●2015年3月某日/設楽ダム水没地域を訪ねる
- 2015/04/10 22:35
- Category: 自由研究

愛知県の奥三河山間部、設楽町に建設される設楽ダム。
10年ほど前にこのダム計画を知り水没すると言われる設楽ダム建設予定地を時折訪ねてきた。
ダム自体は深い谷間に建設されるため自治体が丸ごと水没するという悲劇は避けられそうだ。
とはいえ川沿いのわずかな平地に点在する家屋は移転を余儀なくされる。
2015年春、久しぶりに訪れた水没予定地は民家の解体撤去、
木々の伐採が進み次第に荒涼とした光景へと変貌しつつあった。
いずれ沈みゆく谷、設楽ダム水没地域を徘徊した。
photo:Canon eos7d 15-85mm
※本記事は訪問時のものです。資料や現地訪問を元にした自由研究的なもので
現在の状況は異なっている可能性もあります。
追記/2016年07月.設楽ダム水没マップを掲載
追記/2017年07月.設楽ダム堰堤予定地再訪を掲載
追記/2019年07月.設楽ダム堰堤予定地再訪を掲載
追記/2021年04月.設楽ダム堰堤予定地再訪を掲載
[下図:2021年現在設楽ダム完成予想図](下記画像をクリックすると拡大します)

先日行ったリニア予定地探索ではJR東海のサイトから精密地形図PDFを手に入れることができた。ところが設楽ダム建設計画、主体となる国交省中部地方整備局のサイトを開いても以前から全体的な概要ばかりで、水没範囲などリアルな情報は何一つ見当たらない。またwikipediaにある「設楽ダム」の項目を開くと推進派と反対派の編集合戦の結果なのか以前と比べほとんどの項目が削除されていた。いずれも2015年現在
そんなわけで工事事務所まで出向きパンフや図面を手に入れようと考えたものの、描いた方が早いだろうとわずかな資料と数値を頼りに設楽ダム水没予定図及び設楽ダム完成予想図を作ってみた。

とりあえず設楽ダム貯水池の平常時湖面設定は437mだという情報を手に入れた。もちろん水深ではなく海抜値。最低限の湖面の高さと堰堤の場所がわかれば何とかなる。
この情報を元に国土地理院地形図の437m部分の等高線をトレースしていく。ダム堰堤の正確な場所ははっきりしないので多少の位置ずれはあると思われるものの、設楽ダム湖と水没地域の大まかな全容が浮かび上がってきた。
[下図:設楽ダム水没マップ]

さらにダム周辺のgoogleearth3Dと湖面を合成する[下図:設楽ダム水没イメージ]
奥三河の山々を深く削り蛇行する寒狭川(豊川)がいくつもの支流に分岐し複雑に入り組む深い谷。ダム推進派ならばいかにも川をせき止めたくなるような地形が広がっている。右奥に見えるのが役場、学校などが集中する設楽町の中心部。設楽ダム本体は重力式コンクリートダムというのでこのような形だろうか。

続いて上記地図の谷間に437mの高さまで水を流し込む。
ダム高は129mとあったので水深は最も深い箇所で100mほど。ちなみにサーチャージ水位(洪水時最高水位)の設定は444m。設楽町中心部は台地上に位置するため影響を受けることはないが川沿いの道は当然水面下に沈むため、橋梁でダム湖を渡る迂回路も建設されるようだ。特に人造湖によって孤立する松戸集落を通過する瀬戸設楽線迂回路の橋脚は、貯水前には見上げるような高さに位置することになるだろう。

これでダム計画全体のイメージを把握することができた。この地図をプリントし、設楽ダム水没地帯の探索開始。

2015年3月某日。現在地はA地点「設楽大橋」。赤いトラスが目印だ。この場所、主要道257号線が通過するため交通量もわりと多い。寒狭川はこの辺りからいくつかの支流に分裂、同時に道もそれぞれの支流方角へ分岐しているためどの方角へも進みやすく探索スタート地点に適している場所。

上記写真の設楽大橋自体、役場などが集中する設楽町中心部から山を下った谷底に存在するため、ダム完成後には下図のように橋ごと水没することになる。そのため257号線迂回路の建設が進み土砂を満載したダンプがひっきりなしに往来している。


