●2017年5月某日/GW初春の南東北徘徊 桜の廃校〜福島編〜
- 2017/07/22 20:10
- Category: 廃校

例年とは方角を一転、東日本を目指した2017年ゴールデンウィーク。
初日に訪れたのは栃木県の山中。
もちろん日光に代表されるような観光地ではなくかつての足尾銅山跡。
ほとんどの施設が解体され変貌した10数年ぶりの足尾の現状に驚かされた。
近隣のキャンプ場で一泊、翌朝再び足尾銅山跡を訪れた。
photo:Canon eos7d 15-85mm

栃木県日光市、かつての足尾町で夜が明けた。寒かった。GWとはいえここは東北近く。シュラフと毛布の組み合わせで明け方の冷え込みをなんとか乗り切った。
日が登ると一転、今度は再び初夏の暑さ。足尾のキャンプ場を発ち、昨日に引き続き再び松木渓谷を訪れた。岩肌むき出しの谷間にある砂防ダム堰堤から振り返ると製錬所の古びた大煙突がよく見える。

砂防ダムからさらに谷の奥へと続く車道はゲートによって封鎖されている。
停留所で発車待ちをしていた町営バス運転手の方に聞いてみると、徒歩ならば問題ないとの事で車停めをすり抜け松木渓谷へと足を踏み入れた。
渡良瀬川はこの場所で松木川と久蔵川に分岐、緑を失った山から二つの川に流れ込む土砂が砂防ダムに堆積し扇状地のような荒野を作り出している。



松木川が流れる谷が「松木渓谷」あるいは「松木キャニオン」と名付けられたのは、岩肌がむき出しの荒々しい姿からだろう。しかしこの光景、本来の渓谷のように自然が作り出したものではなく製錬所からの煙害、そして森林伐採、山林火災によって意図はせずとも人為的に作られたもの。
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川の水は澄みわたり、絶え間なく動く魚影も見え隠れ。今でこそ自然の息吹を感じることができる谷、かつては下記の有様だった。河川事務所が設置した看板に掲載されていた40年前の松木渓谷。荒れ果てていた谷も長年に渡る緑化事業の結果、わずかながら復活しつつあるように感じた。


対岸には橋梁らしき古びた建造物が見える。地形図で調べると水路を示すマークが書かれており、導水管のようなものだと思われる。
地図上で水路をたどって行くと上流の堰で取水後、下流にある製錬所構内へと続いていた。工場稼働時には工業用水として構内で使用後、再び川へと戻されていたようだ。昨日、製錬所煙突直下から流れ落ちる豊富な水量の滝を見たがあれが排水口に違いない。
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谷の奥にある廃村となった松木村跡を目指したかったが、この先の移動時間を考えると徒歩ではこの辺りが限界、MTBでも持ち込めばよかった。


二日間にわたり徘徊した19年ぶりの足尾の町。
1998年の初訪問時は「錆び付いた谷」と表現したように放置状態だった廃線、トンネル、鉄橋、通路。しかし今やすべてが閉鎖され、かつてのように自由に歩き回れる雰囲気ではなくなっていた。
とはいえ銅山廃墟を「健全」な観光地として整備し世界文化遺産登録を目指すと決定された以上、安全優先の管理下に置かれるのは仕方がない事。放置され廃墟状態だった各地の炭坑鉱山跡を10数年ぶりに訪問する機会が増えたが、どこも一様に産業遺産として売り出すため施設が再生される等、大きく変化しつつある。
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草に埋もれ朽ち行く鉱員住宅を見学後、栃木宇都宮方面に抜ける。
足尾から宇都宮へと抜けるメジャールートは日光経由の122号線。とは言え有名観光地、日光へとうっかり抜けGW渋滞に巻き込まれたらたまったものではない。そのため選択した迂回ルートは曲がり抜ける細道が続く粕尾峠越え。道中渋滞に会う事なく走り続け夕方、栃木県塩谷町付近へ達した。

