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●2020年11月某日/晩秋の旧街道、大平宿跡。

  • 2020/12/05 22:22
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長野県山中にある大平宿はおそらく日本で最も有名な廃村のではないだろうか。
自分が「廃村」という存在を初めて知ったのも大平宿だ。
子ども時代、なにげなく読んだ雑誌にいろり端で宴会にふける知り合いの大学生の写真が掲載されていた。
その建物がある場所が大平宿と呼ばれる無人となった村、いわゆる廃村であると説明が書かれていた。
しかし大平宿は自分が好むいわゆる放棄された場所ではなく
「整備された廃村」「観光地」のイメージが強かったためこれまで近付くことはなかった。
ところが今回、たまたまキャンプ場ロケハンに近隣を訪れたついでに大平宿に
寄ってみたところ予想以上に良い雰囲気、さらには木造校舎の廃校まであり
長い間訪れなかったことを後悔したのだった。

photo:Canon eos7d 15-85mm


9月10月の休日の多くは例によってキャンプばかり、晩秋が訪れ本業の徘徊が動き始めた。幹線道を外れた山中でキャンプ場ロケハンも終了。いかにも熊が出そうな秘境キャンプ場だった。

車を停め車内に常備してあるツーリングマップルを開く。この山道にさらに上った先に「廃村、大平宿跡」と書かれている。存在自体はもちろん知っているが未だ訪れたことのない場所。ここまで来たのならば集落を見学しようと車を山中に向けた。

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下界ではまだ緑がちだった木々も標高を増すにつれて彩りを増し葉を透過する秋の日差しが紅葉をより際立たせる。新緑に比べ紅葉にはあまり興味を引かれることのない自分も思わず車を停めてしまった。



延々と続く山道を登り、傾斜が緩むと同時に木々が途切れ視界が開けた。長野県大平宿に到着。カラマツの林の中に点在する古びた建物が見える。

空き地に車を停め間近に見えた集落跡へ向かおうとした。ところが集落の反対側、林の奥にある縦長の建物が眼に入った。民家ではなく、公共施設を思わせる大型の建物のため、もしや廃校ではなかろうかと歩いて行くと予想通り林を抜けた先に木造校舎が現れた。

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秋空とオレンジ色のカラマツを背景に建つ黒ずんだ校舎は予想以上に大きなもの。とくに下調べも行わず前知識なしで大平宿を訪れたので廃校の出現に驚かされた。帰宅後、調べてみると丸山小学校大平分校の跡とのこと。



校庭の片隅に見える鮮やかな黄色い色の正体は厚く積もった落葉した銀杏の葉だった。葉を掴み空中に放り投げると逆光の光を浴び輝きながら舞い降りた。

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大平分校の標高は1150m。今までに訪れた数多くの廃校の中でも、特に高所にある廃校ではないだろうか。



続いて廃校から離れた大平宿集落跡へ。10数棟ほどの建物が旧道に沿って並んでいる。自分がよく探索する人里離れた林道終点に残る廃村とは違い、大平宿は近年まで人々が通過する街道の宿場町だったため、それぞれの民家のサイズが桁外れに大きい、そして立派だ。まるでロケ地を思わせるたたずまい。

ところで恥ずかしながら初めて子ども時代、雑誌記事でここを知ってから2020年の今日まで大平宿を「おおひらしゅく」と呼んでいた。正確には「おおだいらじゅく」なのだそうだ。

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伊那谷と木曽谷。今でこそ恵那山トンネルや国道が突き抜けるが、かつて二つの谷は縦に伸びる中央アルプスによって分断されていた。
江戸末期、交通困難なこの箇所を打通すべく、新道開拓が行われその中心にある峠付近の高原に集落が作られた。入植した人々は過酷な環境に翻弄されながら森を伐採し厳しい開拓時代を経て宿場として整備された。それが大平宿である。

明治期になっても中央本線を利用したい飯田の人々が街道を利用し細々と存続していたものの、飯田線の開通によって街道は衰退、寒冷地ゆえ農業も行き詰まりも1970年、集団移転によって再びこの地は無人となった。



とはいえ大平宿はまったくの無人という訳でもなくわずかながら人の気配は感じられる。その理由は廃村に宿泊することができるからだ。
ここでは廃屋を放置するのではなく、あえて部外者に開放することで建物を維持している。人の住まなくなった建物は不思議なほど風化が速い。そのため離村した村人は宿泊者を元住居へ受け入れ、定期的に外気を流し風化速度を抑えようとしている。ここを知ったきっかけになった子ども時代に読みんだ雑誌記事も大平宿の宿泊に関する内容だった。

紅葉に包まれる好天の某日。知名度が高い廃村だと聞いていたので大勢の人を予想していたが、2時間ほどの滞在中、すれちがったのは訪問客はわずか数名。
ここに至る道中、多くの観光客で賑わう妻籠宿の横を通過した。一方で大平宿はあまりに山深すぎて観光バスも入れないためか、同じ宿場町とは思えない対照的な雰囲気。だがそれが良い。

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雰囲気の良い古民家のひとつを外から眺めていると、たまたま滞在中だった家主の方が建物内部を見学させてくれた。

歴史を感じさせる分厚く重厚な柱、梁、長年囲炉裏からの煙に燻され続けた黒ずんだ室内に圧倒された。格子窓からは秋の日差しが室内に斜めに射し込んでおり、囲炉裏から煙が立ち上っていたら見事な光線を描いたことだろう。

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屋外の水桶には厚い氷が張っていた。紅葉に覆われる季節もあとわずか、冬の訪れによって大平宿は深い雪に閉ざされることだろう。



居心地の良さに想定以上に大平宿で過ごしてしまい時刻は14時。徘徊できそうな場所は時間的に残り1〜2カ所か。近隣にある定番スポットをいつくか思い浮かべる。そのうちの一つ、長野県大鹿村ならばまだ回れるかもしれない。

ちょうど1年前の同じ11月の晩秋、素晴らしい夕日を眺めた大鹿村高台にある行きつけの例の池は現在、林道通行止めで封鎖中。LINK

となると同じ大鹿村近隣にあるアルプスを望む高台はどうだろうか。現在地からは伊那谷を挟んだ対岸に西日を浴びオレンジ色に輝く山々が見える。あの高度まで車で上れば西日を浴びるカラマツの紅葉が見られるに違いない。とはいえ時刻はすでに14時30分。



