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●2022年11月某日/大阪、梅田北ヤード跡定点観測。変わり続ける20年。

  • 2023/05/10 22:22
  • Category: 大阪
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朽ち行くものを観察するのと同時に、新たにこの世に産まれるものを観察するのも好きだ。
次々に鉄骨を運び上げる無数のタワークレーン、掘削の轟音。
2022年秋、大阪。梅田北ヤードと呼ばれた大阪駅裏手は「うめきた」と名付けられた
再開発の中枢となり猛烈な勢いで高層ビル建設が進んでいた。
かつて大阪駅裏には梅田北ヤードを呼ばれるレトロな倉庫群が広がっており
周囲とのミスマッチな光景を作り出していたがやがて倉庫は解体、
長らく広大な空き地となっていた。
東京麻布台プロジェクト(麻布台ヒルズ)→LINKに続く、再開発現場。
過去の写真ランダムに掲載しながら変わりゆく大阪梅田の定点観測20年を紹介。

※以前の記事を加筆修正したものです
※本記事は訪問時のものです。現在の状況は異なっている可能性もあります。


大阪梅田高層ビル再開発2210umekitasky05.jpg

大阪の中心地、梅田にあるJR大阪駅。その北に広がる広大な空き地、梅田貨物駅跡[下記地図]。
巨大な倉庫が埋め尽くし、梅田北ヤードと呼ばれていたこの空間は、貨物駅閉鎖後「大阪駅北地区」「旧北ヤード」など様々な呼び方がつけられたが近年「うめきた」といった正式名称が決定、定着した。梅田の高層ビル群に囲まれ最後まで異彩を放っていたレトロな倉庫も解体され空間は完全な更地となった。

梅田北ヤード地図1412umekitamap02.jpg


2014年。広い。あまりに広大な土地。これが大阪駅北側に広がる旧梅田北ヤード跡地のベールを脱いだ姿。長い間敷地を埋めていた倉庫が撤去され改めてその広さに気がつく。西日本最大の乗降客数を誇る大阪駅が隣接、大阪最後の一等地という呼び名にも改めて納得。

[2014年撮影↓]
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[2002年撮影↓]
昔の梅田北ヤード倉庫02umedakita001.jpg


更地となる前は倉庫とレールで埋め尽くされたこの場所、貨物駅移転後の広大な土地利用を巡って長年に渡り議論が繰り返された。オフィス、大学、公園、超高層タワー、サッカースタジアムと様々な再開発案が出ては消えていく。
繰り返しデザインコンペが繰り返された結果、敷地を一期と二期に分けた二段階の再開発計画が決定、その第一期としてグランフロント大阪と名付けられた施設が開業したのは2013年のことだった。
それから数年を経てデザインイメージが発表されついにうめきた二期は着工した。[下記イラスト赤部分]


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しばらくの間、地下工事や地盤が続いたが今年に入ってついに地上部がその姿を現した。

[2006年撮影↓大阪駅ステーションシティ、グランフロント大阪はまだ更地]
梅田再開発1501umekitaold02.jpg
[2014年撮影↓うめきた二期着工前]
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[2022年撮影↓うめきた二期建設中]
うめきた再開発定点観測2210umekitano05.jpg
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最初の撮影から20年、2022年秋。工事は佳境を迎えていた。
上記建物はうめきた二期の南街区、高さ181mの西棟。奥に見える建設中の建物が北地区、北と南の間には大きな空間が広がっているのがわかる。このスペースにはあえて高層建造物は建てず、広大な緑地として供用がなされるのが本計画の大きな特徴であり個人的に好感が持てる点でもある。

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[2014年撮影↓]
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旧北ヤード西端を走るJRは東端に移転、大阪駅に隣接する新駅共に地下に建設される。
2014年の撮影時は地下を走る線路の敷設作業と北梅田駅の建設が行われており、地下部分が露になって完成後の位置とルートがよくわかる。現在は土砂で埋められ姿は見ることができない。



グランフロント大阪。広大な北ヤード跡地の土地利用を巡り揉めに揉め結局工期を一期と二期にわけるという玉虫色の決着の末、第一期として建設されたのが下記写真右(東)に建つ4つの高層ビルの集合体、グランフロント大阪だった。

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立体的な構造のグランフロントは定点観測にふさわしい新たな場所。テナントの間を行き来していると屋上やバルコニーへ出られる俯瞰ポイントがひょっこりと現れる。下記からはグランフロントから眺めたうめきた二期定点観測。

[2013年撮影↓]
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[2014年撮影↓]
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[2022年撮影↓]
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大阪うめきた夜景2211osakaumekitanight.jpg
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手前の工事現場はうめきた北街区。そして現場を挟んだ対岸にそびえる建物が梅田スカイビル。



続いて梅田スカイビルへと移動を開始。スカイビル竣工は意外に古く1993年。ビル自体は目と鼻の先に見えるものの梅田貨物駅を挟んだ対岸に建つため例の「北ヤード」地下を通過する必要がある。真下に掘られた薄暗い地下道「北梅田地下道」が唯一のアクセスだったが現在は工事現場内に仮設の通路が設置された。地下道を出たところから先ほどのグランフロントを時代順に振り返る。

