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●2021年3月某日/失われた光景。八ッ場ダム、湛水までの日々。

  • 2021/05/15 22:22
  • Category: 私事
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山に挟まれた早春の湖面は静かに水をたたえていた。
広大な湖はまるで遙か太古からそこにある変わらぬ光景の様に見える。
しかしこの湖はダム湖、あがつま湖。
群馬県山中を流れる吾妻川をせき止めた八ッ場ダムによってできたばかりの人工湖だ。
八ッ場ダムの総貯水容量は1億750万立方メートル、国内ランキング49位と大きいダムではないが 
人里離れた山中ではなく、幹線道路や鉄道、温泉街などが水没予定地とされたため生活への影響は大きく
また首都圏に近くそのニュース性もあってか知名度の高さでも知られている。
かつて見た緑の谷間は記憶の中に沈み、変化し続けた湛水までの光景を順に追った。

photo:Canon eos7d 15-85mm

関連記事       
奈良/大滝ダム][愛知/設楽ダム
愛知/宇連ダム][岐阜/徳山ダム
静岡/佐久間ダム][北海道/シューパロダム

あがつま湖2103yanbadam003.jpg

以前から巨大建造物に魅了されダム巡りが趣味のひとつとなっていた。今でこそ市民権を得たダム巡りだが当時は非常にマニアックな趣味と思われていたようで、ダムに行くと言うと周囲からはバス釣り?心霊スポット巡り?と聞かれたものだ。
そして次第に関心はダム堰堤から、ダム予定地水没地帯へと変化した。貯水されれば二度と見ることのない「幻の光景」。2003年に訪れた国内最大の貯水容量を誇る徳山ダム水没予定地では自治体そのものが消滅する広大な水没予定地を徘徊した。

そして群馬県八ッ場ダム。大きさは中規模サイズだがその実施を巡り二転三転し注目を浴びたことで知られており、知名度は非常に高い。結果ダムは完成し地区の水没と計画に翻弄された住民との引き換えに下流域の治水という安心を手に入れた。実は以前から何度か現地を訪れていたのだが原盤が発見されず掲載するのは2017年以降の写真となる。

●2017年7月某日

初めて八ッ場ダム地区周辺を走ったのは工事自体がまだ行われていなかった頃。当時はその実施を巡って二転三転していた時期でもあったため、着工されるか確信がもてず写真もそこまでは撮っていない。しかし10年余り、再び訪れた時には時すでに遅し、水没予定地は封鎖され高台から俯瞰するしかなかった。

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八ッ場ダムが建設されるのはこのような地形。群馬県から流れ出す吾妻川が作り出す急峻な渓谷を埋めるようにダムが作られる。



緑の谷間に現れるダム堰堤建設現場。ダム堰堤本体はほとんど姿を現しておらず土台の打設作業が佳境を迎えていた。拡大してみるとアーチ型の放流管ゲートが姿を見せ始めていた。崖上にはコンクリートを製造する巨大なプラントが林立し、頭上には資材を運搬するケーブルがひっきりなし行き来し活発に工事が行われていた。これだけの土木事業ともなると建設に係わる業者の数も膨大となる。

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ここから堰堤上流部に広がる八ッ場ダム水没予定地の徘徊。とはいえ前述したようにすでに立ち入りができないため周辺からの観察となる。近年は橋脚技術の発達で高高度橋の建設が可能になったため深いダム湖に予め橋が架けられることが多い。満水時の水面を見越し、高い位置に作られるため沈む前の現地の姿を望む絶好の俯瞰スポットでもある。

ここ八ツ場ダム予定地にもいくつかの橋が架けられる。その2つ、八ッ場大橋と不動大橋はいずれも遙か高所に架けられておりとその高度感には驚かされる。[下記地図]

八ッ場ダム水没予定地地図2104yanbadammap.jpg

一つ目はダム堰堤に最も近い八ッ場大橋[下記写真]。
貯水後の姿を想像することは難しいが橋桁に記されたマークからもわかるようにいずれこの真下まで湖面が迫ることになる。高さ74mの橋上に立てば、水没地帯がよく見えることだろう

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20分後、移動し八ッ場大橋に立つ。吾妻川下流に目をやると緑の森の合間にダム堰堤の建設現場が見える。いずれあの森の合間から谷間を埋めるように巨大な灰色の堰堤が顔を覗かせることだろう。
手前に見える橋梁はダムに沈むため廃線となった吾妻線の跡。右下の更地部分にはかつて旧川原湯温泉駅の駅舎があった。吾妻線は水没を免れるため、右岸のはるか高台に移転され旧駅舎は解体された。

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八ッ場ダム水没予定地1700dam07.jpg

八ッ場大橋から吾妻川上流に目をやる真下には三つの橋が模型のように俯瞰できる。鉄道橋、国道145号線等いずれも使われなくなった「廃橋」だ。今後これらの橋が解体撤去されることなくダム湖に沈められるのならば、渇水時には錆び付いた橋梁が姿を現す光景を見る事ができるのかもしれない。



