FC2ブログ

●1998年春/イラン徘徊 Part.7〜テヘラン編〜

  • 2013/02/01 22:49
  • Category: 海外
1998iran05top.jpg
初めての海外一人旅で訪れたイランを
ダラダラと放浪しすでに1ヶ月近くが過ぎた。

やがてテヘランにもどった自分は知り合ったイラン人宅に泊めてもらうことになった。
彼らと日常生活を送りながら観光をするでもない不思議な毎日を過ごしてく。

1998iranmemo0232.jpg
















当時日記代わりのノートに
書いた渋いホメイニ師。
これをおばあさんに見せると
ふにゃららーとお祈りを始めた。




[前回の記事]

イスラム国家では女性は差別・抑圧されているという。
確かに後年、訪れた他のイスラム国家では町で女性はほとんど見かけず、自宅でひっそりと生きる「影」のような存在であった。
しかし最も教えが厳格なシーア派国家イランで見た女性達は他のイスラム国家とはどこか違っていた。
チャドルと呼ばれる服装の制限はあるものの、カフェでアイスを食べたり買い物を楽しむ女性達。

テヘランの女子高生達は少しでもおしゃれをしようとチャドルを短く折り曲げたり前髪を少し出してみたり茶髪にしたり。知り合ったイラン人のオフィスに遊びに行ってみるとチャドルを来た女性がパソコンを使いこなし部下の男性にあれこれ指示を出す。車の一方通行を巡り男性と大声で言い争うおばさん達。いろいろな意味で驚かされる光景だった。



同時に多くのイラン人の自宅に泊めてもらう機会が多く、普通の旅行では知ることのできない家庭でのイラン女性の様子も知ることもできた。
普段真っ黒のチャドルで体を覆っているイラン人女性も、宗教警察の目の届かない自宅へ帰宅すると真っ先にチャドルを脱ぎ捨てる。



1998iran0510.jpg


いったいチャドルの下は何を着ているのだとどきどきしながら見つめると意外にも普通の服装。中にはタンクトップでガンガン音楽をかけ踊ったりしている女性なんていうおもしろいギャップも見ることができた。

この写真、チャドルをまとった怪しい女・・・、と思いきや実は自分(男)。泊めてくれた家のお母さんが、試しに着てみたら?と貸してくれた。
まとい方を教わりながら苦労して着てみると見ての通り少々暑苦しいのだが、これが逆にイランの強い日差しの下では日焼けよけにはなるのかもしれない。この格好で居間に姿を表すと女性陣からは似合うねえの声をいただくことができた。



そういえば昔、地理の授業でイスラム教徒は1日5回お祈りすると習ったがこの規則をしっかりと実行していたのは唯一この家のおばあさんだけ。他の家族がお祈りを行っている姿はついに見ることはなかった。他の町でも、知り合った日本語使いに突っ込んでみると笑いながら日本語で一言「だってめんどくさいもん」。


革命で世界を震撼させ、ホメイニ師が君臨し、イスラム国家の頂点に立つ厳格なシーア派宗教国家イラン。そんな国を実際に訪れ、彼らの生活に入り込んでわかったこと。そう。みんな結構適当なのだ。宗教的制約が多いのも事実だが、特に大都市テヘランあたりの市民はそれを適度にあしらいながらたくましく生きている気がする。




それにしても国民のあか抜けた感じはどこから来ているのだろうか。
1979年。市民の熱狂で独裁王政が打倒され宗教国家が成立した。しかし革命前は一時期とはいえ自由な空気もあったのは事実。当時のテヘランの映像を見ると若者の服装、街並みは西側諸国と変わらない。
国民の意思で革命が行われたにもかかわらずその熱気も醒めた今、あの時代を懐かしむ声も多いと聞く。他のイスラム国家とどこか違った違和感を感じるのは、数百年にわたり厳しい信仰が続く他国と違い、わずか30年ほど前、国民が一度経験した「自由」があったからなのだろうか。