[2011年撮影↓]
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[2014年撮影↓]
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[2014年の文章↓]
梅田スカイビル。開業当初は賑わったと聞くがここ10年ほどは展望台は閑散とし寂れた雰囲気を醸し出している。またアクセスとなる地下通路にも人の気配はなく、水銀灯に照らし出される怪しい雰囲気のある場所でもあった。
ところが2014年、数年ぶりに梅田スカイビルを訪れ驚かされた。かつてホームレスの寝床になっていた地下道は観光人で溢れ、スカイビルのエレベーター前は長蛇の列。ここまで大勢の客を見たのは初めての経験。特に目に付くのは外国人の姿。欧米系の観光客は数年前からちらほら見かけたものの今回はインドネシアあたりだろうか、イスラム圏の方が多数目に付いたのが印象的。エレベーター、空中を斜めに移動するエスカレーターを乗り継ぎ最上階に到着。これまた混雑している受付でチケットを購入後、屋上へつながる階段へ足を踏み入れた。

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2022年、梅田スカイビルからうめきた南街区西棟を俯瞰する。またJR新駅ビル、旧郵便局跡地の再開発と、うめきた敷地以外にも高層ビルの建設ラッシュとなっており大阪、梅田地区の勢いを一望できる。とはいえ梅田地区は伊丹空港の高さ制限を受けており、いずれも高さ170mから190m代と近年の高層ビルにおいては低い部類となっており、先日高さ330mの麻布台プロジェクト(麻布台ヒルズ)建設現場を目の当たりにしたばかりなのでそれほど高さは感じない。
同じ場所から時代を遡る。2014年、更地となった北ヤード、10年以上遡ると梅田北ヤードの赤い倉庫屋根と貨物線の線路がまだ健在だ。(下記写真)

[2022年撮影↓]
うめきた再開発定点観測2210umekitasky02.jpg
[2014年撮影↓]
うめきた再開発定点観測1501umekitanow05.jpg
[2011年撮影↓]
うめきた再開発定点観測2210umekitasky03.jpg

このように一見梅田の再開発を一望できるよう絶好の俯瞰ポイントに思われるスカイビル。
しかし実は展望台としての致命的な欠陥がある。開放的な屋上は360度全ての風景を見渡すのは一見容易に思える。確かに明石大橋や生駒、六甲など地平線に近い風景を見渡すには優れた展望台、しかし二つのビルの上に上部を載せている特殊な構造のため下部の構造物に邪魔され足元の光景を俯瞰することができないのだ。

それならばと一階下の室内展望室へ下れば反射が目立つガラス越しではあるものの足元の俯瞰は可能[上記写真]。定点写真も屋上ではない下階から撮ったもの。しかし視界が阻まれ上記アングルが限界。
特に東側も受付カウンターや壁面によって塞がれているのが致命的。これほど絶好の位置と高さで立地しながらも肝心の北ヤード再開発区域をほとんど見下ろすことができない。展望台を自称するならこれはぜひ解消して欲しい。構造を変えなくても塞がれている箇所に小窓を付けるだけで良い。今後大開発が行われるであろう北ヤードの光景を目の当たりにできる最高の場所なのにあまりに惜しいのだ。



上記で愚痴った文章は2014年頃に書いた文章。そんなストレスを貯めつつ定期的に通っていたスカイビル展望台。しかし今回2022年、わずかな俯瞰ポイントがあることにようやく気がついた。カメラを押し込みなんとか撮れた画像[下記写真]。これ以上の画角移動はできないが一応、再開発の中枢ポイントは抑えることができる。このアングルを撮りたかった。梅田北ヤード貨物駅の赤い屋根がある時代に気がついていれば・・・

うめきた二期再開発現場写真2210umekitasky07.jpg

続いてスカイビル北側からうめきた二期北街区をのぞき込む。こちらも屋上展望台からは視認できないので、室内の狭い隙間から無理矢理撮ったもの。左側の掘削箇所にはタワーマンションが建設される。同じ隙間からとり続けた写真を再び時系列を遡り掲載。

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梅田スカイビルよりの展望1501umekitanow07.jpg
梅田スカイビルよりの展望1501umekitanow06.jpg

立地と高さのポテンシャルはすばらしく、海外からの観光客も急増、かつての寂れた状態から復活しつつある梅田スカイビル。例えば下部階東側を展望スペースとして開放するなど眺望面も改善して欲しいもの。

大阪梅田の高層ビルの歴史1998年2210umekitasky01.jpg


西日本最大規模の再開発の中心地、大阪梅田地区。
しかし一昔前の梅田は大阪駅を持ちながらも老朽化したビルや昔ながらの百貨店、飲み屋が並ぶ古ぼけ寂れた印象のイメージだった。また2022年現在からは想像もつかないが、明るく開放的なスペースが広がり人々で賑わう大阪ステーションシティ北口の大階段や水辺付近は、当時人通りもない薄暗い二階建食堂街だった。

大阪梅田の高層ビルの歴史2211umedamap01.jpg

そんな梅田がなぜ劇的に変わったのか。個人的に梅田が生まれかわる最大のきっかけとなったのがグランフロント東側に建つ白い建物だと思う。それはヨドバシカメラ梅田店。
長らく空き地だったこの場所を1997年、大方の予想に反し落札したのがヨドバシカメラだった。関西ではなじみの薄い家電量販店が大阪駅裏の一等地を取得したことは、高級百貨店誘致をもくろんでいた近隣関係者に大きなショックと失望を与えた。当時の関西マスコミの失望感溢れる報道をよく覚えている。

大阪梅田の高層ビルの歴史2211umedamap02.jpg

しかし関係者の失望とは裏腹に、結果としてヨドバシ梅田開業は圧倒的な主客力で日本橋家電街を壊滅させ、梅田、いや大阪の導線の入れ替えに成功した。そして低迷していた梅田復活の引き金となり、ここから怒濤の建設ラッシュが始まった。ヨドバシ梅田開業から数年の時を経て阪急梅田ビル立て替え、大丸(サウスゲートビルディング)、大阪駅(ノースゲートビルディング)、グランフロント、そして阪神百貨店立て替えと立て続けに行われた再開発は現在のうめきた二期に至まで途切れること無く続いている。

