●2022年11月某日/大阪、梅田北ヤード跡定点観測。変わり続ける20年。
- 2023/05/10 22:22
- Category: 大阪

朽ち行くものを観察するのと同時に、新たにこの世に産まれるものを観察するのも好きだ。
次々に鉄骨を運び上げる無数のタワークレーン、掘削の轟音。
2022年秋、大阪。梅田北ヤードと呼ばれた大阪駅裏手は「うめきた」と名付けられた
再開発の中枢となり猛烈な勢いで高層ビル建設が進んでいた。
かつて大阪駅裏には梅田北ヤードを呼ばれるレトロな倉庫群が広がっており
周囲とのミスマッチな光景を作り出していたがやがて倉庫は解体、
長らく広大な空き地となっていた。
東京麻布台プロジェクト(麻布台ヒルズ)→LINKに続く、再開発現場。
過去の写真ランダムに掲載しながら変わりゆく大阪梅田の定点観測20年を紹介。
※以前の記事を加筆修正したものです
※本記事は訪問時のものです。現在の状況は異なっている可能性もあります。

大阪の中心地、梅田にあるJR大阪駅。その北に広がる広大な空き地、梅田貨物駅跡[下記地図]。
巨大な倉庫が埋め尽くし、梅田北ヤードと呼ばれていたこの空間は、貨物駅閉鎖後「大阪駅北地区」「旧北ヤード」など様々な呼び方がつけられたが近年「うめきた」といった正式名称が決定、定着した。梅田の高層ビル群に囲まれ最後まで異彩を放っていたレトロな倉庫も解体され空間は完全な更地となった。

2014年。広い。あまりに広大な土地。これが大阪駅北側に広がる旧梅田北ヤード跡地のベールを脱いだ姿。長い間敷地を埋めていた倉庫が撤去され改めてその広さに気がつく。西日本最大の乗降客数を誇る大阪駅が隣接、大阪最後の一等地という呼び名にも改めて納得。
[2014年撮影↓]

[2002年撮影↓]

更地となる前は倉庫とレールで埋め尽くされたこの場所、貨物駅移転後の広大な土地利用を巡って長年に渡り議論が繰り返された。オフィス、大学、公園、超高層タワー、サッカースタジアムと様々な再開発案が出ては消えていく。
繰り返しデザインコンペが繰り返された結果、敷地を一期と二期に分けた二段階の再開発計画が決定、その第一期としてグランフロント大阪と名付けられた施設が開業したのは2013年のことだった。
それから数年を経てデザインイメージが発表されついにうめきた二期は着工した。[下記イラスト赤部分]

しばらくの間、地下工事や地盤が続いたが今年に入ってついに地上部がその姿を現した。
[2006年撮影↓大阪駅ステーションシティ、グランフロント大阪はまだ更地]

[2014年撮影↓うめきた二期着工前]

[2022年撮影↓うめきた二期建設中]


最初の撮影から20年、2022年秋。工事は佳境を迎えていた。
上記建物はうめきた二期の南街区、高さ181mの西棟。奥に見える建設中の建物が北地区、北と南の間には大きな空間が広がっているのがわかる。このスペースにはあえて高層建造物は建てず、広大な緑地として供用がなされるのが本計画の大きな特徴であり個人的に好感が持てる点でもある。

[2014年撮影↓]

旧北ヤード西端を走るJRは東端に移転、大阪駅に隣接する新駅共に地下に建設される。
2014年の撮影時は地下を走る線路の敷設作業と北梅田駅の建設が行われており、地下部分が露になって完成後の位置とルートがよくわかる。現在は土砂で埋められ姿は見ることができない。
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グランフロント大阪。広大な北ヤード跡地の土地利用を巡り揉めに揉め結局工期を一期と二期にわけるという玉虫色の決着の末、第一期として建設されたのが下記写真右(東)に建つ4つの高層ビルの集合体、グランフロント大阪だった。