まずは設楽大橋横の交差点を根羽、津具方面へと左折し八橋地区を訪ねてみることにした。
設楽ダム水没マップを見れば満水時にも水際ぎりぎりの微妙な場所に位置するこの場所、建物自体は残るかもしれないと思いながら10号線を北上していく。横を流れる川は先ほどの寒狭川本流ではなく支流の境川、森の中を走るこの道もいずれ水没する。続々と現れる対向ダンプとの離合に手間取り思ったより時間がかかってしまった。

やがて谷間が広がり視界が広がると平地が現れた。このあたりが八橋と呼ばれる地区となる。
驚くべき事に八橋集落は完全に消滅していた。この場所を初めて訪れた頃、平地には多くの民家が建ち生活が営まれていたもの、その数を減らし続けついに跡形もなくなってしまった。立ち並んでいた民家の代わりに残されているのが家々の痕跡となるコンクリートの土台だけ。
下の写真は今回と数年前の同一地点。背景の森はそのままだが立派な倉を持つ雰囲気の良い民家も消滅していた。


ダム建設においては貯水開始後、残留物が湖面に浮遊してしまうことを防ぐため、水没予定地に存在するものは予め可能な限り撤去される。
2003年に訪ねた徳山ダムに沈む村、岐阜県徳山村でも鉄筋コンクリート製の小学校校舎以外の家屋は撤去作業の真っ最中だった。ちなみにその廃校、徳山小学校は鉄筋のため取り壊しを免れそのままの形で湖底へ沈められた。渇水期にその姿を再び現すことはあるのだろうか。

そんな八橋地区に唯一残されてた建造物、それが集落の中心にある廃校となった旧八橋小学校跡。
周囲の建物が土台だけとなる中、この廃校だけが手つかずのままの状態で残されている。今回久しぶりに訪れると建物周囲は国土交通省と書かれたロープで囲まれていたため周囲から様子をうかがう。
下記写真は遡ること数年前、校庭でゲートボール中の地元の方に頼み廃校内部を見学させてもらった際のもの。


内部を案内していただいた地元の方の話によれば40年あまり前に廃校になった後は宿泊施設として利用されてきたとのこと。報道によれば昨年末、地区最後の行事となる閉区式が開かれたという。この素晴らしい木造校舎が解体撤去されるのも時間の問題だと思われる。

この廃校脇の道を進むと車両が停められ大木の手入れ作業が行われていた。この木は地区の名物、八橋のウバヒガン桜と呼ばれるものらしい。桜自体は廃校から少し登った高台にあったのでダム湖に沈むことはないだろう。
[追記/2021年.4月某日八橋地区]
設楽ダム湖の北端にあたる八橋地区。かつてあった旧八橋小学校や民家、そのすべてが解体撤去された地区は茶褐色の地面が剥き出しの状態となっていた。中央に広がる空間は廃校、上記で紹介した八橋小学校があった土地。



地区を挟むようにそびえる山の斜面高台では水没する県道の付け替え用道路建設が行われていた。

設楽大橋から川沿いの狭路を南下した場所にある古びた橋、松戸橋。谷底にあるこの場所から設楽町中心部へはわずかの距離。もっとも両者の間には急峻な傾斜が控えているため九十九折りの急坂が作られている。

あくまで想像だが設楽大橋が完成するまではこの橋が257号の主要道だったのではなかろうか。新大橋完成後は旧道として寂れていったのだろう。ところがその設楽大橋もやがてダムに沈んでいくことになる。
松戸橋のたもとにあった廃工場は撤去されコンクリートの土台だけが残されていた。
[追記/2021年.4月某日]
新緑に包まれる松戸橋周辺。豊川と境川の合流地点となるこの場所は一見工事は進んでいないように見える。


しかし松戸橋の南側では道が付け替えられ搬入路のような交差仮設道路が完成していた。
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設楽ダム水没予定地探索、後編。
続いては松戸橋を渡り対岸の大名倉地区方面へと向けて寒狭川本流に平行する33号線をたどっていく。この道、設楽と愛知県足助を結ぶ主要道。しかしその実態は曲がりくねった一車線の細い道。途中分岐を間違え別の支流沿いの極細林道に入り込んでしまい散々な目に遭いながら車を切り返しUターン。