そんな梅田の移り変わり過去掲載写真を適当にランダムに並べてみた。

昔の梅田北ヤード倉庫内部2013umekita06.jpg

↓2006年頃、古びた二階建て食堂街が取り壊され、まもなく大阪ステーションシティの建設が始まる。
梅田再開発1501umekitaold02.jpg
↓ステーションシティで鉄骨組み上げが始まった。現在の吹き抜け空間の構造がよくわかる。
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梅田北ヤード開発の歴史2013umekita05.jpg
梅田北ヤード建設中2013umekita02.jpg
↓ビル組み上げと同時に巨大な屋根が大阪駅プラットホームに架けられていく。
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↓現在グランフロント大阪が建つこの場所はまだ更地。ヨドバシカメラがよく見える。
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↓2011年、ステーションシティ竣工を待ちかねたかのように裏手でグランフロントの建設が始まった。
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梅田再開発1501umekitaold07.jpg
ビルはみるみる高さを増していく。阪急、大丸、そしてグランフロント。この2011年頃が梅田再開発の第一次ピーク。これだけの棟数のビルを一気に組み上げる光景は近年まれだろう。

梅田北ヤード1期工事2013umekita04.jpg

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梅田北ヤードグランフロント建設中2013umekita03.jpg

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グランフロント大阪梅田再開発1302umeda001.jpg

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20年前の大阪梅田と2027年の梅田予想図だ。うめきた敷地外にも多数の高層建築物が竣工する予定となっている。

大阪梅田の高層ビルの歴史うめきた二期2211umedamap05.jpg

うめきた二期は2024年先行開業、2027年全面開業が予定されいる。自分はといえば正直完成した建造物にはあまり興味が湧かないため、うめきた二期は開業後はそれほど足を伸ばすことはなさそうだ。そしてうめきた二期完成の頃には次の再開発計画が浮上していることだろう。

[了]
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●2016年1月某日/旧梅田北ヤードを歩く〜2016冬編〜

  • 2016/01/05 23:15
  • Category: 大阪
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大阪駅北口に広がる広大な空き地。
高層ビルが立ち並ぶ都心の一等地にぽっかりと空いた空間は梅田北ヤードと呼ばれた貨物駅の跡。
かつてここには古びた巨大倉庫が立ち並び都心において不思議な光景を作り出していた。
この北ヤードの写真を撮り始めたのが2002年頃、観察も気がつけば10年以上。
2005年頃から始まった倉庫解体、再開発と続いた怒濤のような動きも、
第一期開発グランフロント竣工と共に一旦は落ち着いたかのように見える北ヤード。
恒例の観察を兼ねながら広大な空き地を一周した。


photo:Canon eos7d 15-85mm

過去の徘徊記録

梅田北ヤード2014年版][梅田北ヤード2013年版][梅田北ヤード2012年版][梅田北ヤード2011年版


西日本最大の乗降客数を誇る大阪駅。2011年、吹き抜けを持つ大阪ステーションシティと呼ばれる巨大な建物に生まれ変わった。その北口を出た真正面に広がる三角形の広大な空き地、それが「旧梅田北ヤード」「梅田貨物駅」あるいは「うめきた2期区域」と呼ばれる場所。賑わいをみせる大阪ステーションシティ、グランフロント大阪、ヨドバシカメラ梅田店、梅田スカイビルに挟まれた広大な空き地は都心に奇妙な光景を作り出している。


うめきた2期区域開発地図1412umekitamap02.jpg



この場所にはかつて梅田北ヤード呼ばれたレトロな巨大倉庫が埋め尽くす貨物駅が長きにわたって存在した。その後移転先が決定したことから跡地再開発が決定したものの、大阪駅真正面というあまりにもおいしい土地故かかえって事が進まず土地利用のコンペが時折行われ様々な案が出ては消えていく。
それでも開発を一期と二期へ分けるという玉虫色の決着の末2013年、商業施設グランフロント大阪が一期としてまず先行開業、現在残った空き地は二期開発用の土地ということになる。

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まずは広大な空き地を大阪ステーションシティ、ノースゲートビルから俯瞰する。
展望台のドアを開けたとたん凍えるような寒風に翻弄された。冬の大阪梅田上空は北から流れ込む雪雲によって暗雲が立ちこめている。大阪駅と特徴的な建築によって近年再評価され人気が高まる梅田スカイビルの間に広がるあまりにも広大な土地、旧梅田北ヤード。大阪最後の一等地とも言われるのも納得のロケーション。

梅田スカイビル全景1601ooska01.jpg


倉庫解体後は土がむき出しだった空き地も散布された飛砂防止剤によって植物が成長、気がつくと草原のようにな姿へと変貌した。夏場は鮮やかな緑へと変化し緑地が貧弱な大阪都心に意図せず「自然」が生まれた。個人的には大阪都心で非常に貴重な広大な土地、このまま大草原になればおもしろいと思うものの、このような一等地を遊ばせておく訳にもいかず、やがて何らかの巨大施設に埋め尽くされる事になるだろう。

対岸に建つ梅田スカイビルへ向かうには空き地の地下を通る薄暗い地下道をひたすら歩く必要がある。いつの日か、再開発が完了すれば地上に立派なアクセス路が建設されると思われる。


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夕日を反射する梅田スカイビルの足下梅田貨物線。まるで荒野を列車が走っているかのような不思議な光景。この路線も大阪駅と直結する新駅建設とともに地下化されるため地上も走る姿も貴重なものとなる。