水没予定地をさらに上流に向かうと現れる高さ86mの不動大橋。眼下にはやがて水に満たさせることになる広大な土地が広がっている。

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八ッ場ダム水没予定地1707yanbadamtsuika.jpg

いずれ失われいく広大な空間はもちろん空き地だったわけではなく生活道路や電柱、耕作地など残されてる痕跡がからわかるようにかつて人々の生活があった。そのほとんどは撤去されたが、中にはまだ取り壊されることなく残っている建物もわずかにある。一方川を挟んだ両岸の高台には斜面を削る形で平地が確保されており、生活の拠点は新たに作られた住宅地へ駅舎などの施設と共に移転した。
廃線となった吾妻線跡の錆びた軌道は夏草に覆われその姿を消し去ろうとしている。

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八ッ場ダム水没予定地1700dam01.jpg
八ッ場ダム水没予定地1700dam04.jpg
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青みを帯びた色からもわかるようにこの川はすこし特殊な性質を持っている。それが川の上流にある火山による硫黄成分影響で川自体が強い酸性を持っていることだ。上流にはこのような品木ダムや中和施設が稼働し酸性濃度を下げている。[品木ダム/下記写真]

品木ダム2103yanbadam005.jpg

再び不動大橋。ゆるやかな軌道を描く吾妻線の廃線上はベルトコンベヤーの格好のルートとして使用されており巨大なパイプの中を周辺の採石場から採取された岩がダム建設資材の材料として堰堤方面へと運ばれている。

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八ッ場ダム水没予定地1700dam03.jpg
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下から順に旧国道、吾妻線跡、そして水没を免れるため高台に新たに敷設された国道145号。この広大な緑の谷間が水で満たされると光景はどのように変化するのだろうか。


●2019年9月某日

前回の訪問から2年あまり。2019年再び八ッ場ダム予定地を訪れた。久しぶりのダムの堰堤は見間違うほどに変化していた。打設されたコンクリートが上へと伸び堰堤自体はほとんど完成しているように見える。

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再び八ッ場大橋の上から水没予定地を俯瞰する。二年前はまだその姿がなかった巨大なコンクリートの壁面が緑の谷間を埋めている。ダム堰堤に空く巨大な穴は放流管ゲートとして使用されるもの。
水没予定地の中央に架かる錆びた鉄橋は相変わらず撤去される様子はない。数年前、疑問に思ったがどうやら鉄橋や橋は結局撤去されることなく、そのままの姿でダム湖に沈められれるようだ。

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水没を間近に控え遙か遠くでは何かの発掘作業が行われていていた。



この訪問直後、堰堤本体が完成、試験湛水が行われるとの報道が一斉に行われた。半年ほどを掛けじわじわと水位を上げ、堰堤が膨大な水圧に耐えうるのか堰堤強度の測定テストが行われるようだ。定期的にチェックする八ッ場ダムライブカメラにはわずかづつ増えていく水位が日々映し出されており、この秋から春にかけて何度か現地を訪れ、ゆるやかに沈みゆく鉄橋や谷間を見ようと予定していた。

●2019年10月某日

台風19号は夜半、列島を通過中。天気図を見れば明日は台風一過の晴天になるはず。明日朝、半分ほどに貯水されるであろう八ッ場ダム湖を見ようと深夜、ダムに向け車を出発させた。すでに風雨のピークは過ぎ去っており闇の中、風と雨が時折思い出したかのようにざっと吹き荒れる。
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しかし道中はトラブルの連続、結局八ッ場ダムへは辿り着くことができなかった。
当初目指した最短距離の県道は規定雨量を超えたため通行止め、Uターン。深夜迂回路をひた走り、ようやく高速道路へと入り走り続けた。しかし夜が明ける頃、高速道路は強風通行止めとなり、インターから下ろされた。今度は木々の葉や梢が散らばる下道を使いダムへ向かもののこちらの別ルートでは倒木に阻まれた。倒木は直前に撤去されたものの、土砂崩れでまたも通行止め。
台風一過の青空の下、様々な情報を駆使し八ッ場ダムへ向かうルートを探ったものの道は各所で寸断されており結局辿り着くことができなかった。その夜、自宅でニュースで満水となったダムの姿を見た。予想を超えた雨量はわずか一夜で広大なダム湖を満水にした。

当時スクショをとっておいた台風襲来前後の八ツ場ダムライブカメラの画像。

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わずか一夜で天端ギリギリまで水位が増加した。膨大な台風の水を抱え込んだダム堰堤はなんとか支えているように見える。本来堰堤強度を調べる試験湛水中にも係わらずここまで貯水してしまい果たして大丈夫なのかと心配になってしまうほどだ。この光景を生で見たかった。


