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●2018年8月某日/毛無峠で過ごした夜

  • 2018/11/20 22:30
  • Category: 私事
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群馬長野県境にある標高1823mの毛無峠。
かつての鉱山索道が立ち並ぶ峠は日本離れした荒涼とした風景が広がっている。
標高故、夏でも涼しい毛無峠は夏場の車中泊ポイントとしていつも選ぶ場所。
今回も北信越徘徊の途中、日が暮れ始めたため1年ぶりに毛無峠で夜を過ごす事となった。
他の徘徊も併せて紹介。


2015年嵐の毛無峠

photo:Canon eos7d 15-85mm

8月某日、うだるような暑さの下界から離れ、草津白根山中の稜線を走り続ける。火山活動の影響で志賀草津道路は通行止となっており大きく迂回を強いられた。支線へ入り木々が途切れると曲がりくねった山道の彼方に緑のクマザザに覆われた平坦な場所が見えてきた。
山に挟まれた鞍部が目的地、標高1823mの毛無峠だ。

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毛無峠1808kenashipass02.jpg


午後4時、群馬長野県境またぐ毛無峠に到着。空き地には10台ほどの車やバイクが停められ峠は思った以上の賑わいを見せていた。ダート片隅に車を停め日暮れを待つ。



既に日が落ちた群馬県側には硫黄を採掘していた小串鉱山跡へと下るつづら折りのダート道が見える。閉山によって小串鉱山がゴーストタウンとなった今、地図上では続いている道も実質的に毛無峠で行き止まりとなっている。

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県境の峠を跨ぎ、規則正しく並ぶ錆び付いた「鉄塔」は群馬側の小串鉱山と長野側を結んできた索道と呼ばれる物資運搬用ロープウエーの跡。閉山後、ほとんどの構造物は解体されたが不思議なことにこの索道だけは撤去される事もなく残され、毛無峠のシンボルとなっている。

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毛無峠1808kenashipass08.jpg


日が傾くにつれ峠にいた車も一台、また一台と山を下り気がつくと周囲に残ったのは自分の車以外、軽バン一台とテントの2台のバイクだけとなっていた。2人のバイク乗りはテントの設営を始め、どうやらこの4名が今夜、峠で夜を過ごす事を決意したメンバーのようだ。ここではキャンプというよりも野営という言葉が似合う。下界を見下ろす雄大なこの場所でのテント泊にも憧れるが数年前の惨劇がトラウマとなっているため、車中泊を選択。



今夜の車中泊地を毛無峠に決めたのには涼しくて寝やすいだろうとの考え以外にも理由がある。実は今夜、眼下の村で花火大会が行われるのだ。嵐にあった3年前のあの夜、いくつかの偶然が重なり尾根同士の隙間から花火を俯瞰する事ができた。打ち上げ場所が変わっていなければ今夜再び花火を見ることができるはず。

とはいえ峠からの視界が開けているという条件付き。昨年もこの場所で車中泊を行ったものの当日は毛無峠名物の濃霧に包まれ花火の炸裂音しか聞く事ができなかった。今年は今のところ峠周辺は霧も見当たらず珍しく晴れ渡り霧も嵐の気配もない。夕飯を食べているうちに太陽が沈み長かった夏の1日は終わりを告げた。

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夜8時、改造軽バンの車中泊、バイクのキャンプメンバーと共に村を見下ろす山裾に立ち、遥か眼下に見えるはずの打ち上げを待ち続ける事30分あまり。開始時間はとっくに過ぎているはずだが花火は一向に打ち上がらない。まさか事前情報が間違っていたのか、数年前ここで見た花火は幻だったのか、と諦めかけたころだった。



わずかな民家のあかりが灯るだけの漆黒の山裾が突如照らし出された。打ち上げ花火の輪が音もなく広がりその十数秒後、遠く離れた毛無峠に破裂音が届いた。


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深夜、車のドアを開け外に出ると夏とは思えない冷気が身体を包み込んだ。
風もそして霧もない夜。ここまで静かな毛無峠の夜は初めて。懐中電灯を頼りに岩が転がる斜面を登って行く。灯りを消し、闇に目が慣れると規則正しく並ぶ鉱山索道背景に星空が浮かび上がった。

毛無峠の星空1808kenashipass16.jpg
星空の毛無峠1808kenashipass14.jpg
星空の毛無峠1808kenashipass15.jpg