大阪駅からしばらく西へと歩いた三角形底辺部分から見下ろす旧北ヤード。
わずか数年前まで敷地を埋めていた丸い赤屋根のレトロな倉庫群、無数の貨物軌道は跡形もない。

梅田スカイビル1601ooska010.jpg


ここから俯瞰すると左手のスカイビル、右手の4棟の高層ビル集合体グランフロント大阪との位置関係がよくわかる。第一期開発としてとして一足先に開業したグランフロント大阪が建つ敷地もかつては「梅田北ヤード」の一画だった。梅田貨物線は写真右手のグランフロント側の地下に移設の上、足下のあたりに新駅、仮称北梅田駅が作られる。



下の写真は2008年頃の同じ場所の風景。眼下で建設中のビルは大阪ステーションシティ、ノースゲートビルディング。現在吹き抜けとなっているアトリウム広場がまだむき出しの状態。グランフロント大阪はもちろん影も形もなく左手には梅田を象徴していた赤い屋根の倉庫やコンテナが密集しているのがわかる。数年後、グランフロントが建てられたのは奥に写る緑の芝から駅ビル建設現場にかけてのあたり。

昔の梅田北ヤード1502umeda2008.jpg


再び北ヤード徘徊再開。巨大な三角形の底辺をさらに西へと歩き、左下の底角のあたりで先ほど見下ろした梅田貨物線へと差し掛かる。ひっきりなしに鳴り響く踏切の甲高い警報音、やがて轟音とともに様々な形状の列車が通過していく。
かつてこのあたりには船溜まりがあり水路によって堂島川を経て大阪湾と繋がり船が倉庫に直接横付けされていた。一見内陸のように感じるここ梅田、実は海際とほとんど高低差がないことに驚かされる。


JR梅田貨物線踏切1601ooska02.jpg
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踏切を渡り三角形の左面斜辺へ差し掛かる。
高層ビルや商業施設が建ち並ぶ旧北ヤード東側とは打って変わり民家や町工場が密集する下町の雰囲気が広がる地区。時折通り過ぎる自転車以外、ほとんど人の気配がない静かな町にそびえ立つスカイビルが異質な近未来感を作り出す。



こちらからは旧北ヤードの広大な「原野」超しに対岸の大阪梅田の高層ビル群を望む事ができる。手前に何もない空間が広がっているためビル郡の全容をつかみやすい。左がグランフロントの一部、奥の建物が先ほどまで立っていた大阪ステーションシティ。
大阪都心においては北西わずか数キロに位置する伊丹空港の存在が超高層ビル建設の障害となっている。航空法によってビルの頭を抑えられているためここ梅田では200m以上のビルが建てることができず、皮肉なことに都心から離れるほどビルの高さが増していく。あべのハルカスはわずかに制限区域外だったため300mの高さが可能になった。

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闇に沈む広大な北ヤード対岸に輝くグランフロントは別世界のよう。
高層ビル、スタジアム、公園、様々な案が出ては消えて行く北ヤード。この広大な土地もはどのような建物で埋め尽くされることになるのだろうか。



その他おまけ

阪神百貨店梅田本店解体現場。建物が解体されたことで背後の梅田阪急ビルの全容が見えるようになった。解体後は高層ビルが建設されるため今だけしか見る事ができない光景。

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大阪駅南口では地下道工事の真っ最中。
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ついでに中之島まで足を伸ばす。筑前橋から見た地上41階、高さ199mのツインタワー、中之島フェスティバルタワー・ウエスト建設現場。

中之島フェスティバルタワー・ウエスト1601ooska08.jpg

[了]

●2014年12月某日/大阪梅田旧北ヤード跡地を歩く〜冬編〜

  • 2015/03/13 22:30
  • Category: 大阪
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廃墟に代表される朽ち行くものを観察するのと同時に
新たにこの世に産まれるものを観察するのも好きだ。
このような「もの」を生み出す現場に興味を覚え始めたのはたのはいつのことだろう。
記憶を遡ると巨大プロジェクト建設現場を初めて訪れたのは明石海峡大橋建設現場、10代後半の頃だった。
当時撮った写真を引っ張り出すと、橋桁同士はまた繋がっていないのでおそらく1996年あたりのことだろう。

さて10年近く追い続けた大阪梅田北ヤード再開発は第一期となるグランフロントの完成によって一旦終了。
それから二年余り、未だ残る広大な空き地をどう活用するのか、
いよいよ第二期開発のうわさもぽつぽつと浮上し始めた。
年末、いつもの大阪定点観測へ梅田スカイビル及びグランフロント大阪を訪れた。


photo:Canon eos7d 15-85mm

大阪の中心地梅田。その梅田にあるJR大阪駅の北に広がる広大な空き地、これが「梅田北ヤード」跡だ。
かつては梅田北ヤードと呼ばれていたが近年「大阪駅北地区」「うめきた2期区域開発」「旧北ヤード」あるいは「梅田貨物駅跡地」などさまざまな呼び方がつけられた。周囲の建物が次々に解体されていく中、高層ビルに囲まれ最後まで異彩を放っていたレトロな巨大倉庫も昨年ついに解体されこの巨大空間は完全な更地となった。

梅田北ヤード地図1412umekitamap02.jpg





まずは2013年に完成したグランフロント大阪より旧北ヤードを見下ろす。

広い。あまりに広大な土地。
これが大阪最後の一等地とよばれる旧梅田北ヤード跡地のベールを脱いだ本当の姿だ。長い間敷地を埋めてつくしていた建物、レールがすべて解体撤去され改めてその広さに気づく。都心の超一等地という呼び名にも改めて納得。

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かつて梅田貨物駅があったこの場所、国鉄民営化後はその移転先、また大阪都心の超一等地に残されたこの虎の子のような土地をどのように利用するのか長い間議論の対象となっていた。オフィス街、大学、公園、超高層タワー、はたまたサッカースタジアムとさまざまな案が出ては消えていく。