●2019年11月某日
台風から1ヶ月。晩秋の某日、車中泊をしていたダム湖畔で目覚めた。ドアを開けると冷気が流れ込んだ。冷え切った歩道を湖畔へと急ぐ。
現地には昨夜遅く到着したたため、まだダム湖の姿は見てはいない。上空に広がる早朝の青空と対称的には日も射し込ない薄暗い谷間。そこにあったはずの空間は茶褐色の水で満たされ広大な土地は失われていた。

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台風の濁流で汚れきった水。かつての路面に堆積する泥、木々に絡まる流木などの漂流物。緊急放流によって水位が下げられたため一旦は沈んだ岸辺の様子が露わになった。本来ならばこの時期、鮮やかな紅葉を見せるはずだった広葉樹も一時的に水没したため立ち枯れを起こし梢の先にわずかに赤い彩度を残していた。

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これでも放流の結果水位は低下しており台風通過直後には橋梁真下まで達していたようだ。思わぬ形で満水となってしまった八ツ場ダム。今度は水を抜きつつ湛水試験を続け、2021年の完成を目指すようだ。

●2021年3月某日

1952年の計画から70年近く、長い年月を費やし紆余曲折を経て周辺施設も含めた八ッ場ダムは完成した。真新しさを現す白いコンクリートの躯体。そしてその背後に広がる「あがつま湖」と名付けられたダム湖周辺、ダム本体に付随する形で資料館や展望台が整備され多くの人々で賑わっていた。

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堰堤から移動しダム湖を跨ぐ橋へと移動した。早春の若木が包み込むダム湖。前回、訪問時には台風直後の泥混じりだった茶褐色の湖水は、浄化されたのか澄み渡っている。

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以前は立ち入りが制限されていたダム湖湖畔には様々な施設が整備され水際まで下りられるようになっている。何度も歩いた二つの橋の予定通りの高さまで水位は増した。
不動大橋からの風景も大きく変化した。橋上に立ちダム堰堤側を望む。かつて見た建設中のダム堰堤と廃線、渓谷、森。この風景も膨大な水の底へと沈められた。

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技術力や桁外れのサイズ、あるいは困難な建設史に魅了されるダム巡り。同時に下流の水害防止、あるいは電力確保のため犠牲になった集落が各地であったことは忘れてはならない。

今はまだ完成から日も浅く水没前の姿も記憶に新しい八ッ場ダム。しかし次第にこの光景が当たり前となり、年月と共にかつての光景は次第に忘れ去られて行くのだろう。初めて訪れた人は湖の底となった失われた谷の姿を想像することができるのだろうか。

[了]

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●2016年12月某日/春から秋を振り返る

  • 2017/02/06 22:16
  • Category: 私事
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夏の東北、秋の九州と遠出が多かった2016年春から秋を適当に。
川が多め。


photo:Canon eos7d 15-85mm

5月/板取川
相変わらずの清流。大混雑のモネの池とは対照的に川辺は静まり返っていた。

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7月/大白川ダム
山道をたどった深い山中に位置するこのダム、前回は災害通行止めで到達する事ができず1年越しの挑戦となった。

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8月/某川
いつもの七輪キャンプ。泳いでは焼き、焼いては泳ぐ。

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8月/鉱山
山中に放置された鉱山跡。
背丈ほどの夏草に覆われた緑の草原に朽ち果てた建物が残されている。

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10月/八百津発電所跡
かつての水力発電施設、八百津発電所を数年ぶりに訪れた。
巨大な発電機に目を奪われがちだがレトロなメーター類もなかなか良い。→前回の記事

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4月/廃神社のようなもの
廃校となった校舎裏手にの斜面には崩れ落ちた廃屋が集まる集落があった。
鳥居のようにも見える木造の構造物、もしかすると神社の跡なのかもしれない。

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11月/離島の神社
東シナ海に浮かぶ隠れキリシタンの島を訪れた帰路、出会った良い雰囲気の鳥居。

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●2016年3月某日/冬から春を振り返る

  • 2016/01/11 19:55
  • Category: 私事
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2016年の冬から春の適当写真。
相変わらず走り回っているものの掲載するほど面白い場所はそんなになし。


photo:Canon eos7d 15-85mm

3月某日/廃校に泊まる【三重県】
静かな漁村を見下ろす丘の上に建つ古びた廃校。そんな小学校跡に泊まることになった。
そのうち写真が整頓できたらアップします。

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2月某日/廃神社【愛知県】
山中にある荒れ果てた神社に久しぶりに立ち寄った。渓流に挟まれ分断された中州に建つといった立地も魅力。参拝しようと近づくと荒れ果てた社殿には誰が置いたか真新しいみかんが備えられていた。しとしとと小雨が降る新緑の湿った季節に訪問したかったものの今は茶色く枯れ果てていた冬。