タイムリミット迫る伊那谷を走る。秋の日暮れは早く太陽は中央アルプスの稜線に迫っている。先月訪れたばかりの小渋ダムは今回はスルー、ひたすら日が残る高台を目指す。谷間にある大鹿村中心部は完全に日が落ち日影となっていた。

最初の目的地、大鹿村某銀杏。山を登った高台の斜面集落にあるため、逆光に輝く黄色い葉を期待していたが日没にわずかに間に合わず、光が当たっていたのは梢の先端だけ。仕方が無いので2014年11月の写真を掲載。

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銀杏から見上げた山の稜線はまだオレンジ色に染まっており日没に間に合いそうだ。ここからは標高が勝負、さらに高台を目指す。

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時間との勝負となるため、カーナビにも表示されない勝手知ったる裏道から高台の鳥倉林道を目指す。しかし数百メートルほど山道を進んだところで無情にも現れた「この先崖崩れ・通行不能」の看板。正規のルートへ迂回しても日没には間に合いそうもない。一か八か、通行不能なら諦めようと車を進め薄暗い林道を上っていく。

確かに小規模な崖崩れはあった。土砂が路面を埋めている。しかし車種によっては行けないこともない。慎重に土砂を乗り越え無事、鳥倉林道に接続することができた。
冬季閉鎖ゲートもまだ開かれており、あとは先月も訪れたばかりの道を進むだけ。高度を上げると日照部分に出た。同時に紅葉が光を浴び鮮やかに輝いた。

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やがて周囲の植栽は、広葉樹からカラマツに変わり同時に周囲はオレンジ色の光に包まれる。
断崖上の空きスペースに車を停めた。ここが南アルプスを山裾から稜線まで見渡すことができるポイント。

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大鹿村鳥倉林道紅葉2011nagano0310.jpg


鳥倉林道はこの先、さらに数kmに渡り続くが実際にはゲートで閉鎖されている。この先は南アルプスを徒歩で目指す登山者しか立ち入れない道。夏場は多くの車が停められているこの場所もさすがにこの時期、この時間、登山者らしき車は皆無だった。

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上空からみた大鹿村。
山肌を彩る紅葉、そして本日走り回った伊那谷の山々、そして中央アルプス。先ほど通過した大鹿村中心部はすでに闇に包まれている。太陽が傾くに従い、闇は次第に山裾を登り、やがて高台も闇に包まれると急速に寒さに包まれた。

[了]

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●2020年9月某日/いつもの場所へ。毛無峠で過ごす夜。

  • 2020/10/30 22:22
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夏場、寝苦しい熱帯夜が続く下界から離れて眠る場所がある。
それが標高1,823m、冷気に包まれる高所の峠、毛無峠で行う恒例の車中泊。
今回も毛無峠を起点に新潟、長野、山梨。
廃校をはじめとするいくつかの予定地を徘徊した記録。


photo:Canon eos7d 15-85mm

いつもの場所。群馬長野の県境にある、標高1,823mの毛無峠。
木も生えない荒涼とした高地を風が吹き抜けるこの場所はいつ訪れても霧に包まれていることが多い。猛暑に包まれた下界を離れ午後遅くに到着した今日の峠も群馬県側から湧き上がる霧が流れ続けていた。

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駐車場代わりのダートの空き地に車を停め下界のコンビニで買った食材を調理しながら車中泊の準備を行う。日没直前、強風によって霧が切れると毛無峠へ一筋の光が射し込んだ。視界が開けたのもつかのま、再び毛無峠は霧で閉ざされ、そのまま夜を迎えた。夜間になっても霧は切れず星は今回は見ることができず。

過去に撮った毛無峠の写真はコチラ↓


過去の毛無峠写真

それにしても峠の変貌ぶりには驚かされる。毎年同じ時期に毛無峠で車中泊を行いはや六年。年を経るごとに峠の駐車場代わりの空き地で車中泊を行う車が増加中。
自分が毛無峠で車中泊を始めた初期の頃は、夏場でも夜間になると峠周辺に人の気配は皆無、おそらく半径10数キロに渡り無人地帯となっており、不安な思いをしたものだ。
ところが年々同業者が増加していき、最近は峠に複数のテントを張りキャンプを行う猛者も珍しくはなくなった。2020年の今回は過去6度の峠車中泊で最も車両の台数が多く、例の看板がある空き地の奥は夜半になっても車がひしめき合っていた。とはいえどの車も静かで、さらに熱帯夜とは無縁、シュラフにくるまり安眠できた。


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毛無峠の朝2009kenashipass02.jpg


午前4時、毛無峠で朝を迎えた。
結露した窓を拭くと夜間に峠に到着したのか、さらに多くの車が周囲に停められているのが見えた。車内で寝静まった車中泊中の人々を起こさぬよう静かにドアを開け車外へでると体が冷気に包まれた。

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霧が消え去った無風の峠。朝焼けを背景に浮かび上がる鉱山索道のシルエット。毛無峠で見るいつもの朝の光景。早朝、晴れ渡る峠も多くの夏山のように昼前には雲が湧き、再び霧に包まれるに違いない。朝焼けだけを眺めると日の出も待たず早々と出発、猛暑に包まれる下界へと下る。



緑のツタに覆われた尖塔が特徴的な廃校が新潟県の山間部にある。手前に広がる放置された校庭も草原と化してるようで、廃校の横を通過した撮影車で撮られたgoogleストリートビューでも緑の草原、廃校、夏の積雲、さらには横を歩く近所の親子という映画のワンシーンのような見事な光景の構図の光景が意図せず撮影されていた。
ここならば、緑の草原に立つ偽教会風の廃墟といった写真が撮れそうだと数年前から予定リストに入れてあった廃校だ。

新潟県山間部は廃校の宝庫だ。今回の目的地の周辺にも無数の廃校が点在している。ところがそのいずれも曲がりくねる山道をたどった先の集落に残り、また集落同士が山を隔てているため効率よく回ることができず、10年以上にわたり新潟山間部の廃校群を地道に回り続けているがいまだ予定地の半分も消化できていない。一方で廃校のアート施設化、あるいは解体が進み、いわゆる放置された感のある物件もみるみる減少しているのも現実。