真横に西日本最大の乗降客数を誇る巨大駅舎大阪駅が併設、4〜500m級という世界ではすでに当たり前になった超高層建築も一見可能に見える夢のようなこの場所、同時に北側わずか10kmに立地する伊丹空港によって航空法の高さ制限に干渉されるというジレンマも併せ持つ。この航空法、大阪に置いてはより梅田、中之島、天王寺、と都心から南へ離れるほどビルの高さが増すという不思議な現象を引き起こしている。


それにしても航空法による高さ制限、大阪に限らず羽田を近隣に持つ東京南部においても超高層ビル建設の大きな障害となっている。ちなみに634mの東京スカイツリーは航空法の緩和、300mのあべのハルカスはわずかに枠外+緩和ということでそれぞれ高層建造物の建設が可能になった。

うめきた2期区域開発1412umekitamap01.jpg


この広大な土地、個人的には木々で埋め尽くし100年後には明治神宮のような広大な森へ変貌させてたいところだが採算度外視の緑地は決して受け入れられることはないだろう。





最近浮上しているのが緑地と建造物が混在する折衷案だ。最近もまたもコンペが行われ(一体何度目だ??)ゼネコン各社がビルと公園を織り交ぜたデザインを提案している。このままだと周囲の街と横並びの200m程度ビルがまた数棟建って終わりそうだ。


しかしこのまま進んでしまって良いのだろうか。一旦作ってしまった建造物は取り返しがきかない。
超高層ビル建設に大きな障害となる「梅田200mの壁」航空法も未だ緩和されず、さらに2045年に大阪まで延長されるというリニア中央新幹線終着駅も新大阪かこの梅田か、決着すらついていないというのに先走った結果、中途半端な建造物を建ててしまうのはいかがなものだろうか、と考えてしまう。
しばらく土地を寝かせ航空法の緩和、高さ規制の壁が破られるのを待つのも一つの案ではないか。


とはいえこの場所を埃舞い上がる土剥き出しのまま放置しておくことは景観上好ましくない。それならば暫定緑地としてはどうだろう。
緑地といっても造成費、メンテ、整備がネックとなる「公園」のようなものではなくシンプルな草原。そもそも以前から不思議なのが日本で緑地計画が持ち上がると必ず池、噴水、遊具などが付随する大げさな公園ができあがることだ。どうせいつかは何かを建てるのだから無駄な費用やメンテナンスも必要ない適度な木々、さらに芝と違って管理が楽な原っぱの組み合わせで良いのではないか。

しかしあまりにも長い間緑地が続くといざ開発という時になって、人工的に作っておきながら自然破壊だという声が出てきかねないので注意が必要かもしれない。せいぜい15年くらいだろうか。

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そんなくだらない妄想を膨らませながら北ヤード跡地を南側の某ビルより望む。

左(西)が梅田スカイビル、そして右(東)の建物がグランフロント大阪。こちらから見ると両者の位置関係がよくわかる。サイトで公開されている大阪市の計画書PDFによれば西端を走るJRは東に移転、大阪駅に隣接する新駅共に地下に建設されるよう。


重機が点在するこの場所を埋め尽くしていたのが先ほども書いた赤い屋根のレトロな巨大倉庫。
長い間この地に鎮座し梅田の歴史を見守ってきたこの倉庫、土地利用を巡り揉めに揉め結局工期を一期と二期にわけるという玉虫色の決着の末二年ほど前にようやく解体された。無骨な外観の廃墟のようなこの倉庫、周囲の高層ビルとのミスマッチな光景は個人的には結構好だった。見慣れたものが消滅すると少し寂しくもある。

ついでに北ヤードの昔の様子を調べようと国土地理院サイトを開き1960年代の空撮写真を眺めるとこの場所、そして線路を挟んだ南側の二カ所に大きな「池」のような船だまりが見える。ちょうど現在ブリーゼタワーなどの高層ビルが密集するあたり。この船だまりから伸びる水路を写真上でたどっていくと中之島あたりの堂島川へ繋がっていることがわかる。

そうこの場所の西側、かつては運河だったのだ。現在でこそ鉄道、トラック輸送がメインとなった物流だが建設当時は水運が全盛期、貨物は船によって大阪湾との間を行き来したという。梅田という名称の語源は「埋田」から来ていることはよく知られているようにこの辺りかつては低湿地帯であった。今回梅田北ヤードに船を横付した写真を見て、一見内陸にあるように感じるこの梅田が実際は海面の高さとほぼ変わらない低地ということを改めて実感する。そういえば前回、北ヤードを訪れた際は豪雨から数日たったというのにこの空き地、そのほとんどが水没したままだった。



一期工事の集大成、4つの高層ビルの集合体、グランフロント大阪。これほど北ヤード定点観測にふさわしい場所はない。迷路のように複雑な構造に迷いながら新たな俯瞰ポイントを探す。テナントの間を行き来しているとひょっこりと屋上やバルコニーへ出ることができるドアが現れる。

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続いて東側。
グランフロント東側に見える白い壁。これが怒濤の建築ラッシュ、大阪梅田再開発の先陣を切ったこのヨドバシカメラ梅田店。昔キリンを目撃したこともあった長らく空き地だったこの場所を1997年、大方の予想に反し落札したのがヨドバシカメラだった。関西ではなじみの薄い家電量販店が大阪駅裏手の一等地を落札したことは、高級百貨店誘致をもくろんでいた近隣関係者に大きなショックを与えた。失望感溢れる当時の報道をよく覚えている。