そんなことをしているうちにイランにも正月がやってくる。
といってもこちらではキリスト誕生から数える西暦ではなくイラン暦が使われている。


1998iran0509.jpg


今年もあと数日という夕方、知り合ったイラン人のひとり、ムハンマドさんとテヘランの市場を見に行ってみる。関係ないがイランではあの予言者と同じ名前「ムハンマド」が異常に多い。そんな大物の名前を名乗って大丈夫なのかと心配になるがあまり気にしてはいないようだ。

さてサヴァリと呼ばれる乗り合いタクシーで街中まで降りてみると年末の慌ただしい雰囲気は日本と変わらない。そんな道ばたの広場でさらに多くの人だかりを見つけた。

人をかき分けムハンマドさんとのぞき込むと、どうやら中央で何かをしゃべっている上半身裸のヒゲの大男が大道芸を実演しているようだ。そばに置かれたボロボロの乗用車の運転席にはヒゲ男の息子らしき少年が乗り込んでいる。
なんとこの少年が運転した車で道路に横になった自分の体をひかせてみるという。

車がヒゲ男の体を通過し、怪我もなければ拍手喝采、というありきたりなストーリーなのだろう。
いよいよエンジンが始動し、少年が運転する車が仰向けに寝そべる男の体の上を通過した。
思わず目をつぶってしまう。

果たしてヒゲ男は無事なのか。

とはいっても、しょせん芸なのだから無事なのはあたりまえ、すぐに立ち上がり金を集めるのだろうと他の観衆ともども男に目をやると身悶えし痛がっている。どうせ客を驚かすための演技なのだろうと安心して見ていたが、立ち上がることができずいつまでも地面で倒れている様子を見るとどうも演技ではないようだ。予定していた場所とは違う部分をひいてしまったのだろうか、あわてて運転席から降りてきた少年がヒゲ男のもとへ駆け寄った。


あきらかに大道芸の失敗。しらけた雰囲気が広場を包み、ふと気が付くと周囲の人垣も崩れはじめていた。痛がりながらなんとか服をまといはじめたヒゲ男を尻目に車を運転した息子らしい少年が金を集めにきたが、大道芸の失敗を目にした人々は首を横に振り、誰1人として金を払おうとしない。

少年は日本で言えば小学校低学年だろうか。観衆から無視されながら、それでも丁寧に人垣を巡回する。見るに見かねて自分とムハンマドさんが彼の帽子にリアル紙幣を入れた。



帰国後しばらくして、これとよく似た話を読んだ。沢木耕太郎の「深夜特急」ペルシア編だったと思う。道ばたの大道芸人が鎖を切るに切られず、頼むから切れてくれと主人公が冷や冷やしてしまうという話だったように思うがそれから30年後、同じイランで同じ様な経験をした。

醒めた視線の中で服を着始めたあのヒゲ男、そして息子の心境を思うと人ごとだというのにどこかいたたまれない気分になって落ち込んでしまう。

冷たい風が吹き付けるテヘラン。年末の底冷えがやりきれない心境を増幅させる。見知らぬ外国。初めての一人旅。もしこれが1人であったならばこの心境に耐えきられなかったのかもしれない。しかしさまざまな偶然が重なって、異国人である自分と一緒に過ごしてくれる人々がいる。本来ならば寂しく過ごすはずであったイランの年末、年始は大勢の人と越すことができそうだ。買い込んだ食材を二人で抱えてテヘラン郊外の自宅へ戻る。

いよいよ大晦日。

ここ数日泊めてもらっているムハンマド家では果物や野菜をペルシア絨毯の上に並べおばあさんがなにやらお祈りを捧げている。イラン版紅白でもやっていないのかと日本製テレビをつけてみると最高指導者ハメネイ師が偉そうに説法を延々と話している。おそろしくつまらないので瞬時に消す。他の家族も同感だそうだ。




イラン暦1377年1月1日(キリスト教の西暦では1998年3月21日)ノールーズ、元旦。
年が明けるとムハンマド家にも年始の挨拶に大勢の親戚が集まってきた。このあたり、日本と変わらない。

