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●2021年1月某日/消えゆく街と残る街、東西再開発の光景

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朽ち果て忘れられた廃空間を眺めると同時に、新しく産み出される空間を眺めるのも好きだ。
以前より大阪を中心に再開発の現場を徘徊、手元には写真が貯まってきた。
しかし棄てられた空間と違い、対象は目まぐるしく変化していく光景。
そのため掲載タイミングも難しく、特にアップするつもりもなかったが
時期と場所を絞って2019年から2020年冬にかけて見た
各所の光景をいくつかピックアップ。残り続ける景観と共に掲載。


photo:Canon eos7d 15-85mm

【岐阜駅編】
冬の某日、東海道線で岐阜駅前へと降り立った。寒風吹きあれる駅前北口広場には人の気配はほとんどない。
駅前道路を跨ぐ歩道橋から見下ろすと車道を走る車もごくわずか。今日がたまたまなのか、それともこれが日常の光景なのだろうか。

岐阜駅前2012gifu01.jpg

駅前に列ぶ古びたビル群。その多くは都市計画区域の対称となっており、実際に再開発が決定すれば立て替えられることになると思われる。

そんな岐阜駅前でひときわ目を引くのは正面に立ち並ぶ派手な看板が所狭しと貼り付けられた古びたビル。一見ひとつのビルに見えるが実はいくつかのビルの集合体だ。

岐阜駅前2012gifu03.jpg

ビル壁面の大型モニターからは、ほとんど人の気配のない駅前に向かい大音量で広告が流れ続けている。一方で振り返ると見上げるような新しいタワーマンション。新旧の光景が混在する岐阜駅前に有名な繊維問屋街がある。



かつて隆盛を極めた岐阜の繊維業、その最盛期に作られた繊維問屋街。しかしそのほとんどの店のシャッターが閉じらており、以前から廃墟系スポットとしても一部の界隈で知名度が高いた場所のため、後述する名古屋駅徘徊ついでに岐阜駅を訪れたのだった。

古びたビルに挟まれた一角に商店街を思わせる繊維問屋街が口を開けている。薄暗い通路へ足を踏み入れた途端、意外にも多くの人影を感じたものの、全てマネキンだった。冬晴れにも係わらず天蓋型アーケードがあだとなって薄暗い通路の両側をシャッターが閉じられた無数の店舗が埋め尽くしている

岐阜繊維問屋街2012gifu06.jpg
岐阜繊維問屋街2012gifu08.jpg

とはいえ平日だったためかわずかながらも開かれている店舗もあり、また業者と思われる人物やトラックが出入りしている光景も目にし、繊維問屋街は決して無人という訳ではなかった。
また開業したばかりと思われるカフェもあり、世間で唄われているような廃墟街と呼ぶのは少し大げさだ。

岐阜繊維問屋街2012gifu07.jpg
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茶褐色の屋根が続く岐阜駅前の街並み。その中に割り込むように横たわる灰色の巨大な壁面。
元々は繊維問屋街の建物が密接していたようだが裏手に再開発の複合ビルが建ったことで一部が剥がされ壁面が露わとなったようだ。かつて池島炭坑で見たアパート群の光景によく似ている。



【名古屋駅編】 
2027年の品川・名古屋間の開業を目指しリニア中央新幹線名古屋駅の建設が急ピッチで進められているJR名古屋駅周辺。解体〜再開発、そんな現場を再び訪れまもなく消滅する街区を徘徊した。



これが名古屋駅の光景だ。
JPタワーJRゲートタワー建設現場1402nagoyanorth14.jpg

以前は低層ビルで埋まっていた駅前。しかしタワークレーンが設置され200mを超える超高層ビルがみるみる建設され三大都市にふさわしい洗練?された名古屋駅前。
中央に建つ円錐形のモニュメント「飛翔」は今後撤去、再整備されることで景観にさらに磨きが掛かる。

名古屋駅東口の飛翔2012nagoyaeast04.jpg
名古屋駅西口の風景比較2012nagoyawest01.jpg

さて駅を挟んだ反対側。2020年12月某日の名古屋駅西口の光景。雑居ビルや派手な看板が乱立、洗練された東口と雑多な西口、表と裏とも表されるように名古屋駅を挟んで対称的な街並みが広がる。

上記写真の西口光景、名古屋市に居住していない方にとっては名古屋をイメージさせるお馴染みのものではないのだろうか。自分自身も名古屋駅に停車中の新幹線の車窓からいつも見えるのが高層ビルが建ち並ぶ東口ではなく、西口の光景だったため、名古屋市のイメージはこの写真に代表される雑然としたものだった。



さてその名古屋駅西口では現在無数の中小雑居ビル、民家を街区をまるごと消滅させる大規模な解体工事が行われている。その理由はリニア中央新幹線名古屋駅。そのほとんどが地下工事だが、地上部でも駅建設に伴う工事用地用の取得、再開発に伴う解体工事が佳境となっている。

リニア中央新幹線名古屋駅についてはかつて詳しく紹介した事があった↓

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当時、リニアに関する情報はほとんどなく自由研究的に調べ歩き回ったもの。着工前でリニアの影も形もなかったがその後、ついにリニア名古屋駅の工事が着手、用地買収と解体工事が一気に開始された。

名古屋駅西口リニア工事解体再開開発現場2012nagoyawest09.jpg
名古屋駅西口リニア工事解体再開開発現場2012nagoyawest10.jpg

リニア名古屋駅は新幹線、在来線ホームと垂直に交わり地下深くに設置される。名古屋駅西口の一部はその予定地の上に位置している。
新幹線ホームから最も目に付く黄色の建物、K予備校。築年数も浅い新しい建物だがリニア名古屋駅のほぼ直上に位置するため解体対象となった。南側にあった式場を解体、その跡地に代替ビルを建設、碁盤の目を動かすように権利交換が行われる。



改札を出て西口裏へと回り驚かされた。隙間なく埋め尽くす雑居ビルと付随する派手な看板が所狭しと乱立していた西口裏は、更地が広がるこざっぱりとした空間へと変貌していた。

名古屋駅西口リニア工事解体再開開発現場2012nagoyawest04.jpg

解体対象となったビルは出入り口をフェンスで封鎖、屋上看板が消され、防音パネルや防音シートに覆われていく。再開発定点観測中の解体現場でみるおなじみの光景。
一棟一棟間引くように雑居ビルが消滅、手前からじわじわと更地が広がっていく。密着する建物が剥がされることで普段見られないビルの裏面が露わになっていく。通りに面する表と違い、人目につかない裏側は雑な作りのビルが多いことがわかる。



中央のビル群も看板が外され、解体用の覆い設置工事の最中だった。下記の写真に写っているビル群は全て撤去されると思われるため、これらの建物が消滅すると次の建造物が作られるまでのわずかな期間、名古屋駅までが見通せることになりそうだ。

名古屋駅西口リニア工事解体再開開発現場2012nagoyawest02.jpg
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リニア中央新幹線名古屋駅予定地1502linearnagoyastamap.jpg

リニア中央新幹線名古屋駅予定地の地図。かつて見学した都市模型に合成。現在地は「リニア名古屋駅予定地」と書かれている白抜き文字のあたり。



名古屋駅前の徒歩1分の一等地でありながら、戦前から続く小さな土地が入り組む空間でもあった名古屋駅西口。その複雑さと特殊な業態故、誰も手を出せず永遠にこの光景が続くと思われたが、一挙に消滅することになるとはリニア計画が浮上するまで思いもよらなかった。駅西の変化としてはおそらく戦後最大規模だろう。

名古屋駅西口リニア工事解体再開開発現場2012nagoyawest06.jpg
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手前の更地になった部分にもかつては民家や雑居ビルが林立していた。道路を挟んだ反対側にある神社でも敷地の一部がリニア用地にかかるため、本殿の移設が行われたばかり。

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解体が行われる一方で西口の再開発の区画外にはリニア開業を見込んでか高層のビジネスホテルが次々に開業している。また周囲には再開発でおなじみの土地暫定利用と思われる駐車場も多い。

このように解体作業は順調に進んでいるように見えるものの、再開発の正確な範囲、またリニア開業後の名古屋駅西口街のグランドデザインは未だ明らかになっておらず。どちらにせよ新幹線が名古屋駅に停車する際に必ず目にする雑多な西口の光景はまもなく消滅する。



一方、名古屋駅東口の一部でも大規模な解体が行われている。

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新幹線、在来線とほぼ垂直に交わるリニア名古屋駅地下ホームは東側にも及ぶ。雑居ビルが密集する西と違い、大型のオフィスビルやホテルが並ぶ東の解体は広大かつ高層だ。西口のように複雑ではないが、個々の作業は大規模となる。

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東口の解体はまず手前にあったレトロなTビルから行われ、ビル街にぽっかりと大きな空間が広がった。この空き地はリニア名古屋駅の地下工事区画として暫定使用される予定。その背後にあるストライプのラインが特徴的なMホテルは閉鎖、解体後、少し離れた場所で建設中のビルに移築される。

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さらに解体が決まった茶褐色のDビルに至っては区画が非常に長く複雑に伸びているため、解体後は広大な更地が現れると思われる。