だが結果としてヨドバシ開業は低迷していた梅田復活の引き金となり、さらに日本橋家電街を消滅させ、梅田、いや大阪の導線の入れ替えに成功した。

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ヨドバシカメラ梅田開業から数年の時を経て阪急梅田ビル立て替え、大丸(サウスゲートビルディング)、大阪駅(ノースゲートビルディング)、グランフロント、そして阪神百貨店立て替えと長い間ほとんど変化のなかった大阪梅田の光景はここ10年で一変、生まれ変わった。そんなヨドバシカメラ北側、長らく駐車場だったこの場所にもついに高層ビルの建設が決まった。



グランフロントから地上へ降りると次は新梅田シティにある梅田スカイビルへと移動を開始。
ぽっかりと口を開ける大きな空間が特徴的な梅田スカイビル、その竣工は意外にに古く1993年。スカイビル自体は目と鼻の先に見えるものの梅田貨物駅を挟んだ対岸に建つため例の「北ヤード」を通過する必要がある。とはいっても道があるはずもなくその真下に掘られた薄暗い地下道「北梅田地下道」が唯一のアクセスだ。

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↑地下道を出たところから先ほどのグランフロントを振り返る。上は2011年頃、建設中だ。


昔から何度も足を運んできた梅田スカイビル、173mと特筆すべき高さではないが周囲に何もないため定点観測には適した場所だ。ビル開業当初は賑わったと聞くがここ10年ほどはいつ訪れても閑散とし寂れた雰囲気を醸し出していた。またスカイビルへと向かうアクセス路となる長い地下通路も同じように人の気配はほとんどなく、点滅する水銀灯に照らし出される怪しい雰囲気満点のある意味好きな場所でもあった。


Umeda Sky Building旧北ヤードの地図1412umekitamap01.jpg



ところが今回数年ぶりに梅田スカイビルを訪れ驚かされた。

かつてホームレスの寝床になっていた地下道は人で溢れ、スカイビルのエレベーター前は長蛇の列。こんな大勢の客を見たのは初めての経験だ。特に目に付くのは外国人の姿。欧米系の観光客は数年前からちらほら見かけたものの今回はインドネシアあたりだろうか、イスラム圏の方が多数目に付いたのが印象的。少し前にピラミッド、アンコールワット、パルテノン神殿、コロッセオ、サグラダ・ファミリアなどそうそうたる顔ぶれと共にTOP 20 BUILDINGS AROUND THE WORLDに選出と報道されていたがその影響なのだろうか。世界に名だたる歴史的建造物群の中にちゃっかり入ってしまった梅田スカイビル、本当に大丈夫なのだろうかとすこし心配してしまう。海外には桁外れのビルはいくつもあると思うのだが・・・。

そんな混み合ったエレベーター、さらに空中を斜めに移動するエスカレーターを乗り継ぎ最上階に到着。これまた混雑している受付でチケットを購入後、屋上へつながる階段へ足を踏み入れた。このビル、外気に触れながら展望を楽しめることができるのが大きな売りとなっている。





そんなスカイビルではあるが実は展望台としての致命的な欠陥がある。
風が吹き抜ける開放的なこの屋上、360度全ての風景を見渡すのは一見容易に思える。確かに明石大橋や生駒、六甲など地平線に近い風景を見渡すには優れたビルだ。しかし二つのビルの上に上部を載せていると言う特殊な構造のため下部に突き出た様々な構造物に邪魔され足元の光景を俯瞰することができないのだ。
それならばと一階下の最上階展望室へ戻れば反射が目立つガラス越しではあるものの確かに足元の俯瞰は可能。(下の写真)

Umeda Sky Building1501umekitanow05.jpg


ところがこの階、今度は東面と西面が受付カウンターや壁面で塞がれているため、こちらからも360度を見渡すことができず。特に東側が塞がれているのが致命的。これほど絶好の位置に絶好の高さで立地しながらも肝心のグランフロント大阪、北ヤード再開発区域はほとんど見下ろすことができない。
展望台を自称するならこれはぜひ解消して欲しい。今後大開発が行われるであろう北ヤードの光景を目の当たりにできる最高の場所なのにあまりにもったいない。


それでももわずかに見える北ヤードを無理矢理見下ろしてみる。5年ほどの前の光景と比較。当時はまだ倉庫の赤屋根は健在だ。

梅田スカイビルよりの展望1501umekitanow08.jpg
梅田スカイビルよりの展望1501umekitanow09.jpg


今度はビルの北側から開発予定地をのぞき込む。こちらの方角も展望台からは視認できないのでガラスの隙間から無理矢理撮ったもの。それにしても肝心の東側が見えず相変わらずストレスがたまる展望台だ。

梅田スカイビルよりの展望1501umekitanow06.jpg
梅田スカイビルよりの展望1501umekitanow07.jpg


同じように名古屋の超高層ビル、ミッドランドスクエアも250mという中部地方最高峰を誇りながらも展望通路とガラス面になぜか距離があるため、反射や柱が眺望を邪魔し猛烈な勢いで進む名古屋駅前再開発を満足に俯瞰することはできない。
構造から改修する必要があるミッドランドスクエアと比べスカイビルはまだ改善の余地はあるのではなかろうか。観光客が急増、かつての寂れた状態から復活しつつあるチャンスをふいにするのはなんだかもったいなく感じてしまう。夜間イルミネーションなどは凝っているので例えば下部階を東側専用展望スペースとして開放するなど眺望面も改善して欲しいもの。



