紀伊半島。その山塊に埋もれる廃校群。
これらを巡る探索開始から11年、当初3年計画と豪語してきたが、航空写真を駆使し
探せば探すほど新たな廃校を「発見」してしまうため一向に終わりの見える気配はない。
今回は三重から和歌山県境の山中を走る県道44号沿いにに点在する未達の廃校を徘徊。
県道沿いに複数の廃校が残されているようなので北から順に巡り、最終的に海に達するというプラン。
深い山中を延々と続く県道を辿る長い道のりが始める。


国道425号編(前)→LINK
国道425号編(後)→LINK

※本記事は訪問時のものです。現在の状況は異なっている可能性もあります。

どこまでも山々が続く紀伊半島奥地。その斜面は隙間なく植林された人工林が続く。そんな杉林にぽっかりと空いた謎の穴。よく見るとトンネルなのだが坑口は深い渓谷を挟んだ対岸にあり、辿り着くすべを持たないように見える。

奥瀞道路三期の2号トンネル建設現場2401kiipeninsula0101.jpg
奥瀞道路三期の3号橋アーチ橋建設現場2401kiipeninsula0104.jpg
奥瀞道路三期の建設現場2401kiipeninsula0103.jpg

実はこの場所、架橋の建設現場。手前の谷間は巨大なアーチ橋によって架橋されトンネルと接続されるため、今しか見られない光景。探索を始めた頃は周辺ではトンネルや架橋が着手したばかりだった。すれ違い不可能の狭路が続き秘境ともよばれた紀伊半島奥地、高規格道路が延伸し続けそのアクセスは大きく改善されつつある。



熊野川河川敷。乾期のこの時期、川の水量は少なく広大な河原が続いている。その脇の高台に小学校の廃校がある。対岸の国道から建物がもよく見えるため知名度が高い廃校。実はさらに上層にも木造校舎が続いてる。

紀伊半島の廃校2401kiipeninsula0401.jpg

トンネルや河川敷が続いたがようやく本題。今回は和歌山県道44号沿線に点在する未着手の廃校群を順に巡り、海へと達する予定。熊野川を橋で渡り対岸の県道へと車を進めた。ここから44号線の旅路がスタートした。

和歌山県道44号線ロゴroad44logo.jpg

熊野川へと流れ込む支流沿いの県道を山中へと車をしばらく走らせる。谷間に小さな分岐点があり、右折すれば先日掲載した森の廃校へと行き着くが今回は直進。
集落の外れには廃校となった小学校の木造校舎が残されている。現在、学校は熊野古道巡りの休憩所として使用できうるようでトイレ等の案内看板があった。
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案内看板に導かれ校庭へと向かう。木造校舎は教室と講堂が組み合わさったL文字型。直線の組み合わせが美しい。校庭はきれいに整地され雑草も見当たらず手入れがなされているように見える。近付くと校舎の開放部は一面網状のネットで覆われていた。

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ネットはおそらく害獣か鳥対策のものだろう。ネット越しに内部の様子を間近に見ることができた。網越しに見た中央の玄関。視線を右に向けると玄関左右には長い廊下と教室が並んでおり、10以上の教室があるように見える。

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和歌山県道44号那智勝浦熊野川線road44logo.jpg

再び県道44号。ここから先は初めての道となる。民家が途絶え県道は一気に山道へと変化する。川沿いに敷設されいるため高低差はないが断崖に刻まれた離合不可能の急カーブが連続、対向車が一切現れないのが救い。
車幅ギリギリの路肩、その真下の川は冬枯れの光景の中、鮮やかな水の色をたたえていた。清流で有名な紀伊半島、自分は川遊び系の趣味も併せ持っておりここでもいつか泳ぎたいものだ。今日は真冬なので眺めるだけ。

和歌山県赤木川2401kiipeninsula0301.jpg

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山中に現れる場違いな平地。その奥に建つ平屋の建物は廃校となった小学校の校舎。先ほどの廃校と比較すると規模はあまりに小さく遠目には民家のようにも見える。
隣には一棟の無人の民家、それ以外は見渡す限り山しか見当たらない立地。しかしかつては子どもを維持するだけの集落が存在していたのだ。