立体的な構造のグランフロントは定点観測にふさわしい新たな場所。テナントの間を行き来していると屋上やバルコニーへ出られる俯瞰ポイントがひょっこりと現れる。下記からはグランフロントから眺めたうめきた二期定点観測。
[2013年撮影↓]

[2014年撮影↓]

[2022年撮影↓]



手前の工事現場はうめきた北街区。そして現場を挟んだ対岸にそびえる建物が梅田スカイビル。
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続いて梅田スカイビルへと移動を開始。スカイビル竣工は意外に古く1993年。ビル自体は目と鼻の先に見えるものの梅田貨物駅を挟んだ対岸に建つため例の「北ヤード」地下を通過する必要がある。真下に掘られた薄暗い地下道「北梅田地下道」が唯一のアクセスだったが現在は工事現場内に仮設の通路が設置された。地下道を出たところから先ほどのグランフロントを時代順に振り返る。
[2011年撮影↓]

[2014年撮影↓]

[2014年の文章↓]
梅田スカイビル。開業当初は賑わったと聞くがここ10年ほどは展望台は閑散とし寂れた雰囲気を醸し出している。またアクセスとなる地下通路にも人の気配はなく、水銀灯に照らし出される怪しい雰囲気のある場所でもあった。
ところが2014年、数年ぶりに梅田スカイビルを訪れ驚かされた。かつてホームレスの寝床になっていた地下道は観光人で溢れ、スカイビルのエレベーター前は長蛇の列。ここまで大勢の客を見たのは初めての経験。特に目に付くのは外国人の姿。欧米系の観光客は数年前からちらほら見かけたものの今回はインドネシアあたりだろうか、イスラム圏の方が多数目に付いたのが印象的。エレベーター、空中を斜めに移動するエスカレーターを乗り継ぎ最上階に到着。これまた混雑している受付でチケットを購入後、屋上へつながる階段へ足を踏み入れた。

2022年、梅田スカイビルからうめきた南街区西棟を俯瞰する。またJR新駅ビル、旧郵便局跡地の再開発と、うめきた敷地以外にも高層ビルの建設ラッシュとなっており大阪、梅田地区の勢いを一望できる。とはいえ梅田地区は伊丹空港の高さ制限を受けており、いずれも高さ170mから190m代と近年の高層ビルにおいては低い部類となっており、先日高さ330mの麻布台プロジェクト(麻布台ヒルズ)建設現場を目の当たりにしたばかりなのでそれほど高さは感じない。
同じ場所から時代を遡る。2014年、更地となった北ヤード、10年以上遡ると梅田北ヤードの赤い倉庫屋根と貨物線の線路がまだ健在だ。(下記写真)
[2022年撮影↓]

[2014年撮影↓]

[2011年撮影↓]

このように一見梅田の再開発を一望できるよう絶好の俯瞰ポイントに思われるスカイビル。
しかし実は展望台としての致命的な欠陥がある。開放的な屋上は360度全ての風景を見渡すのは一見容易に思える。確かに明石大橋や生駒、六甲など地平線に近い風景を見渡すには優れた展望台、しかし二つのビルの上に上部を載せている特殊な構造のため下部の構造物に邪魔され足元の光景を俯瞰することができないのだ。
それならばと一階下の室内展望室へ下れば反射が目立つガラス越しではあるものの足元の俯瞰は可能[上記写真]。定点写真も屋上ではない下階から撮ったもの。しかし視界が阻まれ上記アングルが限界。
特に東側も受付カウンターや壁面によって塞がれているのが致命的。これほど絶好の位置と高さで立地しながらも肝心の北ヤード再開発区域をほとんど見下ろすことができない。展望台を自称するならこれはぜひ解消して欲しい。構造を変えなくても塞がれている箇所に小窓を付けるだけで良い。今後大開発が行われるであろう北ヤードの光景を目の当たりにできる最高の場所なのにあまりに惜しいのだ。
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上記で愚痴った文章は2014年頃に書いた文章。そんなストレスを貯めつつ定期的に通っていたスカイビル展望台。しかし今回2022年、わずかな俯瞰ポイントがあることにようやく気がついた。カメラを押し込みなんとか撮れた画像[下記写真]。これ以上の画角移動はできないが一応、再開発の中枢ポイントは抑えることができる。このアングルを撮りたかった。梅田北ヤード貨物駅の赤い屋根がある時代に気がついていれば・・・

