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●2021年2月某日/廃洋館での光と影。安田民俗資料館で見た刹那の光景。

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暗雲流れ、雪まじりのみぞれが舞い散る冬の新潟平野。
薄暗い世界が続く平野の端に古びた洋館が立ち並ぶ一画がある。
歴史を感じさせる建築物は一方で老朽化が進み廃墟のようにも見える。
ここはかつて近代建築を一堂に集め公開したものの、現在は半ば放置されてしまった資料館。
意匠を凝らして作られた素晴らしい戦前建築と廃空間のギャップに魅了され
久しぶりに「近代建築」のジャンルに追加。

photo:Canon eos7d 15-85mm


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みぞれが降り注ぐ彩度の低い空間。頭上を覆っていた暗雲が流れ去り、太陽光が射し込んだことで、凍えそうな灰色の光景は一変した。

周囲を包み込む西日。光と影、強いコントラストの世界。突如射し込んだ眩いばかりの日射しに目が慣れず、古びた洋館に囲まれたこの場所でまるで白昼夢を見ているかのような不思議な感覚に陥ってしまう。

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ここは新潟平野の端。安田民俗資料館として一応地元の観光ガイドマップにも掲載されている場所。
ところが現在は半ば放置されており、老朽化が進んだ建物によって廃墟のような雰囲気を醸し出している。検索してもその雰囲気に惹かれ訪れる人はそれなりにいるようで自分も移動中立ち寄ってみた。

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資料館は近隣各所から移設された三つの洋館で構成されている。
狭い敷地ではあるものの、互いに向き合う洋館同士の位置取りが絶妙。三方向に建つ建物が周囲の光景を遮りさらに白昼夢のような西日も相まってか一瞬当時にタイムスリップしたかのような気持ちに陥る。

ただしそれもつかの間、トラックの走行音で我に返る。掲載した写真はトリミングされているが、実際の資料館は交通量が多い幹線道路の真横、また裏には高速道路も走る意外と近代的な立地なのだ。

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かつてこれら三棟の洋館は民具に代表される当時の生活用品を展示する資料館になっており、見学もできたようだが現在は封鎖され内部へ立ち入ることはできない。汚れたガラス越しに内部を覗くと当時の展示物が埃をかぶり雑多に詰め込まれているのが見える。

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裏手に置かれたレトロな車両。
雨ざらしの状態で展示された車両は建物と同じく朽ち果てている。傾いた説明看板を読むとこの車両はかつて近隣を走っていた鉄道車両とのこと。廃線後、鉄道会社から車両を譲り受け展示が行われていたようだ。

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車両脇に建つ洋館は大正時代の駅舎跡。移設した駅と車両のセットで昔の鉄道に思いを馳せる、という仕掛けだったのかも知れない。



ホームを模した枕木の段を上り、割れた窓から車両内を確認。内部は吹き込む雨風の影響か荒れ果て、車両のシートには苔が密生、柔らかそうな「緑の椅子」を作り出していた。

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安田民俗資料館は自治体が運営する施設ではなく個人経営の資料館。このように個人がコレクションしたものを展示している場所は国内にわりとある。その意欲に感心する反面、様々な理由で放置されている場所も多い。公共施設としての存在意義がある公の施設と違い、維持費の捻出も次第に困難となってくるのだろう。

ここが放置された事情は知らないが、仮に再開するにしても耐震基準に準じて洋館の改修を迫られる可能性が高い。廃校に代表される大型木造建築物や屋外展示車両の維持管理の困難さは当然認識しており安易に保存しようとは言い出せない。



運営者は老朽化や廃線によって失われゆく地元の建物や鉄道車両を見かね私財を投じて収集を続け安田民俗資料館として公開していたのだろう。地元愛と文化遺産への熱い思いを感じる場所だった。
今回の記事を書くにあたり、朽ち果てた現場を目の当たりにして、廃墟など棄てられた場所を紹介する「マニアックスポット」として登録しようと考えていたが、雰囲気の素晴らしさに「近代建築」としてジャンルに登録。

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一体を照らし出す強い西日が陰った。見上げると青い冬空を割り込み、再び彼方から迫ってくる分厚い雪雲が見えた。
強い西日が作り出した白昼夢のような世界もわずか30分ほどで終了、バラバラと降り出したみぞれを受け車へと逃げ込み追われるように次の目的地へと撤退した。