廃校旧鎌塚小学校2401kiipeninsula0303.jpg

建物に近付くと窓の多くが抜けていたため内部の様子を外から伺うことができた。
校舎はそのほとんどを教室が占めている。窓から撮った黒板には参上系の訪問記が書き込まれており、山奥にもかかわらず意外に多くの訪問者があるようだ。その年代は外から見ただけでも平成初期から現在に及ぶ。

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側面の割れた窓から撮った校舎内。こちらは淡いブルーを基調にした柱や壁面、格子などで構成されており学校にしては凝ったイメージを受ける。
谷間にある廃校の日暮れは早い。しかも冬。校庭だった平地へと戻ると太陽は稜線へと近づき、立ち去る頃には校舎の半分ほどは闇に沈んでいた。

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廃校を発つと県道は川から離れ高度を上げていく。隙間なく植えられた杉は冬でも落葉することもなく、薄暗い県道はカーブを繰り返しどこまでも続いている。沿線にはかつて集落や耕作地が点在していのだろう、苔むした石垣や平地が杉林内に時折現れる。跡地巡りとしていると目が肥え、かつての集落跡を地形などから割り出せるようになってきた。
ちなみに名言が多いことで知られているバイク用地図、ツーリングマップル関西版には、県道44号のこのあたりは「走るのが嫌になるほど暗くて細い林道」と書かれており、自分は車ではあるがまさにその通りだと思ってしまった。



久しぶりに視界が開けた。杉が伐採されたことで本来の急峻な地形が露わになり、先ほどまで走っていた曲がりくねる県道が眼下に見えた。かつて人々が切り開いた耕作地が広がっていた対岸斜面も現在は荒れ果てそのほとんどが森となった。

和歌山県道44号那智勝浦熊野川線2401kiipeninsula0302.jpg

今回の長い工程の中、県道44号上で唯一すれ違った車。白い地元車はガードレールもない断崖上の狭路を器用に走り続け、やがて稜線の影が山肌に落とす闇の中へと消えていった。

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西日が作り出すコントラストの強い光と影。広大な風景の中、視界の中で唯一動くもの。長い道中で現れた対向車はこの一台のみ、その理由はやがて判明する。

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ひたすら続く杉林が途切れ視界が広がり平地が現れると大袈裟な例えではあるが砂漠のオアシスに到着した気分だ。こちらの集落は廃屋もあるが、人の気配を感じる民家もちらほら。

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滝本小学校跡2401kiipeninsula0308.jpg

集落あるところに廃校あり。本日4カ所目の廃校に到着。小学校として使用されてきた校舎は改築され現在は公民館として使用されているようで特に学校らしさは見当たらない。校庭だった土地は基地局として通信会社の塔が所狭しと立ち並んでいた。

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わずかな平地もすぐに終わり、盆地のような小集落を抜けると県道は闇に消えていく。ここから再び山道が始まるのだ。杉林に入った県道は次の峠を目指し高度を上げ続ける。

紀伊半島の廃校群2401kiipeninsula0400.jpg

今日ここまでの行程を確認する。入り組む谷底に点在する01〜03の廃校、そしてそれらを繋ぐ県道44号を現在地まで走り続けてきた。見渡す限り山が続く紀伊半島、それらの懐では過去も、そして現在もひっそりと暮らしが営まれてきた集落があった。



我慢を重ね走り続けた山中の長い工程も残りわずか。山道はあと5kmほどで「まともな」県道へと合流する。まもなく、次の予定地の廃校が現れ、そして県道を下れば待望のコンビニもあるだろう。



人の気配のまったくない杉林に覆われた薄暗いカーブ、またカーブ。県道沿線はこのような光景が延々と続く。今日何百回目かのカーブを曲がると突如人影が路上に現れ棒のようなものを振りかざしながら停止を命じられた。県道上で初めて見る人の姿。

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こんな杉林で車を停めようとするのはトラウマとなっている例の土ぐも族→LINKに違いないと一瞬非常に驚かされた。木漏れ日の逆光でよく見えなかったが落ち着いて見ると誘導棒を持った交通誘導員のようだ。