翌朝。早朝4時、今年も峠は静かに朝を迎えた。
寝静まっているテントを横目に一人山に登り夜明けを待つ。やがて東の地平線が赤らみ夏の1日が始まった。

毛無峠の朝1808kenashipass18.jpg
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毛無峠索道1808kenashipass17.jpg

山に挟まれた鞍部の峠に朝日が射し込むのにはまだ早いがそろそろ出発するか。シュラフなどの車中泊セットを片付け、ポリタンの水で顔を洗うと毛無峠を後に下界へと下った。


[戸隠参道]
参道が有名な戸隠神社を訪れた。以前から書いているように神社訪問は早朝か小雨の日がおすすめだ。長野新潟県境の樹林帯を走り参道前駐車場に到着したのは朝6時50分。駐車料金は600円。しかし看板に書かれた小さな文字を見て思わず頬が緩んだ。料金がかかるのは朝8時以降と書かれていたからだ。1時間で戻るつもりで鳥居をくぐり戸隠奥社目指し森の中の足を踏み入れた。



早朝の戸隠参道は混雑とは無縁、たまにすれ違う参拝客同士、例外なく挨拶が交わされるさわやかな参道をしばらく歩くと随神門と呼ばれる重厚な門が現れた。

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分厚い苔と植物に覆われた結界のような門をくぐると参道周囲の植栽が原生林から巨大な杉並木へと変化する。巨杉と早朝の逆光気味の斜光の組み合わせが幻想的な風景を作り出す。

戸隠神社参道1808togakushijinja01.jpg
戸隠神社参道1808togakushijinja02.jpg
戸隠神社参道1808togakushijinja03.jpg

それにしても戸隠参道は想像以上に長い。最終目的地奥の院までまだ数キロ。駐車料金の時間を考えるとそろそろ戻る必要がある。奥社か、600円か悩んだ結果、小走りで参道を戻り2分前に駐車場から車を出す事ができた。普段適当な人間だが一旦旅に出ると節約志向になってしまうのはいつものことなのだ。


[嬬恋村丘陵地帯]
キャベツの産地として知られている群馬県嬬恋村。今回はそんな嬬恋村でもあまり知られていない丘陵地形を訪れてみることにした。以前、航空写真で見つけ気になっていた場所。よく知られているパノラマロードから外れ怪しい農道へと入る。森の中を進む事10分あまり、視界が開けうねるような丘陵が広がった。

嬬恋村丘陵1808tsumagoi02.jpg
嬬恋村丘陵1808tsumagoi01.jpg

ゆるやかな地形を覆う緑のキャベツ、農道。昨年訪れた美瑛のような雰囲気。パノラマロードから外れているためか、訪れる車も皆無な静かな丘を風が吹き抜けていた。


[陸奥主砲]
海のない長野県山中に似つかわしいものが残されている。緑に包まれたさわやかなキャンプ場片隅に横たわる灰色の巨大な筒。実は海軍の主力戦艦だった戦艦陸奥の主砲である。海軍艦艇の多くが深海へ沈んだり、あるいは解体された結果、現在触れられるものは数える程しかない。その中で戦艦陸奥は、比較的浅い瀬戸内海へと爆沈したため部品の多くが戦後サルベージされた貴重な存在。

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吉村昭氏の「陸奥爆沈」読破後、引き上げられ各地に散在した陸奥のパーツをいつか見たいと思い続けていた。砲身を覗き込むと錆び付いたライフリングの線状がゆるやかな螺旋を描いていた。それにしても主砲がなぜこのような場所に保存されているのかは謎だ。

[ダム巡り]

長野県の行きつけのダム湖。中央アルプスから清流が直接流れ込むダム湖のバックウォーターはいつ訪れても澄み切った水をたたえている。
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一方こちらは今まさに建設されようとしているダム。
堰堤建設現場周辺では、転流工、取り付け道路始め深い谷間に人工物の建設が急ピッチで進んでいた。この橋もやがて深い湖底に沈んで行くことになる。

[了]


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●2018年7月某日/冬から初夏を振り返る

  • 2018/10/06 00:41
  • Category: 私事
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2018年冬から初夏までを適当に振り返る。
キャンプから変な場所まで適当な徘徊記録を掲載。


photo:Canon eos7d 15-85mm

●2018年2月某日/トーチカ跡
冷え込んだ冬の日、富士山の裾野に残された旧軍のトーチカ跡を見に行った。トーチカ探しの途中、見覚えのある土手を見つけをよじ上ってみるとそこは以前火力演習を見学した場所だった。火炎と轟音が轟いていた広大な富士山の原野も冷たさと静けさに包まれていた。