しばらく進むと山裾が広がり広大な採石場が現れる。何年か前までは重機やコンベアーが稼働していたが現在はそれらもすべて撤去されている。この採石場、等高線から推測すると半分ほど水没することになるため、いずれは湖面に浮かぶ断崖といった迫力ある光景が見られることになるのかもしれない。また断崖裏手にはトンネルを掘削、迂回路となる小松田口線が建設される。
採石場跡を通過し33号線を大名倉方面へ。八橋と同じく道沿いに点在していた民家はいずれも消滅し土台だけが残されていた。
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最後に設楽ダム堰堤予定地を見学しようと寒狭川左岸に沿って続く細道を松戸橋から南下していく。
曲がりくねりアップダウンが激しかった先ほどまでの道と違い、川沿いのこちらの道は高低差もなく大きな弧を描くカーブが続くため非常に走りやすい。

それもそのはず。ゆるやかに続く町道143号、実はかつての豊橋鉄道田口線の廃線なのだ。長篠と設楽を結び1968年に廃線となった田口線、下記に掲載したように蛇行する深い渓谷沿いに敷設されていた。鉄道用の軌道として建設されたため非常に走りやすいわけだ。とはいえ単線だったため幅員は狭く対向車が来ないことを願いながら進んで行く。
豊橋鉄道田口線跡


しばらく南下を続けて行くと狭い谷間が広がりが現れた平地。この場所が田口線の終点三河田口駅跡地となる。
設楽ダム建設現場訪問を始めたばかりの10年ほど前までは駅舎の廃屋がかろうじて残っていた。当時、この廃墟が駅舎跡だとは知らず写真を撮ることもなく脇を通過していたがその数年後人知れず倒壊、やがて撤去された。
谷底にあるこの場所もダム完成後は当然深い水の底となる。

谷底の三河田口駅。一方設楽の中心市街地は遙か山の上。なぜこのような人里離れた谷底に駅舎が作られたのだろう。今更ながら鉄道の沿革が気になり始め帰宅後調べてみると興味深いエピソードが見つかった。
田口線建設にあたり山の上にある市街地まで鉄道を引きたい地元民、森林鉄道として搬出を重視する川沿い案の株主側と一悶着合った末、傾斜を登る財政面負担を考慮し谷底に路線が敷設されることで決着した。しかしこの川沿い案、当然の結果として乗客数が伸びず皮肉なことに後の廃業の一因となったと言うことだ。
それにしても三河田口駅で降りた乗客達、駅前と自宅との間には見上げるような斜面、帰路だけでもげんなりだったのではないか。と思っていたら一応連絡バスのようなものが運行されていたようだ。


駅舎跡地からさらに数百メートル南下してきた。川が急カーブを描き両岸から斜面から迫ってくる場所。設楽ダム本体となる堰堤が作られるのはこのあたりだと思われる。
もちろん2015年現在、設楽ダム本体は影も形もなく、それどころか建設準備が行われている形跡すらない。設楽大橋方面であれほどすれ違った工事用車両もこちらでは皆無だ。水没予定地では家屋移転、迂回路建設が急ピッチで進んでいるというのに肝心のダム本体となる堰堤周辺の様子は以前と変わらず川は静かに流れ続けていた。


堰堤予定地を通過、さらに廃線を下っていくと行く手に次々にトンネルが現れる。
これらのトンネル、いずれもまともなのは坑口入口の数メートルのみ、内部はご覧のように削岩機で掘り進んだままの素掘り状態となっている。車のヘッドライトに照らし出された剥き出しの岩肌は立体感がさらに強調され生々しい雰囲気。鉱山坑道のようでとても魅力的だ。


