●2014年5月某日/GW.四国の廃校と海を巡る〜遍路道の廃校編〜
- 2014/05/26 22:06
- Category: 廃校

日本列島を形成する四つの島で最も小さな面積を持ちながら不思議な奥深さを持つ島、四国。
最近再びその魅力に取り付かれ思い返しただけでも昨年あたりから5回ほど訪れている。
そして2014年、GWも迷うことなく四国行きを即決。
わずか三日間という短い日程の中で今回は四国南西端部を中心に徘徊。
廃校はもちろん本土とは思えぬ海といった魅力的な光景を見つけることができた。
※本記事は訪問時のものです。現在の状況は異なっている可能性もあります。
GW前半の行程は省き一気に高知県の南端、黒潮町のあたりまで。
早朝4時に大阪を発ったのが正解。GW渋滞に巻き込まれることなく、南へと延び続ける高知自動車道の影響で前回、かなりの時間を要したと記憶している道中はわずか5時間ほどにに短縮され朝9時台には四国太平洋岸に達することができた。携帯を見ると数時間前通過したばかりの西宮から月見はもちろん、さらに明石大橋まで渋滞が繋がり真っ赤になっている。危ないところだった。

高知県南端。目の前に広がる太平洋。
広大な大海原を海流に身を任せ流される。あるいは絶海の孤島で切り開き未来を模索する。古くは幼少期の「2年間の休暇」「神秘の島」、あるいは「あやうしズッコケ探検隊」。最近では吉村昭の「漂流」「大黒屋光太夫」「アメリカ彦蔵」。そんな漂流物を昔から読んできた。
そしてここ高知県でも漂流によって人生を大きく変えた男がいる。現在地、土佐清水出身の漁民、ジョン万次郎だ。
漁民→漂流→無人島生活→アメリカ船に救助→ハワイ→米本土→猛勉強→捕鯨船の副船長→金鉱発見の末、ついにへ日本へ帰還。こんな数奇な運命をたどったこの男、高知県(土佐藩)が誇る坂本龍馬と同時期の人物なのだが圧倒的な知名度を誇る龍馬に比べなぜかいまひとつ知られていない。一応侍の家に生まれた坂本龍馬よりもよほど波瀾万丈な人生を送った人間ではないかと思うのだが。
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漂流の末、流れ着いた海外で望郷の念に駆られ続け辛くも帰還した漁民達にとって江戸時代は過酷な時代だった。歓迎どころか厳しい取り調べの末、隔離生活を余儀なくされ貴重な海外体験談も世に出ることなく封印されてきた。ところが万次郎の時代は運良く幕末、弱肉強食の列強時代だった。極東という地理的要因もあってかアジア諸国の中で欧米からの接触、侵略が遅れていた日本にもついに触手が届きはじめ幕府も外交に顔を背け続けるわけにもいかなくなった。そんな折、万次郎の英語力さらに白人に物怖じしない交渉力が評価され幕府、さらに新政府で大きな役割を果たすこととなる。
トラブルを跳ね返す努力、そして親切な船長との出会いといった幸運によって見事なステップアップを遂げた人生だ。同じようにロシアに漂着しながら日本に帰還することができた同時代の人物に大黒屋光太夫がいる。彼ら二人の伝記を何冊か読み、気がついたとある共通点、それは「好奇心」だ。
この両者、ともに単身で漂着したのではなく同じように異国に漂着した船仲間が存在した。しかし仲間達はなじまぬ食事や待遇、通じぬ言葉に、愚痴を言い続け次第に疲弊し病死していくていく。ところがこの二人、生まれつき強い好奇心の持ち主なのか、言語、風景、食事など見るもの全てに新鮮さを覚え、みるみる異国になじんでいった。その適応能力の高さに驚かされる。自分も歳をとろうとも「好奇心」を忘れずにいたいものだ。
村から出ることもなく、生涯を終える人も多かったであろうこの時代、彼も漂流というピンチがなければ土佐の漁村で貧しいながらも平凡な一生を終えたのかもしれない。自ら望んで世界に飛び出たわけではないものの、結果として逆境に打ち勝ち、ついに故郷に錦を飾った万次郎を尊敬してしまう。
当時漂流民が日本沿岸でアメリカ船に拾われるという事例が多かった。なぜアメリカ船が鎖国中の日本沿岸を徘徊していたかというと当時はまさに捕鯨全盛期。今でこそ捕鯨に口やかましいアメリカ人だが、当時は大量の捕鯨船が太平洋を所狭しと走り回りアメリカ人自ら鯨を捕りまくっていた。そんな彼らが日本人を救った理由はシーマンシップによる親切心はもちろん、場合によっては幕府との外交カードとして使えるのではといった下心もあったろう。またジョン万次郎はじめ、生還したからこそ歴史に名前が残ったわけで、そんな事例はごくわずか、おそらく数%にも満たないだろう。無線もない時代、船乗り達は一旦漂流しはじめると救助の見込みもなく海へと消えていったのだ。
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幹線道路を外れ山道を走り続ける。時折現れる里山では何匹もの鯉のぼりが空を泳ぐ。山を越え再び平野に出た直後の田んぼ脇で目的の廃校を見つけることができた。
と言っても予め場所を調べておかなければ建物に気づくことなく通り過ぎてしまっただろう。芽吹き始めた新緑の木々に埋もれて建つ黒ずんだ平屋。かつての分校跡。新緑鮮やかな周囲とは対照的にこの建物だけ彩度が消え落ちている。