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富士山トーチカ跡1802fuji01.jpg

目的のトーチカは少し離れた場所で見つける事ができた。


●2018年6月某日/川キャンプ
深い谷間の清流沿いにある秘境キャンプ場。飛び込んだ川は凍えるような冷たさだった。大木の下を選びテント、タープ、ハンモックの三点セットを設営。サラサラと流れる渓流の音と共に夜が更ける。

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●2018年6月某日/関ヶ原周辺徘徊

東西の文化の分断点である岐阜県関ヶ原。古代から街道、交通の要所として知られ、現在においても新幹線、国道、高速が通過する重要なゾーン。当初大垣周辺で行われると思われた東西決戦は、膠着した前線を打開すべく西軍主力が密かに大垣城を抜け出し関ヶ原に布陣した事によって、翌日この場所で「関ヶ原の戦い」と呼ばれることになる合戦が行われた。そんな古戦場巡りついでに周辺のマニアックスポットをいくつか訪問。



まずは関ヶ原東に位置する美濃赤坂駅周辺。先述した西軍移動のきっかけになったのが大垣城を望むこの場所への家康の布陣だったと言われている。民家の合間にそびえる緑の小山は昔の古墳跡。前回訪れた際は森に覆われていたため古墳の存在に気がつく事はなかったが、最近になって復元作業が行われたようで木々が伐採され全容が姿を現した。

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石灰石の産地としても知られる美濃赤坂には石灰工場が密集する場所がある。
古墳へと登り工場郡を観察。しばらく進むと道路両側に数多くの工場が立ち並ぶ「石灰街道」が現れる。頭上を交差するベルトコンベア、工場同士の合間に敷かれた錆びた線路。良質の石灰を産出する金生山を取り囲むようにいくつもの工場が作られた。

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初めて「石灰街道」を歩いたのは90年代も終わりかけた20世紀最後の年末。新幹線の車窓から見た光景がきっかけだった。関ヶ原通過直前に北側に見える断崖や工場が気になり続け、美濃赤坂駅から徒歩で「石灰街道」へと向かった。
その日は大雪だった。カメラ片手に凍えながらトボトボと歩いた雪の積もった白い道、一方17年ぶりの本日は路面に積もった白い石灰が初夏の日差しを照り返しコントラストのある光景を作り出す。



金生山周辺には鉄道が石灰輸送の主役だった頃の名残が残されている。古墳裏の路地を抜けると現れる雰囲気の良い木造平屋もそのひとつ。一見昔の民家のように見える外観だが実はかつての昼飯駅跡。石灰輸送のため敷設された昼飯線(ひるいせん)だったが、輸送手段の変化によって廃線となった。

昼飯駅の駅舎跡1806mino04.jpg
昼飯駅の駅舎跡1806mino01.jpg
昼飯駅の駅舎跡1806mino06.jpg

昼飯駅は昼飯線の終点駅。さすがにこの17年の間に建物は解体されただろうと思いつつ現地を訪れたところ、駅舎本体はまだ残されており驚かされた。錆び付いた軌道が草原の合間からわずかに顔をのぞかせていた。



関ヶ原古戦場を見学後、さらに西へ。県境を越えしばらく車を走らせていると目に入るのが夏空へそびる巨大煙突。
伊吹山から採取された石灰石の搬入先だった住友大阪セメント伊吹工場であるが、先ほど見た稼働中の工場群と違い操業は既に停止され現在は「跡地」となっている。

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住友大阪セメント伊吹工場1806mino05.jpg

国道沿いの空き地に車を停め工場跡を俯瞰する。建物はそのほとんどが解体され現在は煙突と土台を残すのみ。しかし以前は廃墟となった工場プラントが敷地を埋めつくしていた。
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10年程前に同一地点から撮った解体前の住友大阪セメント伊吹工場。(上記写真)
複雑に入り組んだ巨大な建造物は当時既に廃墟と化し、錆び付き崩れ落ちていた。建物が消え去ると敷地の巨大さがよくわかる。近隣の彦根にも同じようなセメント工場廃墟があったが2000年頃解体され現在はイオンタウンへと変貌している。