到着して唖然とした。緑の草原が広がるはずの校庭には砂利や鉄板が敷かれ無数の工事車両や重機が所狭しと停められているではないか。さらにはプレハブの工事事務所まで建てられている。

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まさか廃校校舎の解体が行われているのだろうかと近付くと近隣で行われている工事の基地として校庭が使用されているようだ。遠目で見る限りそれほど古さを感じなかった廃校校舎だが近付くと建物全体がゆがみ老朽化が進んでいることがわかる。もちろん尖塔の時計も昼を指して停止したまま。



この廃校周囲の風景は田園や茅葺トタン屋根の民家が点在する新潟山間部の典型的な里山。そのような純和風の風景の中心に、尖塔と赤い屋根とステンドグラスを使用した偽教会風の洋風建築。不思議なミスマッチ感。

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蔦の浸食は上へと続きついにその先端は尖塔に達している。あと数年で建物は緑に飲み込まれてしまうだろう。

ちなみに引いて撮った廃校の全景はこのような感じだ。上に掲載した写真はトリミングして撮ったことがわかる。ここが数年前、ストリートビューで見た緑の草原のままであれば・・・と悔やまれる。

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しかしこの廃校、建物は洋風校舎だけではない。実は建物の裏には別の木造校舎が隠されている。
裏に回ると空撮で確認した通りの二階建ての木造校舎が見えた。こちらは自分好みの昔ながらの日本の木造校舎。建物は黒ずみツタに覆われ廃墟感を醸し出ている。しかし周辺は背丈ほどに生い茂る緑のジャングル。この季節、草に阻まれ、到底到達できそうもない。



かつての診療所医院跡。閉鎖後、木造医院の一部を見学することができる。
以前一度訪れたことがあったが、近隣を通過したので今回は建築的な視点で見てまわった。ここについての考察は多くの方が書かれているので小物などに注目してみたい。木とガラスの組み合わせが目を引く古き良き建物。
しかしのどかさとは裏腹にこの地域に蔓延していた病気を克服した熱い場所でもあるのだ。

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青い空、白い積雲、緑の田、夏の風景が広がる長野県北部。季節は9月だが、まだ夏の光景が残る。県境付近の森の中に残る明治期から100年を経た木造校舎廃校。ガラス越しに覗いた内部は教室と廊下がそのままの姿で残されていた。

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信濃町立古間小学校2009naganohako01.jpg
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[了]

●2019年7月某日/石垣島徘徊録、一年前の光景。

  • 2020/07/20 22:22
  • Category:
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本サイトに掲載してある徘徊録は自分の行動の一部、
実際にはこれ以外にも海、川、キャンプを中心に動き回っているのだが
見向きもされない失われゆく場所を徘徊するというのが
本来の運営趣旨のためそのような場所や行動はここ数年に限ってだが排除してある。

今回の沖縄県石垣島旅も実は昨年、2019年の7月に行ったものだが上記の理由、
そもそも写真を整理するのが面倒くさかったというくだらない理由で掲載を見送っていた。
しかし社会情勢の影響で予定していたGWの西日本徘徊を取りやめるなど
そろそろネタも枯渇しつつあるため適当に掲載。


photo:Canon eos7d 15-85mm

数年に一度定期的に沖縄へ出かけてる。本島には見向きもせず一貫して海の透明度が際立つ離島のみ。
2019年7月、台風の合間を縫って何年かぶりに沖縄を訪れた。前回は慶良間諸島だったため今回上陸する石垣島は7年ぶり。とはいえ滞在中のほとんどの時間を海や水中で過ごしため写真もほとんどなく陸上で撮った写真を適当に羅列。


[2019年石垣島編]

2019年7月某日、前回建設途中だった新石垣空港に着陸。東南アジアの空港を彷彿とさせるレトロな旧石垣空港から一転、空間を贅沢に使った近代的なロビーに驚かされながら外に出ると南方の熱気と湿気が身体を包み込んだ。

夏の沖縄旅は台風との戦いとなる。これまでは一年で最も天候が安定する梅雨明け直後を狙い沖縄を訪れる事が多かったが今回は用が重なりリスキーな7月下旬になってしまった。案の定、出発数日前にフィリピン沖で台風5号が発生、しかも南シナ海へ西進と思わせながら直前で北上を開始したため日々、天気図をにらむことに。

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石垣島幻の島1907ishigakijima14.jpg
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リゾートには縁がないので民宿や安宿に泊まり自炊の日々。そして泳いだり潜ったりと島の海と戯れる。
台風5号は到着前日に石垣島近海を通過したため翌日には天候も回復、2日後には波も治まり海に入れるようになった。しかし海初日に7年使用して来た水中用の防水カメラが故障したのは痛かった。撮影できた水中写真はわずか10枚・・・。



島ではこの7年間で大きな変化があった。それは新空港の開設。長い滑走路は大型機の着陸を可能にし、市街地や離島桟橋は数多くの観光客でにぎわっていた。それでも島北部にはまだ静かな光景が残っている。

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石垣島西海岸から見る南国の夕景。人々に混じり日中の熱気が残る浜辺に座って日没を待つ。
ほとんどの人が太陽が沈むと同時に海岸を後にするが日没後もしばらく粘る事をおすすめしたい。この日、割と平凡だった夕日だが上空に薄い巻雲が広がっていたため、何か起こるだろうと期待し、海岸でじっと待った。

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日没から20分後、上空の巻雲は赤く染まり始めた。同時に水平線に沈んだ太陽からの光の筋が積乱雲の合間を透過し反薄明光線、八重山では天割れと呼ぶ現象を上空に描いた。

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夜、島の沖合では雷雲が音もなく発光を繰り返す。


[2019年竹富島編]

赤瓦の屋根が並ぶ古き良き沖縄を彷彿とさせる光景から、離島といった印象をもたれる事の多い竹富島だが、実は石垣島からは驚くほど近距離にある。
上空から撮った写真。手前に広がる市街地が石垣島、わずかの距離に浮かぶ平坦な丸い島が竹富島。そしてひっきりなしに行き来する船の航跡も見える。