ついでに昔からの梅田移り変わり写真を並べておいた。さらに細かくはこちら→LINK 

↓2006年頃、古びた二階建て食堂街が取り壊され、まもなく大阪ステーションシティの建設が始まる。
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↓鉄骨のくみ上げが始まった。今は景観に合わせシンプルになったヨドバシ外観もこの頃は派手だった。
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↓ノースゲートビルディング組み上げと同時に巨大な屋根が大阪駅プラットホームに架けられていく。
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↓現在グランフロント大阪の巨大建造物が建つこの場所はまだ更地。ヨドバシカメラがよく見える。
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↓2011年、ステーションシティが竣工するのを待ちかねたかのように裏手でグランフロントの建設が始まった。
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ビルはみるみる高さを増していく。阪急、大丸、そしてグランフロント。この2011年頃が梅田再開発のピーク。これだけの棟数のビルを一気に組み上げる光景は近年まれだろう。航空法の制限がなければいったいどれほどのビルが建ったのか。

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グランフロント大阪梅田再開発1302umeda001.jpg




このように完成した大阪ステーションシティ及びグランフロント。幸いなことに開業後は多くの客でずいぶん賑わっているとのことだが、自分はといえば正直完成した建造物にはあまり興味が湧かないため開業後は観測以外ほとん足を伸ばすことはなくなってまった。

スカイビルから地上へ戻る。ここから線路伝いに阪急中津駅まで続く寂れた下町を歩くのがお気に入りのコース。古びた町工場を始めとする下町、空を覆う電線、その向こうに高層ビルが建ち並ぶ自分の好きな光景が続く道だ。しかし今回は南側に訪れたい場所があるので再び先ほどの地下道へもぐり込むと再び大阪駅方面へと向かった。



近代的なビルが続々と建設され活気に満ちる梅田周辺。まさに大阪、いや関西の最先端地区。
一方同じ大阪市内にありながらまったく逆の忘れられた空間も存在するのがこの街の奥深い所。

次に向かうは都心の秘境駅、南海木津川駅。半年ぶりの訪問となるが、どこか変化はあるのだろうかと地下鉄堺筋線へ乗り込んだ。

[続く]

●2013年8月某日/梅田北ヤードの12年間

  • 2013/09/27 22:43
  • Category: 大阪
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高層ビルに囲まれた大阪最後の一等地、梅田北ヤードに建ち続け
異彩を放っていた巨大倉庫の取り壊しがついに始まっていた。
あの丸いレトロな大屋根を見るのはおそらくこれが最後になるだろう。
思えば10年以上に渡って現在「うめきた」と呼ばれる北ヤードの写真を撮りためていたが
ここで一旦区切りをつけようと思い過去の写真を探してきた。
他にもまだまだあるはずなのだがとりあえず見つかった分だけ最後の記念に羅列。




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隣接するグランフロントから見下ろすとアーチ型の屋根を持つ倉庫は
すでにかまぼこの輪切りのように情けない状態になっていた。
少し遅かった・・・。

というわけで掘り出した写真で10年ほど遡ってみる。
このほかにも大量に素材はあるはずなのだが膨大な量のファイルを目の前にして断念。
ポジからデジカメに変わるに連れ撮影枚数がふくらんでしまう。
撮影地などで一括検索できるシステムがあれば。



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いきなり飛んで12年前、2001年。
画質が恐ろしく悪いのは原盤が見つからずプリントからスキャンしたため。
曲面が特徴的なヨドバシ梅田店が竣工したばかり。
いや裏手の駐車場がまだ工事中ということはまだオープン前だろうか。
手前に並ぶ低層ビル群もこの数年後に取り壊され12年後にグランフロントの一部となった。

さかのぼるとヨドバシ梅田店が建つ場所は長い間空き地が続き、なぜかキリンを目撃したこともあった。
1997年、大方の予想に反しヨドバシカメラがこの空き地を落札した際は
失望感あふれる報道が多かったがと記憶しているが巨大なヨドバシの出店は結果として
日本橋家電街を衰退させ梅田、いや大阪の導線を大きく変えることになる。


昔の梅田北ヤード倉庫内部2013umekita06.jpg

2002年夏。
梅田北ヤード倉庫。軌道上には草が生い茂りすでに廃線のような雰囲気だ。
その後続々と建った周囲の高層ビルに埋もれてしまったが当時はまだ圧倒的な存在感を誇っていた。
ずっとポジフィルムで撮影していた自分がデジカメで撮った記念すべき最初の画像。
隣のヨドバシカメラで購入したのは当時最新鋭のデジタルカメラ。
なんと250万画素!。
画質はともかくフィルム代と現像代がいらないことに感動したものだ。
もっと以前の写真も発掘中。


梅田北ヤード開発の歴史2013umekita05.jpg
一気に数年飛んで2007年。不思議なことにこの間の写真が見つからないのだ・・・。

現在はグランフロントや大阪ステーションシティの高層ビル群が林立する地区もまだ広大な空き地だ。

梅田貨物駅移転決定から20年あまり。
この頃になると北ヤードに立つ古びた建物の解体がぼつぼつと始まりだした。
とはいえ当時はグランフロント完成予想図どころか
大阪最後の一等地を一体どう利用するのかの議論すら深まってはいなかった時代。
時折コンペが行われ高層ビル案や大学案、サッカースタジアム案、はては芝生案まで登場していた気がする。
個人的には木々を植え100年後には明治神宮のような広大な森になってほしかった、と今でも思う。

手前の空き地にはまもなく始まる大阪ステーションシティの建設準備のためか資材が集められている。[左上]
この空間にはかつて細長い古びた食堂街のビルがあった。

2007年には空撮もした[左下]。当時高感度ポジフィルムの上限はISO1600までだった。
迷ったあげく知り合いから高感度撮影可能なデジタル一眼レフをかりて撮ってみたものの
当日始めて触るデジタル一眼に翻弄されろくな写真が撮れなかった。
こんなことならば慣れたフィルム一眼で撮ればよかったと後悔。