●2018年5月某日/山キャンプ
今年初キャンプ。ネット上にもほとんど情報がない行きつけの知られざる穴場キャンプ場、だったはずがここ1年ほどで一気に知れ渡ってしまった。
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[了]

●2017年12月某日/紀伊半島徘徊〜冬編〜

  • 2018/01/27 22:34
  • Category: 私事
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恒例の紀伊半島横断2017年冬編。
今回の目的地は廃校ではなく山岳地帯高所に位置する某秘境集落再訪。
林道を走り集落到達を目指したものの積雪のため断念させられてしまった。
そんな訳で前半の寄り道部分だけを掲載する中途半端な徘徊録。

photo:Canon eos7d 15-85mm

伸びつつける紀勢道によって年々秘境感が薄れ行く紀伊半島。
特に交通の難所と言われていた三重県南部沿岸部にも長大トンネルによって山を打通する熊野尾鷲道が2013年、ついに開通した。海まで迫る急峻な山々が行き手を阻みトンネル区間が連続、紀伊半島を一周する紀勢本線が最後に開通した区間でもあるこの場所、車道においても昔から様々なルートが試みられてきた。

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何年か前に使った図を流用。
西側から矢ノ川峠越、国道42号、そして熊野尾鷲道、時代とともに長大トンネル掘削が可能になった技術の進歩がよくわかる。



そんなわけで夜明け前には熊野市へ到着。例によってここで一旦車を停め今後の進路を検討する。このまま国道42号を走り海沿いに紀伊半島を一周するか。あるいは急峻な山間部に挑戦するか。
今回の予定地のひとつに山間部に位置する某山岳集落がある。集落へは標高1000m近い峠を越える必要があるため冬期の懸念材料は気温。しかし目的地付近にあるアメダスの未明の気温をチェックすると意外な事に今朝はそれほど低くはない。これならば凍結の心配もなさそうだ。というわけでコースは集落探索の山ルートに決定、熊野から内陸へ入った。
道中寄り道をしながら再深部を目指す予定。


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早朝8時。紀州鉱山の拠点であった板屋地区選鉱場跡。横を走る311号は何度も走ったが立ち寄るのは初めて。
操業当時の写真を見ると左手のインクラインといい、斜面を活かした建造物といい神子畑にそっくり。
現在は選鉱所は解体され骨組みだけとなり、また手前に新たに建てられた施設が視界を遮るため、予想はしていたものの正直そんなに面白くもなく、資料館は開館前。が期待せず訪れた当時の坑道を利用したトロッコが意外に良かったため掲載。

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鉱山選鉱所から山を隔てた場所にある瀞流荘駅という旧鉱山鉄道の発着場。ただの観光トロッコならば興味はないが、往事の雰囲気を味わう事ができると知り訪れた。この駅は操業時には小口谷駅と呼ばれた鉱山鉄道のターミナル。もちろん先ほどの選鉱所ともトンネルで結ばれていた。

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冷え込む早朝の谷間の構内にレトロなバッテリー車とトロッコが停車していた。いかにも鉱山らしい飾り気のない姿を見て眠気が覚めた。レールはいつくかに分岐しながら山肌に口を開けた深い穴へと消えている。

ちょうど朝の第一便が出発するところ。乗客は自分ただ1人のため4両ほどある客車のどこに乗り込むのも自由。迷った末、機関車の真後ろでは運転士の体が妨げとなって坑道の様子を見られない可能性もあるため最後尾の車両に身を屈めて乗り込んだ。結果これが正解、去りゆく風景ながら坑道を堪能できた。



運転士が機関車に乗り込みエンジン音が響いてから数秒後、前方から次第に伝わる動力音が自分の客車へと届くと同時にがたんと引っ張られるように動き始めた。全長1kmあまりの坑道の旅が始まった。

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鉱山開発時に掘り進められた地下坑道は横を流れる熊野川沿いにかつて鉱山駅だった瀞流荘駅と湯ノ口駅を繋いでいる。カーブもない直線の軌道は一部の明かり取り区間を除きひたすら地底を走るため眺望を期待するような観光客にはおすすめできない。



またトロッコは鉱山鉄道のため当然快適性は二の次。非常に狭い客車内で揺られながら轟音とともにすきま風を浴び低速で走り続ける。坑道内は漆黒の闇というわけではなく数百mおきに薄暗い電灯があるため、通過する度に構内の構造が浮かび上がる。壁面にパイプやケーブルが平行するのがそれらしく入坑する坑夫の気分。