竹富島空撮1907ishigakijima08.jpg

そんな船のひとつに乗り込み離島桟橋から船でわずか15分、平坦な島に到着。こちらも7年ぶり。

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竹富島コンドイビーチ1907taketomijima11.jpg


竹富島でも海で泳いでいるうちに長かった夏の日は傾き始めた。
時間が許せば島は宿泊がおすすめ。昼間は混雑する集落も最終便が去った夕方になると人の気はほとんど消し去られてしまう。木々の合間から西日が射し込む路地。物音は砂を踏む足音だけ。

竹富島の風景写真1907taketomijima04.jpg
竹富島の風景写真1907taketomijima05.jpg
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竹富島の風景写真1907taketomijima06.jpg
竹富島の風景写真1907taketomijima10.jpg
竹富島西桟橋の夕日1907taketomijima12.jpg
竹富島西桟橋の夕日1907taketomijima09.jpg


石垣空港〜那覇空港間の航路は琉球弧に沿って設定されているため眼下には東シナ海に弧を描き規則的に列ぶ島々が島が順に手に取るように見える。

石垣島からの帰路、那覇空港の滑走路混雑のため当該機の着陸許可が下りず、飛行機は慶良間諸島上空で時間稼ぎの旋回を繰り返すことになった。

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4年前に訪れた座間味島、阿嘉島、安室島が手に取るように見える。
その中で島名がわからない島がひとつ、少し外れた東シナ海に浮かぶ小さな島。島好きとしては悔しい限りなので調べると渡名喜島というそうだ。
飛行機はこの島の上空を二度も低空で旋回したため窓に張り付き上空からじっくりと俯瞰調査。サイズ感、集落の雰囲気、海の美しさ、三拍子がそろった自分好みの島。増え続ける予定地マップにメモしておこう。

[了]

●2019年11月某日/廃墟、天空の池、頂の先を目指す晩秋信越徘徊録/後編

  • 2019/12/01 22:21
  • Category:
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晩秋の信越徘徊記。
高原に残された廃牧場で夕焼けに包まれ長い初日は終わりを告げた。
その後夜の関越トンネルを抜け一旦関東圏へ、そして群馬県で車中泊。
翌朝冷気に包まれる道の駅から二日目がスタート、
最後の目的地、標高2,000mを越える頂を目指し出発した。
灰色のダム湖、青いダム湖、そして高所にある池で見たそれぞれの水の風景。


前回の記事

photo:Canon eos7d 15-85mm


八ッ場ダム建設予定地。昨夜の雨はあがり上空は晴れ渡っているが谷底までは朝の光は届かずダム周辺の空気は冷え切っていた。目の前に広がる灰色の水面。この光景だけを見ると一見ダムは完成しているようにも見えるが試験運用中に満水になっただけで稼働しているわけではない。

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前回の写真と比較してみよう。
まずは試験湛水が開始される直前、2019年9月某日の八ッ場ダム堰堤の写真。その数日後に試験湛水が始まった。当初数ヶ月程度の時間を掛けダム湖をゆっくりと満水にしていく予定とされていたため来春にかけ少しづつ沈みゆく鉄橋や廃線を撮ろうと考えていた。しかしこの直後、襲来した台風によって広大な谷間が一夜にして満水になるとはさすがに想定していなかった。

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堰堤に水の線が残っているようにサーチャージ水位にくらべ水量は下がりつつある。そのため一旦は水没した湖底がわずかながら顔を覗かせていた。泥と流木にまみれた旧道、そして森。
今回の試験湛水は意図せず台風下に行われたため、流れ込んだ濁流がダム湖を満水にし水が引くとこのような姿があらわになった。ダム湖からは一旦水が抜かれた後、木々や構造物は撤去され再び貯水が行われることになる。

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丘陵地帯が続く群馬県嬬恋村。お気に入りの丘のひとつに車を停めで昨夜コンビニで買っておいたパンをかじる。時間の経過と共に周囲の山々を覆っていた雲が流れ去ると遠く北側に白く染まった稜線が見えた。あの毛無峠も昨夜平地に雨をもたらした雲によって初冠雪したようだ。毛無峠は災害通行止めだったため今回の目的地ではなかったがいつものようにあの場所で車中泊していたら大変なことになっていただろう。

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ツーリングマップルを開き今後の予定を思案。嬬恋村近隣にあるダム湖の青さが有名な四万ダムも気になるが紅葉がピークを迎えたこの時期、周囲道路は混雑するに違いない。
そのため同じ青いダム湖でもオリジナルの青いダム湖を目指すことにした。以前掲載した際「知られざる青い池」と書いたように今時珍しくネット上に情報はほとんどないという自分好みの青いダム湖なのだ。



「知られざる青い池」へと続く人気のないダート林道。雪解け直後の3月だった前回訪問時に比べると路面は荒れてはおらず予想以上に走りやすい。

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薄暗い斜面を登っていくと視界が開け灰色の砂防ダム堰堤、そしてその裏に水をたたえた湖面が見えた。
池と書いたが正確には砂防ダムに水がたまったダム湖となる。相次いだ台風災害によって泥流や流木が流れ込み、池が持つ澄んだ青さも失われたのかもしれない。しかしそれは杞憂だった。
今回も池は青かった。そして前回とはまだ違う青い色。

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目を引く鮮やかな青いダム湖は数時間前に見た濁った八ッ場ダムとは対称的。
例によってここで掲載している池の写真はRAWデータではなくJPEGをそのまま貼り付けだけで色加工は一切行っていないもの。それでもこの青さ。

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このような青い池や青い海は見る位置と角度、あるいは日射しなどの外的要因によって透明度や彩度がご覧のように様々に変化する。高所から俯瞰するとその青さは最も際立つ。一方水際まで下りると青さの濃度は薄れるが逆に透明度が上がっていく。

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長野県筑北村青い栃平ダム湖1911naganobluepond04.jpg