[了]
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●2013年3月某日/旧マッケンジー邸

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戦前に建てられたという古い洋館が公開されているというので訪れてみた。
周辺のイチゴ狩り渋滞に巻き込まれなんとかたどり着いた建物は
海沿いに立つ2階建ての洋館、旧マッケンジー邸。


photo:Canon eos7d 15-85mm

陽光溢れる駿河湾を望む海岸線。そんな抜群の立地に建つのは貿易商社に努めるアメリカ人、マッケンジー夫妻が建てた洋館。その名をとってマッケンジー邸と呼ばる白い壁、オレンジ色の屋根のいくつかの建物の集合体。
設計は有名な建築家ヴォーリズ。彼の設計した建物は滋賀県をでよく見かけた。

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驚かされたのはマッケンジー邸の竣工時期。なんと1940年、太平洋戦争開戦までわずか。日米関係に暗雲立ちこめ対米感情が悪化しつつあったこの時期にこのような目立つ豪邸をよく建てることができたものだ。そして1941年真珠湾奇襲。アメリカ人夫婦がこの家に住むことができたのはわずかな時間だったのではないのだろうか。



一階の大食堂壁面にあったモチーフ。シンプルで直線的な形状が妙に気に入ってしまいしばらく眺めていた。

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モチーフ脇にはマッケンジー邸建設中のモノクロ写真。海岸線の地形は現在とさほど変わらないが、邸宅周囲に建つ一般民家はすべて茅葺き屋根。そんな場所に作られたこの洋館は当時、圧倒的な存在感を放っていたことだろう。



全体的に薄いブルーやグリーンが多用されている水回り。ともすれば冷たい印象になってしまいそうだが窓から差し込む陽射しのせいか意外に明るい雰囲気だ。この部屋はもちろん浴室やトイレと言った部屋にまで暖房用ラジエーターまで設置されている豪華っぷり。

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アメリカの豊かさの象徴、冷蔵庫や乾燥機のようなも巨大家電が残された台所、いやキッチンといった方が良いだろう。現在では当たり前の通信販売、アメリカでは戦前から盛んだった。雑誌を見た奥様の電話一本で大型冷蔵庫や乾燥機が即座に自宅に配送されてくる。そんな記録映像を見て驚いたことがある。当時の日本からはとても想像もつかないような世界。

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山本五十六が海軍武官として滞米中驚かされたこと。それは街角の喫茶店でコーヒーを頼むと砂糖が入れ放題だったこと。今では当たり前のこのシステム、貧しかった当時の日本では砂糖というものは希少品扱いであった。
アメリカの国力に驚かされた山本は、その力を少しでも削減すべく滞米中、喫茶店での砂糖大量消費に努めたという。そんなエピソードからも伺えるように日米の生活力の差は軍事力の差以上に計り知れないものがあった。



冬の青空に生える白い壁、葉。アメリカというよりどこかスペインを感じてしまう外観。説明を読むと当時流行していたスパニッシュスタイルと呼ばれる様式なのだそうだ。

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完成直後に日米開戦となってしまったこの邸宅。マッケンジー夫妻も開戦後アメリカへと帰国したという。他の在留米国人と共におそらく中立国経由の交換船によってアメリカ本国へ強制送還されたのだろう。

ところが戦後、夫妻は再来日し、夫亡き後も1970年代までこの家で余生を過ごしたとあった。この地とこの家を気に入っていたのだろう。どこかほっとさせられるエピソードでもある。

[了]

●2012年4月某日/浄水場跡、診療所跡、役場跡、三つの近代建築を巡る

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東海方面に向かう機会があったので三つの近代建築を一挙に訪れた。
かつての浄水場跡、病院跡、役場跡と趣向が違う建物を順に紹介。


photo:Canon eos7d 15-85mm

[旧浄水場跡編]

高速を走り続け浄水場跡に到着。この浄水場、施設の多くは数十年前に閉鎖され現在は使用されていないものが多い。緑に囲まれた広大な敷地内に点在する古びた建物をフェンス越しに見ることができる。今回、建物見学会が開かれると聞き現地を訪れたのだ。受付を済ませ正門から場内へと入る。

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戦前に建設された浄水場は長らく街に水を供給し続けてきたが1970年代に閉鎖。それから40年あまりたった今でも当時の施設がそのままの姿を残している。上記写真は一旦濾過された水を一旦貯蔵する配水池と呼ばれるもの。明治神宮外苑にある聖徳記念絵画館を思わせる細かい意匠が特徴的な外観。