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紀州鉱山の歴史は古く慶長年間まで遡る。地元民によって細々と採掘が行われた鉱山は昭和初期に大手資本に買収されたのをきっかけに近代鉱山へと生まれ変わった。
産出された銅鉱石は横を流れる熊野川を船によって新宮まで運搬、その後は鉄道と船であの直島まで運ばれ製錬されていた。その後も近隣鉱山の買収、最新鋭の選鉱場建設と鉱山はさらに規模を拡大、その過程で周囲の地下に坑道が次々に掘削されていった。現在わずか数キロ区間が公開されているだけの紀州鉱山鉄道だが、実際にはさらに複雑な路線を山を貫き最盛期には総延長75kmにも及んだ。
現在も紀和町の地下には封鎖された坑道が眠っている。


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鉱員、鉱石、ズリ輸送に使用された紀州鉱山鉄道。軌道自転車での通行も可能で朝夕には地下を自転車で走り通勤する鉱員もいたという。また一般人も人車への乗車ができたため山間部に住む地元民の足としても親しまれた。紀州鉱山は1978年に閉山、ほとんどの坑道は封鎖されたが、排水処理点検用として唯一残された坑道が今走っている部分。

参考文献:全国鉱山鉄道



時折明かり取り区間が現れる浅い地下を走る事10分ほど。次第にスピードを緩めたトロッコは坑口から出ると明るさに包まれた。わずか1kmほどの運行区間にもにもかかわらず低速のためか非常に長く感じた。

到着したのは山に挟まれた敷地に軌道が交差する駅のような場所。現在は閉山後に湧き出た温泉が建つ湯ノ口駅、当時は鉱山の敷地となり建物が密集していたらしい。客車から下り眺めていると運転士はトロッコを器用に操り出発した瀞流荘駅方面へと向きを変えた。

現在通過してきた坑道、5号隧道を振り返る。中央に向け勾配を持って掘られていることがわかる。

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駅を挟み反対側にも坑道の続きがあったので入り込んでみた。
こちら側はもうトロッコが走る事もないのだろう、線路や切り替え機は錆び付き坑道も坑口から10mほど進んだあたりで封鎖されていた。どうやら坑口の先には排出されたズリを棄てる堆積場があったようだ。


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時刻表を見ると帰りは約2時間先。というわけで朝9時から温泉三昧。この先紀伊半島横断が控える身でこんな贅沢をしてよいのだろうかと思うものの、車も山向こうに置いてあるため動きようがない。

湯船から出ると新築されたばかり温泉休憩室でコーヒー牛乳を飲みながら時計の針を眺め続ける。暇を持てあましロビーに置かれた地図を見ていると意外に近い場所に景勝地、瀞峡(どろきょう)があった。せっかくなので例の建物を見にいってみるか。

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紀和鉱山から瀞峡への道のりは抜群に改善されたアクセス路に驚かされた道中となった。

瀞峡があるのは和歌山奈良三重、三つの県境と飛び地が複雑に交わり秘境と呼ばれてきた再深部。細々と続くいわゆる酷道と呼ばれる難路でしかアクセス不能の場所。そのため紀和町側からの観光バス乗り入れも困難、瀞峡を訪れるツアー客は川を走る観光船を利用する事が多い。 
この難路を解消すべく周辺では以前から道路改良工事が進められていたが、今回何年かぶりに走ると奥瀞道路三期がついに開通していた。

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昔よく通った崖沿いの旧道を横目に見ながら橋梁、トンネルを贅沢に使用した無人の169号を走りあっという間に到着。ここまで早く到着するとは。一部狭路を残しているものの瀞峡から秘境という冠が外されるのも時間の問題だろう。

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瀞峡にやってきた目的は断崖に立つ木造建築、瀞ホテル見学。長年休館が続いていた歴史あるホテルが数年前にカフェとして営業を再開。何年か前、紀伊半島探索時にも訪れた際には営業時間前で入ることができなかった。

高所を走る奥瀞道路から外れ北山川が削り取った谷底へと下り瀞峡駐車場に車を停める。駐車場には自分以外、他の車は皆無。相変わらず人気のない観光地だ。駐車場正面には廃墟と化した木造の旧瀞郵便局庁舎。

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大台ヶ原を源流とし熊野灘へと注ぐ熊野川の支流、北山川は急峻な山々が入り組むこの場所で蛇行を繰り返し奇岩とともに瀞八丁と呼ばれる景観を作り出す。とはいっても観光船には一度も乗った事がないため核心部を見た事がないのだが・・・