以前も書いたようにこの池の青さ、気温の低下に比例し彩度が増す傾向があるようで、氷結するまでしばらくの間この青さは続くのかもしれない。1時間ほどの滞在中ここを訪れる人の姿は皆無、相変わらず知られざる池だった。
振り返ると昨日のトヤ沢砂防堰堤から始まり二居ダム、八ッ場ダム、そして今回の砂防堰堤と特に意図せず四つもダム系回ってしまったことになる。



長野県の森の中に朽ち果てた謎のモニュメントがある。星を意味しているのか四方に伸びる鋭い鋭角。その鋭角を緑の苔が柔らかくと包み込んでいる。裏から見ると人型にも見える不思議な形状。このような星形の形状、旧共産圏の国々でよく作られたモニュメントのようだ。

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例によってくだらない妄想が膨らんでしまう。

かつてのこと、大祖国戦争勝利10周年を記念するためソビエト連邦のとある地方某市ではお抱え作家によって星をかたどったモニュメントが制作され党員を招き盛大なお披露目セレモニーが行われた。地元の子ども達によって記念植樹もなされ当時プラウダの三面記事にもなったこのモニュメント、その後のスターリン批判で一部破壊されるなど紆余曲折を経た末、ソビエト崩壊によって完全に忘れ去れてしまった。

あれから60年余り、植樹を行った少年だった老人が偶然当時の新聞記事を目にしたことでし再びあの場所へ。街はずいぶんと変わってしまった。ようやく見つけた郊外にあったその場所は植樹された木々が森へと成長、当時輝いていたあの星形モニュメントは誰にも知られることなく苔に覆われ朽ちていくだけなのだ・・・

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政治的共感できないがグラフィックや工業製品などの共産圏のデザインには魅了されるものがあり東欧の国を訪れた際にはそれらが展示された博物館へ入場したことも。ちなみにこのモニュメント、当然のことながら上記の話はまったくの妄想で、実施は宿泊施設のエントランスに作られたもの。さらに奥にはいつくかの廃屋が残っているとのこと。




怒濤のような信越プラス群馬徘徊二日間も昼を回りまもなく終わりが近付いてきた。せっかくこの辺りまで来たのならば道が閉ざされる冬到来前に訪れておきたい頂がある。それは長野県南端の小さな村、大鹿村にある「天空の池」。その名の通り池は遥か高所にあるため急傾斜のダート道を突破しなければ辿り着くことはできない場所。


直接池に向かう前にまずはこの池の高所感を実感したい。天空の池からは伊那谷の様子がよく見えるため空気が秋澄んだ秋、さらに順光となる午後ならば当然西側からも見えるはず。松川町郊外のリンゴ畑の農道をさまよい高台を目指すと大鹿村方面を一望できる良い高台が見つかった。
伊那谷の段丘を挟み聳える急峻な山々。冠雪した高峰は南アルプス間ノ岳だろうか。その手前、二児山~黒河山の稜線近くに見える茶褐色の草原部分、あの場所が最後の目的池天空の池がある標高2000mの黒川牧場。

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天空の池へのアクセスは視界の効かない林道を登り続けるため高所にいる感覚が次第に薄れるが麓から山頂までを一望して見るとその高さを改めて実感できる。上部に見られるオレンジ色の部分は紅葉したカラマツの樹林帯だ。天空の池へのアクセス路は奥側の森を通過するため見事な紅葉が見られるに違いない。
望遠レンズで池周辺を拡大してみる。安物のため解像度は低いが枯れた草原と天空の池へと続くダート道がよく見える。池があるのは最上段にある数本の黒い木々の横。時刻は午後1時、これから遙か先のあの場所を目指すのだ。



天空の池がある長野県大鹿村は自分が好きな場所のひとつ。そのアクセスの不便さも魅力で昔からよく訪れてきた。特にリニア中央新幹線においては5年ほど前建設予定地徘徊と言った自由研究的な調査をおこなったことも。

大鹿村中心部に向かう途中にある小渋ダム。ここは訪れたことがなかったので道中立ち寄ってみた。まずはダム天端に立つ。しかしダム見学において堰堤上というものはあまりよろしくない。自身がダム本体上に立つのでダム本体の全容をうかがい知ることができないのだ。ふと上を見上げると頭上の断崖に林道のようなものが見えた。あの場所から小渋ダム全景を俯瞰できるかもしれないと車に乗り込みんだ。

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数分後、彩り取りの紅葉に包まれるダム湖、堰高105mに及ぶアーチ式コンクリートダムを俯瞰することができた。小渋ダム自体はそれなりに古く、このような薄いコンクリートが50年に亘り膨大な水を支え続けてる姿に驚かされた。
小渋川上流の大鹿村は地盤の弱さ故崩落が激しい箇所。崩落箇所から流入する堆砂の影響なのかダム湖は透明度のないグレ一色だった。



ダム湖から離れ大鹿村最深部へ。道は次第に狭まり池へと続く林道に入った。この林道中峰黒川線を走るのも数十回目。標高が増すと空の青さがみるみる深まり同時に狭い林道は紅葉に包まれる。やがて周囲の色彩は黄色からオレンジ色へと変化、数時間前、対岸から眺めたカラマツの樹林帯へ突入したのだ。

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オレンジ色の林道を上り続け天空の池入口となる黒川牧場へ到着。すでに標高は1,700m。西側からは中央アルプスの稜線が顔を覗かせ始めた。牧場と言っても我々が想像するなだらかなものではなく山の斜面で放牧を行う山岳牧場。ただし現在は閉鎖されているのか10数年前から一度たりとも牛の姿を見たことがないのだが。



ここから道は一気にハードなものへと変化するため気合いを入れて急坂へ車を乗り入れた。しかし拍子抜けしてしまった。なんと道は劇的に改善されていたのだ。以前は余韻もなくいきなり始まる急傾斜ダートに驚かされたアプローチは舗装されガードレールまで設置されていた。
ただ安心できるのも最初の数百メートル。道はここから本性を現す。土埃を巻き上げ狭いダート道を低速でひたすら登り続ける。

長野県大鹿村天空の池地図1912tenkunoikemap.jpg

A地点。道はここで一旦傾斜を緩め、さらには車を停めるスペースもあるため一息漬ける場所。眼下には牛の水飲み場として使われた円い池が見える。
11月の本日、紅葉に包まれたこの場所も夏場は一転、このように緑に包まれたさわやかな雰囲気となる。
[夏の写真は2015年7月]
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一方上を見上げると空に吸い込まれてしまいそうな高度感、どこまでも続く道。池は草原のさらに上。