今回の見所はポンプ室。敷地内に点在する各施設を回り、いよいよ内部へ。

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周囲のガラス窓から光が射し込み思いのほか明るい室内には、埃をかぶったレトロなポンプが所狭しと残されている。一旦部屋に集められた水は、設置されたポンプによって加圧され市内各所へ送水されていたという。



配管の各所には英文の刻印が刻まれている。ここに限らず戦前に建設された古い発電所や鉱山を見学すると発電機、ボイラーなど最も重要な核心部分はそのほとんどが欧米からの輸入品だと気付かされる。当時の日本にはこのようなものを作り出す技術がまだなかったのだ。

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機械以外にも周囲を取り囲む壁面のアーチ窓、各所の彫刻を始めとする細かい装飾も見応えがある場所。
ここに限らず戦前に建築された公共施設は本来の機能以外の部分、特に装飾に非常にこったものが多い。現在では一見地味にも思える浄水施設も、当時は最新鋭の施設として設計者の思い入れも相当のものだったのだに違いない。

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[旧病院編]

続いて訪れたのは旧宿場風の住宅街に立地している白い建物。ここはかつての診療所跡。扉を開け中にはいると常駐している係員の方が暖かい緑茶でもてなしてくれた。

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建物は和風建築と洋風建築の組み合わせ。まず洋館の居住部分を見学。日差しが差し込むソファーが並ぶ小部屋は眠気を誘われるどこか懐かしい雰囲気。狭い急階段を上った先には豪華な欄間と襖が印象的な和室が残されていた。



続いて1階に戻り病棟側へ。試験管やビーカーが並ぶ薄暗い室内は先程の暖かった居住スペースとは対照的な雰囲気。
係員の話ではここは長らく放置状態となっており再建するだけでも多額の費用が必要だったとのこと。特に床下など普段目につかない箇所の痛みが最も酷かったという。

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古い建築物を文化遺産として残して欲しいといった声はよく耳にする。確かに廃墟でも是非残したい!と思わせる素晴らしい建築物にも出会うこともある。しかし人の住まない建物は「維持」に最も金がかかるもの。徳に個人所有の古い建物を維持保存していくことの困難さを改めて思い知らされた。


[旧役場編]

続いて山裾にある小さな町を訪れた。到着したのは明治期に建築された古びた木造の役場。

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現在は資料館として開放されており内部には昔の農機具などが所狭しと展示されている。展示品を眺めていると今度は受付の方からミカンをいただいた。

[了]

●2012年3月某日/姫路城大天守改修工事見学

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2012年、兵庫県の姫路城では老朽化した天守の大改修工事が行われている。
一般観光客ならば訪れた姫路城で天守の姿を見ることができず失望するところだろう。
しかし城マニアは違う。50年に一度と言われるまたとない機会を逃すわけにはいかないと
深夜、高速道路をひた走り久しぶりに姫路城を訪れた。


photo:Canon eos7d 15-85mm

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深夜の高速道路にて北朝鮮のミサイル破壊措置命令を受け西へと展開するPAC3の車列を追い抜く。前回発射されたミサイルが日本列島の上空を通過した、2009年のあの日は、山中のとある廃校にいたことを思い出す。



姫路城。
いつも訪れても当たり前のようにそびえていた白い天守の姿はそこにはなく、代わりに巨大な箱が存在している。

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この「箱」を見た瞬間頭に浮かんだのが、クリストとジャンヌクロード。パリの橋、ドイツの議事堂始め建造物を巨大な白い布で覆ってしまい賛否両論を巻き起こし続けるアーティストだ。少し前に東京で開かれた特別展を訪れた時の印象がまだ残っていたのかもしれない。



姫路城の巨大な箱はもちろんアート等ではなく天守改修工事のため足場として設置されたもの。工事を見学するため仮設エレベータに乗って最上階へ。この位置から間近に天守を眺めることは工事中の現在でなければ不可能。

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さて城の中心に位置する高層建造物、天守といえば城、いやその国、藩のシンボルとも言えよう。「殿様が毎日登っては遠眼鏡で城下を眺めご満悦」というイメージが強い天守、しかしその実態は違っていたようだ。

先日読んだマニアックな歴史本によれば、城内の最高権力者である藩主ですら気軽に登ることができなかったようで、ある日、突然天守に登りたいと言い始めた藩主に家臣一同大いに困り、あわてて鍵をさがしたり、書類を作ったり、といった記述がなされた日記が残されているという。
現代の自分たちから見れば歴史遺産である天守。しかし運用中の江戸時代ですら既に歴史の一部と化していたようで、開かずの間、鍵がなく開けられない箱、何を祭ってあるのか誰も知らない社、など当時から謎の存在だったとか。