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3月某日/諏訪大社【長野県】
神社ついでに上記とは違いあまりに有名な諏訪大社上社。朝7時、静まり返る境内。早朝は神社が神秘的な姿を見せる唯一の時間。ここに限らず込み合う有名神社訪問は人気のない早朝に限る。

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2月某日/姫路城【三重県】
国宝姫路城を数年ぶりに訪れた。
デザイン、バランス両面優れた個性ある天守が百花繚乱した織豊時代は最も城が輝いていた城郭建築のバブル時代。その後デザインの方向性が定まった江戸時代になると無機質、無個性な天守が乱立する事になる。

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やはりこの時代の城は良いとつぶやきながら複雑に入り組む郭を眺めていると櫓の向こうから巨人が現れ美しい姫路城に襲いかかった。
実はここは兵庫県ではなく三重県、個人が自宅裏庭に趣味で作ってしまったあまりに精巧なミニ姫路城。巨人の正体は城郭整備中の制作者の方なのだ。まるで特撮映画のワンシーンのような光景。


[了]

●2015年11月某日/秋から冬を振り返る

  • 2015/12/24 12:58
  • Category: 私事
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気がつくと冬間近。
2015年秋を振り返ると多雨、多忙など様々な要因で驚くほど遠出をしていないことに気がついた。
おかげでネタもろくになく、なんとか引っ張りだして来たものを掲載。


photo:Canon eos7d 15-85mm


●9月某日/湖畔の廃校【新潟県】

大地の芸術祭の合間、新潟県十日町にある廃校を尋ねた。
棚田が続く曲がりくねった狭路を走り続けた山中に唐突に現れた池。
その湖畔に建つのは廃校となった学校の木造校舎。静まり返った湖面と木造校舎の組み合わせはロケ地にも使われそうな一見非常に良い雰囲気に見える。しかし車から一歩外に出れば思わぬ障害が待ち受けていた。

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それは校庭を無数に舞うアブの群れ。そういえば今年の夏に青森を旅した際、訪れた多くの廃校でも飛び交うアブによって校舎にすら近づく事ができなかった。今回も遠目に数枚撮っただけですごすごと退散、東北の廃校はアブによって守られているのだろうか。アブさえいなければとてもよい場所なので一度尋ねてみてください。夏を外した秋や初夏あたりがおすすめかも。

住所:〒948-0018 新潟県十日町市大池265  現在はミティラーという美術館のようです。




●11月某日/ふもとっぱら秋【静岡県】

夏の混乱も落ち着いた時期、富士山を望む広大な原野、「ふもとっぱらキャンプ場」で半年ぶりにキャンプ。キャンプは静かで落ち着いた秋に限る。このふもとっぱら、おしゃれキャンパーが集まる場所としても知られ様々な形状のテントを見学しているだけでもおもしろい。それに比べ我がテントはおしゃれとはほど遠い実用性重視の古いもの・・・。

昼間はポカポカと暖かかったものの、日が沈むと一気に冷え込む11月のふもとっぱら。火に薪をくべ暖をとる。そろそろ冬間近。今年のキャンプはこれで最後。

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●2008年9月某日/大地の裂け目、北アルプス大キレット横断記

  • 2015/12/01 21:50
  • Category: 私事
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書きかけだった記事が多数発掘されたので随時アップして行きます。とりあえず2008年、山編。



特に山が好きだと言う訳でもないが何を思ったか北アルプス槍ヶ岳へ行くことになった。
本来夏の予定だったこの山行、天候不順でダラダラと延期され気がつけば季節は秋、
さらに土壇場になって言い出した同行者との日程が合わず結局単独行に。
本格的な登山は15年ぶりということで装備もなく人から借り集め
なんとか揃ったのは前日夜、そのまま上高地入口となる沢渡駐車場に向け出発した。
帽子を忘れたり、筋肉痛に悩まされたりとまるで初心者に戻ったかのような登山となってしまったものの
槍ヶ岳、さらにその先の大キレットを横断し穂高までの縦走を達成することができた。



鋭く尖った穂先が特徴的な北アルプス槍ヶ岳。周囲の山から見えるランドマーク的な鋭角の山頂にかつて憧れていた時期もあったののの未だ未踏。そんな槍ヶ岳をついに目指す機会が訪れた。
富士、北岳、穂高を筆頭に3000m級アルプスの登山経験はそれなりにあるものの、いずれも15年ほど前の話。現在は登山に飽き完全に山からは遠ざかっている。今回誘いがなければわざわざ訪れようとは思わなかっただろう。過去の栄光?は一旦捨て去り初心に戻りまじめに登ろうと決意した。


