●2014年10月某日/牛窓水没地帯。海へと戻ったリゾート施設。
- 2014/11/27 22:08
- Category: マニアックスポット

岡山県にある瀬戸内海牛窓町の海岸線を走行中、
車窓に広がった不思議な光景に思わず車を停めた。
なんと眼下に町がそのまま水没しているのだ。
とはいっても周囲は穏やかな瀬戸内海。
近隣で最近津波や高潮のような災害があった話は聞いたこともない。
いったいこの場所で何か起こったと言うのだろうか。
photo:Canon eos7d 15-85mm
※本記事は訪問時のものです。現在の状況は異なっている可能性もあります。
ペンション、ヨット、マリーナといった自分には縁のなさそうなリゾート施設が点在する岡山県瀬戸内市、旧牛窓町の海岸線。白を基調にした古びた建物、至る所に登場する「日本のエーゲ海」といったレトロなキャッチコピー。思わず感じてしまうのはバブルといったキーワード。
そんな一昔前を感じる瀬戸内海沿いを進んでいくと不思議な光景が現れた。

眼下には穏やかな瀬戸内の海、そして小さな平野が広る変哲のない風景。
そんな光景の一部に、冬枯れの木々が広がる湿地帯のような区画がある。一見、野鳥の生息地のようにも見えるこの場所、ところがよく眺めると自然にできたものではない。
数分前、この風景にどこか違和感を感じながら一旦は通り過ぎたものの、やはり気になりUターンして戻ってきたのだ。

よく見れば水に浸かっているのは木々だけではない。
街灯、電話ボックス、車、さらには建物までもが水に浸かりまるで郊外の町の一画が沈んだようにも見える。また当初冬枯れのように見えた枯れた木々、しかし今は紅葉すら始まっていない10月初旬。その証拠に周囲の木々は青々と茂っている。水に浸かったことで根腐れを起こし完全に枯れてしまったのだ。
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水面に顔を出す街灯や電話ボックスのような突起物は格好の休憩場所なのか多くの鳥が体を休め、水鳥が作り出す波紋が波もない静かな水面上に広がっていく。
それにしても一体どうしてこのような惨状になってしまったのか。手前の瀬戸内海とは堤防で隔離されているため決壊したわけでもあるまい。また海水が一気に溢れたというよりもじわじわと水位が上がり、静かに水没していったかのように見える。


水没している建物の正体が判明した。一定の間隔を保ち並ぶのは民家ではなくキャンプ場で見かけるバンガローかコテージのような建物。空撮で眺めるとこの一角、広範囲に亘って水没しているのがよくわかる。
水面に近付いていくと腐った木が発する異臭が漂い始めた。一方隣接する県道では惨状を気にするそぶりもなく地元車が次々に走り抜けて行く。水没した町も地元民にとっては見慣れた光景なのだろう。
それにしてもここは一体何の施設だったのか、そしてなぜ水没したのか。

情報がないので推測になるが今回見つけた牛窓水没地帯は海を埋め立てた干拓地だった思われる。ここ瀬戸内での干拓の歴史は古く岡山県沿岸部にも米、塩などを始めとする大規模な干拓農地地がいくつも存在した。
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干拓の中でも海水を引き込む塩田干拓において、最も困難だったのが排水だった。排水ポンプが停止すれば埋め立て地は再び海水で満たされてしまう。近隣にある錦海塩田では廃業後、排水が停止されたことで水没の危機が迫り排水ポンプを稼働させるべく瀬戸内市が干拓地を買い取ったと報道された。
牛窓水没地帯においても施設閉鎖後、排水装置が停止したことで干拓地は静かに水没、再び海へと戻ったのだろう。
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帰宅後、ネットで「牛窓水没」というキーワードで検索しても引っかかるサイトはゼロ、ここに関する情報はまったく見当たらない。(※2014年現在)
そこで牛窓水没地帯と勝手に名付けたこの地がどのような変遷をたどり現在に至ったのか、航空写真をもとに遡り推測してみる事にした。国土地理院のサイトから過去に撮影された航空写真を開いて行く。
最初は2014年まさに今年、無惨に海水に浸されている現在の牛窓水没地帯。この場所を34年前、1980年まで遡ると完全に水没してしまった施設の全容が克明に映し出された。現在は水の底となった場所にテニスコート、プール、バンガロー、ペンションなどが整備された一大レジャー施設が存在していたことがわかる。

さらに時代を遡った1975年になると干拓が終わったばかりなのか広大な土地にはまだ何も存在していない。1975年から1980年の間に完成した施設は90年代に閉鎖、その後水没していったと思われる。
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最後に見つかった写真、撮影年が不明なので上記には掲載しなかったものの、閉鎖後、施設が水没していく様子が生々しく捉えられていた。

一見営業時と変わらぬ姿に見えるが、画像のコントラストを上げて行くと浸水の最中であることが見て取れる。ひび割れの様に見える部分が海水が浸入した箇所だ。水はわずかの高低差も見逃すことなくじわじわと内陸へ浸透していく。
このように堤防決壊によって海水が一気に流れ込んだ訳ではなく、排水停止によって少しづつ浸水していったため建物群は破壊を免れ現在もその姿を水面に残している。

よく見れば赤い屋根の廃墟脇までは堤防を伝って辿り着けそうだ。しかし時計を見れば次の予定が迫っている。様々な角度から眺めたかった水没地帯、残念ながら20分程で現地を後にした。
●2015年追記
再び牛窓水没地帯を通過する機会があったため車を停め探索。すると北側の草むらで当時の施設のものと見られる看板を発見。朽ち果てた看板には「グリーンファーム」と書かれていた。
[了]
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