延々と続くようなダートの急坂。傾斜はさらに増し深い砂利にハンドルを取られながらあえぐように四輪駆動で登り続けた。初めて天空の池を訪れた際にはネット上に池の情報はほとんどなかったため本当にこの先に池があるのかと、引き返した方が良いのだろうか、と何度も自問したものだ。対向車が現れないことを願いながら登り続け最後のカーブを曲がりきった。


ついに頂に到着した。2年ぶりの天空の池。先ほどまでの傾斜が嘘のように緩やかな草原が広がり、その中心に小さな池がひとつ。周辺に他の車やバイクは存在せず池は静まりかえっていた。
夏場は緑に包まれる草原は晩秋のこの季節、茶色く枯れ果てている。また乾期のためか池自体の水量は少なく水際から数メートルばかりはぬかるんだ泥が広がる池塘のような湿地となっていた。

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オレンジ色のカラマツの林ははるか眼下となった。この場所はすでにカラマツが生息できる標高を超えている。
数時間前、池のある黒川牧場を見上げた松川町のリンゴ畑は午後の強い逆光に包まれ視認できず。天空の池で車やバイクを池の畔に停め水面に映り込む鏡面写真を撮ろうと思ったら朝から午前中がオススメ。早朝は池は稜線の影となり、また午後は逆光となるためシルエットとなってしまう。それはそれで印象的な写真ではあるのだが。



さて今回の訪問目的はこの高所から眺める夕景なので日没まで腰を据えて待つことにした。 
車を空き地に停めると池の畔を散策したり裏山の斜面で藪こぎをしたり。この場所、これまでに何度訪れたことだろう。誰もいなかった無名の時代、夏の緑の草原、濃霧、夕景、池の畔での車中泊。夜景、星空。

過去の徘徊記録

今回湖畔に滞在していた半日ほどの間、この場所を訪れたのはバイク一台だけだった。池の畔にバイクを立て対岸に三脚を設置、リフレクションとなったバイクと自身の姿を撮ろうとしているが10秒ほどのセルフタイマーでは全速で戻っても間に合わない。四苦八苦しているのを見かねてカメラを借りるといろんなパターンで写真を撮ってあげた。
彼と話しているうちに次第に日が傾き丘陵や深い轍が立体的に浮かび上がる。

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午後4時。
絶え間なく吹いていた微風がぴたりと止んだ。同時にさざ波だっていた池の湖面が水鏡のように空と草原を映し出した。天空の池は泥混じりのわずか10mたらずの小さなもの。上空に青空が広がることで水面が空色を反射し青く染まる。音もなく静まりかえった空間。時折小さな波紋が広がっていく。この小さな池にも何らかの生物が生息しているのだろうか。
それにしても今日の天空の池は温かい。晩秋11月の標高2,000m、凍えそうな気温を予想してきたが風がないためか、日だまりのためか高山と思えないほどの平和な時間。

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午後4時30分。
バイクが去った草原に腰を下ろしぼんやりとしていると遙か下からゴロゴロというタイヤが石を踏む音が近付いてきた。なんらかの車両が池を目指しダート坂を必死に登っているに違いない。池のある平地に現れたのは軽トラだった。夕日の写真を撮りに来たという軽トラの地元男性と池の畔に立ち共に夕日を待つ。

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日中はまるで時間が止まったかのような悠長な太陽の動きだったが、地平線に近付くとその動きは一気に加速、夕日は中央アルプス稜線へとみるみる沈んでいく。草原を最後の光で照らしだし池の周囲はオレンジ色の光に包まれた。今回の徘徊の最後を飾るにふさわしい夕景。



ここ数年の恒例となった晩秋徘徊記。2016年秋は東シナ海に浮かぶ無人島野崎島からの夕景、2017年秋は北海道の原野や廃墟で夕日に包まれ、2018年秋は佐渡島から夕景を眺めた。そして昨日の眺めた牧場の廃屋が点在する荒涼とした原野からの夕景に続き天空の池からの夕景。秋の徘徊はいつも見事な夕景に恵まれる。

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よく書いているように自分は夕日単体よりも日没後に空に広がる夕景が好きだ。池を見下ろす高台にじっと立ち待つこと20分あまり、上空の広大な空に鮮やかなグラデーションが広がった。黒と赤の世界。池の湖面が空を反射しわずかに浮かび上がる。
やがて西の空に残っていたかすかな赤みも消え去り天空の池は闇と寒さに包まれた。新潟長野群馬の怪しげなスポットを走り回った2019年晩秋徘徊記録もここで終了。



20時。
この時間、本来ならば遙か眼下に輝く飯田市の夜景の中を走っているはずだが、なぜかまだ池の畔に車と共に残っている。

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夕景を眺めた後、帰路につもりだったが立ち去る気持ちが起こらず久しぶりにこの場所で星でも見ようと思い立ったのだ。軽トラの男性は日没後池を去ったため再びこの広大な空間にだた一人。夜空にはすでにいつくかの星が瞬きはじめている。

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それにしてもいつもならば浮かび上がるはずの星がいつまで待っても一向に増える気配がない。天候は湿気もなく澄み切った秋空、視界も良好。
何年かの夏、この天空の池の畔で過ごした夜のように湖面に映し出されるほどの満天の星に覆われても良いはずだ。しかし闇は増すどころか時間の経過と共に周辺は薄明るく、さらには足元の草原には夜にもかかわらず自分の影が落ちていることに気がついた。

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振り返ると青白い満月が背後にそびえる黒河山の稜線に登ったところだった。煌々と静かに照らす余りに明るい月。一向に星空が広がらないわけだ。深く考えず徘徊ついでに適当に池を訪れたため月の満ち欠けまではチェックしていなかった・・・。
冬期通行止めもまもなく、再び林道が開通する2020年5月まで天空の池は長い冬の眠りにつく。

[了]