駆け寄ってきた誘導員からは手で×マークを作り先には進めないとの合図をされた。合流地点まで残り数キロで通行止めか?。
山中徘徊の際は崩落などによる通行止めを見越し出発前にチェックは入れておく。今回は通行止め情報もなく、また事前に設置されるはずの予告看板にも気がつかなかった。誘導員からは今回は緊急工事なのです。と大変申し訳なさそうに説明を受ける。
ここまで25キロ、山中の一本道、余所へと抜けるエスケープルートなど見当たらない。丁寧に説明してくれる誘導員に対し、絶望の心境を隠し、快く「いいですよ」とさわやかにUターン、実際は切り返しが10回近くに及んだが。とはいえこの道は本来地元用の生活道路、自分のような物見遊山のよそ者が苦情を言う権利はまったくない。

⚫︎

そんなわけで合流地点まで残り数キロを残しUターン、起点となった熊野川を再び目指し山中の狭路をひたすら戻り続けた。道理で対向車も現れなかったわけだ。
結局予定していた他の廃校は未達のまま01から03の廃校を順に逆戻り。02の廃校は完全に闇に没していた。そして夕刻、予定時刻より大幅に遅れついに熊野灘に達した。新宮の工場群が西日に照らし出される。

熊野川河口大橋2401kiipeninsula0310.jpg

現在、熊野川河口では街中をバイパスする新しい橋の建設が急ピッチで進められており完成もまもなく。2024年秋の開通後には新宮市内の慢性的な渋滞も解消されることだろう。紀勢道の開通が相次ぎみるみる変わりゆく紀伊半島沿岸部。しかし本日走行した道のように山中に点在する小集落を細々と繋ぐ山道はまだ生きながられている。


[了]
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●2024年冬某日/埋もれ行く廃校への道。再度の挑戦。

  • 2024/04/07 22:22
  • Category: 廃校
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山の崩落による土砂が堆積し地上から姿を消しつつある廃校となった分校跡がある。
実は何年か前この分校跡へ挑戦したことがあった。
現地への車道はすでに崩落、廃校は山中に隔絶された状態となっており
長時間の徒歩行程でしか辿り着くことができない奥地。
ルートは2つあり、谷を遡り廃校を目指す谷底ルート、
もうひとつは稜線上から谷底まで林道を歩き続ける尾根ルート。
アップダウンの少なさから当時選択した谷底ルートだったが途中で山道を見失い、
深入りを避け撤退したのだった。

最近になって尾根ルートがメジャーになったようで
こちらから分校有する廃村、O集落を目指した探索記を見かけるようになった。
それらを拝見しているとアクセス路の崩壊がさらに相次いでいるようで、
まもなくルート自体が閉ざされ現地へ辿りつけなくなる可能性が高い。
廃校が砂に埋もれる前に、アクセス路がわずかながら生きているうちに訪れておきたい。
冷え込んだ冬の某日、数年ぶりに廃校への再挑戦を行った。

※本記事は訪問時のものです。現在の状況は異なっている可能性もあります。

いきなり初夏の写真。新茶の芽が美しい茶畑が広がる静岡県山間部。廃校となったO分校が残されているのは、写真奥に聳える標高1,300mを越える新緑の山々の懐、廃村となったO集落片隅の森の中。

廃村静岡県小俣集落2103shizuokahaiko06.jpg

分校跡を目指すのは今回が初めてではない。写真は何年か前に谷間ルートで分校跡を目指したものの失敗、その帰路に低いテンションで撮ったものだ。時期が5月だったため新緑の光景となっている。

⚫︎

そして月日は流れ2024年、冷え込んだ冬の某日。新緑の季節からは一変、路上の水たまりは凍り付いている。今回はアップダウンがあるため避けていた尾根コースで廃校を目指す。

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植林された杉に覆われた薄暗いダート林道が延々と続く。しばらく歩き続けると杉林が伐採されたことで視界が開け、今日これからの長い工程が一望に見渡せる場所があった。
谷間を挟んだ対岸の斜面、その一画に大きな傷がある。表層と共に木々が流され地盤がむき出しとなった大崩落現場。目的地はこの大崩落下部、森の中。直線距離はさほどないように感じるが実際のルート(白線)は谷奥まで大きく迂回を強いられるため歩く距離は長い。

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前回は下流のI集落から谷間の川を遡上する谷ルートで廃校を目指した。[下記地図]
アップダウンが少ないためアプローチが楽だろうと地理院地図に書かれた破線を頼りに歩き続けたものの途中で断念、今回選んだ尾根ルートは道は明確だが稜線から谷底までひたすら下ることになるため、帰路は当然登り。そして距離も長い。