日も当たらない道を下って行くと視界が開け明るさに包まれた。冬の日射しが降り注ぐ現在地は滔々と流れる北山川の流れを見下ろす断崖のヘリ。

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見下ろすと眼下に数人の観光客らしき姿が見えた。
先ほどの駐車場に車は一台もなく、彼らがどのように訪れたのだろうかと思いながら眺めていると時折到着する観光船から乗り降りしている。なるほどここではやはり車ではなく観光船によって往復するのが主流のようだ。


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巨岩に挟まれた渓谷を先ほど乗客を乗せた観光船が航跡を残し消え去って行く。あの奥が瀞峡の核心部なのだろうか。川が蛇行しているため視界が遮られ、確かに乗船しなければ見る事はできなさそうだ。
長い石段を下り北山川の川辺に到着した。船着き場には観光船で訪れる団体観光客向けの記念写真用ひな壇やパラソルが並びどこか昭和を感じる場所。

振り返ると空、川、森。広大な自然の中にただ一棟の建造物、瀞ホテル本館。

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石垣上にそびえる3層の木造多層建築建造物は城郭のようにも見える重厚さ。1917年大正6年に北山川を見下ろす高台に材木を運ぶ筏師用の宿として創業、昭和初期に建物はさらに増築され現在の複雑な形状となった。
しかし2011年、台風12号が引き起こした紀伊半島大水害によって建物は浸水、大きな被害を受けてしまう。驚くべきことに増水した北山川の水位は建物の高さまで達したという。


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現在瀞ホテルだけが建つ北山川沿いの断崖にはかつては多数の木造旅館が密集していた。宿泊施設もなく、閑散としている瀞峡も多くの人々で賑わった時期があったのだ。崖には建造物の土台だったと思われる階段状の石垣が残されている。
で、前回は叶わなかった瀞ホテル内部見学はというと・・・。レトロなガラス扉には「冬期平日休業」と書かれた張り紙。またやってしまった。



仕方がないので瀞ホテル別館へのアクセス路の解明でもするか。
瀞ホテルの魅力は本館だけではなく、廃墟となったホテル別館だ。本館と別館は接している訳ではなく、両者の間は北山川に流入する支流が作り出した深い谷によって分断されている。対岸の断崖に作られた懸造の別館は前回「投入堂を彷彿させる」表現したように、建つというよりも張り付いている、と書いた方が正確だ。

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別館と本館は繋ぐ唯一のルートは崩れ落ちた吊り橋のみ。しかし現在この吊り橋は水害によって崩落寸前となっている。
営業時には吊り橋を利用し往来が行われていた書かれたwebサイトが多いが、人や食料品ならばともかく、建築資材を運び入れるにはあまりに貧弱。以前からどこか別の場所に建設用のアクセス路があるはずだと思い続けてきた。

そんな訳で探索開始。とはいっても周囲は切り立った断崖。一旦車を停めた駐車場へと引き返し、あたりを徘徊していると眼下の森に怪しい道が見えた。錆びついた鉄柵、枯れ葉に覆われた石段。長年使われていない事が明白な道。急な坂を下って行くとあった!二本目の吊り橋。

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先ほどの吊り橋より大型で遥かに状態も良いため、重量物運搬にも耐えられそうだ。こちらが本来使用されていた別館メインルートではなかろうか。対岸へ渡ろうと勇んで駆け寄ったものの残念ながら全面通行止と書かれた看板で吊り橋は封鎖されていた。



前回はこの後、瀞峡から山中に入り廃校、廃村探しを行った。今回は十津川方面の秘境集落が目的のため、一旦ふもとまで戻ると紀伊半島を南北に縦断する主要道、168号を北上。狭路が続いていた168号も瀞峡周辺と同じく着々と進む改良工事によって訪れる度、道路状況が劇的に改善されている。遅々として進まなかった工事だったが先ほども紹介した紀伊半島大水害によって各集落が分断されたことをきっかけに一気に進展しつつある。

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傾斜集落1712kii043.jpg


それでも時折快走路が前触れもなく終わると、路地裏を抜けるすれ違い困難な狭路も一部に残る。以前の紀伊半島の国道はこのような道ばかりだった。路肩からはわずかの土地に張り付く集落が見える。平地が貴重な紀伊山中では斜面をうまく利用した傾斜集落が続く。



