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●2017年5月某日/GW初春の南東北徘徊/錆びゆく谷〜足尾編〜

  • 2017/06/30 08:13
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九州四国中国と西日本徘徊がメインだった例年のゴールデンウィーク。
しかし2017年のGWは方角を一転、東日本を目指す事にした。
特に桜には興味が湧かない自分だが5月初旬の東北南部を北上したため
意図せず桜前線と共に移動する事になった五日間。
初日は関東奥地の足尾銅山跡を10数年ぶりに目指す。


photo:Canon eos7d 15-85mm

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長野群馬県境の碓氷峠を越え関東に入った。GWに関東を訪れるのは奥秩父の鉱山を探索した2007年以来。
鉄道が必死に超えた急峻な地形が続く碓氷峠も現在は新幹線、高速道路がトンネルを使い一気に通過する。
そんな山中を走行中、木々の合間に見事なとんがり山が見えた。後に調べると高岩と呼ばれているようだ。高さはそれほどでもないが非常に特徴ある岩山。



日本には一般に知られていないこのような変わった形状の山がまだまだある。百名山に代表されるメジャーな山には少し飽き、最近はこんなマニアックな山ばかり調べている。
そんな名もなき尖った山に挑戦する個人的に好きなサイト→「ふしぎ山」。

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難工事の末、この碓氷峠を超える鉄道が開通したのは明治期。
当時の最新技術を海外から導入、急傾斜の克服に成功した鉄道はその後、新路線、さらに新幹線開通によって廃線となった。周辺には橋梁、隧道、変電所など当時の遺構が点在しているが昔何度か訪れたのでスルー。今回は廃止された運転区跡地を利用し当時の車両などが展示されている場所を訪れた。
鉄道ではなく工場や倉庫が目的。使用されていた機材や列車が保管された薄暗い倉庫は、廃墟を彷彿とされる油の匂いが漂い、非常に良い雰囲気。



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ついでに屋外の車体も見学。国鉄時代に使用されていた古びた展示車両は雨風の影響でいずれも老朽化が進み、錆び付いたままのレトロな機器に魅せられてしまった。



森をしばらく歩いた先に突如現れる神殿のような大空間、かつての石切り場。
長い年月をかけ人力で彫り込まれた巨大な穴に頭上から木漏れ日が降り注ぐ。夏を思わせる暑さだった下界とうってかわり森の中は冷気に包まれている。メジャーになった大谷石と比べこちらはまだ穴場なのかGWというのに人の姿は皆無。

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岩肌にはのみで削った採石跡、作業用の手書き文字等、当時の痕跡が生々しく残されていた。大谷石ほど大規模な現場ではないが、思いのほか良い雰囲気。長い時間を過ごし、気がつくと時刻は午後を回ってしまった。石切り場を後に群馬北部の平野を走り続けると赤城山系が作り出す山裾に行き着いた。

ここから本日の目的地、足尾銅山跡を目指し渡良瀬川沿いに続く国道を遡って行く。
谷間の県境を越え群馬県から栃木県へ入った。


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栃木県の奥地、かつての足尾町(現日光市)にあった古河鉱業足尾銅山。
採掘に行き詰まり閉山同様となっていた銅山を、明治期に民間が買い取ったことで再稼働、最盛期には大量の銅を搬出し、国の発展に大いに寄与した反面、公害を引き起こした負の面とふたつの顔をあわせ持つ、誰もが一度は耳にした事のあるだろう知名度の高い鉱山。足尾銅山は1970年代に閉山、周辺には当時の遺構が残されている。


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渡良瀬川と平行する旧足尾線、現在のわたらせ渓谷線。銅山操業時、鉱石輸送の主力となった路線。
新緑の山中を走る122号線を進むにつれ次第に民家もまばらとなり、足尾までの残距離を示す看板のキロ数が減って行く。足尾はまもなく、やがて谷間が広がると古びた住宅、崩れ落ちた煉瓦の建物、古びた変電所が姿を見せ始めた。


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足尾銅山は思い入れのある場所のひとつ。
なぜならこの場所、初めて訪れた本格的な廃墟だったのだ。当時の廃鉱山を訪れようと思い立った自分が唯一知る場所、それが田中正造の逸話とともに国語の教科書に掲載されていた足尾銅山。しかし場所は遥か遠い関東北部、栃木県山中。1998年の冬、夜行列車と路線バスを乗り継ぎ一人、フィルム一眼レフカメラ片手に足尾を目指す旅に出た。


昔作った某サイトから抜粋______今読むと稚拙な文章がですが恥を忍んであえてそのまま掲載・・・

当時、現在のように検索すれば何でも出てくる便利なネット環境は存在せず、
足尾銅山についての唯一の手がかりは役場から郵送で取り寄せた観光パンフ。
しかし銅山について掲載されているのは観光客向けの銅山観光テーマパークのみ。こんなものに興味はない、
本当に廃墟のようなものは残されているのだろうかと、
会津から鉄道で南下し氷雨が降りしきる日光のボロ宿で一泊、不安な夜を過ごした。
翌朝、日光東照宮には見向きもせず、乗客ゼロの町営バスに乗り込むと足尾町(当時)を目指した。
日足トンネルを抜けると頭上に晴れ間が広がり、同時に足尾銅山の総本家である
「古河」と名付けられた施設が次々に現れ次第に気分も高揚しはじめた。