静岡県廃村小俣集落へのアクセス地図2403O3D.jpg

林道は登山道へのアプローチ路となっているため他の登山客がいると思っていたが駐車場にも車はゼロ、往路も含め誰ともすれ違うことはなかった。
木々の合間から時折見える「崖」が次第に近づいてきた。普段と違い今回は明瞭な目標物があるため心強い。ルートは崖の対岸を一旦通過しさらに奥の谷まで続いている。

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かつてO集落へは車道が通じており現在歩き続ける林道もその一部。しかしこの数キロ先で車道は廃道状態となっている。廃道程度ならば問題はないがその後の崩落によって徒歩通行も不可能に。そのため先駆者のルートを参考に崩落箇所をで迂回、廃道へ復帰することができた。その先も何カ所か崩落があったが高巻きによって回避。

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長い道のりもゴール間近。地面の傾斜が緩み立ち並ぶ杉の幹の合間から建物が見え始めた。廃村となった集落跡へ到着したようだ。頭上を覆っていた樹冠がとだえ、明るい空間が広がった。廃村の中央は日射しを反射する乾いた土砂に覆われた斜面となっていた。

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現在地は対岸の林道から眺めた大崩落地点の下部。崩落を起こした石や砂などの土砂が集落平地に堆積、崖錐と言われる半円錐状の地形を形成しており中央部の民家は屋根だけを残し土砂に半ば埋もれていた。

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肝心の廃校はどこだろうと見渡すと外れの森にそれらしき建物があった。木立に覆われひっそりと木漏れ日を浴びる屋根は降り積もった葉と苔に覆われている。

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校舎周辺は斜めの地形となっており、山裾が形成する自然傾斜に見えるが、降り積もった葉の合間から見える地面は腐葉土ではなく砂利のような堆積物だったため崩落の影響は廃校にも及んでいることがわかる。
一方校舎は閉校から60年近くが経過したにもかかわらず予想以上しっかりとした外観に見える。しかし裏に回ると校舎の片側は壁面が完全に消滅していた。そのため外側から校舎の断面を見ることができる。

静岡県廃村小俣集落小俣分校跡2303Obunko0106.jpg

壁が失われた西面から見た室内は堆積した土砂によって斜めに埋め尽くされていた。土砂は北側の窓、そして壁面をつき破り教室内に堆積している。その奥には学校であったことを示す黒ずんだ黒板が残されていた。

静岡県小俣分校跡2303Obunko0107.jpg
静岡県小俣分校跡2303Obunko0102.jpg

溝が掘られた鴨居が残されていることから教室内は襖か障子で仕切られていたようだ。梁や天井、壁、いずれも平行が合わないところを見ると建物全体も土砂に押し出される形で南側へ傾いでいるようにみえる。
同じアングルばかりだが、外からでは他に撮りようがないのだ。

廃村小俣集落2303Obunko0108.jpg
廃村小俣集落2303Obunko0101.jpg
廃村小俣集落2303Obunko0103.jpg

外から見る限り学校を思わせる痕跡は机と黒板くらい。分校とはいえ非常にこぢんまりとした規模。
O分校はここから数キロ下った小集落にあるI小学校の分校だった。I小学校は何年か前現在地を目指したときにの起点となった場所。[下記写真] 小学校はもちろん廃校、当時わずかながら人の気配があったこの集落も最近無人化したようだ。

石切小学校廃校2103shizuokahaiko091.jpg


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杉の樹冠に覆われ航空写真にも写らない分校跡。廃校編で毎回同じ事を書いて恐縮だが当時からこのような状態だったわけではなく過去の航空写真を1960年代まで遡ると廃校や集落周辺は切り開かれ耕作地となっていたことが読み取れる。その後住人が離村する度、跡地に植林が行われ閉校から60年後、成長した杉が校舎を空からも覆い隠した。

⚫︎

一帯を埋め尽くす土砂は砂では無く尖った岩片。見上げると崩落の発端となった崖が見える。土砂は周囲の森の中も埋めており、特に堆積量の多い中央部の木々は立ち枯れを起こしている。また廃校上部の神社も倒壊していた。

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砂の女2303Obunko0203.jpg
砂の女2303Obunko0204.jpg