この校名で検索すると遍路サイトが多数引っかかる。正面を走る田舎道はいわゆる「へんろ道」といわれれる巡礼路らしく、廃校がお遍路さん達の休憩ポイントとなっているそうだ。
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ここから一気に大月町へ向かおうと選んだ県道46号線はなかなか手強い山道だった。道路幅自体は四国の山道としてはとりたて珍しくはないとはいえ、断崖ぎりぎりに朽ちた道路が敷設されているため路肩を踏み抜きが恐ろしい。神経を使う30分間、幸いなことに対向車に出会うこともなく抜けることができた。


悪路に沿って途中から平行して流れる伊与野川。青が印象的な淵につい車を停めて見下ろしてしまう。この1時間後、さらに深い青色に出会うことになる。

高知県最西端に位置する柏島。今回の目的地のひとつ。
地図で見ての通り大阪を起点に考えると四国で最も遠い場所にある。10年以上前訪れた際には曲がりくねった狭路に手を焼いた記憶があるが近年、大堂トンネルをはじめ周辺道路が整備されたおかげでアクセスは格段に向上した。
この柏島、島と言っても船に乗って上陸するような離島ではなく、四国本土からは50mほどの短い架橋で繋がれたわずかな距離に位置している。車だと一瞬で通過してしまうためか、あまり「島感」を感じることもない。

高知県柏島と言えばダイビング、そして本土離れした青い海。噂通りダイバーを載せたボートが行き来する柏島と四国本土を繋ぐ橋から俯瞰した海の色は見ての通り不思議な色をたたえている。昨年訪れた沖縄の離島、慶良間諸島の写真だと言っても遜色ない透明度。
おもしろいのが、この場所、広大な大自然に囲まれた南国の珊瑚礁というわけではなく、田舎によくあるいわゆる日本の漁村風景と共存していることだ。日本離れした青い海の真横にはコンクリートの岸壁、和船が停泊、民家が海辺に立ち並ぶ。



古びた橋の欄干に手をつき水面を眺めていると通りかかった地元の方がきれいでしょと自慢げに話しかけてくる。
あの澄んだ海水につかりたい。というわけでこの後、眼下の水辺に下り持参したマリンシューズを履くと、朝方、黒潮町で海に入れなかったストレスを解消するため、ひたすら水遊び。気がつくと時刻はすでに16時前。こんな事をしている場合ではない。次の廃校を探さなければとあわてて柏島を出発した。
あまりにも気に入った柏島、翌朝再び訪れることとなった。
[続く]
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