リニア予定地地上部の中心を歩く。日も当たらないビルの谷間、そこに民家や山門移転が行われたばかりの寺などで埋まっている。左手のDビルは解体準備中。一方で解体ばかりではなく開業後を見込んでか、新たに建て替えられるビルも。解体ばかりではなく新築も混在するカオスのような通路。

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様々な思惑が入り交じり、西口と違い別の意味で複雑なのが東口再開発、リニア開業時にはどのような姿に変化するのだろうか。

久しぶりに紹介した名古屋駅リニア駅工事。名古屋駅駅を挟んで光景が変わる東口と西口、表と裏。
このように駅を挟んで光景が一変するのは名古屋駅に限った話ではない。それが東京駅だ。


【東京編】 

都心では各拠点の競争が激化、互いに打ち勝とうとしのぎを削り再開発が行われている。
時系列は前後するが街の変化の定点観測を行っているいくつかの場所を
ピックアップして紹介。


●東京駅八重洲再開発事業

東京駅、大阪梅田駅、名古屋駅。これらの共通点は駅舎を挟み一変する街の雰囲気だ。梅田北ヤード倉庫が埋めていた大阪駅裏はうめきた1期2期再開発によって生まれ変わろうとしている。超高層ビルが建ち並ぶ表側と対称的に雑居ビルが密集していた名古屋駅裏はリニア開業を目指し現在大規模な解体工事中。

そして東京駅。ここ10年で東京の玄関口にふさわしい高層ビル街へと変貌した丸の内、しかし反対側の八重洲口は雑居ビルや看板が乱立、昭和の雰囲気を残す場所だった。そんな八重洲側の光景は10年以内に一変する。

八重洲2丁目北地区建設現場2003tokyosta.jpg

先陣を切って着工した245mの八重洲2丁目北地区。
その建設現場を俯瞰する。多くの建物が密集していた区画を開発。解体工事、地盤整地、そして鉄骨の組み上げが始まった。やがてこのビルを挟みこむように同規模の超高層ビルが建てられる。

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上棟も待たず、隣ではさらに上回る規模の高さ250mの八重洲一丁目東B地区事業が早くも始まった。まずは解体に先立って、広大な街区がバリゲートで封鎖された。



●虎ノ門麻布台プロジェクト建設現場

超高層ビルにおいて現在、海外では300mを優に越えるスーパートールと呼ばれるサイズが主流となっている。しかし日本ではあべのハルカス竣工まで長らく300mの壁を突破できなかった。しかしこのプロジェクトはハルカスを上回る超高層建築物となり高さ390mの常盤橋プロジェクト、Torch Tower竣工までのわずなか期間、日本一の高さのビルとなる。
虎ノ門麻布台プロジェクトが建設されるのは俄然坊谷と呼ばれる谷底を中心とした地域。

虎ノ門麻布台プロジェクト2018contentazabudai.jpg

谷底に古びた低層住宅が密集する不思議な光景に惹きつけられ定点観測を続けてきたが昨年、俄然坊谷はついに封鎖され立ち入ることはできなくなった。

虎ノ門麻布台プロジェクト2003tokyoazabudaia.jpg
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クレーンが乱立する広大な虎ノ門麻布台プロジェクト現場を一周する。谷間を埋めていた建物のほとんどが解体されたため、俄然坊谷が作りだした本来の地形を目の当たりにできる。工事の進捗は早い。地盤を強化し基礎が作られるとタワークレーンが設置され鉄骨の組み上げが始まる。谷自体はまもなく消滅することだろう。
 

●虎ノ門ヒルズステーションタワー建設現場

街区まるごと作り替えるのが東京の再開発の特徴だ。この現場を埋めていた10数棟の中小ビルは余すことなく消滅、現在は何もない空間が広がっている。背後に建つ三棟の高層ビルは竣工したばかりのビジネスタワー、建設中のレジデンシャルタワー、そしてそれらを従える虎ノ門ヒルズ。

虎ノ門ヒルズ虎ノ門ヒルズステーションタワー建設現場2003tokyotoranomon.jpg

右手前にはこれら三棟を上回る高さ約265mの虎ノ門ヒルズステーションタワーがそびえることになる。建物解体は高密度の都市にぽっかりと空間を空け、次の構造物が建つまでのわずかな期間、今しか見られない光景を提供してくれる。


●都心の高低差

東京の都市計画にも弱点が存在する。それは高低差。武蔵野台地の東端が海へと落ちる場所にあった江戸では起伏に沿って道、掘、城が作られた。江戸防衛ラインとしては正解だったのかもしれないが、大阪のような碁盤の目にそって街区が列ぶ計画的な都市計画ができず、現在においても道路、鉄道、境界線が放射状に広がっているため移動や町づくりを困難にさせている。

宮村児童遊園2003tokyo.jpg

そんな高低差が作り出す都心の光景。
急勾配の坂を登った先にある某公園は都内で自分が好きな場所のひとつ。谷底に密集する低層住宅、台地上にそびえる六本木ヒルズのミスマッチな組み合わせは高層ビル、雑居ビル、民家が区画分けされることなく混在する混沌都市らしい光景の象徴ともいえる場所。


●渋谷再開発

その名のごとく谷底に位置する街。谷を流れる川を暗渠に押し込め街を作り90年代に文化面で最盛期を迎えた渋谷。その後停滞が続いていたが渋谷だったが、近年巻き返すべく大規模な攻勢に出た。

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ヒカリエ、ストリーム、そして中心にそびえるスクランブルスクエア開業。さらにその足元には次の再開発を待つ土地が広がっている。やがて解体される百貨店、そして無数の雑居ビルを解体し更地となった広大な更地。途切れることなく、次の建設がはじまることになる。

[了]

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●2020年1月某日/日本のトンネル技術が敗退、青崩トンネルの今

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使い古された2003年度版ツーリングマップル中部が手元にある。
リング綴じ時代からこの地図を愛用しており、
車で日本一周を行った際にまとめて購入した全7版の一冊。
そのページ内、長野静岡県境付近にこんな一文が印刷されている。
「あまりの崩落の激しさに日本のトンネル技術が敗退」
その場所は標高1082mの青崩峠。
確かに中部地方を南北に縦断する国道152号線は県境のこの峠で分断されている。
文章を読み取る限りでは通行不能箇所を打通すべく行われていたトンネル工事は
崩落によって貫通することなく失敗、撤退したのだと思われる。
古くは青函トンネル、最近では飛騨トンネルなどの難工事を次々に完成させ
橋梁とならび日本のお家芸とも称されるトンネル技術を敗退させた
名もなき峠とは一体どのような危険な場所なのだろう。
とここまで引っ張ったが実は当時から十数回近く現場付近を通過したことがあり
「日本のトンネル技術」が青崩峠に再び挑戦すべく着工した2014年にも記事を掲載してきた。→LINK
そして2020年、調査坑貫通に続き本坑が着手したと知り久しぶりに現場を訪れた。
ついでに気になっていた近隣の廃村を訪れた徘徊記録。


photo:Canon eos7d 15-85mm

あまりの崩落の激しさに日本のトンネル技術が敗退2001aokuzuremap06.jpg

今回は静岡県側から国道152号線沿いに青崩峠付近を目指す。しばらくの間は快走路が続き順調に北上を続けたが水窪方面へと分岐すると快適だった国道は一転、林道を彷彿とさせる山道へと変化する。薄暗い森の中をひたすら走り、最果ての市街地、水窪を抜けた。長野県との県境も近い。
この辺りから国道上を走るトラックの姿が目に付くようになった。おそらくこの先にある青崩トンネル工事現場へ向かうものだろう。ご覧のように国道とは思えないすれ違いも困難な道が続くため対向からトラックが現れた場合かなり以前で停止し、お互い譲り合いが必要となる。

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なにげなく撮った上記写真。よく見ると青標識内には自動車専用道を示す緑の文字で「三遠南信道」と書かれている。この数キロ先にかつてあった自動車専用道は後述するよう消滅したため、おそらく35kmほど先の三遠南信道、矢筈トンネルを指すと思うが実際にそこへ行き着くまでには想像以上の距離、そして忍耐力が必要となる。
道に迷ったドライバーが山道を彷徨ったあげく、ついに見つけた自動車道を示す緑の文字。看板にすがりつくように車を進めるとさらに深い山中へ誘導されてしまう。



標識を撮った最後の集落を抜けると谷間が広がり前方の視界が開ける。

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突如、現れるのが県境の山に向かい伸びる高規格道路。一気に広がる幅員、緩やかなカーブ、高架を持ったその姿はまるで高速道路かバイパスかと見間違うほど。交通量は皆無。ここから3kmほどの区間、深い山中に場違いとも思える別世界のような道路が続く。

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道路の先に見えるなだらかな鞍部が標高1082mの青崩峠。日本のトンネル技術を敗退させたとは思えない平凡な稜線だ。10数年前、初めてこの峠を訪れた際、凶悪さとはほど遠い山の形に拍子抜けしてしまったことを覚えている。一体この山のどこにトンネルを敗退させた原因が隠されているのか。
そして山中に突如現れるこの高規格道路、一体何のためのものなのか。