歴史ある集落と廃校を消し去る土砂。埋もれ行く村に立つと安部公房の名作、「砂の女」という小説が頭に浮かぶ。砂丘の際に立地し迫り来る砂との戦いを宿命づけられた日本海の集落。日々砂を掘り出さなければ埋没してしまう集落で、埋もれかけた民家に監禁された男はひたすら砂と格闘しながら脱出を試みる。わずかの隙間も見逃さず室内に侵入する砂。水を吸って数倍の重さとなる砂。砂の恐ろしさをこの本で知った。

安息角の限界を超えた小石が小規模な崩落を繰り返しており、静まりかえる廃村に時折パラパラという音が響く。不安定な斜面に長居は無用。

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土砂によって徐々に埋もれていく廃村と廃校。一方で危機は足元からも迫っている。集落南端は木々が途絶えた明るい空間。ここまで歩き続けた林道有する対岸の山塊を望む眺望が眼下まで続いている。ということは数メートル先で地盤が切れ落ちているということ。

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恐る恐るのぞき込んだ谷側は崩落した断崖となっていた。足元の地盤は集落際まで浸食されており、地表は雪庇のように突き出た形となっている。崩れた土砂は遙か眼下を流れる川へと無数の木々を巻き込みながら流れ込んでいた。

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浸食は次第に集落に接近しており、上部からの土砂に飲み込まれるか、下部からの崩落によって地盤ごと崩れ落ちるのか。古文書にも登場する長い歴史を持つ集落は今、離村による無人化とは別の意味で存続の瀬戸際となっている。

⚫︎

最後に長かった道中を紹介。
集落と林道の間の廃道路上にはホイールローダーが停め置かれていた。災害復旧用に林道経由で持ち込まれたのだろうがその後、乗り入れた車道も崩落してしまった。路面は修復されることなく放棄されているため重機はこの地から持ち出すこともできず廃車となりつつあった。崩落、倒木。道はもう復旧されることもないだろう。

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倒木を乗り越え崩落を迂回し谷奥の分岐点に復帰。ここから稜線上に停めた車まで登り林道が延々と続く。分岐もない一本道を登り続けるだけなので迷いようもなく考え事には最適。とぼとぼと歩き続ける。スタートしたものの肝心の登山口まで延々と林道歩きを強いられるのは槍穂高登山の際に経験する上高地〜横尾のようだ。

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尾根に近い林道脇には切り出した杉が山積みとなっており現在も林業は行われている。
今回廃校へのアクセス路となった林道を使用する尾根ルート。本来この林道は木材積み出し用として営林署が敷設したもの。その副産物として集落が車道で接続されたため、集落へ車で入ることができるようになったのは後年になってからだと思われる。

O分校がI小学校の分校だったように、古来よりO集落は下流のI集落と密接な繋がりがあり、林道開通までは谷ルートの人道が使用されていただろう。さらに尾根を越え奥地に遡るとKという半ば伝説的な存在となった隠れ里的集落もあった。

静岡県廃村小俣集落京丸集落へのアクセス地図2403O3D.jpg

一見何も関係も無さそうな10数キロを隔てた山中の秘境集落、それらは紀伊半島編で書いたように「山の道」→LINKによって繋がれており、人道を使い住民同士の交流が行われていたのだろう。それぞれを結んだこれら「山の道」は現在失われており、後年敷設された林道でかろうじて各集落を訪れることができるのだ。

[了]

●2023年冬某日/再び森に。緑に戻る廃校。

  • 2024/03/16 22:22
  • Category: 廃校
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紀伊半島の廃校探索を本格的に再開し12年、
探索しても新たな廃校が湧き出してくるのが三重、奈良、和歌山で形成される紀伊半島のすごさ。
特に驚かされるのはなぜこのような場所といった山中からも廃校が現れること。
林道を走り続けた奥地、見渡す限りの山。その森の中から校舎が唐突に現れる。
その代表格は、K分校→LINK、H分校→LINK、T小学校→LINK あたりだろう。
とはいえ、学校があったということはある程度の子どもを
維持するだけの集落があり生活が営まれていたということ。
今回、道路復旧を待って訪れた小学校跡も典型的な紀伊半島の「秘境廃校」のひとつ。


※本記事は訪問時のものです。現在の状況は異なっている可能性もあります。

延々と続く山々と入り組む尾根。その谷底を蛇行する深い渓谷に沿いに道は奥地へとひたすら続く。
連続する素掘りトンネル、崖に張り付い頼りない道。沿線には民家はもちろん分岐路も一切見当たらない道。