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漆黒の山中を車で走り続け深夜2時、上高地の入り口となる沢渡へ到着。槍穂高登山の出発点、上高地はマイカー規制によって一般車は立ち入ることができず、手前の沢渡駐車場で乗り換えたバスで訪れる仕組みになっている。そのため今夜は駐車場で車中泊、翌朝最初のバスに乗る予定。バス停横の駐車場へ車を停め車内に広げたシュラフに潜り込んだ。素人の足でコースタイムを設定してみると午前5時半の始発バスには必ず乗りたいもの。普段寝起きの悪い自分だが決死の覚悟で起きるつもり。


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さっそくやってしまった!二度寝の恐怖。バスのエンジン音にあわてて飛び起きると車を停めていた駐車場目の前を無情にも出発していく始発バスの姿。山ではわずかな遅れが命取りに。荷物を車から引っ張り出し反省しながらあたふたと準備。



早朝7時、20年ぶりの長野県上高地。9月とはいえ残暑が続く下界とは別世界、バスを降りるとひんやりとした冷気に包まれた。普段は観光客の喧噪に包まれる日本有数の観光地。しかしこの時間、人の姿と言えばリュックをかついだ数人の登山者くらい。観光客の人波が押しよせるまでのわずかな時間、早朝の上高地は鳥のさえずり響く絵に描いたかのようなさわやかな場所だった。

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朝日を浴び輝く穂高岳の勇姿に思わず出発したくなる気持ちを抑え登山保険なるものに加入。この登山保険、1000円で300万円までの保証付きというすぐれもの。捜索ヘリを1時間飛ばせば100万円と言われている遭難相場、さらに単独行、ぜひ加入しておきたい。



手続きを終えいよいよ槍ヶ岳へ向け出発、気合いも新たに一歩を踏み出した。
しかしこの山、山塊に取り付くまでが非常に長く登山道入り口まで十数キロの道のりを延々と歩かされるはめになる。もちろん山道ではなく林道もどきの単調で平坦な道。過去穂高岳に登った際など何度か往復した経験があるため特に目新しさもなくただ黙々と歩く。ひたすら考え事をするにはぴったりの道。


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上高地からだらだらと歩き続け約2時間あまり、横尾あたりで左手を平行して流れていた梓川が分岐する。山好きな方ならばこの文章を読んだだけで地図が思い浮かぶことだろうが、山とは無関係のこのサイトを訪れる方にはさっぱりだと思うので絵地図を適当に書いてみた。[下記]

左は穂高岳登山のベースキャンプ地涸沢、一方右は槍ヶ岳へのアクセス路。人の流れを観察しているとそのほとんどが涸沢行き、槍方面への登山者はごくわずか。昔何度か通った涸沢方面と違い槍ヶ岳方面へ足を踏み入れるのは今回始めてとなる。地図上では槍ヶ岳山頂までの行程の半分を消化した事になるが、今までは序盤、山はここから。

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ようやく本格的な登山道が始まった。すれ違うのは重装備の登山者ばかり。渓流にそって続く山道を歩いて行くとやがて森の中に山小屋が現れた。その名は槍沢ロッジ。
出発前、集めた情報によれば初心者は一日目の宿泊場所をここにすべし書かれていたものが多かったものの体力、時間ともにまだまだ余裕。とはいえ次の山小屋まではあと4時間あまり。順調に進んだとしても到着は午後2時か3時。ホテルや旅館と違い山では微妙な時間。
見上げれば頭上を覆う木々の合間からは秋晴れの空が見え隠れ。こんな好天の日に森の中でグタグタと過ごすのももったいない、今日中に眺望を望む事ができる高所へ登ってしまおうと山小屋を出発した。



急な斜面をひたすら登り続け岩角を回ったとたん鋭く尖った岩山が眼に飛び込んできた。あれこそが目的地、標高3180mの槍ヶ岳山頂。想像以上の見事なとんがりっぷり。同行者と予定が合わなくなったことでよほど山行をやめようかと数日前まで考えていたものの、この絶景を見ればやはり山に来てよかったと思ってしまう単純さ。キャンセルした同行者に自慢してやりたいものだ。
しかし本日の目的地、ヒュッテ大槍は視界にすら入らないはるか上の尾根のあたり。感動と同時に残りの高度差に愕然とする。写真に写る屋根は本日のゴールではなく途中の殺生ヒュッテ。


槍沢から望む槍ヶ岳の穂先2008yama002.jpg
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槍沢から望む槍ヶ岳の穂先0809yari007.jpg


森林限界を超えたことで木陰を作っていた木々は消滅、照りつける強い日射しを遮ろうとリュックに括り付けていた帽子へ手を伸ばす。ところが手に触れるはずの帽子がない。リュックを下し中を探るも見当たらず。早朝の二度寝によってあわてて身支度したのが原因か沢渡駐車場の車に置き忘れてしまった。
正午が近づくにつれ太陽光はさらに強く照りつける。頭をじりじりと焼く強い光。見渡しても一片の雲も見当たらない真っ青の空。雲が欲しい。日射しを遮ってくれる積雲のひとつでもあれば・・・。とにかく水分補給をと立ち止まるたびポリタンに詰め込んだ水を喉に流し込み上を目指すものの、山小屋はなかなか現れない。