総延長260kmに及ぶ国道152号線は2カ所で分断されている。地蔵峠区間、もうひとつが今回の目的地長野、静岡県境にある青崩峠区間。
この青崩峠は古代より内陸と沿岸を繋いでいた歴史ある街道。現在でもその重要性は変わらず決して放置されてきたわけではなくはるか以前より車両通行可能な道路を開通させようと長野静岡双方から悪戦苦闘がくり返されてきた。しかし最短距離で青崩峠直下を貫くトンネルは地盤の悪さ故、調査段階で掘削不可能と判断され断念。

中部地方整備局に掲載されているPDF資料を読み解くと青崩峠ルートが失敗してからは計4つのルートが検討されてきたことがわかる。以下に資料を参考に書いた地図を示す。突破ルートは主に2方向に分けられる。青崩峠を東側へ迂回するA、D案。西側へ迂回するB、C案。
青崩トンネルルート構想地図2001aokuzuremap001.jpg

その中で最も本命とされていたのが兵越峠方面へと東へ大きく迂回するA案。今となって考えれば場当たり的な感は否めないがとりあえずA、D案へ繋げるため、一般道として構想のあった草木トンネルは国道から自動車専用道へと格上げがなされた上で貫通、さらに高架を使用した自動車専用道と共に山中に不釣り合いな高規格道路が完成した。

現在走行中の広大な道路はこの際に建設されたものだ。将来の三遠南信道開通を見越し勾配とカーブを軽減させるべく高架を贅沢に使用した自動車専用道は当時は暫定ながら無料で走行することができた。ちなみに手元のツーリングマップル2003年度版には「自動車専用道/125cc以下は通行不能」と書かれている。しかし草木トンネル完成後、今度は兵越峠方面の地盤の悪さが判明、青崩峠、兵越峠、双方共にトンネル掘削不能と判断され長らく膠着状態となっていた。ツーリングマップルの例の文章が執筆されたのはおそらくこの期間だと思われる。

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その後、その先はついに作られることなかった。なぜなら事態は急転、2008年青崩峠西側迂回ルート、B案が決定したためだ。そのため兵越峠ルート案は放棄、結果不要になった草木トンネル道路は自動車道から一般道へと格下げという事態となった。続いてツーリングマップル2016年度版を開くと先ほどのコメントは「道路規格が変更され原付徒歩通行可能に」と修正されていた。そんな経緯もあって現在も山中に過剰にも思える高速道路使用の道路が一般道として供用されている。

走行中妙なことに気がついた。建設中のまま放置されミスマッチな光景の象徴となっていた橋脚群が消滅している。取り壊されたのか、見落としたのか、判断がつかないまま走行しているとゆるやかなカーブの先、路肩に停車する多数の工事車両がみるみる近付いてきた。

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本線から分岐する見覚えのない新しい橋、その先の斜面が伐採され黒い口が口を開けているのが見える。
三遠南信道青崩峠道路、青崩トンネル(仮称)静岡工区池島坑口。かれこれ10年近く、この工事の行く末を追っていたため現実になったその姿に感激してしまった。

青崩峠トンネル2002aokuzurepass04.jpg
青崩トンネル建設現場2002aokuzurepass08.jpg

この区間、交通量は皆無、さらには将来、料金所かなにかを設置予定だったのか路肩が異常に広いため停車スペースはいくらでもある。本来、高速道路になるはずだった場所に工事車両に混じり停車し、広大な路上を徒歩で歩く。なんだか新鮮だ。

現在地は池島第二橋付近。かつてこの道が自動車専用道だったことを示す緑色の文字が修正されることなく残されている。高架上の欄干にもたれ目の前でおこなれている工事を眺める。谷奥にあるのため一般人が目にすることができない長野県側工区に比べ静岡工区は高架橋上から俯瞰が可能のため現場の作業光景が非常によく見える。

青崩峠トンネル2002aokuzurepass07.jpg
青崩トンネル建設現場2002aokuzurepass05.jpg
青崩トンネル建設現場2002aokuzurepass06.jpg

坑口の上に飾られている木材は化粧木と呼ばれる工事の安全を祈る物。
5.9kmの青崩峠道路のうち青崩トンネル部分は全長4,998m。全長5,000mを超える長大トンネルでは危険物積載車両通行禁止とされているため、そのような車両が通行できるようにぎりぎりで5kmを切るように設計したのだろうか。
2020年2月現在、工事状況を示す中部地方整備局のサイトは更新がなされていなため掘削距離は不明だが素人目で見た限り活発に作業が行われていた。


それにしても最近の土木現場、ビル、ダム、トンネルいずれもウェルカムな雰囲気が凄い。一昔前は人目に触れさせないように仮囲いによって遮断し秘密裏?に行われていた現場も最近は透明なものが増え青崩道路長野工区に至っては、道路脇に見学スペースや記念撮影用?三脚置き場まで設置されて(2014年)驚かされた記憶がある。かつては問答無用で行われていた土木事業も公共、民間問わず国民の理解を得られないといけない時代となったようだ。

青崩峠トンネル新ルート地図20012002aokuzuremap006.jpg


さて工事が長年に渡って停滞し続けた理由、それは中央構造線が原因とされる。一見なだらかに見える県境付近、しかし「青崩」という地名に代表されるように地下を南北に走る中央構造線のために脆弱な岩盤が隠されている。「あまりの崩落の激しさに日本のトンネル技術が敗退」。2003年、初めてこの名文を読んだ当時は本坑掘削が進みながら内部崩落によって撤退を余儀なくされた壮絶な現場を想像していたが、実際には調査段階で撤退したのが事実のようだ。今回は慎重な地盤調査を行った末、中央構造線を西へと迂回するルートを採用したとはいえ先日貫通した調査坑ですら難工事となったようだ。

南アルプスを挟んだ東側でも以前、同じような名称を持つトンネルに出会った。それが山梨県早川町にある青崖(あおがれ)トンネルと廃道青崖隧道。→LINK 
青崩と同じくもろい地質のようで廃道上には落石が散乱していた。訪問当時、青崖トンネル奥地の谷間は南アルプスを貫通させるリニア南アルプストンネル山梨工区となっており非常口着工が行われたばかりだった。

2020年現在、青崩峠トンネルの名称は(仮称)とされている。どこか不吉な予感を感じさせる「青崩」という名称、自分は好きだが一般受けしそうもないため採用されない可能性もある。

三遠南信自動車道避難坑2002sanennannshin01.jpg

長期間停滞していた青崩峠トンネルとは対称的に三遠南信自動車道工事はこの峠を目指し南北から着々と進行している。上記写真は愛知県内の様子。某トンネル建設現場の見学会にて避難坑を見学した際のもの。
長らく秘境と呼ばれてきた三河、遠州、南信州の三県境、三遠南信にインフラの波が届く日も近い。



青崩トンネル建設現場から「自動車専用道路」跡を進むことわずか300m、続いて待ち構えているのは将来を期待された過去を持ちながら「用済み」となってしまった草木トンネル。
このトンネル、長さは特記するほどでもないが上記地図で描いたように中央構造線と直角に交わることになったため想定以上の難工事となったことで知られている。前述したように自動車専用道として建設されたものの、「格下げ」され一般道へなってしまった結果、改装が行われ歩道も付けられた。とはいえこのような山中で歩道を使用する歩行者等いるはずもないのだが。

草木トンネル2002aokuzurepass09.jpg
草木トンネル2002aokuzurepass010.jpg


草木トンネルを抜けた先にある草木ランプ橋と名付けられた場所。上記の写真端にはいずれどこかへ伸びる予定だったと思われる延伸箇所が断面をさらけ出しながら放置されたまま。
現在は使い道のない広大なスペースとなっているが、実は今回、ここから北東側へ進んだ山の斜面で新たな法面工事が進められていることに気がついた。仮に高架を延伸させると沢を跨ぎちょうどぴったり合う場所。もしかすると消滅したA、D案が一般道として再び動き始めたのかもしれない。


県境までは直線距離で残り3kmほど。立派な高架橋、草木トンネル。前知識なしにこの道を走行中の人ならば、あとは一気に長野県へ・・と思ってしまうのも無理もない。しかし現実は甘くはない。

長野静岡県境は県境で分断されていると何度も書いた。しかし正確には車の通行が可能な車道が1カ所存在する。それがここから紹介する兵越峠ルート、市道水窪白倉川線かつての旧兵越林道だ。適当な地図には表記すらない、いかにもその筋のマニアが好みそうな怪しい名前。2020年現在長野県と静岡県を直接結ぶ唯一の道だ。

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現在走行中の高規格道と旧兵越林道との接続は非常に面白く2010年頃の徘徊記録を始め過去に何度か紹介したことがある。このような場合、通常ならば道路は余韻をもって次第に幅員が減少していくもの。ところがここでは道が唐突に終わるのである。

草木トンネル旧兵越林道2002aokuzurepass011.jpg


今まで走行していた広大な車線が嘘のように、頼りなさげな一本道へと変化。道は廃屋が点在する森へ消えてゆく。実際にこの先は10キロほどに渡り急カーブが連続する幅員狭小の峠道が続く。それでも草や葉が枯れ果て視界が広がる冬場はまだマシ、夏場は旺盛に繁殖する植物に覆われ旧林道入口の視認すら困難だった。前知識なしにこのような光景を目にした場合、思わずブレーキを踏み車を進めることを躊躇してしまうのではなかろうか。
ちなみに上記地図に書いたように本命ともいえるAルートが採用された場合、草木トンネルを経由してこのあたに長野側へ向けトンネルが掘られたはずだ。