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和歌山県トンネル県道2312wakayamaruin0104.jpg
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車で入る事ができるのはこのあたりまで。廃校へと続く唯一の道はこの先崩落によって車の通行ができないことは予め知っていたため、目的地の数キロ手前の空き地に車を停め自転車を降ろした。
崩落箇所を通過。自転車であれば通り抜けることができた。現場では修復作業が進められていたため、あと一ヶ月もすれば全面復旧すると思われる。



航空写真によれば廃校は大きく湾曲する川に突き出した尾根上にあるようだ。そのため道路からは見上げる形となり、さらに例のごとく斜面は植林された杉に覆われているため、その姿をまったく視認できない。目印もなく、参考にさせていただいた情報がなければ決して気がつくこともないだろう。
冬の日暮れは早く、すでに日は稜線に落ち、谷底には闇が迫りつつある。急がねば。

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自転車からおり、下草が密集する斜面をよじ登っていくと木々の合間から門柱が見えた。見るからにやわらかそうな苔に覆われた門柱だが、校名はくっきりと残されておりここが学校であったことを示している。そして奥に校庭らしき狭い平地がある。

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敷地は南北の縦長となっているようだ。最も奥で木々に埋もれている簡素な建物、これが廃校の校舎となる。
建物は飾り気もない簡素なもので一見学校とは思えない外観。

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開いたままの入口には青く塗られた跳び箱があった。
薄暗く彩度の低い光景の中で妙に目を引く存在。内部の様子はわからないが、外から見る限りでは跳び箱と草に埋もれ錆びた遊具が唯一の学校らしい残留物だった。

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校舎は植物に飲み込まれようとしていた。
規則性を持って校舎にもたれかかる10本ほどの幹は倒れたと言うよりも意図的に接地したように見える。当時は木陰を作るための東屋として置かれたものなのか。幹に這わせた蔓は人間ががいなくなったことで剪定されることもなくなり、自由を取り戻すべく縦横無尽に触手を伸ばし始めた。

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壁を這いまわり浸食する蔓は、夏場になると緑の葉を茂らせ校舎を覆い尽くすことだろう。
植物に代表される自然というものは観葉植物や街路樹のように人工的に管理されているからこそ美しく、好まれるものであり、ひとたび管理下を離れると即座に牙をむく。
樹冠に覆われた薄暗い校庭跡は日影を好むシダ系の植物に覆われている。あえて訪問時期を冬場に設定したが夏ならば近付くことができたかどうか。



何度も書くが山岳集落では離村時に植林が行われることが多く、成長した杉に埋もれた廃校、廃村は多い。
森の遺跡のような廃校だがもちろん当時からこの状態だったわけでなく、航空写真を1970年代まで遡ると、現在は密林のような山々には斜面耕作地が広がっていたことがわかる。校庭周辺の木々も切り開かれており、現在とは大きく印象が異なる明るい雰囲気だった。
尾根を削り平地を確保した校庭は小さいとは言え山岳集落においては喉から手が出るほど欲しい貴重な平地。急斜面に民家や耕作地が張り付く他の山岳集落においても、校庭は必ず確保されており、学校が重視されていたことがわかる。体育は明治期からすでに体操とよばれる科目となっており、それらを行う上でも校庭は必要不可欠な箇所だったのだろう。

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帰路は谷底を流れる紀伊半島の清流を眺めながら下っていく。狭い車道に停める場所もない車と違い、自転車だと気ままに風景を楽しむことができる、はずが迫る日暮れによって迫る闇に追われるように駆け足で山道を下ったため、そうでもなかった。

[了]

●2023年秋某日/冬迫る高所の校舎へ。

  • 2024/03/02 22:22
  • Category: 廃校
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晩秋の山梨県奥地は冷えきった空気に包まれていた。
日も当たらない霜に覆われた0度近い深い谷底、
そこから分岐する山道を登り続けるとようやく日射しに包まれた。
やがて視界が広がると古びた校舎が姿を現す。
標高1,200m、校舎の上には濃紺の空が広がっていた。


※本記事は訪問時のものです。現在の状況は異なっている可能性もあります。

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葉を落とした木々と晩秋の空。曲がりくねる山道を登り続けると木々が途切れわずかな平地が広がり、数棟の民家が姿を現した。その南端にある小学校の校舎跡に到着。先程まで日も当たらない深い谷底を走っていたため、校庭に立つと空の広さを感じさせられる。
 