すでに午後2時半。山での行動停止時刻は午後3時と言われている。やはりふもとの山小屋に泊まるべきだったかと自問自答を繰り返しながら一歩一歩足を踏み出していく。しかし15年というブランクの影響は大きく一向に足が進まない。それでもなんとか分岐点に到達、ここから尾根上に建つ山小屋までは地図上での直線距離わずか300m。この距離を40分かけて登り切り午後3時過ぎようやく目指すヒュッテ大槍の赤い屋根が見えた。宿泊の受付を済ますとへなへなとベンチに座り込んだ。


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山小屋の蚕棚で目を覚まし立ち上がろうとすると不思議なことに足に力が入らない。身体を預けると足の節々に激しい痛み。昨日の無理がたたり、足の各所が重度の筋肉痛に。このような状態で山頂を目指すことなどできるのか。
同時に気になるのは天候、痛む足を引きずり小屋の外にでる。空を見上げれば常念岳方面は朝焼け、一方西の槍ヶ岳山頂はガスに覆われ天候まで下り坂。帽子が必要なさそうなのが救いと言えば救い。

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不安を抱きながら小屋を出発、痛む足をいたわり必要以上にゆっくりと歩き続け槍ケ岳山荘が建つ標高3000mの稜線へとたどり着いた頃には天候は雨へと変わっていた。
この稜線から突き出ている鋭く尖った岩山が槍ヶ岳の本体、いわゆる槍の穂先。雨に濡れ黒光りする断崖がガスの中へと消えている。岸壁に刻み込まれた山頂へのアプローチは道というよりも岩登り。普段ならば後先考えず登り始める自分だが、今回はあまりの足の痛みが前進を躊躇させてしまう。果たして登頂できるのか、いやその後下りてくることができるのか。

夏場には登頂待ち渋滞も発生すると聞く穂先へのアプローチ、しかし夏休みと紅葉の合間となる9月下旬はシーズンオフなのか周囲に人の気配は無し。横に建つ槍ヶ岳山荘の軒下で雨をしのぎながらしばらく観察していたものの穂先を目指す登山者は一向に現れない。これでは転落しても最後を見届けてくれる目撃者もゼロということか。


槍ヶ岳の穂先2008yama003.jpg


しかしここまでやってきた今、下山という選択肢などあるわけがなくリュック等の重量物を岩陰に置き軽量化を図った末、穂先へ取り付いた。山頂に向けほぼ垂直の岩登り。足をすべらせば数百mの落下は確実。幸いな事に空荷のせいか、緊張のせいか、先ほどまでの足の痛みも感じることはない。



垂直に伸びる錆び付いたはしごを登りきると平坦な空間が現れた。ついに3180mの槍ヶ岳山頂に到着。この狭い山頂に立つのは自分ただ一人。本来大展望が得られるはずの山頂は悪天候のため一向に視界がきかず、おまけに寒さも加わり達成感もほとんど得られないまま、証拠写真だけを撮ると早々に下山開始。周囲はガスで真っ白、槍ヶ岳と書かれた看板の写真がなければ信用されないことだろう。



雨に濡れた鎖場を慎重に伝いながら穂先から下り無事リュックを回収した。
とりあえず槍ヶ岳は制覇、今回の目的は終わった。後は同じルートで下山すれば、ゆっくり歩いて本日夕方には上高地バスターミナルへ到着できるだろう。しかしこれだけ苦労して登りきった山をあっけなく下るのはもったいないという気持ちもあって槍ヶ岳山荘で地図を開き改めて今後の予定を考える。
選択肢は二つ。もう一つの下山ルートは稜線を歩き、穂高岳経由で上高地へ下るルート。しかしこのルート、槍と穂高の間にある大キレットと呼ばれる巨大な岩の裂け目が行く手を阻んでいる。落石と切り立った断崖が続くため遭難多発地帯として知られ経験を積んだ者だけが通行を許される空間。自分のような素人が足を踏み入れるのは身の程知らず。
しかし通過は無理でも断崖マニアとしてはぜひこの目で大キレットを間近に見たいもの。幸いキレットのこちら側の縁には南岳小屋という一軒の山小屋がある。