せっかくこのような辺境の地まで北上したのでこの先の某ポイントを訪れてみることにした。土木とはまったく別のジャンルだが、かなり以前google空撮写真で見つけストックしておいた場所。
長野静岡を分断する山塊から南へと続く標高900mほどの尾根の斜面に数棟の廃屋らしき建物映し出されてた。この界隈は秘境集落、山岳集落の宝庫でもあるがここはmap上に文字が表示されないため廃村だと思われる。長らく空白となっていた集落だったが最近になってmap上に「集落跡」という文字が表記されるようになりやはり廃村だと確信した。



道を遡った先にある尾根へと続く分岐点を目指し車を進めた。旧兵越林道は草木川の渓流沿いに県境に向け続いている。古くは武田信玄最後の大攻勢、西上作戦の舞台ともなった歴史ある街道であるが現在はいつ訪れても交通量もほとんどないひなびた道。今回も往復中一度たりとも対向車とすれ違うことはなかった。

もちろん周囲には一軒の民家もなく、逆に道路脇の茂みや木立の合間には崩れかけた廃屋が点在している。廃村のように大規模なものではないがよく見ると森の中にはいくつもの廃屋の姿が見える。いずれも非常に小さな平屋で生活拠点なのか、あるいは林業小屋として使用されていたものかはわからなかった。

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兵越峠に到着する直前に集落跡へと続く分岐点がある。何度も通過したこの場所だが分岐路へ入るのは初めて。侵入した林道は意外なことに舗装がなされ最近手が入ったようにみえる。しかし舗装路も数百メートルほどで途切れあとは落石が散らばる荒れたダート道となった。

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とはいえ暖冬に見舞われた2020年冬、積雪や凍結の恐れがないためこの時期の探索にしては気が楽だ。木々の合間からは遙か眼下に先ほどまで滞在していた草木トンネル高架橋がわずかに見えた。標高1,000m近い尾根を越えると林道は一気に下りにかかる。急勾配の細道を下り続けると前方の視界が開けた。



到着。杉の木立に覆われた斜面の一画、ここだけが伐採され明るい雰囲気だ。この場所が空撮で見つけた廃村に違いない。空撮によれば奥にはさらに多くの民家が残されているようだったが林道がチェーンで封鎖されていたためこれ以上進むのをやめ遠巻きに眺めるだけにした。わかりづらいが杉林の間には朽ちた屋根がいくつか見える。

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標高約900m。寒風吹き付ける集落跡の正面には広大な山々が連なっている。現在立つ尾根の斜面下部にはいくつもの民家が張り付き生活が営まれていた。しかし現在、住人の多くはこの地を去り、そのほとんどが廃村となっている。下界とを繋ぐ手段として標高差を一気に解消する索道(ケーブル)も使用されていたようで時折訪れる紀伊半島の秘境集落と条件が似ているように感じた。

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膨大な予算と年月をかけ貫通させた草木トンネルを手放したくない思いから何度もルートが練り直された青崩越え。しかしルート断念、変更によって自動車道としての使い道がなくなった草木トンネル。現在googleで草木トンネルを検索すると「草木トンネル 無駄」と表示されてしまう有り様だ。
この結果をどのように総括しているのかと以前中部地方整備局のサイトを覗いてみたことがあった。そこで見つけた資料には、あくまで案としてだが今後の活用として「歩行者や自転車等が通行可能に変更」とあった。確かに今回久しぶりに通行したトンネル内には車線を減らし歩道が作られていた。しかしトンネル周辺はこのような山々が連なる秘境の地。車の往来もほとんどなく、ましてや急勾配の路上を歩く通行人の姿など一度も見たこともない。なんだかこじつけ的な気がしないでもない。



そういえば今回知ったが2018年度版ツーリングマップルから例の「日本のトンネル技術が敗退」のコピーが書き換えられたとのこと。本屋で確認すると確かに「三遠南信道のトンネル工事が再開」へと表記が変わっていた。購入から17年近くも経過、新しい版を購入しようかと思うが記念に旧版を手元に残しておくことにしよう。

廃村と限界集落が点在する広大な山地を横断する旧兵越林道。現在は貧弱ながらも長野、静岡間を通行可能な唯一の車道としてなんとか生きながらえている。大きなトラブルもなく予定通り青崩トンネルが開通しすると存在意義もなくなり草木トンネルともども今以上に寂れていく運命なのだろうか。そんな中、旧兵越林道方面で新たに行われていた法面工事がやはり気になってしまうのだ。

[了]

●2018年8月某日/消滅する都心の谷を歩く

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武蔵野台地の東縁が複雑な地形を作り出す東京都心。
構造物によって埋め尽くされているため気がつく事は少ないが
自転車で走る際には高低差を改めて実感する。
そのような都心の谷間に再開発によって丸ごと失われゆく街区がある。
全面解体まで秒読み段階となった2018年夏、
谷底に密集する失われ行く町を歩いた徘徊録。


photo:Canon eos7d 15-85mm
2018年現在の情報をもとにした勝手な自由研究なので資料的価値はありません。

追記/2019年08月.虎ノ門・麻布台プロジェクト着工を掲載
追記/2019年10月.虎ノ門・麻布台プロジェクト建設予定地一周を掲載

岬のように突き出た台地先端が複雑に入り組む都心の地形。都会と野性味溢れる高低差とのミスマッチが近年注目を集めている。そんな台地に挟まれた「谷間」に今回の目的地がある。まずは現地の空撮写真を掲載。
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真俯瞰から撮られた写真だとよくある街並にしか見えないこの場所、密集する建物や路面等の地上構造物を剥ぐことによってその下に隠された狭隘な地形が露になる。カシミールのような地形ソフトはないので等高線を見ながら地道に地形図を描いた。

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すると東西に伸びる不思議な谷間が浮かび上がった。虎ノ門から麻布台にかけての全長0.5kmほどの渓谷のような一帯は三棟の超高層ビルを中心とした大規模な再開発が行われることによって間もなく街区ごと完全に消滅することになる。



現在、世界の超高層建築においては高さ300mを超えるスーパートールと呼ばれるものが主流となり4〜500m級も珍しくはない。一方日本においては長らく300mの壁を突破する事ができず、あべのハルカスによって世界に一歩足を踏み入れた。その後発表された常磐橋プロジェクトは日本記録を一気に更新する390mのインパクトもあって知る人は多いのではないか。
一方こちらの超高層ビル計画はビルマニア以外にはそれほど知られていない。しかし高さは近隣の東京タワーに匹敵する323m。常磐橋B棟が完成するまでのわずかな期間、日本一の高さとなる。昨年の新年早々、当初は330mという高さで発表されその規模に驚かされたことをよく覚えている。

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その後やや縮小されたものの263m、233mのツインタワー含め三棟のビルが建てられ、土地利用が限界に達した都心に置いては空前の規模となる予定。それが、虎ノ門・麻布台地区第一種市街地再開発事業。

とはいえ開発予定地は空き地や原っぱではない。事業、生活が営まれている建物密集地。虎ノ門・麻布台再開発のスケジュールは2019年着工、2023年竣工とかなりスピードが早い。消滅まであとわずか、開発を間近に控えた現地はどのようになっているのか、東側から谷に足を踏み入れた。

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雑居ビルや店舗が立ち並ぶ、通りの一画に西へと空いた道が谷の入り口となる。谷底を東西に貫通するこの道を大げさではあるが便宜上、メインストリートと名付けた。
まずはこの「メインストリート」沿いに西へと歩くことにした。通り過ぎる車や通行人もほとんど見当たらない静かな道沿いには古びた雑居ビルや木造民家が立ち並ぶ。店舗らしき建物もあるがいずれも営業している気配は感じられず、中には板によって完全に封鎖されているものもある。

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雑然とした谷底の街並とは対照的に頭上を覆う電線越しに見上げる台地部分にはアークヒルズ仙石山森タワーやグランドタワーなど200mを越える超高層ビルが空に向かいそびえ立っている。
元々のビルの高さもさることながら、全てのビルが十数mの高低差を隔てた台地上に建つため実態以上に高さと圧迫感を感じる。

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しばらく進むと、周囲の建物が途絶え駐車場が広がった事で視界が開けた。開発を待つ間、空き地を暫定利用するための駐車場は再開発予定地にはつきもの。おそらく以前はここにも家屋が密集していたのだろう。一見ゴーストタウンに思える静かな町だが一方で洗濯物が干されたアパートも見受けられ、消滅まで秒読みとなったこの街でも生活の息吹はわずかながら残されていた。



さて何度も「谷」という表現を使っているが実際のところ周囲は家屋を始めとする人工物に覆われているためそこまで谷感はない。自分も地形を意識せず漫然と地を歩いていたら平凡な下町にしか見えなかっただろう。周囲を崖で囲まれた虎ノ門から麻布台にかけての窪地のようなこの「谷」には実は名前があった。後に知ったその名は我善坊谷(がぜんぼうだに)。



こちらが我善坊谷再開発の全容だ。以前から噂はされていたがここまで大規模なものになるとは予想もしていなかった。高台の郵便局と横に長い谷間という特殊な地形を活かした構造物と緑地、新道が整備される。