山梨県甲州市旧塩山市立神金第二小学校校舎廃校2311yamanashi0101.jpg
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停止したままとなっている時計の針、ベニアが張られた窓。
校舎は古びているものの荒廃した雰囲気が感じられないのは、ここが廃校ではなく休校中のため地元の方によって定期的な手入れがなされているからだろうか。

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甲州市旧塩山市立神金第二小学校校舎廃校2311yamanashi0104.jpg

現在地は標高1,200m。その高度ゆえ澄み渡った濃紺の空から照りつける太陽光が校舎壁面とのコントラストを作り出し眩しいほど。
以前訪れた長野県大平宿の廃校と同じく長野県のI分校跡は、自分が訪れた廃校の中ではトップクラスの標高だったが、偶然にも三物件そろってほぼ同じ高度。
大平宿→LINK
I分校→LINK
背後の山肌は標高の高さを物語るように、高山系の植栽であるカラマツ樹林に覆われている。これもまた他との共通点。



まもなく冬が訪れる山梨県奥地。この場所の厳しい寒さを物語るように校舎は各所から煙突が飛び出している。冬場は各教室で赤々とストーブが灯されていただろう。

山梨県の廃校2311yamanashi0107.jpg
山梨県の廃校2311yamanashi0106.jpg
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学校周囲には古びたお寺、そして廃屋らしき数棟の平屋が隣接している。廃屋の合間からは下を流れる渓流へと続くと思われる山道があり何か現れそうな予感がしたので下ってみることにした。

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急勾配の山道は落葉した膨大な枯れ葉に覆われ滑り台のような状態となっていた。枯れ葉にまみれガサガサと滑り降りるように下って行くと梢の合間から建物の影が見えた。

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谷底に広がる森の中にあった廃屋。周囲に密集するは木々は全て落葉しており、日射しが直接降り注ぐ明るい場所。
よく通っている紀伊半島(三重、奈良、和歌山)の廃村や廃校も森に覆われていることが多いが、その植栽は杉の植林がほとんど。杉は冬でも落葉しないため、日照時間が多い紀伊半島においても一年を通し薄暗い雰囲気となっている。広葉樹の森における冬の明るさを改めて実感。



そのような空間で目を引いたのが縁側に置かれている四角い箱、その正体はレトロなテレビだった。おそらく誰かが演出用に縁側にセットしたのだろう。どこか顔のようにも見えるテレビ、なんだか話し出しそうに思えた。

廃村のテレビ2311yamanashi0204.jpg
廃村のバイク2311yamanashi0207.jpg

また片隅には古びたバイクの廃車も残されていた。岩に立てかけられたその車体は岩に生える苔によって設置面から浸食され、森に戻りつつあった。
枯れ枝の合間から日射しが降り注ぐ茶褐色の空間も夏場になると隙間なく葉に覆われ、空も見えず陽も当たらない緑の世界へと変化する。

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冬間近。高所のこの場所はまもなく厳しい冬に包まれる。

[了]

●2023年夏某日/最果ての地。消えゆく下北半島廃校群

  • 2023/11/19 22:22
  • Category: 廃校
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青森県東端に伸びる半島、下北半島。
広大な草原、荒涼とした台地、さらに廃校の宝庫ともいえる秘境感溢れる下北半島に惹かれており
北海道を車で訪れる際は大間〜函館ルートがある下北半島を必ず通過することにしている。
そんな下北半島を最後に訪れたのは2016年、各所に残された廃校となった木造校舎を徘徊した。
その後それらの校舎は順に解体が進められているようで、みるみる数を減らしているようだ。
公開されている解体スケジュールを見る限り残り数年で校舎は一掃される可能性もある。
2023年、その広大さ故、当時回りきることができなかった残りの廃校探しを行った。
しかしこの7年間に解体も進みその姿を見ることができたのは予定地の半分程度となった