1998iran0503.jpg


日本で年始の挨拶に言った親戚宅にイラン人がいたら驚かれることだろう。逆にムハンマド家には怪しい日本人が1人混ざっているのだが、不思議なことに誰も驚かない。みなでサッカーをやったり記念写真を撮ったり。

しかしその中にまた自称英語の教師という親戚が混ざっており(なんで毎回英語教師が現れるんだ)英語の善し悪しを再びウダウダ言われる羽目になった。
毎度のことながら英語ができるイラン人はどうもそれを自慢する傾向が強いようだ。こいつとはちょっと距離をとり他の奴らと遊ぶことに。



今日は朝からイラン人の町内フットサル大会に呼ばれることになった。

ちょうどこの数ヶ月前、フランスワールドカップ最終予選ジョホールバルの悲劇というのがあり(日本では歓喜)その鬱憤を晴らすためかイラン人全員が本気でかかってくる。


1998iran0508.jpg


多少は脚に自信があったので日本人の力を魅せてやらねばと挑むもわずか数分で息が切れはじめ、思うように体が動かない。そう、テヘランの標高は1500m。
しかもこの住宅地はさらに標高が高い北側の斜面。当然空気が薄いのだ。到着したばかりの人間がここに数十年住んでいる奴には勝てるわけがない。コートを走り回ることわずか10数分。ギブアップ。交代を申し出る。

これが日本人の実力だと思われてしまったとしたら悔しい限り、情けなくて日本代表に顔向けできない。試合終了後、片言の英語やペルシア語で会話をするも皆日本のサッカーに詳しく驚かさせられる。日本代表選手はもちろんJリーグチームや選手もかなり知られている。こちらが唯一知っているイランの英雄アリダエイのことを誉めると皆大喜びしてくれる。


やがて日も傾きここ10日ほど泊めてもらっているムハンマド家へと帰路につく。

もう通い慣れた道。
地元民しか知らないであろう裏の抜け道に入るとここ数日、知り合った顔に次々出会い挨拶。



1998iran0507.jpg


しかし俺は遠くイランまでわざわざやってきて何をしていたのだろう。ここテヘランにだって観光地は多数あるというのに、人質事件の舞台となった旧アメリカ大使館以外一つも訪れず下町のイラン人と遊び歩く毎日。

やがて夕焼けがテヘラン北部の住宅地をつつみこむ。門をくぐり家へと戻ると家族がおかえりと言ってくれる。本来ならば誰も自分を知る人間がいない遠いイランでこうして待っていてくれる人がいる。





テヘラン、メヘラーバード国際空港。16時。ついにイランを発つ。

1998iran0513.jpg


上着をペナンに忘れTシャツで到着した吹雪の空港で不安と重圧に押しつぶされそうになっていた自分を優しく迎えてくれたこの国の人々に感謝。初めての海外一人旅だった自分が、一度もすりや盗難に遭うこともなく旅ができたのも、運、そして現地の人々の親切があったからであろう。

同時に厳格のイメージとはかけ離れた国民の生の姿を見ることができた貴重な旅でもあった。イラン航空の古びた機体が滑走路を動き始めると同時に強い疲れを感じ眠りに落ちていった。


無事に帰国できるとほっとしたのもつかの間、この10時間後、リコンファームに失敗したのかトランジット先のクアラルンプールで日本行き飛行機に座席がないという悲劇が。カウンターでIt's fullと冷たく答える某航空の担当者に片言の英語で泣き落としで頼みこみ、定刻の数分前になってなんとか関空行きに空きが見つかり滑り込む。
こんどこそ本当にゆっくり眠ることができるだろう。

【イラン編了】

今から15年前の記録なので現在のイラン事情とは変わっている可能性があります。
※また時間ができたらパキスタン編をアップしていきたいと思います・・・。





スポンサーサイト



Pagination

Utility

プロフィール

hou2san

Author:hou2san
●なにかあれば
下記メールフォームで。↓
場所を教えろよなんてことでもいいです。

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

最新記事