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再開発のメインとなるのは谷の西側に建つ三つの超高層ビル。谷間のB街区には263m、233m、台地上の麻布郵便局には暫定ながら日本一の高さとなる323mA街区。
完成予想図を見る限り、同じ事業者ということで既に建つアークヒルズ仙石山森タワーの緩やかに丸みを帯びた外観を踏襲、ビル同士の圧迫感を軽減した調和あるデザインを目指しているように感じられる。


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谷の中央部まで来ると解体された、あるいは解体作業中の建物が目立ち始めた。
建物を覆う防音シート、予告看板、散乱する破片。再開発地区の典型的な光景。仮囲いの看板によれば年内には全ての解体作業は完了する予定とのこと。地上構造物が消滅したことで広大な更地となる我善坊谷には新しい建物が建設されるまでのわずかな期間、本来の険しい地形が姿を現すに違いない。もっともその際、メインストリートの通行が可能かどうかは微妙だが。

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集落の魅力はメインストリートから左右に枝分かれする路地。最も奥は緑に覆われた灰色の擁壁が行く手を阻んでいる。割れ目から繁殖したもの、庭木として植えられたものが退去してから解体を待つまでの間に野生化し緑に覆われてしまった民家。管理のなされなくった一帯を縦横無尽に埋め尽くす植物は谷間を再び自然に戻そうとしているかのようだ。
そんな路地のひとつに入り込んでみる。どうやら高台の西久保八幡神社へのアクセス路のようだ。解体を控え封鎖された廃屋やアパートの合間を進み急傾斜の石段を上り続ける。

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神社は先ほど掲載した地形図によると岬のように飛び出た突起部分にあたる場所。正式な参道は別の場所にあったため今回使用した急階段は裏口のようだ。山頂まで登りきったが残念ながら周囲は木々に覆われ眺望を得る事ができなかった。

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メインストリートを中心に谷が作り出すゆるやかな曲線に沿った低層商業施設や地下通路、広場が設置されることでこの谷は大きく変貌する。イメージ図によれば参拝した神社の森はそのまま残されるようだ。



先述したように分岐した路地のほとんどが崖によって行き止まりとなっている。しかし袋小路のような谷間から台地上へ抜け出す道も何本か存在する。いずれの道もわずかな距離をもって台地上と谷底の高低差を克服するため急勾配となっている。
メインストリートから外れそのうちの一本、南側の台地上へと登る三年坂と呼ばれる急坂へ入った。車停めによって封鎖され車の通行はできない道。

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三年坂の路面は途中から階段へと変化、しばらく登り振り返ると我善坊谷の全容が見えた。
見渡す限り人工物が密集、わずかな土地も余す事なく高度利用される都市の風景。谷間後方の台地上で存在感を放つ青いビルは2016年に竣工したばかりの六本木グランドタワー。

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建設中に訪れたことがあるが、なだれ坂と呼ばれる急坂に隣接する急傾斜地に立てられているため複雑な構造となっていた。グランドタワーは高さ230mを誇る高層建築だが、今回新たに建てられる三つのビルはいずれもグランドタワーを上回る高さとなる。

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拡大すると灰色の解体用防音パネルに覆われた建物が目立つ。建物が密集し境界線がわかりづらいため三年坂から見える範囲の解体対象建物に色をつけてみた。上記写真に写っているのは再開発予定地全体の三分の一ほど。これだけの規模の街が残り数ヶ月足らずで跡形もなく消滅してしまうとは驚きだ。

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三年坂を下り谷の中央を東西に伸びるメインストリートに復帰。道は両側から白い仮囲いに覆われ通路のような状態となている。
このあたりから中層アパート群が増え始める。そのほとんどが解体の真っ最中、建物は防音パネルに覆われていた。また計画書には掲載されていない台地上においてもいくつかのビル解体作業が行われており、再開発は台地上をも取り込み広がりつつあるのかもしれない。

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我善坊谷の終わりが近づくにつれメインストリートは落合坂と呼ばれるゆるやかな傾斜を持ち始めた。次第に高低差も減少、見上げていた台地上の建物がほぼ同じ高さとなった。

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やがてメインストリートはT字路につきあたる。正面は灰色のコンクリート擁壁。長らく続いてきた我善坊谷はこの壁で行き手を阻まれ唐突に終わりを告げた。
擁壁上は麻布通りと高架橋となっていた。かつて谷はさらに奥へ続いていたはずだが道路建設時に埋め立てられてしまったのだろう。両サイドから凹んだ中央に向かい傾斜する擁壁面に谷の名残を見る事ができる。この最後の高低差は埋め立てられ歩道となることによって消滅する。



夜を歩く。青白い街灯に照らし出される昼間以上に人気のない谷間に漆黒の建物が続く。それでも時折光が漏れる部屋もありまだわずかながら人が残っていることがわかる。電線の合間からは不気味に発光する東京タワーが見え隠れ。

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何日かにわたり我善坊谷現地を歩いた事で谷間の複雑な地形や高低差、そこで営まれてきた人々の暮らしを実感する事ができた。
あとは谷全体を俯瞰したいものだ。実は近隣に誰もが知る展望台がある。それは民家の軒先や電線の合間から見え隠れする鉄塔、東京タワーだ。



東京タワーには高さ違いの二つの展望台があるが再開発地区との合間には障害物がないため値段もお手頃な150m展望台メインデッキで十分。エレベーターに乗り込み、レトロな展望台へ到着、再開発地区の眺望が得られるのは北側となる。さっそく窓に駆け寄ったものの唖然とさせられた。
先月は入る事ができた展望台半分は工事のため封鎖中、しかも肝心の北側のみ。眺望が売りの展望台、眺望が半分という事は価格も半額にすべきではないのだろうかと思いつつ、こうなったら仕方がない。特別展望台から俯瞰するしかない。と莫大な追加料金を払ってさらに上へと続くエレベーターに乗り込んだ。

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東京タワーの最上階、250mに位置する特別展望台。最近になってトップデッキという名のもと大きくリニューアルしたようだ。それにしてもこのトップデッキ、展望台まで辿り着くまでの行程が少々面倒くさい。こちらは単純に定点観測を行いたいだけなのだが無駄な演出が多くてなんだか困る。過去のシンプルな展望台に戻してほしいものだ。



しかし追加料金を払っただけあって眺望は抜群。またビルの展望台と違い、円形、かつ面積が非常に狭いためか、塔の頂上にいると実感できる。幸いな事にトップデッキは工事中ということもなくようやくのことで肝心の北側を見下ろす事ができた。

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これが俯瞰した我善坊谷の全貌となる。赤いラベルがついた部分が再開発によって消滅する街区。谷間に沿った細長く湾曲した地形であることがよくわかる。また見下ろす事で地上からは窺い知る事できなかった防音パネルに覆われたビル解体現場の様子も見る事ができる。大型構造物の解体はまず屋上に重機を配置、上階から下に向かう切り下げ崩して行く。

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さてここに三棟の超高層ビルが完成後、この光景はどのように変化するのだろう。現在周囲に既に建つビルの高さを参考に適当に描いてみた。

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いずれも周囲の高台に建つビルを上回る高さになる。特に台地上に立つ最も高いA街区は圧巻だ。A街区上階からは250mの東京タワートップデッキをはるかに上回る眺望を得られる事になる。実際には上層階は分譲予定のため展望台が設置されることはないだろうから居住者のみが得る事ができる絶景だ。一方で他のB街区の二つの建物も周囲のビルを上回る高さとなるものの建設予定地が谷底のため見た目だけでは実際のものほどの高さを感じる事はないのかもしれない。



ちなみに周辺では今回紹介した以外にも多数の高層ビル計画が存在している。タワークレーンが目立つ建設中のビルは東京ワールドゲート、オークラ、レジデンシャルタワー。いずれはタワー東側だけでもこれだけの高層ビルが立ち並ぶ事になる。

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日本の超高層ビルの歴史においては長らく西新宿が君臨し続けていた。高層ビルの代名詞として都庁を中心とする新宿ビル群の写真や映像が多用され続けたため、現在でも超高層ビル街=新宿といったイメージを持たれている方も多いのではないだろうか。
しかし近年都心での超高層ビル街は東へと移動しつつある。2000年代には新丸ビル竣工に端を発した東京駅周辺、2020年以降は虎ノ門麻布に引き継がれ都市は循環を続けて行くのだろう。



[追記/2019年.8月某日虎ノ門・麻布台プロジェクト着工]

俄然坊谷の徘徊記から約1年、2019年夏、虎ノ門・麻布台プロジェクトがついに着工した。
全住民の転居が完了、6月にはすべての路地、通路は封鎖され俄然坊谷内へ立ち入る事ができなくなっていた。高台から俯瞰すると谷間を埋め尽くしていた密集家屋のほとんどが姿を消し、赤茶けた地肌がむき出しになっていた。地上構造物が剥がされる事で俄然坊谷が持つ高低差のある本来の地形がよくわかる。



着工とほぼ同時に新しいイメージパーツが公開されたことで、不明だった箇所含め虎ノ門・麻布台プロジェクトの全容が一気に判明した。

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このように3棟の巨大建造物が俄然坊谷とその周辺に建設される巨大プロジェクト。特に台地上に立つメインタワーは高さ330m、先述したように東京タワーにほぼ匹敵する高さとなる。現行の航空法では立てる事のできない高さだが、東京タワーという既存の障害物が近隣にあるため、特例として認可されたと思われる。