興奮が頂点に達したのは間藤駅を過ぎ人気のない谷間の鉱山街をバスが進み始めた頃だった。
車窓に飛び込んできた驚くべき光景。
それは亜硫酸ガスの影響で枯れ果てた断崖、錆び付いた廃線レール、
傾いた信号機。斜面に張り付く廃屋群。
まるでゴールドラッシュが通り過ぎたアメリカの荒野のような日本離れした光景。
あわてて下車ボタンを押しバスを降りた「赤倉」地区の対岸には見た事もない朽ち果てた廃工場。
その中心で異彩を放っていたのが冬空にそびえ立つ赤茶けた巨大な鉄骨の残骸だった。
外壁が吹き飛ばされ骨のような鉄骨、内蔵を思わせる真っ赤に錆び付いたむき出しのパイプ。
あまりに巨大な廃墟。それが鉱石を精錬していた足尾銅山本山製錬所の勇姿だった。

吹き込む風で不安定なトタンが翻弄されるのかガラガラという金属音が谷間にこだまする。
廃工場のどこかが崩れ落ちたのがひときわ大きな音が谷間に響いた。
この非日常的空間に立つのは自分ただ一人、
白昼夢を見ているような不思議な浮遊館を覚えながら廃墟を見つめ続けた。
その後も何度か足尾を訪れたが初訪問時のインパクトは再び得る事ができず年月が過ぎて行った。
_____________

当時のポジフィルムを取り込むべく壊れたスキャナー調整中です。



あれから19年、2017年、足尾銅山。
今も昔も足尾観光のメインは坑道を改装した銅山観光。道路から俯瞰するとGWだけあって動き回るトロッコはそれなりの観光客でにぎわっているように見える。足尾銅山が国の発展に寄与したのもまた事実、ここではそんな銅山の光の部分に焦点をあてテーマパークのように楽しみながら学ぶことができる場所。銅山観光だけを訪れ帰路につく観光客も多いのではないか。それもそのはず、適当なガイドブックにはこの場所しか掲載されていない。

しかし足尾銅山の中枢は人目につかぬ谷の奥にひっそりと存在する。
今回も観光部分には目もくれず奥地を目指し民家が密集する古びた路地を川沿いに遡って行く。谷の両側には枯れ果て岩肌むき出しの茶色の山々。やがて民家が途絶えた。まもなく対岸に精錬工場が姿を現すはず。



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足尾本山精錬所の大部分は解体されていた。
19年前、若かりし自分に衝撃を与えた製錬所のシンボル、赤く錆び付いた自溶炉製錬棟始め、上段にあった硫酸工場など廃墟の主力は全て消え去り往事の姿を残すのは事務所や硫酸タンク、そして奥に立つ大煙突だけ。



そもそも鉱山につきものの精錬とは一体何なのか。一昨年のGWに訪れた兵庫県明延鉱山編でも書いたが鉱石は掘り出したままではただの石。鉱石を仕分けする選鉱作業、金属を取り出す精錬作業が行われ始めて使えるものとなる。その精錬過程で発生する有害な亜硫酸ガスが煙害の元凶となる。
足尾から日光にかけての山々を枯らし尽くした要因とされたのが森林伐採、そしてこの工場から排出される亜硫酸ガスだといわれている。そういえば岡山沖に浮かぶ犬島も製錬所からの煙害によって現在も島の1/3は枯れ果てたままだった。



足尾精錬の面影をかろうじて残す大煙突。
断崖からは現在も豊富な水が排水されているのが見えた。この水はさらに上流の松木渓谷から取水されているようだ。

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この煙突周囲を隙間なく埋め尽くしていた朽ちた工場施設も全て撤去されていた。



近年、閉山した鉱山や炭坑を産業遺産として活用する動きが各地で見受けられる。その経緯を振り返るとどこも共通点がある。
閉山後、廃墟マニアだけが集う打ち捨てられた遺構が一般人の知る事となり訪問者も増加。地元自治体は半信半疑ながらも、疲弊する町の起爆剤として産業遺産の面から後押しを始め、世界文化遺産という壮大な目標にたどり着く。実際、軍艦島(端島)のように成功した事例も存在する。
足尾銅山跡も、他の「産業遺産」の例に習い、世界文化遺産登録を目標に定めたようだ。とはいえそのように考えた始めた際には施設の大方は既に解体されているのも全国的な共通点。もう少し早くできなかったのかと思う反面、あれだけの老朽化した姿を目の当たりにすれば維持管理も困難、工場解体もやむを得なかっただろうとドライに思う。



工場対岸の集落を歩く。かつて下りた思い出のバス停はそのまま。初めての足尾訪問時、廃墟にあっけにとられた自分に声をかけてくれたのがこの集落の鉱山住宅に住む高齢の方。家に上げていただき煙突が四本あった銅山稼働時の写真、貴重な当時のお話を聞く事ができた。手紙のやり取り、足尾での再会などその後も交流は続いたものの残念ながら数年前に亡くなられた。


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谷底を進むと現れる砂防ダムは伐採、煙害によって治水能力を失った山から流出する土砂を防ぐため建設されたもの。堰堤からは豊富な水が滝となって流れ落ちる。枯れ果てた足尾の谷だったが、それでも長年にわたり地道に行われた緑化事業の努力の結果か、心なしか以前と比較し緑が復活したように思えた。


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堰堤から松木渓谷と名付けられた上流を眺めると流れ込む大量の土砂が堆積し作られた広大な荒野が西日を浴びていた。やがて稜線に日が沈み足尾の谷は薄暮に包まれた。今夜は足尾郊外のキャンプ場に宿泊予定、そろそろ向かうか。



15分後、渡良瀬川に隣接するキャンプ場に到着。時折真横の鉄橋を一両の車両がガタゴトと音を響かせ通過するのどかな立地。
GWとはいえ夜はさすがに冷え込んだ。深夜、外に出ると上空には満天の星が広がっていた。明日は再度松木渓谷を訪れてみるか。

続く
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