暗いトンネル内を水を跳ね上げながら進む。この廃線トンネル群の多くはダム堰堤予定地の下流に存在するため完成後も水没することなく残り続けるだろう。とはいえ堰堤工事が始まれば現場への格好のアクセス路でもあるこの道は工事車両取り付け路として大きく改修されてしまうかもしれない。
単線を舗装し直しただけあって現在も非常に狭い田口線廃線跡。対向車がやってきたら面倒くさいなと思い続けていたものの幸いなことに30分ほどの間一度も対向車に出会うことはなく4kmほどの廃線の旅も終わりを告げた。
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半年ぶりに訪れた設楽ダム水没予定地、わずかの期間でここまで集落が消滅してしまうとは。過去10年ほどほとんど動きがみられなかった水没地帯の急激な変化に驚かされた。凍結、事業再開とその建設を巡って二転三転しているこのダム計画、とはいえ現地では家屋撤去、迂回路建設などダム本体着工に向けての周辺整備が着々と進められている。次回この場所を訪れる時にはあの廃校は残されているだろうか。
[追記/2016.07]
ウェブ上で「どこでもダム」というサイトを見つけた。→LINK
土地を選択、ダム予定地に堰堤高を入力すると水没する地帯が一目瞭然という便利なもの。設楽ダムにおいては最近、国交省中部地方整備局の公式サイトがようやくリニューアルされたので情報を集め入力。堰堤高129m、サーチャージ水位444mでダム湖を作ってみると自由研究で書いたものとほぼ同じ範囲の湖水が表現された。

[追記/2017.07]
設楽ダム水没予定地見学から約2年。
気になっていたのが2015年当時設楽ダムに関するまともな情報がなく自分で描くことになった水没予定図。
満水時水位から独自に割り出した自由研究的なもので万一間違いがあった場合を危惧していた。
そんな折り設楽ダムのダムカードが完成配布が始まったと聞いた。
ダム巡りをしている自分はカード集めに興味はなく訪問先で一度も受け取ったことはない。
しかしサイトで見たダムカードには設楽ダム完成予想図が描かれており
これは設楽ダム水没予定図が正しいものか確かめるチャンス。
久しぶりに現地を訪れ生まれて初めてダムカードを受け取った。
最も気になっていた水没地帯予想図。場合によってはサイトから削除しようかとも考えていたが、満水時水位、ダム堰堤、橋梁の位置、ダムカードと見比べてもほぼ問題はなさそう。誤差はダム堰堤の場所が予想よりも100mほど上流だったくらい。当時のわずかな情報でこれだけできればまあ上出来とほっとする。ちなみに気になる完成予定は2026年度(平成38年度)と書かれていた。
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ダム堰堤の正確な場所が判明したので水没予定地の一部を再訪してみよう。高台にある設楽町田口の市街地から一旦国道を下り、豊川沿いに続く谷底の一本道を遡って行く。ゆるやかなカーブを描く対向車も現れない静かな森の道。当日は梅雨空、濡れた路面を行き来するカエルを避けながら進んで行く。
雰囲気の良いこの道は豊橋鉄道田口線の廃線跡。壁面から湧き出る地下水に雨に濡れた新緑が映り込む隧道内は実相院の「床みどり」を彷彿させるような鮮やかな光景。


この周辺はダムに沈むことはないが、工事用取り付け道路としていずれ拡張が行われるのかもしれない。
隧道を抜けるとわずかに道幅が広がった。鮎釣りシーズンだけに設けられる期間限定の臨時駅、鮎渕駅の跡だと思われる場所。道路脇には釣り人のものらしき車が数台停められていた。
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前回訪問時にはダム建設に付随するようなものは一切見当たらなかった谷底の狭い道、今回も今のところ特に変わった様子は見られず、唯一気になったのは発破と書かれた看板のみ。川を挟んだ対岸では森が切り開かれ工事が行われていた。
いくつかの隧道を抜け道が川に沿って大きく弧を描く。ダムカードで堰堤本体のCGが合成されていた場所も近い。カーブを曲がると森が切れ視界が大きく広がった。斜面を覆っていたはずの杉の木立が切り倒されている。もちろん前回はこのような事はなかった。

工事看板には「仮排水路トンネル(転流工)をつくっています。」の文字。転流工とはダム本体建設にあたり川の流れを一旦迂回させる排水溝のようなもの。おそらくこの場所に水を吐き出す吐口が開けられるのではないのだろうか。ということはダム堰堤予定地もまもなく。