●2019年5月某日/島、廃校、廃鉱、2019GW中国山地徘徊記.02

  • 2019/07/13 20:41
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中国地方の山中に秘められた某鉱山跡を目指した2019ゴールデンウィーク。
道中、瀬戸内海に浮かぶ廃墟の島、犬島に宿泊、島に残された廃校で一夜を明かした。
道中先は長い、そろそろ島をあとにするかと戻った犬島港で驚かされた。
小さな桟橋は昨日を遥かに上回る人の波。


photo:Canon eos7d 15-85mm

前回の記事

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久しぶりの犬島。二日目は暇を持て余し廃校脇の岸壁で釣りに挑戦したが釣果ゼロ。釣りのセンスのなさに嫌になる。捕れるものはといえばカニばかり・・・。
本日はGWの佳境、桟橋から眺めていると乗客を満載した船が宝伝港だけではなく近隣の直島からも続々と犬島港に到着する。時刻表に掲載されていない時間にも到着しているところを見ると臨時便が運行されているのだろう。

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地元の方から「今日か明日あたり犬島は人の重みで沈んでしまう」と冗談まじりで言われたがこの小島に数千人の来島者はあきらかにキャパオーバー。このままではいつ帰れるのか不安になったため早めの船便で島を後にすることにした。もちろんこれで今回の徘徊完了ではない。2019年GWの本来の目的地は山中に残る鉱山跡なのだ。



岡山県北部。昼過ぎの便で犬島から本土へ帰還し岡山県内陸部の北上を続けた。高さはそれほどでもないが、いくつもの県にまたがる広大な中国山地。そんな山中に残る廃校を目指す。
この廃校、実は2011年に行った中国地方徘徊の際に探したことがあったのだが見つけ出す事ができなかった物件。さすがにこの8年の間に解体されたのでは、と駄目もとで現地に到着。すると徒歩で急坂を登り続けた高台に木造校舎がまだ残されていた。

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雑草に覆われた校庭、その奥にある新緑に包まれた平屋の木造校舎。一見よく保存されているかに見えるが実際には屋根、壁共、崩れかけている。校舎は高台にあるためふもとからは視認する事ができない。前回見つけ出す事ができなかったのもうなずける立地。門から見下ろすとこの地域の特長であるオレンジ色の瓦をのせた日本家屋が里山に点在しているのがよく見えた。



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どこまでも続く深い山。
広島、岡山、鳥取、三つの県境が交わる中国山地最深部の名もなき林道を走りつづける。林道は時折小さな集落を通過する。庭先で座り込む老人は、ひょっこり現れた場違いなナンバープレートの車をじっと見つめ続ける。



小学生の頃、全国的にブームになった児童文学に「ズッコケ三人組」シリーズというものがあった。全50巻に及ぶそのシリーズの中で児童文学らしからぬストーリーで異彩を放っていた巻が初期の名作「ズッコケ山賊修行中」である。軽めのタイトルと漫画タッチのイラストとは裏腹に内容はなかなかディープで、未だトラウマとなっている巻だ。

舞台は中国地方山間部。ドライブに出かけた小学生の主人公三人が、山中の林道で「土ぐも族」を名乗る集団に拉致されるところから話は始まる。三人は山賊のような身なりをした「土ぐも」一族と洞窟内に密かに築かれたコミュニティで原始的な集団生活を送ることになるのだがこの話の真の恐ろしさは、一見のどかに見える中国地方の山村が数百年にわたり、「土ぐも」の宗教的支配を受け続けているのだ、という設定である。

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土ぐも族自体は土ぐも様を長とした100人ほどの小規模な集団。しかし周囲の山村で生活を営む人々は皆「土ぐも」の宗教的影響下に置かれ、それを代々受け継がれてきた田舎の風習として何の疑いもなく受け入れている。
ドライブ中、主人公達は村人の手引きによって知らず知らずのうちに「土ぐも」影響下の村へ導かれていた。一旦は脱走を図った三人だったが「土ぐも族」が中国山地に密かに築き上げたネットワークによってたちまち連れ戻されてしまう。最も安全な避難先だと思われた田舎の駐在所の警察官、その一家までもが「土ぐも」支配下だったと判明する瞬間は子供心に衝撃を覚えたものだ。
結局三人は「土ぐも族」が各地の村々へ連絡用として繋げた間部と呼ばれる坑道を利用し脱出に成功するのであるが、地上に出たその場所は広島、岡山県境(作中では稲穂県、岡島県)の山村にある神社裏であった。中国山地の山々に時折現れる集落が「土ぐも」影響下になっているのだと思うとぞっとしてしまう。



発行から30年ほどたって「ズッコケ山賊修行中」の続編が出た。成長した大人の観点や報道を通し民俗学的に「土ぐも」の謎を解明していく様子がリアルに描かれる。児童板では触れられていなかった細かい設定が興味深い。さらには内ゲバと支配下の村々の反乱によってコミュニティが崩壊する悲劇的なラストに大人になった自分は再び衝撃を受けてしまった。


※ここから先は勝手な自由研究なので飛ばしてください。


広島市がモデルとされる稲穂県ミドリ市を舞台にしたズッコケ三人組シリーズ。作中にはしばしば実在の場所を連想させる架空の地名が登場する。その中でも特に「ズッコケ山賊修行中・続編」においては報道や調査過程の中で詳細な日時や実在に近い地名も登場するため拉致、アジト、脱出経路などの事件現場をリアルに絞り込む事ができる。

もちろんズッコケ山賊修行中が架空の話だということは理解しつつも子ども時代、頭を悩ませた謎のひとつが土ぐも族の本拠地「くらみ谷」があった場所だ。「くらみ谷」は人跡未踏の渓谷の中州にあったとされる。まずはその場所を続編から拾い出し地図に落として行こう。

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三人組拉致事件が発生したのは1978年の12月7日。
知り合いの大学生が運転する車で勝川峡へ紅葉狩りドライブに行った帰路の道迷いがきっかけだった。勝川峡とは有名な景勝地帝釈峡がモデルだろう。解明編から読み取って行くと舞台は作中に登場する中国自動車道の新美インター(新見インター)と藤城インター(東城インター)の間のようだ。
土ぐも族の本拠地があった渓谷は三国山を源流とした三国川上流と解明されており、この三国山は岡山県、鳥取県が交わる中国山地に実在する。二つのインターと三国山を結ぶ三角形の中の「くらみ谷」があるはずだ。