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さらに江戸時代末期になると、いずれの藩も財政難に陥りメンテナンスもままならず城は廃墟のような状態に陥ってしまった。幕末に撮影された古写真を見ると幕政の中心、江戸城ですら城壁がはがれボロボロの状態だったことがわかる。地方藩においては人の出入りがない天守の老朽化は深刻。怪談話まで持ち上がり、誰も寄り付かず建物は朽ち果て悲惨な状態に陥ってしまったという。



城内を見下ろすと複雑な姫路城の構造がよくわかる。興味を惹かれるのは天守単体ではなく、入り組む郭が構成する集合体。城郭プラモにはまった幼少期も、江戸城に代表される天守がぽつんと寂しく立つ城より、郭が立体的に複雑に入り組む平山城が好きだったことを思い出した。

以前メモ帳の裏に描いた下手なイラストが出てきた。どうやら日本の城の移り変わりを描いたものらしい。
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↑戦国時代の城はこの程度だ。土塁と櫓がある位で天守はまだ存在しない。
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↑城を攻め落とした新しい城主が古城を破壊、埋め立て、石垣を築き新たな城を築城していく。立地が良い場所にはすでに城が建てられているため、その上に新たな城が築かれることはよくあった。姫路城もそのひとつ。城を発掘すると石垣の下からさらに古い城が発見されるのはこのような訳だ。

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↑先ほどの古城を壊した上に築城、できあがった妄想城。時代は織豊時代後期か?石垣積みの技術が確立、川の流れも変えられ戦国時代の山の面影はどこにも残されていない。


設計者が試行錯誤を重ね奇抜かつ独創的な外観が多数生まれた日本の天守。しかし黄金期の安土桃山時代も過ぎ去り江戸時代に入ると、デザインの方向性が定まったのか、個性が消え去り白壁、三〜五層といった方向性が定着、シンプルなデザインに陥り魅力は半減していく。バブル期に建てられた無駄な空間、装飾を多用した建物が次第に無機質な外観へと変化していった高層ビル建築の歴史とも重なるようだ。
日本の城イラスト04.jpg↑大戦末期1945年、B29から投下された焼夷弾によって炎上、石垣のみが残った妄想城


さて明治維新がおこり本当の意味で国が統一されると城の必要性は消滅し天守や櫓、御殿は解体され、木材は二束三文で売り飛ばされた。城を残しておけば将来、文化財になるとは当時想像することは難しかっただろう。さらに跡地に師団が設置された城も多く軍事目標となった結果、わずかに残った天守も米軍の空襲でそのほとんどが炎上してしまったのだ。
名古屋城本丸が焼け残っていたら世界遺産クラスの存在だったはず。姫路市も空襲を受けたものの城は奇跡的に燃え残り、やがて世界遺産に指定されることとなった。

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戦後、時代が落ち着きを取り戻すと、わずか12ヵ所を残し消滅してしまった天守を再建しようという動きが起こり天守台にコンクリート製天守が雨後の竹の子のように建てられていく。これら「復元」された天守の中にはエレベーターまで備えられたものまであり「本物」とはほど遠い存在。
国もその後「偽天守」を認めない方針へ変わり、ここ20年ほどの間に建てられた天守は当時の図面や古写真を元にした木造復元となっている。とはいえ木造復元は建築基準も厳しくまた高額。コンクリート天守復元は時代背景を考えれば仕方がないのかなと思える面もある。

最も失望してしまう城跡、それは「嘘天守」。当時存在すらしなかった天守が町おこしの名目でいくつも建てられてきた。ありもしない天守を建てるぐらいならば石垣だけで充分。
以前訪れた下記写真の竹田城は天守どころか櫓、門のひとつもない城跡だったが圧倒的な存在感だった。

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そんな妄想を膨らませながら城内を一周、最後に敷地内にある遊園地に足を踏み入れる。
先ほど天守の足場から眼下に見えた怪しいこの場所が気になっていたのだ。園内には昭和の雰囲気を残すレトロな遊具が処狭しと並んでいる。

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カラフルな塗装、無人のままガラガラと音を立て動く遊具。背後にそびえるクリスト&ジャンヌクロード風の姫路城。違和感溢れる光景。
姫路城を訪れることがあればぜひ城内遊園地とセットで訪れていただきたい。このような不思議な雰囲気をわずか200円で味わうことができる。

[了]

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