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今回のパースで驚かされたのはがらりと変化した低層部。国家戦略特別区で公開されていた初期のパーツでは雑だったラフ部分がブラッシュアップされ動きのある有機的な外観となっている。[上記]
また闇雲に構造物で埋めつくす訳ではなく俄然坊谷の跡に沿って広大な緑地が設けられる。高さ330mのメインタワーは2027年、390mの常磐橋プロジェクトB棟が竣工するまでのわずかな期間、日本一の高さとなる。


[追記/2019年.10月某日虎ノ門・麻布台プロジェクトト建設予定地一周]

俄然坊谷を埋めたてる虎ノ門麻布台プロジェクトは2019年8月に着工、一斉に報道が行われた。このような巨大プロジェクトが水面下で進行中だったことを都民ですら報道で初めて知ったという人も多かったのではないだろうか。
2019年10月某日、建設予定地を取り囲む仮囲いに沿って8.1hahに及ぶ虎ノ門麻布台プロジェクト予定地を一周。例によって昼夜入り交じった時系列に沿わない写真を掲載。



何度も通った俄然坊谷はこの2ヶ月ほど前から既に立ち入る事ができなくなっており谷に通じる各所の路地はすべてゲートで封鎖されていた。
まずは谷の入口に立つ。例の歩道橋から西側を見た光景。解体現場背後にそびえる高層ビルは206mのアークヒルズ仙石山森タワー。高低差がある地形のため実態以上に高さを感じるビル。しかしここに新たに建てられる三つのビルはいずれも遙かに上回る高さとなる。

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着工と言っても全ての既存建築物の解体がなされた訳ではなく、特に俄然坊谷入口となる東側においては敷地のほとんどを占める雑居ビルは解体の最中だった。また解体予定のビルの中には工事事務所として暫定的に利用されているものもあるため建物のいくつかはまだしばらく残されると思われる。通りを跨ぐ古びた歩道橋の上からは工事現場をよく観察することができた。

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区画面積8.1haに及ぶ広大な敷地を一気に再開発する虎ノ門・麻布台プロジェクトは大きく4つの区画に分けられる。3本の超高層ビル、そして低層の商業棟。上記写真には通り沿いにいつくかの小規模ビルが残っているがまもなく解体されこの場所には下記のような奇抜なカタチの商業棟が建設される。

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歩道橋脇から俄然坊谷中心を東西に横切るメインストリートは現在封鎖されているため台地上から現場を一周。
とはいっても敷地のほとんどが高い仮囲いで厳重に覆われているため、時折顔を覗かせるわずかな隙間から見た内部。俄然坊谷西部を埋め尽くしていた密集していた民家はこのように完全に消滅、茶色の地べたが剥き出しの状態になっていた。

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建物や舗装路、樹木などが排除されたことで俄然坊谷が作る本来の地形が露わになった。かつてはこの「対岸」の高台にあった重厚な麻布郵便局の建物も解体されていた。麻布郵便局跡地には高さ323mに達するメインタワーが建設されることになる。



谷の終わりから見た夜の建設現場。日中は轟音と共に動き回っていた重機も静かに眠りについている。
更地の中心を東西に延びる道の名残は自分がメインストリートと勝手に名付けた落合坂の跡。周囲を埋めていたアパート、マンション群は全て解体、完全に消滅した。

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虎ノ門麻布台プロジェクト建設予定地からしばらく歩いた場所にある広大な空き地。竣工したばかりのオークラプレステージタワーを背景に解体用防音パネルに覆われたビル、土台だけとなったビルの跡が広がっている。ここは虎ノ門ヒルズステーションタワーの建設予定地となる場所。この一帯には去年まで新旧含め10数棟のビルが立ち並んでいたが、街区を一気に解体し高さ265mの高層ビルが建設される。

以前も書いたが都心においての高層ビル群はかつての新宿から2000年代は丸の内、大手町周辺、そして2010年代は虎ノ門周辺へと移動を続けている。

[了]

●2018年2月/名もなき坂を測定する

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坂ブームだそうである。検索すると国内の急坂ランキングなるものが多数ひっかかる。
3位以下はばらけているがどのサイトでも共通するのが1位。
大阪奈良県境にある国道308号暗峠(最大勾配37%/平均勾配20%※諸説有り)
(昔よく訪れた場所。一位も納得。勾配もすごいが一応国道のため意外に交通量があり
狭路の急登で対向車に出くわした時がさらに恐ろしい。夜間がおすすめ。)

しかし国内にはランキングには掲載されない無名の坂が眠っているに違いない。
そう思うのがかつて偶然訪れた坂において、勾配が暗峠を上回るのではと感じたことがあったからだ。
しかし当時、測定器を持っておらず正確な勾配は不明のまま。
あれから11年、この無名坂のことをふと思い出し検索してみるも一向に見当たらない。
このまま埋もれさせてしまうのは惜しいと考え現地で勾配を測定したところ興味深い数値が出た。

photo:Canon eos7d 15-85mm

※今回紹介する坂道は、国道や県道などの一般道ではなく農道のため非公認記録となります。
※スマホアプリの傾斜計で計測したもので正確な数値ではありません。自由研究的な参考記録としてご覧下さい。



勝手な自由研究を行うため、名もなき急坂を訪れた。場所は静岡県中部。
以前、建設中だった新東名建設現場に沿って東海地方を横に縦断するという企画を行った際、斜面に張り付く茶畑と無数の坂道を見た。茶葉は日当りの良い場所を好むため茶畑は高所に作られる事が多く、必然的に取り付け道路も坂道となる。今回の目的地もその際見つけた茶畑の農道だ。
当時自分がやっていたwebサイトで坂を紹介した際のスクショが出てきたので掲載。

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「すごい坂を見に行く」2007年5月某日と書かれている。ちなみに当時傾斜にはまっていたためか、記事の下は傾斜がきついと言われた豊田スタジアム見学記。


さて11年の歳月を経て2018年。坂はまだあった。
道はつづら折りを作る事なく急斜面をひたすら上へと伸びている。坂道は稜線上で行き止まりとなっているため、直線距離でわずか200mほど。

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出発前、国土地理院の地形図から坂の勾配を推測してみた。カーブがないシンプルな直線坂のため計算は容易。あくまで等高線から読みとったもので正確なものではないが全長約190m、標高差約60m。単純計算で平均勾配は30%超。

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平均勾配20%の暗峠を上回る数値を期待できそうだ。
それにしても平均勾配の起点・終点は一体どのような基準になっているのだろう。例の暗峠でも大阪側のふもとから峠まで数キロ近く、起点をどこに設定するかで平均値は大きく変わる。その点この坂はいきなり傾斜が始まるため明確な数値が出せそうだ。

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この坂、特に名前もないようなので便宜上、地名からとって谷稲葉坂と勝手に名付けた。舗装はされているがもちろん車で上るつもりはない。空き地に車を停め11年ぶりに坂のふもとに立った。

余韻を持たず目の前に見上げるような傾斜がそびえている。
しかし以前感じたほどの驚きは感じない。しばらく考えその訳が判明した。11年の間に中腹の木々が大きく成長、視界を遮っているため坂の全容をとらえる事ができなくなっている。上部の様子が視認できないためゴールである稜線まで行き着く事ができるの少し心配でもある。

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北側斜面に位置するため日影となった道に足を踏み入れ坂を登り始めた。坂マニアの方々のサイトによればスマホアプリを使いこのような勾配を計測する場合、下、中心、上の計三カ所で計測、平均値から平均勾配を導き出す方法が一般的のようだ。しかし今回は正確な値を出したいためそれ以上に細かく分割し計測を行う事にした。



歩数を数え10歩進んだ場所でさっそく一回目の計測開始。勾配は数値で現す事ができる。10%という勾配は100mごとに10m登るということらしい。
とはいえいきなり数値が表示されても正直実感が湧かないため出発前にいろいろと調べておいた。急坂に挑戦する自転車乗りの間では10〜15%は難関クラス、20%を越えると猛者でしか登坂できない最高の坂として「激坂」認定されるようだ。ここでは一体どんな数値がでるのだろう。

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路面の細かい凹凸から影響を受けないよう長さ50cmほどの板で自作した勾配測定板を持参。

[A地点]
小石を払い板を地面に添え勾配測定アプリで計測開始。しばらく数値が動き停止した。勾配約28%。出発からわずか数メートルでいきなり25%を越える数値が出た。さらに正確を期すため周囲何カ所かで計測。平均値もほぼ同じ。この坂は登るほど勾配が増していくためこれは期待できそうだ。


凄い坂1701hillmap2.jpg


それにしても傾斜のある坂を写真で表現する事は非常に難しいと改めて気がつく。
実際の感覚と、レンズを通して客観的に捕らえた画像の差異が非常に大きい。スキー場で必死で下った傾斜を写真で撮ると落胆してしまうように、視覚では「恐怖感」がプラスされる事で実際よりも傾斜が強調されるのかもしれない。
道路脇に良い基準点を見つけた。茶畑でよく見かけるプロペラがついた霜よけ電柱。垂直に立つであろう電柱とファインダー内の垂直水平線を基準に坂を撮る。