前回の徘徊記録

※本記事は訪問時のものです。現在の状況は異なっている可能性もあります。

青森県下北半島尻屋崎灯台2308aomorihaiko0103.jpg

2023年夏、青森県下北半島尻屋崎。岬先端に広がる草原に白い灯台が建つ。
青森県3大岬、大間崎・尻屋崎・龍飛崎。ここから50km程先にある本州最北端大間崎は平坦な土地に民家や土産物屋が迫り秘境感は感じられないが尻屋崎は違う。灯台以外何もない荒涼とした立地。そんな雰囲気に惹きつけられ青森県を訪れると龍飛崎と共にとりあえずここを訪れてしまう。



下北半島中央部に残る廃校校舎。現れた校舎は予想以上に大きく、そして立派だった。その大きさ故かなり引かないと全容を捉えることが出来ない。

青森県むつ市の廃校第二川内小中学校2308aomorihaiko0106.jpg

校庭はトンボが気ままに飛び交る広大な草原と化していた。校舎全体が収まる場所を求め、背丈程に生い茂る草むらをかきわけ下がっていく。足に張り付く無数のバッタを払いのけながら進みようやく校舎の8割ほどがレンズに治まった。それにしてもほとんどの写真にトンボが写っている。

青森県むつ市の廃校第二川内小中学校2308aomorihaiko0101.jpg

農地や荒れ地が続く台地上に廃校舎はいきなり現れる。周辺には1棟の民家すら見当たらない。当時は周辺に集落でもあったのだろうと、帰宅後過去の空中写真を検索してみるが1970年代まで遡っても周囲は畑だけ。これだけの巨大な学校を維持するだけの子ども達はどこから現れたのか。



空中写真を改めて眺めると学校から少し離れた等距離に似たような規模の2つの集落がある。なるほど、学校を開設するにあたり両集落からの通学距離が平等になるよう、何もない中間地点が選定されたのだろう。
こういった事例は時折見られ、半年ほど前の極寒の真冬、登山の末発見した紀伊半島山中の廃校も、谷底の2つの集落中間点ということで切り立った尾根上に立地していた。

青森県下北半島の廃校2308aomorihaiko0105.jpg
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昇降口があったのは停止したままの時計が据えられた校舎中心のあたり。
遠目には真上の屋根が抜け落ちているのが見えるが、影響は二階だけだろう。と思いながら建物に近づき、正面入口の薄汚れたガラス越しに見た昇降口は荒廃した空間となっていた。吹き抜けとなっていたため、抜け落ちた屋根の構造体が二階諸共一階までを埋め尽くす。

青森の廃校2308simokita0301.jpg

閉校記念のメッセージ、そして最も奥には展示品だったのか船のようなシルエットも見える。
現在は朽ちゆくままになっている廃校だが、その規模故か竣工時はかなり凝っていた構造だったことが装飾等からもわかる。また建物はこれだけではなく、裏手には体育館も残されている。



下北半島のすごさはこの規模の木造校舎の廃校がいくつも現れることだ。現在地の南西沿岸部には同規模の廃校が点在(訪問した2016年当時)、それらはいずれも避難所として校庭が開放されている。そんな下北半島廃校群だったが訪れる度にその数を減らしている。

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廃校からしばらく車を走らせると小さな集落があった。集落内の細い路地を通過中、路肩に座りたむろする数人の老人達がいたので最徐行で通過、その際車の窓を全開にしていたので、彼らの会話が耳に入った。
田舎でよくある(自分の田舎でもある)見慣れぬ通過車のナンバーチェックが行われたようで「こりゃとんでもないところから来た車だ。」という老人同士の会話が聞こえてきた。
続いて「ありゃ○○さんの孫が帰省したに違いない。」という言葉が耳に入りその見当違いの内容に思わず微笑んでしまった。あの老人達は先ほどの学校に通っていたのだろう、話を聞いておけば良かった。



この廃校近くには鉱山跡もあるため、ついでに寄る予定だったのだが時間切れで叶わず。夏の太陽は次第に傾きやがて陸奥湾に夕日が沈んでいった。

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翌日も下北半島で廃校探索の続きを行った。過去に訪れた廃校の多くが解体され、また今回訪問を予定していた廃校も2棟を残し解体されすでに更地となっていた。

下北半島においては特に中央部に位置するH村で廃校解体スケジュールが公開されている。それを閲覧する限りでは数年内に「廃校の宝庫」と名付けた下北半島から木造校舎は一掃されることだろう。とはいえ老朽化した校舎の維持費の捻出も困難でこればかりは仕方がないとドライに思う。

[了]

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