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その小屋で一泊後、天狗池経由で明日上高地へ下山しようと思い立った時、扉が開き雨に濡れた一人の登山者が入ってきた。昨夜泊まった山小屋で知り合ったAさんという男性だ。彼と話していると突然とんでないことを言い出した。「実は僕は雨男なんですよ。」
いわく過去20回近い登山のほとんどが雨に見舞われたという。確かに今回も大雨。一週間前から天気図を眺め絶対に降らないと確証を持って出発したのに一向にやまない雨はこの男のせいかもしれない。念のため今後の予定を聞いてみると自分とまったく同じルート。雨男に今後も付いて回られたらたまらないので天狗池経由で下山する別ルートをやんわりと進めてみる。翌朝、彼と別れた北アルプスはからりと晴れ渡った。



槍ヶ岳山荘を出発、稜線も視界ゼロ、途中にある地味ながら一応3000mを超えている山、南岳にいたっては存在にすら気がつかないまま通過してしまった。幸いアップダウンはそれほどない稜線歩きのため痛む足でも進む事ができる。ふと振り返るとガスの中、見え隠れするカラフルな雨具は先ほどの雨男Aさん。どうやら途中の分岐まではついてくるつもりらしい。足を引きづり歩き続け三時間、ぼんやりと輝く南岳小屋が現れほっと一息ついた。この小屋のすぐ脇で地面が切り裂かれ大キレットの断崖が始まっているはずだがご覧のように何も見えず。


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冷え込んだ秋の山、ストーブで濡れた身体を乾かしながら夕飯までの六時間をうだうだと過ごす。このような何もやることがない時間というのもある意味貴重なもの。夕方、外に出てみるといつしかガスは薄まり時折薄日が差し込んでいる。雨男と別れた効果なのかはわからないがどうやら天候は回復しつつあるようだ。明日は大キレットの全容を望めるはず。



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現在地、南岳小屋と北穂高岳は直線距離にしてわずか2キロ。しかし両者の間は大キレットと呼ばれる崩れ落ちた巨大な裂け目によって分断されている。その岩場を通過する登山道こそ転落者が続出、レスキューヘリの爆音が聞こえない日はないと言われる難関コース。


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断崖の縁に立ち白いガスに覆われた南側を見つめ続ける。やがてベールに包まれていた大キレットはその全容を現した。足下にぽっかりと口を開ける断崖絶壁、そのはるか先には城壁のような北穂の断崖。一体どのように横断するのか見当もつかないがよく見ればわずかな道らしきものがあり、すでに何人かの山男が足を踏み入れていた。巨大な岸壁を相手に苦闘する彼らはまるで豆粒のよう。


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目の前に広がる雄大な風景に思わず気持ちが高ぶり始めた。幸い天候も急速に回復、昨日あれほど悩ませた両足の筋肉痛は消え去っている。しかしこの先は昨日登頂した槍ヶ岳穂先よりも遥かに危険な道、自分のような初心者が単独で大キレットへ立ち入りたいと言ったところで一笑に付されるだけ。岩場の縁に立ち眺め続ける事15分、ふと後ろから声をかけられた。声の主は昨夜山小屋で知り合ったベテランのBさん、一緒にキレットに挑戦しようとの熱い言葉をいただき横断を決意。
午前7時、靴の紐をしっかりと結ぶと「重大事故頻発」と書かれた看板を横目に二人でキレットに足を踏み入れた。出発直後いきなり断崖が始まった。

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上記イラストはイメージをつかむため適当に描いたもので正確な地図ではありません。

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手足をのばし岩につかまりながら谷間へと降りること一時間、キレットの最深部へと到達、ここで一旦休憩をいれる。一息つき振り返れば今下ってきた道が見える[上記写真]。道というよりも断崖だ。灰色の岩場でぽつぽつとうごめくカラフルな服をまとった登山者達も大自然の中であまりに小さな存在。それにしてもよくこの崖を降りてきたものだ。



現在地はV字に切れ込んだキレットの底。ここからしばらくはそれなりに安定した登山道が続く。安定と言っても他の箇所に比べマシといった程度、締まりのない石が敷き詰められたガレ場が多くうっかり浮き石を踏んでしまえば谷底へ転落してしまう。

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鞍部を慎重に進む事40分あまり、大キレットは再びその刃を見せ始めた。
長谷川ピークと名付けられた両側が鋭く切れ落ちた難所が連続する。絶壁の底からガスと共に吹き上がる冷えきった風に耐えながらナイフのエッジのように切り立った岩をまたぐように進んで行く。足場はわずか数センチ。長野側、岐阜側、左右どちらに落ちても数百mの垂直落下は免れない。三点確保を基本に何度もキレットを通過した経験のあるBさんから足場を教わり手足を思い切り伸ばし進んでいく。一人じゃなくてよかった。もちろんカメラを構えるどころではなく周辺の写真はなし。

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視界を覆っていたガスが流れ再び前方に光景が広がった。よく見れば断崖にへばりつく数人の人影[下記写真]。やはり本職のクライマーは違いますねとBさんへ話すといやいや今から通るルートだよと笑われてしまった。これからあそこを登るのか。