激坂1802hill07.jpg


日本一と言われる暗峠に匹敵、いやそれ以上かもしれない恐ろしい傾斜。
谷稲葉坂はつづら折りやカーブなどに頼り勾配を緩める工夫を一切せず、一定の角度を保ったままのシンプルな直線によって傾斜に挑戦しているケーブルカーのような直登。ヘアピンカーブが続き、部分的には一息つく箇所もある暗峠とは対照的な光景。

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登るにつれ次第に道にも日が当たり始めた。前回の訪問は初夏、坂の周囲には色鮮やかな緑の茶畑が広がっていた。しかし美しかった両側の茶畑は手入れもされていないのか茶葉が伸び放題、まるで耕作放棄地のような状態になっている。冬の季節も相まって枯れ果てた茶色の光景となっていた。

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地道に測定を繰り返しながら登り続ける。周辺の平均勾配は35%。傾斜は確実に増しつつある。
このあたりまで登ると周囲の茶畑跡は果樹園へと変わった。果樹業は現在も営まれているようで路肩には害獣よけと思われる網が続いているため定期的に立つ網のポールを基準に淡々と坂を撮る。

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坂の勾配測定1701hill207.jpg

[B地点]
勾配はついに40%を突破した。例の暗峠で最大勾配を記録する場所は有名なS字カーブ地点。その値勾配37%。谷稲葉坂はついに暗峠を越えた。この後、道路勾配はどこまで増して行くのだろうか。

[C地点]
幅員は変わらないが東側にわずかなスペースがあった。ここに斜めに車を止めて農作業を行うのだろうか。非常に狭いスペースではあるが軽トラならば転回も可能だと思われる。ほぼ一定の角度に保たれてきた谷稲葉坂の勾配はこの場所で一旦わずかに緩んだ。それでも33%。


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このあたりで坂を半分ほど登ってきたことになる。一旦休憩。
しかし見上げると道が続くはずの場所は十数メートル先でススキの原野へと変化している。
こんなはずはない。記憶が正しければ道と茶畑は稜線まで続いていたはず。近づくとススキの合間からわずかに舗装路が見えた。先ほど麓から見上げ成長したと書いた木のあたり。どうやら上部にあった茶畑も同じく放棄されたことによって農道も使われる事がなくなり廃道と化してしまったようだ。

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行く手は背丈を超える木々に覆われ道は完全に視界から消えた。背をかがめ木々の合間からもぐりこむ。道を飲み込んだ植物の正体は伸び放題になった茶葉だった。手入れがなされない茶畑はここまで荒れ果てるものなのか。整地された緩やかな緑の畝が続く茶園の美しいイメージとは真逆の野性味溢れる茶葉に驚かされる。



茶葉に頭上を覆われた獣道のような薄暗い道を腰を落としながら執念深く登り続けたが前方は完全に塞がれてしまった。まさか廃道となっているとは思わず、散歩のつもりで現地を訪れたため探索用の服装ではないためこれ以上は進めそうにもない。

[D地点]
前進不能地点直前、路面が姿を現した場所で最後の計測を行う事にした。廃道ということで参考記録扱いで見てほしい。
枯れ葉をかき分けそっと板を置く。数字がしばらく動き止まった。
角度23.8度、勾配44%。今回の測定で最大の数値。念のため数カ所で計測したが場所によっては勾配は48%に達した。この後、測定板は傾斜に耐える事ができず路面を滑り落ち土にまみれ停止した。

勾配測定アプリ1701hill209.jpg


結局頂上まで50mほどを残しD地点で前進不能。稜線に達する事ができず、残念ながら坂全体の平均勾配を計測する事ができなかった。

中途で終わってしまった今回の計測結果を踏まえ谷稲葉坂の実力を数値化する。
計測箇所17箇所、
01.28.0
02.33.8
03.33.6
04.36.5
05.38.3
06.37.3
07.39.1
08.39.5
09.42.3
10.39.2
11.39.0
12.35.4
13.39.8
14.33.6
15.36.7
16.44.1
17.43.9
最小勾配28.0、最大勾配44.1、そして平均勾配は37.65%。
道路勾配国内ランキング1702hill21map3.jpg

道路勾配の国内ランキングを参照に制作。ちなみにベタ踏み坂のフレーズで一躍有名になった江島大橋は実際のところたいした事はなくわずか6.1%。ネットに溢れる江島大橋の写真のほとんどは超望遠レンズの圧縮効果が作り出した視覚のトリックである。伝説の暗峠では最高値37%をたたき出すのものの、点在する緩い箇所が平均値を下げてしまっている。
農道であるため単純比較はできないが、それでも谷稲葉坂は国内トップクラスに入る坂道なのかもしれない。まさか廃道となっているとは思いもよらず、正確な測定ができなかったのが心残りだが道が消滅する前に訪れる事ができほっとした。



それにしても坂はいつからこのような惨状になってしまったのか。帰宅後、空撮写真で過去に遡り確認すると茶園が荒れ始めたのは2015年以降だと思われる。同時期に撮影されたストリートビュー画像では茶畑の畝は保たれているため、ここ数年で一気に荒れていったようだ。
このまま坂を消滅させるのも惜しいので、自転車による激坂チャレンジなんかで使用したら面白いのかもしれない。

山の中腹から見渡すとお茶の産地だけあって至る所、斜面に張り付く茶畑の姿を見る事ができる。この県には、谷稲葉坂以外にも無名の激坂が数多く眠っている事だろう。
静岡県訪問ついでに変わった隧道巡りも行ったので何枚か掲載。

掛川隧道1701tunnel04.jpg
掛川隧道1701tunnel03.jpg
掛川隧道1701tunnel01.jpg
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素掘りトンネルが連続する不思議な小道。

[了]

●2016年5月某日/リニア建設予定地を訪ねる〜静岡工区編〜.02

1605shizutop.jpg
静岡県の最深部に位置するリニア中央新幹線静岡工区。
本線は地下深くを通過するためリニア自体は地上に顔を出す事はないものの非常口や宿舎が建設される。
現場は延々と続く林道の先にあるアクセス困難な山中に存在、
車両の通行も規制されているため唯一の訪問手段は自転車での走破。
そんなわけで片道27kmのダート林道を大井川上流へと走り続け途中に点在する
残土置場予定地等を見学しながら二軒小屋に到着した。
本日の第一目的は達成、しかしリニア本線予定地はこの場所よりさらに奥地。
涼しい風が吹き抜ける二軒小屋の空き地でしばらく寝転び体力も回復、
非常口や宿舎が建設される西俣と呼ばれる谷の奥地を目指し出発した。


前回の記事

※JR東海のプレスリリース資料などから読み取った勝手な自由研究なので資料的価値はありません。

リニア予定地長野県大鹿村編
リニア予定地愛知県名古屋市編
リニア建設予定地:岐阜県中津川編
リニア建設予定地:岐阜県中津川編2回目
リニア建設予定地:山梨県早川町/山梨駅編
リニア建設予定地:長野県飯田市/長野県駅編
リニア建設予定地:山梨県/早川橋梁接近編


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●東京電力田代ダム
地響きを感じるような迫力ある滝。大井川本流は二軒小屋ロッヂ脇で滝となって流れ落ちていた。この滝、実は尾根を削り取ってできた人工のもの。本来の大井川は田代ダムによって蛇行部分をせき止められたダム湖となっている。

田代ダム1605shizuoka0501.jpg
田代ダム1605shizuoka0503.jpg



田代ダムは急峻な傾斜と豊富な水量によって電源開発の対象とされた大井川に数多く建設された発電用ダムのひとつ。大井川の水は地中の導水管を経て山を越えた山梨県へと流れ発電後、早川へと流される。早川は富士川の支流なので最終的に駿河湾に流れ込むという結果は変わらないが、本来大井川として静岡県を流れるはずの水の大部分は人工的に山梨県へ運ばれているということが前回の水利権の話に繋がってくる。

昭和初期のダム建設から70年余、紆余曲折を経て水量の一部は大井川へと返還される事となった。目の前で豪快に流れ落ちる滝もかつてはここまでの水量はなかったのではないだろうか。滝つぼへ近づくと舞い上がる水しぶきがファインダーを白くした。


林道東俣線自転車ツーリング1605map06.jpg


畑薙第一ダム横の沼平ゲートから始まった片道27kmにおよぶ林道東俣線走破もなんとか二軒小屋ロッヂまでは達成。リニア本線予定地まではあと一息。
この滝から第二幕が始まる。と思ったのもつかの間行く手は通行止めと書かれたゲートで封鎖されていた。ゲート脇にはわずかな隙間があるものの入って良いのものか気になったので二軒小屋へと戻り作業中の方にうかがうと、いいですよとの答え。

気を取り直し今度こそ出発。隙間に自転車をくぐり込ませゲートを抜け出した。真横の田代ダム堰堤を登りきると不思議な色の水面が目に飛びこんできた。赤石ダム湖面も不思議な色をたたえていたがこちらはさらに鮮やかな色。流れもなく滞留する大井川。水闘争の舞台になったとは思えないさわやかな光景だった。

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美しい光景にしばし心休まったのもつかの間、ダム裏のトンネルを抜けると登り坂が始まった。
暑い。畑薙ダムから二軒小屋までの東俣林道は頭上に生い茂る木々が日差しを遮っていた。しかし木々も減少、初夏の日差しが容赦なく照りつけ先ほどベンチで寝転び復活したはずの体力も再び失われていく。漕ぐ足を止めては水を補給しながら自転車を進めていくと橋が現れた。