[地図]適当な完成予想図。例によって信憑性は低いです。

転流工現場からさらに上流へ車を進めると道路際に工事現場が現れた。[上記写真奥]
狭いスペースにプレハブ事務所、仮設トイレ、重機等、現場セットがぎっしり。人の気配はないが、現場の仮設トイレには親切にも「釣りの方もご利用ください」と書かれていたので釣りではないがありがたく利用させてもらう。
それにしてもここは一体何の現場なのか。トイレの向かいにある吹付面には気になる穴。重機の後ろから開け放たれたままの穴を覗いてみると内部は坑道となっていた。

奥は薄暗い電球に照らされた支保が地中に続く鉱山のような坑道風景。写真は現場外から望遠レンズで撮ったものでもちろん中に入ったものではない。
この穴、おそらく調査用の坑道ではなかろうか。ダム建設における地質調査の際、ボーリングでは判断できない目視用として調査坑が設けられると聞く。坑道はこの場所から東を向き奥へと続いている。ということは現在地からわずかに上流地点がダム堰堤が建設される場所ということか。
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ダム堰堤予定地付近は隧道となっていた。完成後見上げるようなコンクリートの塊によってこの谷間は埋め尽くされることになる。
これより上流域がダム水没予定地。やがて水の底に沈む廃線跡を走り開けた空間へと到着。この場所に田口駅の終点である三河田口駅があった。静かな田口線跡も工事が本格的になればトラックが往来、場合によっては通行止めとされてしまうかもしれない。
[追記/2019年.7月某日]
報道で設楽ダム転流工が完成したと聞いたので久しぶりに現地を訪れた。
現場見学は工事が始まる前の早朝に限る。2019年8月現在設楽ダム建設予定地の通行はまだ可能とはいえ、
工事時間中だと腰を据えて見学することができない。
また現場へのアクセス路は狭路が続くためのため車同士のすれ違いも困難。
今回も早朝だという事で他の車に出会うことはなかった。
例によって廃線となった田口線跡を利用した川沿いの道に沿って上流を目指す。



設楽ダムが建設される深い谷底には朝日が射し込んだばかり。いくつかの廃線トンネルを抜けると正面に朝もやに包まれる森に覆われた斜面が見えた。ここで豊川は東へと大きく向きを変える。この奥がダム堰堤予定地となる。
堰堤付近の道路脇斜面には巨大な水路が貫通していた。水路とはいえ大型車一台は余裕で通行できそうな大きさ。

この穴はダム堰堤建設の際、川の流れを一旦迂回させる転流工というもの。その上流側、つまり水の呑口部分にあたる。
ここから上流は設楽ダムが完成した暁には深い水の底となる場所。しばらく進むと巨大な建造物が姿を現した。確か三河田口駅跡のあたり。鉄骨が幾段にも渡り複雑に組まれた懸造りのような建造物が谷間を埋めている。


この現場はダム湖に架けられる瀬戸設楽線迂回路の橋梁予定地。その工事スペースを確保するための巨大な仮設足場となる。山中で行われる工事においては現場への工事車両や重機のアクセス路である取付道路を確保するだけでも大変なことだ。
現在谷間に架けられた橋梁部分は仮設のもの。さらに上空に高さ122mもの橋梁が建設されることになる。5号橋と仮称となっているがこれだけの大きな橋、完成の際には立派な名称が付けられることだろう。
[追記/2019年.10月某日]
堰堤予定地の通行可能という希有な建設現場だった設楽ダム建設予定地。しかし2019年、町道平野松戸線の旧三河田口駅舎〜土平区間の通行止めが発表された。これによってダム堰堤付近の田口線跡はついに封鎖、分断されてしまった。迂回路である転流工も完成、上記記事が最後のタイミングとなった。田口線跡の下流部分は水没を免れるため、設楽ダム完成後に再び開放され下から堰堤を見上げることはできるのだろうか。
[追記/2021年.4月某日]
設楽ダム工事が着工する以前から堰堤を俯瞰できる場所を探し続けてきた。しかし堰堤が予定されている場所は幹線道路から外れた深い谷の底。周囲には全体を俯瞰できる「展望台」のような場所は皆無だ。また周囲の山々も森林で覆われているため、仮に斜面をよじ登っても視界はゼロだろう。その後堰堤の正確な場所が公開された頃には既に付近の立ち入りはできなくなっていた。