水が張られたばかりの田んぼが広がる里山に建つ平屋の建物、ここが今夜の宿泊地。
20年ほど前に廃校となった小学校を改装した宿泊施設。素泊まりならば値段も安く雰囲気も良い。かつては旅費を節約するため車中泊やキャンプ場メインだった旅の宿泊先に最近は格安さゆえ、「廃校」ジャンルが追加されることが増えた。





2017年GW徘徊三日目。
朝が弱い人間だが不思議な事に旅の最中だけは早朝に目が覚める。朝5時、廃校の教室を改装した部屋から抜け出し校庭へ。5月とはいえまだ肌寒い朝の校庭を徘徊するうち次第に明るさが増して行く。





やがて校舎が朝日に包まれGW三日目スタート。
現在地栃木県塩谷町からさらに北へ、到着したのはあまりに有名な老舗観光地、塩原温泉郷。
川縁を埋めるように密集するホテル郡。廃墟と化したものから最新のものまで様態は様々。宿から出立する車と観光の車が狭い温泉街に入り交じり、この旅初めての混雑を体験。それにしても一体なぜこのようなメジャーな観光地を訪れたのか。
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その訳は化石。実はこの那須塩原、子どもの頃から憧れていた化石の産地なのだ。
幼少期を過ごした地区は化石の名所として知られ、露頭に通っては貝やサメの歯を見つけていた。そんな時、手にした化石図鑑に掲載されていたのが那須塩原の化石だった。平坦な石の表面に張り付くように残る大昔の葉、魚、昆虫。まるで現代の物ではと見間違うほどの精巧かつ良好な保存状態。かつての湖底で静かに堆積、保存されることで当時のままの姿で発掘されるという。化石といえばバラバラで見つかるものだという、自分の常識を破る驚きだった。もちろんそんな遠方に連れて行ってもらえるわけもなく訪問機会がないまま大人となった。


温泉街の外れに建つ古びた建物が化石が展示されている木の葉化石園。
薄暗い館内、昭和を思い出す尾を引きずったまま恐竜の復元図。時が止まったかようなレトロな展示。それでも初めて見る那須塩原の化石は保存状態も非常に良く、葉や虫など現在と変わらぬ太古の遺物に見入ってしまった。しかし館内で地元の化石は1/5ほど、残りは海外の化石や宝石だったのが那須塩原ファンとしては少々残念だ。
いよいよ化石発掘体験。原石が数個入った袋詰めを購入する。昔と違い、今や大人、財力に物を言わせ10セットほど購入したところだが上限が決まっていた。この地区の特徴はやわらかい砂岩、昨年の福井県と比べても地質、時代が異なるため非常に割りやすい。ハンマーをさしこみわずかな力で慎重に割った断面から次々に木の葉の化石が現れる。発見率も高く、いい年をして発掘体験に夢中になってしまった。
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南北に走る121号線を北上。山間部とはいえ道路は広く交通量は少ないため走りやすく昼前、山王峠トンネルを越え栃木県から福島県に入った。
ここから東北がスタート。北上するにつれ周囲の光景が次第に変化していく。新緑に包まれていた山々が若芽、枯れ枝へと変わり、季節は逆戻り。さらに進むと桜の花が目立ち始めた。そしてついに南会津町付近で桜前線に追いついた。国道沿いにある桜の並木、一本桜、いずれも満開の状態。



道中訪れた廃校もそのひとつ。街道から外れた山裾に残る平屋の小学校跡。廃校が目的だったが校庭では桜が満開の状態で迎えてくれた。
人気のない静かな校庭。風が吹き抜けると、桜の花びらが体をかすめ舞い散って行く。桜にあまり興味がない自分でも思わず見とれてしまう光景。窓から内部を覗き込んでいると横で農作業をしていた方が廃校の説明してくれた。
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市街地を通過し山道に入ると季節はさらに逆戻り。桜は消え去り冬の装いへと変化、周囲は積もった雪で覆われた。標高とともに厚くなる雪原に思わず車を降り雪遊び。とはいえ日差しは初夏のもの、気持ちのよい天候だった。そんな舟鼻峠を下り会津の昭和村へ入った。

赤屋根の民家が点在する里山の外れに建つ黒ずんだ木造建造物。
到着したのはあまりに有名な廃校、喰丸小学校跡。
[続く]
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