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数十キロに渡り遡ってきた大井川本流は橋の真下で東俣川と西俣川のふたつに分岐している。
写真は東側へ流れる東俣川。

1605shizuoka0511.jpg



当初JR東海より公表されたリニア計画案では南アルプストンネルに通じる西俣非常口から掘り出した残土は、トンネル内を運ばれ東俣川を渡り山々の稜線に運び入れる予定となっており実際に東俣川でもボーリング調査が行われていたようだ。
しかしこの案には無理があったのか結局中止とされ、残土は先ほど通過した燕沢へ専用トンネルを用い運び込まれることになった。そのため東俣川方面の訪問はなし。東俣川を遡った上流にはかつての林業の作業場跡や廃車、廃橋など、数多くの遺構が残されているようでいつかこちらも挑戦してみたいもの。

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橋を渡ると川と同じく行く手も二つに分岐(上記写真)。今回は西側にある西俣非常口予定地目指し西俣川方面へと足を踏み入れた。それにしてもげんなりするような登り坂だ。

リニア静岡工区南アルプストンネル地図1605shizumap1.jpg



分岐点を過ぎるとダート道の傾斜はさらに増していく。ペダルを踏み込む気力も失われひたすら自転車を押しながら一歩一歩進んでいく。奥へ進むにつれ林道はさらに荒れ始めた。
しかし地図を見ればリニア本線予定地まではあとわずか。

リニア静岡工区1605shizuoka0513.jpg
リニア静岡工区1605shizuoka0514.jpg


いつ崩落するかわからない不安定なガレ場。崩れた土砂の合間に見える白いものは落石で粉砕されたガードレールの残骸。削られた路肩から眼下を覗き込めば飛沫を上げる渓流。この地下深くに掘られたトンネル内を時速500kmの車両が走り抜けるとは思えないハードな光景が広がっていた。

リニア南アルプストンネル静岡工区地図2001linearshizuokamap.jpg



まもなく姿を現すであろう二軒小屋発電所まではダートとはいえ車道が通じているのは下記地図でも確認済み。
問題はそこから先。リニア西俣非常口予定地までのアクセス路だ。地形図によれば二軒小屋発電所からリニア西俣非常口予定地までの道は不明瞭、または記載されていない状態となっている。

時代を遡れば発電所からさらに奥、西俣深くにもかつて林業や堰堤建設のために敷設された車の通行可能も車道が存在していた。しかし時を経て廃道状態となり、西俣を訪れる登山者や釣り人は川を徒歩で渡りながら遡行していたようだ。

リニア静岡工区地図1606shizuoka01map6.jpg

ところが最近リニア西俣非常口予定地へ通じる新しい林道が敷設されたとのこと。航空写真を開くと確かにダートらしき道が川に沿って上流へと続いているのがわかる。非常口予定地へはこの林道をたどり蛇行する西俣川に架けられたを三つの仮設橋を渡る必要がある。航空写真によればひとつめの橋は二軒小屋発電所付近にあるようだ。


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●二軒小屋発電所
新緑に覆われた山々の一画に見えた灰色の人工物、二軒小屋発電所。東俣川、西俣川上流の堰から地中の導水管で引いた水で発電が行われている。建物内からはブーンという低い音が静かに響いている。南アルプストンネルが通過するのはまさにこの地下のあたり。

二軒小屋発電所1605shizuoka0515.jpg


この発電所真横を通過した道は眼下の西俣川へと下っていく。航空写真によれば間もなく一つ目の橋が現れるはず。予想通り行く手に川を渡る茶色い橋らしき姿が見えた。あの橋を渡れば残りは平坦なダート道数キロを自転車で走るだけ。ゴールも間もなく。

それにしてもどこか感じる不思議な違和感。橋に近づきその理由が判明した。

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橋は崩落していた。

手前の覆工板だけが消え去っているため崩落というよりも通行を規制するため意図的に取り外したのかと思ってしまったほど。しかし自分が立つ林道も路肩が崩落、橋の手前十数メートルで道そのものが消滅してることから川の増水による災害の影響だろう。
ヤマレコでは2年ほど前、この橋を渡った登山者の記録があるので崩落はここ1年ほどのことだろうか。

リニア静岡工区1605shizuoka0517.jpg
リニア静岡工区1605shizuoka0518.jpg


どちらにしろ西俣非常口予定地への唯一のアクセス路は遮断されてしまった。発電所付近に重機が一台停められていたものの修復に取りかかったような形跡は見当たらない。橋自体は仮設風なので覆工板を設置すれば復旧可能、しかし問題は十数mに渡ってごっそりと削られてしまった手前の路肩。足下を見ると細かい砂利が詰まった見るからにもろそうな地盤。素人目にはこちらの修復のほうが大変そうだ。



しかし困った。いよいよ佳境に入ったリニア探索はこの場所で足止め。なんのために苦労してここまで自転車を走らせてきたのかわからない。先行者が設置したと思われる立てかけられた木があるので、身一つならば橋上によじ上ることは可能にみえる。しかし自転車は引き上げられないだろう。川辺に立ち、西俣川の流れをじっと観察。水深は深いところで膝くらい。幅はそれほどでもなく浅瀬を選べば渡れそうにも見える。

かつての笹間渡探索など大井川を水につかり渉河した経験は何度もあるが問題は自転車。水中でバランスを失うのが怖く共に渡る気が起こらない。となると問題なのが残り時間。
目的地の西俣非常口まではこの先まだ片道数キロの林道が続く。自転車ならばたいした事のない距離も徒歩となると話しは別。今朝ゲートを出発した際、決めていた行動停止時間を大きくオーバーするのは確実。帰路は再び30kmのダート林道。パンク等万一のトラブル発生も考慮すると14時には西俣を出発したい。ヘッドライトは持参しているものの熊が出没すると噂される東俣林道を夜に走る事はどうも気が進まない。登山、探検において必ず決める行動停止時間を守るため深入りを避け川を渡るのを諦めた。



それでも諦めきれず橋の脇から周囲を見渡していると発電所裏手の断崖上にガードレールらしき白い帯がちらりと見えた。再び発電所に戻り周囲を探すと山側へ続く空間が現れた。[下記写真の山側]。かつて西俣奥地と二軒小屋を結んでいた本来の道の名残のようだ。落石が埋め尽くし奥の様子は窺い知れないがこれならばいけるかもしれない。

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石と背丈ほどの草に覆われた旧道に足を踏み入れた。「旧道」の様子は見ての通り。
自転車を肩に担ぎ転がる落石を乗り越えて進むものの出発からわずか数分で自転車を放棄することになった。石を乗り越え倒木を潜り草木をかき分け断崖上の廃道をたどっていく。しかし今日は靴を始め登山用の装備ではないため歩きづらい事この上ない。



悪戦苦闘しながら歩いていった廃道はやがて崩落とともに消滅した。普段の自分ならばものともしない程度の崩落なのだが本日は30km近いダート道を登り続けた自転車漕ぎによって疲れた体にはすでに気力も体力もなく大きな落石の上に座り込んだ。


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高台に位置する廃道から眺めると本来自転車で走る予定だった林道が西俣川対岸によく見える。
MTBならば走りやすそうなフラットダート。やはり無理矢理川を渡るべきだったか、まだ間に合うかもしれないと観察しているとカーブのあたりで路面に散らばる落石が見えた。[下記写真]まさかあちらも駄目なのか。


リニア静岡工区1605shizuoka05222.jpg



気になったので崩落を乗り越え廃道を進みがけ崩れ全容が見えた。[下記写真]
最初の落石のさらに先、崩落した土砂が路面を完全に塞いでいる。砂が滑り出さない安息角ぎりぎりのきわどい状態。最初の崩落は迂回できるがこちらは無理だ。路肩も川の流れに削られ路面は1/3ほどしか残されていない。

万が一先ほどの第一仮設橋が残されていても結局はあの場所で行き止まり。自転車があるので川に下りての迂回も不可能。逆にこれであきらめがついた。この場所で今回のリニア予定地探索は終了。

リニア静岡工区1605shizuoka0523.jpg
リニア静岡工区1605shizuoka0521.jpg

引き返す前にさらの奥地にある非常口を写真におさめる。はるか先に第二仮設橋の姿が見えるものの蛇行する西俣川によって視界が遮られ、第三橋は視認できなかった。非常口予定地はまだまだ先。



それにしても西俣非常口へと通じるアクセスの軟弱さは予想以上。崩落自体の規模はそれほどでもなく橋を直し、重機が入ればすぐに土砂を取り除くことができそうだが、路肩の復旧の方が素人目には困難に見える。今後、西俣非常口においてはまずは安定したアプローチの確保が課題といったところか。



発電所に転がしたままの自転車を回収すべく廃道を引き返す。現在地からは沼平ゲートに置いた車まではダート林道を約30km。さらに畑薙ダムから下界までは延々の距離、自宅到着は一体何時になることだろうか。
愛知、岐阜、長野、山梨と2年に渡って続いたリニア予定地探索の自由研究は静岡編で一旦区切り、工事の進捗を見計らい再び各所を訪れたいと思う。

[了]

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