「くらみ谷」への直接のアクセス路は当然存在せず、上記地図のように林道経由で三国川上流へ入り、釣り人も立ち入らない渓谷をひたすら遡上する必要がある。また断崖に掘られた洞窟が生活拠点だったため空撮にも写らず近年まで人目に触れることはなかった。土ぐも族は外部との関係を絶ち、隠れるように暮らしている訳ではなく現在においても間部と呼ばれる坑道を利用し、物資の搬入、祭事による村々の支配を積極的に行っていた。このあたりの設定、吉村昭氏の小説「水の葬列」に登場するダムに沈む秘境集落を彷彿とさせる。

なにげなく手元の地図を見ていてぞっとする。現在車を走らせている林道はアジトがあったとされる三国山麓。木々の合間からは見渡す限りの山々と点在する民家が見える。これらの集落は既に土ぐも様の影響下に置かれているのではないか。先ほど車を見つめていた老人によってすでに通報されてしまったに違いない。そのうち林道を塞ぐように「土ぐも族」が現れるのではなかろうか・・・。

自分の育った田舎にも得体の知れない儀式があった。定期的に集落の大人達が家に集い神棚に貼ったお札に向かい祈りを唱え会食が行われる。自分の家の順番になると準備を手伝いながらすき間からその祈りを覗くのであるが子供心にも不思議な印象の儀式だっだ。「土ぐも」教に限らず田舎には土着の宗教の宝庫なのである。



例によってくだらない妄想に長時間ふけりながら離合不可能の林道を延々と走り、気がつくと山中の県境を越え、岡山から広島県へ。峠を下って行くと視界が開け水が張られた田んぼを包み込むように10棟ほどの民家が点在する集落に到着した。

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集落を見下ろす高台にある建物は廃校となった小学校跡。
ここが今夜の宿泊先となる。犬島についで連続の廃校宿泊。老朽化していた校舎建物が改装され簡易的な宿泊施設として再利用されており非常にきれい、そして激安。貼られていた古写真によれば二つの木造校舎があったようで、現在は一方を宿泊棟、もう一方が自炊棟に改装されている。

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磨き込まれた床板に窓枠の影が写り込む。教室跡には黒板など当時の学校の面影となる当時のものがわずかながら残されている。



廃校管理人の方が人知れず流れ落ちる滝に連れて行ってくれるというので車の助手席に乗り込んだ。廃校から滝までは細い林道が続く。地元だけあってさすがに慣れたもので山奥の曲がりくねった林道をかなり飛ばす。カーブ向こうの対向車の有無をまったく気にしないローカル運転に恐ろしい思いをしながら林道奥にある滝付近に到着。そこから谷間を徒歩で下った山中に想像以上に大きな滝が冷たい飛沫を吹き上げ流れ落ちていた。滝も良いが個人的には気を引いたのが滝壺脇に残されていた水力発電所跡。

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薄汚れた窓ガラスを通して茶色く錆び付いた発電機がわずかに見える。水力発電所としては小規模のものだが滝の上流の蛇行部分には取水口も残されており、なかなか良いですねと伝えるがこちらにはあまり関心がないようだ。蛇行を繰り返すこのこの川は森の中で滝となって流れ落ちるている。滝が作り出す高低差を利用し発電が行われていたようだ。滝、蛇行、林道、また土ぐも族が頭に浮かんでしまった。



廃校は素泊まり。食事はもちろん自炊のため、数時間前、新見あたりのスーパーで買い込んでおいた食材を用意。校舎を改装した調理場で適当な自炊。新見辺りのスーパーを最後にここに辿り着くまでの間、一軒のコンビニも商店も目にしなかった。あらかじめ食材を買っておいて本当に良かった。

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田んぼに囲まれた小さな集落は日が暮れるとカエルの大合唱に包まれる。犬島から岡山を経由して現在地は広島県山間部。鳥取県も近い。廃鉱山にかなり接近、明日はいよいよ目的地への到達予定日だ。



GW三日目
緑溢れる中国山地。目的地の廃鉱山が次第に近づき胸を高まらせながらハンドルを握り北上を続けた。標高が増すにつれ季節が逆戻りを始めた。鮮やかな新緑は薄まり道路脇の桜が満開となっている。やがて道は中国山地を南北に分断する分水嶺をこえ日本海側、鳥取県へ入った。

峠を日本海側へと下った山中にある集落、その外れに廃校となった小学校がある。廃校の駐車場に車を停め人と待ち合わせる。目的地の鉱山はクローム鉄鉱を採掘し90年以上の歴史を持つ鉱山は海外鉱との競合に敗れ休山となったもの。休山と言っても事実上の閉山状態のため現在は鉱山施設は朽ち行くまま廃墟となっていると言う。

休山後、鉱山管理を委託されている案内人の方と合流、その方の車に乗り込み山へと向かった。車は沢沿いに山道を走り高度を上げて行く。しばらく走り続けると山道は通行止となってゲートで封鎖されていた。ここからは徒歩で鉱山跡へ向かう。

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鉱山跡からはかなり手前の地点で道がなぜ封鎖されているのか、その謎はすぐに解けた。
歩き始めてわずか数分で舗装されていた路面は大きく荒れ始めた。水が削り込んだ深い轍、路肩は谷へと大きく崩れ去り車どころか徒歩でもおぼつかない箇所もある。渓流の音が響き渡る道を右へ左へと迂回しながら登り続けた。
木々が途切れると正面にそびえる山の斜面に緑に包まれた錆び付いた建物が見えた。

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若松鉱山廃墟1905wkouzan0102.jpg

見上げるような高所にある建物を目指し坂道を登り続け目的地の鉱山へついに到着。建物直下に建った。

先程見上げた建物は鉱山のごく一部。鉱山全容は窺い知れないが上部や木の裏などにもさらに多くの建物が眠っているようだ。正面には増築を繰り返したかのような複雑な茶褐色の施設がそびえている。
目の前の壁面には筆文字で機械選鉱場と書かれた建物がある。到着も早々にさっそく建物内部へと足を踏み入れた。

[続く]

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