快走路とな狭路が混在する168号を走り続け予想より早く十津川村を通過。本日の紀伊半島南部は冬にしては気温も高いく速度も順調、これならば集落探索も問題無し。


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168号を左折、野迫川方面へ。このあたりから天候が崩れ始めた。好天だった冬空が北から流れ込む雪雲に次第に覆われつつある。空模様を気にしながら川沿いに上流へ進んで行くと目の前に大規模な崩落地が現れた。
杉並木が広がっていたはずの山肌がはるか上部からざっくりと削られ岩盤がむき出しの状態となっている。

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ここも2011年大水害によって寸断されてしまった場所。豪雨によって緩んだ山体が深層崩壊を起こし、崩れ落ちた大量の土砂は道と川を埋めつくしてしまった。とはいえ現在開通しているのはあらかじめ調査済み。復旧作業中の現場脇に作られたダートの仮設道を上る。災害から6年。完全に復旧するにはあとどのくらいかかるのだろう。





道は次第に高度を上げ目的地までは直線距離で残り10kmほど。しかしついに曇天の空から雪が舞い始めた。雪は増し視界はみるみる遮られて行く。見上げると集落がある山塊は雪雲で覆われていた。敗退。
この集落、前回も大雨によって断念、10年前の訪問を最後にその後一度も成功しておらず。自分にとってはまさに幻の集落。そんなわけで恒例の紀伊半島徘徊は中途半端な終わりを告げた。

[了]

●2017年8月某日/春から夏を振り返る

  • 2017/09/09 22:13
  • Category: 私事
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2017年初夏から夏にかけて徘徊したダム水没予定地、
毛無峠での風景を適当に掲載。


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●2017年7月某日/失われ行くダム水没地区

緑の植物に飲み込まれ、次第にその姿を消して行く錆び付いたレール。森に消え行く廃線を空撮。

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ではなく橋から俯瞰した吾妻線の廃線。
午前中、濃霧に阻まれ某鉱山探索に失敗、仕方がないので久しぶりに訪れたのが近隣にある建設ダム予定地、群馬県八ッ場地区。満水時の水面高を見越して架けられた高さ86mに及ぶ橋梁からは水没によって失われ行くかつての鉄道や国道を俯瞰する事ができる。


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現在堰堤建設が進む八ッ場ダム建設現場は非常にウエルカムな雰囲気。
ダム展望台や資料館には観光バスが横付けされ観光客が歩きまわる。首都圏に近いためか、その知名度の高さ故か、これまで訪れたダム建設現場の中で最も賑やか。
かつては視界を遮る仮囲いに覆われ、排他的だった土木現場も近年は公開する事によって工事への理解を深める方向にシフトしつつあるようだ。橋から見下ろすと現在は貯水に向けた浮遊物撤去作業の最中。この場所にあった民家、線路、駅舎、そのほとんどが解体され生活の場は高台に移転された。



八ッ場ダム堰堤付近から広大な水没予定地を眺める。完成後は橋脚に貼られたラベルの位置まで水に満たされるため二度と見ることのできない貴重な光景。地区の中央を流れる吾妻川両岸に生い茂る緑の木々も浮遊物除去のため間もなく伐採されていくことだろう。上記に掲載した「空撮」はさらに奥に写る不動大橋から撮ったもの。


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手前の八ッ場大橋からは吾妻川に架かる廃道、廃線となった国道や鉄道の古びた橋が見えた。現在この橋は封鎖され一般車両の通行は規制されている。今後これらの橋が撤去されることなくダム湖に沈められるのならば、渇水時には錆び付いた橋梁が姿を現す光景を見る事ができそうだ。



失われ行く風景を目に焼き付けようと橋の手すりから身を乗り出していると、緩んでいたのか、突然レンズからフィルターが外れてしまった。瞬時に手を伸ばすもわずかの差で間に合わず、フィルターは100m近い高低差をダム湖底へと落下して行く。やがて豆粒のように小さくなったフィルターは風を捕らえ、蝶のようにひらひらと空中を舞いながら川辺の森へと吸い込まれて行った。
5月にも東北の銀山跡で外れたフィルターを沢に水没させたばかり、学習しない自分を反省。人身御供のようにその身を捧げたフィルターは深い水の底から八ッ場ダムの安全を見守り続ける事だろう。