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大キレット飛騨泣き0809yari0021.jpg


いよいよ飛騨泣きと言われる北穂高本体の岸壁がはじまった。
このあたりまで来ると怖いのは転落よりもむしろ落石、時折ラク!という落石を知らせる登山者の声が響き渡る。実際目の前でガラガラと音をたて石が転がり落ちてきた。目で追っていくと転がる石は絶壁から飛び出し飛騨側にぽっかりと空いた空間へ音もなく落下していった。
緊張感のためか疲労を感じる事なく神経を集中させ登り続けること数十分。ついに北穂高山頂にある山小屋が見え始めた。山小屋のテラスではのんびりとくつろぎながら悪戦苦闘する我々を見下ろす人々の姿。なんという平和な光景。早くあの安全地帯まで辿り着きたい。

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標高3106mの北穂高岳山頂に立った。
振り返ると必死で越えた大絶壁、その先には昨日登頂した槍ヶ岳が雲間から姿を現しつつある。天候が回復したことで雨男と歩いたルートの全容を初めて目にすることができた。昨日この好天であったらと悔やまれる光景。山頂直下に張り付く北穂高小屋のテラスからBさんと景色を眺めていると昨夜南岳小屋で知りあった面々も続々到着、無事故での横断を祝し皆で乾杯。昨日の槍ヶ岳登頂よりも大キレット横断の方が達成感を感じてしまった。




突如爆音と共に県警ヘリが頭上へ飛来、高度を下げると岩場をなめるよう低空で行き来し始めた。他の登山者の目撃談によればどうやらルートのどこかで転落事故があったらしい。やがて遭難者を発見したのか一カ所に留まりホバリングを始めた。
人ごとではない。ここから六時間かけて山をくだり、上高地へ到着するまでは気を引き締めなければとお祝い気分は一旦終了。涸沢岳経由で奥穂高方面へ向かうというBさんお礼と共に分かれ一人になった。再び痛み始めた足をはじめ体力は限界。しかし上高地発の最終バスに間に合わせるべく昼飯も食べず急傾斜の岩場を黙々と下り続けた。

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帰路、やはり気が緩んだのか涸沢あたりのなんて事のない山道で足を思い切り岩にぶつけてしまう。靴を脱げば靴下には血がにじみ、親指の爪がはがれかけていた。ありったけの布を足に巻いてはみたものの一歩踏み出すごとに激痛が走る。
涸沢、横尾、徳沢、下るにつれ周囲の光景は岩から森へと変化していく。行きも通った単調な道を、ずっしりと重いリュックを背負い、筋肉痛と爪、双方の痛みに耐えながら登山靴を持ち上げ一歩一歩進む姿はまるで疲れきった行軍中の兵士のよう。重荷に耐えかね飲み水もそのほとんどを沢に流してしまった。



ひたすら続く林道。逆光きらめく木々の向こうに人々のシルエットが見えた。近づくと登山者ではなくサンダルを履いた薄着、軽装の女の子達。ここ数日、山の中で暮らしてきた自分にとってはあまりに場違いな光景に思わず目を疑ってしまった。
さらに進むにつれ街歩きのような「普通」の老若男女が次々に姿を見せはじめる。気がつけばここは上高地。かつて登山者のベースキャンプ地であったこの場所はいつしか一大観光地へと変わり重装備の登山者がなぜか肩身の狭い思いをするという逆転現象が。冷たいソフトクリームを食べながらさわやかに談笑する人々の光景を横目で眺めついに禁句を口走ってしまった。
「ああ。うらやましい。」
重いリュック、痛む足を引きずり、昼飯もろくに食わずに必死にバスを目指しているというのに。なぜここまで苦労してまで一人で山を目指したのだろうか。北穂山頂で味わった感動もすっかり忘れ次回この場所へ来ることがあれば観光客として来ようと誓い永遠にも感じる道をひたすらに歩き続け、ついにゴールが近付いてきた。



歩き始めて5時間半。ようやく上高地バスターミナルへ。木々の合間からはバスの姿も見る。あれに乗りさえすれば重いリュックを背中から下し沢渡の駐車場まで寝るだけ。ようやく座れる。冷たい岩場と違ってバスの座席はきっとふかふかだろう。

あと数百メートル、最後の力を振り絞りバス停に着いた途端、目に飛び込んだのは数百人のバス待ち大行列。そうだ上高地ではマイカーだけではなく観光バスも規制対象、大量の観光客もこのバスで移動するのだった。あまりの絶望感に立ちくらみさえ覚えた上高地。振り返ると穂高岳は夕日を浴び別天地のようにそびえ立ち、長すぎた1日は終わりを告げようとしていた。

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次回は観光客として上高地を訪れる、との誓いから8年。その後山歩きにはまり未だ観光客として訪れる事はできず・・・。

[了]

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