梅田北ヤード建設中2013umekita02.jpg
2008年になると大阪ステーションシティ工事に続き近隣でもアクティ増設工事や阪急百貨店増設工事まで始まり
まるで20年遅れでやってきたバブルのごとく梅田界隈にクレーンが並ぶ風景は圧巻だった。
撮影に通っていたあの軍艦アパートが解体されたのもこの頃。


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2010年。
次第に鉄骨が組み上がりステーションシティの全体像が姿を現すと
今度は新ビルとアクティ大阪を繋ぎ大阪駅のプラットホームを覆い隠す大屋根の設置が始まった。
不安定な現場で作業する作業員が豆粒のようだ。



梅田北ヤード1期工事2013umekita04.jpg

巨大な大阪ステーションシティ完成を待っていたかのように今度は裏手でグランフロント工事が始まった。
170m級のビルを4棟一気に建てるのは近年なかなか見ることができない光景だろう。
グランフロントはみるみる高さを増していく。

手前の旧市街との対比がよくある近未来SF映画のようでおもしろい。
まもなく完成間近。長い歴史を持つ手前の広大な貨物駅の業務もあと一年ほどだろう。


梅田北ヤードグランフロント建設中2013umekita03.jpg



そんなわけでグランフロントの竣工で完成してしまった梅田第一期工事。
完成した途端、建設物への興味が一気に失せるのが自分の悪い癖。グランフロントにはこの夏に一度、多くの客に混じり訪れてみたたものの完成形の写真はほとんど撮っていない。そういえば大阪ステーションシティも訪れたのは一度だけ。
建設中の姿を見に何度も通った東京スカイツリーに至っては登るどころかいまだ一度も完成した姿を見ていない。

倉庫の解体終了後もしばらくは空き地が続くであろう北ヤード。
いつの日か梅田第2期工事が始まった頃、再び観察が始まることになるだろう。

[了]

●2012年3月某日/グランフロント建設現場を歩く。3月編

  • 2012/05/25 21:12
  • Category: 大阪
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前回、旧梅田北ヤードを歩いたのは2011年大晦日。LINK→ LINK→
当日は冬型の気圧配置となったものの上空は雲が多く、澄み切った薄暮を背景にした
グランフロント建設現場を見ることができなかった自分に訪れた最後のチャンス。
今年最後となるであろう強い寒気が西日本に流れ込みこの時期としては珍しく冬型になったのだ。
こんな冷え込む日は間違いなく凛とした冬の薄暮を拝めるはず。
グランフロントAブロックはすでに最上段へ達しており
タワークレーンが外されるのも時間の問題。完成後よりも無骨な建設現場を見たい。
というわけで再び梅田行き阪急電車に乗り込んだ。


※本記事は訪問時のものです。現在の状況は異なっている可能性もあります。

阪急電車に乗り込み大阪梅田へ。前回は中津駅から梅田まで歩いたが今回は逆に梅田まで出た後、再開発地区を中津まで歩くことにする。
暖房がよく効いたヨドバシカメラ梅田店で時間を潰し日が沈むのを待つ。ちらりと外に出るとビル街は夕日に照らされオレンジ色に染まっていた。薄暮までには間があるのでさらに店内で待ち続け、地上へ出た頃には予定通り紫がかった空へと変化しつつある時間帯となっていた。

梅田スカイビル12031203osakaumeda001.jpg

広大な旧北ヤード越しに東側を振り返ると三ヶ月ぶりのグランフロント建設現場の外装工事はA・Bブロックとも予想より早く進みわずかに上部にのみ未完部分を残すだけ。
冬空とタワークレーン。高層ビルは建設中の姿が最も好きだ。手前の広大な空き地は梅田貨物駅、二期と呼ばれる再開発を待つ区画。いずれ再開発されれば現在のような抜けた光景も見られなくなってしまう。

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周囲が闇に包まれる中、カメラのISO(感度)を徐々にあげ手持ちで撮っていく。これがかつてのフィルム一眼レフだったらこのように気軽に夜景を撮るわけにはいかなかった。
フィルムごとに感度が違う当時のカメラでは増感するか、フィルムを使い切るか、途中で巻き上げ高感度フィルムに入れ替えるという今思えば恐ろしく手間と金がかかることをしていたのだ。とはいえ当時はそれが当たり前だったから、とりたて不思議に思うこともなく黙々とこなしていた。

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未来から過去を振り返えるとあれこれ足らない物に気が付いていくが意外にその時代の人間は特に不満を感じず生活しているものである。「節電」を実行することが、あれだけ困難に陥っているのを見ても、一度慣れてしまった便利な生活を自らの意志で意図的に退化させることの難しさがわかるというもの。

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グランフロント大阪1203osakaumeda008.jpg

三月とは思えない凍えるような寒さ。だからこそこのような澄み切った夕景が現れる。
線路沿いに北へと歩き中津駅付近までやってきた。古びた旧市街を威圧するようにそびえる巨大な新市街グランフロント。いかにも近未来を描いたSF映画にありがちな光景。旧市街も再開発がわずかながら進み訪れるたび古びた民家が消滅して行く。写真手前に一年程前まで存在していた古びた平屋も駐車場へと変化していた。

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やがてゴールの中津駅が近づいてくる。次回訪れる際にはビル屋上のクレーンは全て取り外されていることだろう。過去数度に渡り建設中の姿を見に行った東京スカイツリーへの興味が完成と共に薄れていったように、グランフロント大阪も完成後には興味の対象から外れていくのだろうか・・・

[了]



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