●2017年8月某日/毛無峠車中泊再び

酷暑の長野新潟徘徊。照りつける日射しも次第に傾き始めた。そろそろ今夜の寝床を探す時間。近隣に夏の寝苦しい熱帯夜の車中泊を回避できる標高の高い場所はないだろうか。昨年は長野県の天空の池の畔で快適な車中泊を行ったが、現在地からは少し遠くさらに林道は現在通行止。

それならばと今回選んだ場所、それが何年か前、夜を過ごしたこともある長野群馬県境に位置する標高1,823mの毛無峠。→LINK前回の車中泊記


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曲がりくねる県道112号線を登りきった数年ぶりの毛無峠は今日も濃霧に包まれていた。車から降りると真夏とは思えない冷気が体を包み込む。
夜までは特にやることもないので車の中で本を読んで時間をつぶす。時折霧が流れ視界が広がると小串鉱山で使用されていた索道跡や上空に膨れ上がる積乱雲の雄大な姿を眺める事ができた。


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毛無峠には自分の他にもキャンプ中の方が数人。彼らと語ったり、ふもとのコンビニで買っておいた夕飯を食べているうちに周囲は闇となり車内に広げたシュラフに潜り込んだ。予想通り下界の酷暑が嘘のような涼しさ、すぐに車内で眠りに落ちた。



早朝3時55分。
前回毛無峠から見た朝焼けは早朝4時。今回台風接近中のため正直期待せず目覚ましをセット。アラームの音に目を覚ますも窓の外は真っ白な霧、一寸先も見る事ができず諦め再びシュラフに。
次に目が覚めたのは4時30分。窓からは赤く染まる雲が。熟睡していた30分の間に霧は晴れ渡ったらしい。あわててシュラフから飛び出すも眠気の頭でカメラの設定に手間取っているうちに朝焼けが終わってしまった・・・。

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上空では悪天候を予感させる暗雲が流れて行く。やがて索道の合間から朝日が昇った。
前回の小串鉱山探索では準備不足もあって敷地すべてを回りきる事ができなかった。そのためその続きをと眼下に広がる鉱山跡をしばし眺め思案したものの天気も崩れそうなので今回はパス、朝食のパンをかじり終え暑さに包まれる下界へと下った。

[了]

●2017年3月某日/冬から春を振り返る

  • 2017/05/06 12:58
  • Category: 私事
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三重県の漁村、愛知県の山間部。
それぞれ趣が違う廃校を訪れた2017年冬春の適当な記録。


photo:Canon eos7d 15-85mm

●2017年3月某日/漁村の廃校

紀伊半島の南東端、尾鷲周辺。
かつては船でしか訪れることができなかったため、陸の孤島と呼ばれていた半島に残されている廃校。トンネルを抜け海に向かい下った先にススキが包む校門が現れる。


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校庭は見渡す限り枯れ果てた茶色の草原となっていた。その奥に立つ荒廃した鉄筋コンクリートの校舎。錆び付いたバスケットボールコートも背丈ほどの枯れ草に覆われ自然に戻りつつあった。



廃校を後にし、入り組んだ海沿いの道をさらに進むと須賀利と呼ばれる半島の最も奥にある集落に到着した。漁港と山の間のわずかな傾斜地に民家がひしめき合う。
空き地に車を停め雰囲気の良い路地を散策、山の石段を上る。古びた寺が建つ高台から須賀利集落を見下ろすと統一感ある瓦屋根が春の日差しを反射し輝いていた。この集落の最も奥にも廃校となった小学校校舎が残されていた。


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夜は尾鷲近隣でキャンプ。さすがに冷え込む春キャンプ、今回はコテージ泊。



●2017年1月某日/山の廃校


廃校の宝庫愛知県山間部。
そのひとつ東栄町にあった中学校跡。現在は「のき山小学校」としてイベント事などで使用され以前一度だけ訪れたことがある。→LINK
近隣を通過した際、ふと廃校の存在を思い出し久しぶりに立ち寄った。中に入ると以前図書室に置かれていた蔵書は1階に集められカフェに併設された居心地の良い空間にリノベーションされていた、

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それにしても中学校とは思えぬ渋い本が多い。昭和史、満州開拓史など気になる本を片っ端から手にとりよく燃えるストーブで温まりながら時間を忘れ読み続けた。



●2013年4月某日/桜の廃校

何年か前の写真が出てきた。桜が満開の廃校にて。


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廃校の桜201003sakura01.jpg

[了]


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