続いてスカイビル北側からうめきた二期北街区をのぞき込む。こちらも屋上展望台からは視認できないので、室内の狭い隙間から無理矢理撮ったもの。左側の掘削箇所にはタワーマンションが建設される。同じ隙間からとり続けた写真を再び時系列を遡り掲載。



立地と高さのポテンシャルはすばらしく、海外からの観光客も急増、かつての寂れた状態から復活しつつある梅田スカイビル。例えば下部階東側を展望スペースとして開放するなど眺望面も改善して欲しいもの。

西日本最大規模の再開発の中心地、大阪梅田地区。
しかし一昔前の梅田は大阪駅を持ちながらも老朽化したビルや昔ながらの百貨店、飲み屋が並ぶ古ぼけ寂れた印象のイメージだった。また2022年現在からは想像もつかないが、明るく開放的なスペースが広がり人々で賑わう大阪ステーションシティ北口の大階段や水辺付近は、当時人通りもない薄暗い二階建食堂街だった。

そんな梅田がなぜ劇的に変わったのか。個人的に梅田が生まれかわる最大のきっかけとなったのがグランフロント東側に建つ白い建物だと思う。それはヨドバシカメラ梅田店。
長らく空き地だったこの場所を1997年、大方の予想に反し落札したのがヨドバシカメラだった。関西ではなじみの薄い家電量販店が大阪駅裏の一等地を取得したことは、高級百貨店誘致をもくろんでいた近隣関係者に大きなショックと失望を与えた。当時の関西マスコミの失望感溢れる報道をよく覚えている。

しかし関係者の失望とは裏腹に、結果としてヨドバシ梅田開業は圧倒的な主客力で日本橋家電街を壊滅させ、梅田、いや大阪の導線の入れ替えに成功した。そして低迷していた梅田復活の引き金となり、ここから怒濤の建設ラッシュが始まった。ヨドバシ梅田開業から数年の時を経て阪急梅田ビル立て替え、大丸(サウスゲートビルディング)、大阪駅(ノースゲートビルディング)、グランフロント、そして阪神百貨店立て替えと立て続けに行われた再開発は現在のうめきた二期に至まで途切れること無く続いている。
そんな梅田の移り変わり過去掲載写真を適当にランダムに並べてみた。

↓2006年頃、古びた二階建て食堂街が取り壊され、まもなく大阪ステーションシティの建設が始まる。

↓ステーションシティで鉄骨組み上げが始まった。現在の吹き抜け空間の構造がよくわかる。



↓ビル組み上げと同時に巨大な屋根が大阪駅プラットホームに架けられていく。

↓現在グランフロント大阪が建つこの場所はまだ更地。ヨドバシカメラがよく見える。



↓2011年、ステーションシティ竣工を待ちかねたかのように裏手でグランフロントの建設が始まった。



ビルはみるみる高さを増していく。阪急、大丸、そしてグランフロント。この2011年頃が梅田再開発の第一次ピーク。これだけの棟数のビルを一気に組み上げる光景は近年まれだろう。








20年前の大阪梅田と2027年の梅田予想図だ。うめきた敷地外にも多数の高層建築物が竣工する予定となっている。

うめきた二期は2024年先行開業、2027年全面開業が予定されいる。自分はといえば正直完成した建造物にはあまり興味が湧かないため、うめきた二期は開業後はそれほど足を伸ばすことはなさそうだ。そしてうめきた二期完成の頃には次の再開発計画が浮上していることだろう。
[了]
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