そのため今回は高台にある集落から俯瞰を試みた。過去二度ほど訪れたことがあるが川面との標高差は200mあまり。薄暗い杉林に刻まれたすれ違い不可能の急坂を車で上り続けると桃源郷のような明るい雰囲気の集落が突如現れた。
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高台の空き地からダム予定地を俯瞰し驚かされた。いつも谷底の廃線跡を通行していたため何年経ってもそれほど工事は進展していないのだと勝手に思い込んでいたが、はるか先の台地上では広大な土地の地形を変える大規模な土木工事が実施されていた。

ダム事業と言えば堰堤と水没地帯のみに目が行きがちだが移転先や新道路、お決まりの資料館など付随施設も含め広大な土地が必要となる。またここでは谷間を跨ぐ高さ122mに及ぶ架橋、5号橋が架けられる。ぽっかりと空いた丸い穴は下記のイラストにある橋の橋脚部分の土台となるもの。


一方で南側に目をやると蛇行する川が削りとった深い谷間が続いている。廃線となった田口線はこの川岸に敷かれていた。ダムの堰堤が建設されることになるのはおそらく下記写真の場所だろう。その証拠に転流工の呑口と吐口部分がかすかに見える。


上記写真の谷間に適当に描いた設楽ダム堰堤完成予想図を合成してみる。ダムは堰堤高129m、堤頂長380m。正確な位置やデザインがいまいちわからないため、ダムの姿はあくまでイメージです。
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以前は山中等で人知れず行われていた公共工事、しかし近年は地元民の理解が必要となっており現場の公開が行われることが多い。設楽ダムにおいても定期的な見学会が開催されているようだ。最近のダム工事現場では必ず展望台のような見学施設が付随されており設楽ダム堰堤が姿を現す頃にはいずれ見学スペースが設置されるかもしれない。
[追記/2021年.4月某日]
再び徘徊の起点となる起点となる「松戸橋」。その横の境橋上で初めて誘導員が現れた。
前回は現在地、松戸橋〜設楽大橋間の川沿いの道、県道小松田口線は通行止めとなって封鎖されていたため、ダメ元で車を進める。ところが意外なことに誘導員の方からは今は通行可能ですよ、との返事が返ってきた。
現場の状況を丁寧に教えてくれた誘導員の方によれば採石場があった瀬戸線は無理だが、こちらは道路改良が完了したので公開されているとのこと。
前回通れた道が通行止め、その逆もあったりとダム工事現場の通行可能区間は複雑に入れ替わる。

警備員に誘導され入った道は封鎖されていた数年の間に道路の拡張工事が行われていたようで仮設ながら非常に走りやすくなっていた。しかしこの道路も工事車両通行用の仮設のものでありいずれ水に沈んでいく。やがてこの先に「設楽大橋」が現れる。
[設楽大橋]
色あせた赤いトラスが特徴的な豊川に架けられた設楽大橋。愛知県山間部を結ぶ主要路であり交通量も多いがやはり老朽化は否めない雰囲気。この設楽大橋もいずれダム湖に沈むことになるため、現在高所に迂回路の建設が進んでいる。

それにしても設楽大橋はどのように沈められるのだろうか。以前も書いたがダム貯水時、浮遊物となる木造家屋や木々などは基本的に撤去、伐採されるが橋や土台等の重量構造物の扱いは様々。鉄骨部分を維持したまま沈む橋、土台を残し撤去される橋、ダム湖に沈む建造物をいろいろと見てきたがその基準は一体どうなっているのだろう。

さて設楽大橋の下を抜ける県道を南下し北側から水没予定地を目指したもののこちらも封鎖、奥へと進むことはできなかった。今までは自由に行き来できた設楽ダム水没地帯。ダム堰堤着工が秒読みとなった今、全域が封鎖されてまうのも時間の問題だろう。
[追記/2021年.4月某日]
主要道257号が通過するため交通量も多いがいずれ水没することになる設楽大橋。2021年こちらでも付け替え道路の建設が進められておりクレーンが設置されや巨大な仮組みが組み上がっていた。


設楽大橋付近から北側を望む。この場所に谷を跨ぐ橋が建設されることになる。
[了]
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