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●1998年春/イラン徘徊 Part.4〜バム編〜

  • 2012/06/13 21:25
  • Category: 海外
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バム。 砂漠の中にぽつんと現れる小さなオアシスの町。
ホルムズ湾を望むバンダルアッバスから乗ったバスは断層つらなる巨大な山塊を
エンジンも絶え絶えに登り切り、峠を越えると眼下には広大なバムの平野が広がっていた。
下り坂に入るとバスは息を吹き返したように一気に下りバムの小さなターミナルへ到着した。


ミノルタX-700 28mm/50mm/135mm

[前回の記事]



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バムはこの旅で訪れた町の中で最も小さいものだった。町というよりも少し大きめな集落をイメージしてもらえればよい。こんな小さな町をわざわざ訪れた理由は、郊外にある廃墟となった巨大な土の城「アルゲ・バム」が目的。





今でこそ有名になったイラン、バム遺跡、しかし1998年当時は無名の存在だった。
だがアジアを横断するバックパッカーの間では古くから語り継がれてきた伝説の城。自分も各地の安宿に置かれた情報ノートに書かれた「イランを訪れたのならここだけは絶対に行くべし!」という熱い声に押されやってきたのだった。

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同じイランの遺跡でも数週間前に訪れた、かの有名なペルセポリスは自分の期待を大きく裏切り写真もほとんど残っていない。

しかし、バム遺跡は違った。

王宮だったという柱が無機質にポツポツ立ち並んでいたペルセポリスは過去の息吹というものをまったく感じさせないつまらない場所だったが、バムはかつての町と城がそのまま残され「遺跡」というよりもむしろ「廃墟」と呼ぶ方がふさわしい。

事実この町はある日突然放棄されたのだ。突如町から住民が消えた理由は今だ不明だが、バム遺跡には歴史的な意義や建築上の特色があるわけでもないようで、考古学者達からはほとんど無視されてきたという。しかし自分にとっては、歴史上有名なペルセポリスを遙かに上回る存在感に完全に圧倒されてしまった。

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半日ちかくうろうろしていても誰1人観光客と出会わない廃墟感。
順路もなく勝手気ままに巨大な廃墟内を探検気分で歩き回る。洞窟のような住居跡に入り込み、通りを曲がると行き止まり、時折現れる野犬、子ども、崩れた塀。また行き止まり。よじ登る。まるで迷宮に迷い込んだかのようである。



午後、城壁の上でぼんやりしていると一人旅らしきドイツ人がやってきた。彼のカメラは高価なニコン製。自分はボロボロのミノルタX700。カメラ談義で盛り上がる。カメラを交換して試し撮りをしてみたり。日本製とドイツ製は世界最強だぜということで意気投合。

日が傾いた頃また白人が登ってきた。こんどはフランス人バックパッカー。自分が見た限りリュックを背負って辺境を一人旅するバックパッカーは、日本人とドイツ人が最も多い。フランス人がそれに次ぎアメリカ人はほとんど見かけない。
今回はイランなので敵対するアメリカ・イスラエル人がいないのは当然だが、その後訪れた他の国々でもイスラエル人バックパッカーは多数見るもアメリカ人はツアーばかりだった。

また日本人バックパッカーは現地になじみ身軽に旅をするのに対し、白人は頭から飛び出るほどの巨大なリュックを背負っている。宿で隣のベッドになったときなどリュックから何が出てくるか見ていると電気スタンド、鍋、分厚いペーパーブックなどが次々に登場、ベッド周りにこぎれいに配置し自分の砦を作り出すのも彼らの特徴。
とまあいろいろなことを学んだ初めての海外一人旅でもあった。
バムの城壁で話したフランス人はアジアを東へと横断、最後に日本まで行くと行っていたが無事に着けたのだろうか。



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バム遺跡で一日がおわり日が沈み始める。城壁や家の跡が作り出す黒い影が遺跡の立体感をより鮮明に作り出して行く。城壁の向こうに続く広大な砂漠。そして無人の街。人の姿も見えず、動くのものは空を旋回する鳥だけ。やがて影が城跡を包み込んで行く。
この巨大な空間を自分一人が独り占めにしているのだ。テヘランから遥か離れた砂漠の街バムをはるばる訪れよかったと心から感じた砂漠の果ての廃墟であった。



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バムで泊まったゲストハウスでは宿の親父にどうもおまえの英語は下手だと説教される。英語ができるイラン人は悪気がなくとも、何かと自慢する癖があるようで辟易することが多かった。まあ義務教育を受けたにもかかわらず自分の英語が下手なのは事実なのでその通りなのだが。



このバムという町は、5年後の2003年早朝、大地震におそわれ数万人の死者とともに完全に崩壊することになる。巨大な城跡も土埃とともに崩れ去り、当時の面影はまったく残っていないという。
その後あわてて世界遺産に指定されたと言うが往時の姿を再建するのはもう不可能だろう。どこか幻のような城だった。

英語にうるさかったゲストハウスの親父は元気だろうか。



ナツメヤシに覆われた小さなバムで数日が過ぎた。その後パキスタン国境に近い辺境へ向かうつもりだったが、宿の親父が治安が悪く危ないと止めるのでイラン中央部へ向かうことに決めた。
荷物をまとめバムの中心にあるバス会社のオフィスへと向かった。


【続く】
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