●2017年5月某日/GW初春の南東北徘徊/「昭和」の廃校〜福島編〜
- 2017/08/15 20:19
- Category: 廃校

2017年ゴールデンウィークは北関東から東北南部を徘徊。
福島県会津山中を北上するにつれ風景は
初夏、新緑、桜と次第に季節は逆戻り、やがて周囲は残雪に覆われた。
そんな峠を越えた山村片隅に残された廃校、喰丸小学校に到着。
photo:Canon eos7d 15-85mm
※本記事は訪問時のものです。現在の状況は異なっている可能性もあります。
[前回の記事]
福島県会津昭和村郊外に建つ廃校、喰丸小学校跡。イチョウの大木と二階建ての古びた木造校舎が作り出す光景はあまりに有名。

開花したばかりの門柱脇の桜、一方校庭片隅には雪が残り、二つの季節の組み合わせがおもしろい。時刻は昼過ぎ、片隅に腰掛け道中のコンビニで買っておいた昼飯を食べる。
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この廃校が放つ存在感はかなりのもの。国道からもよく見えるためかひっきりなしに訪問者が訪れる。昼飯を食べながら校庭に滞在していた1時間ほどの間に、車、ツーリング中のバイク、自転車乗りなど十数人あまりが廃校を訪れた。廃墟となったものから再利用されているものまで、各地の廃校を訪れた自分もここまで人気がある廃校は初めて。
校舎は木造のものと増築されたらしい新しい二つの建物で構成されている。喰丸小学校で画像検索した際、出てくる写真のほとんどが右側がトリミングされたものだった。現地で納得、なるほど皆、違和感ある新設校舎をカットして撮っていたのだ。


自分も正面に立つが確かに右手の増築校舎はトリミングし木造校舎だけを撮りたい気持ちがよくわかる。
今でこそ校舎一棟の喰丸小学校、かつてはさらに規模が大きかったようだ。昔の航空写真で調べると校舎は左へと続き、現在は更地となった裏手の平地にはプールも映し出されていた。
閉校から40年近くが過ぎた校舎は明らかに老朽化が進んでいた。素朴な雰囲気の校舎正面に対し、人目につかない裏手はブルーシートで覆われ傾きを止める木材で補強されている。雪が積もる地域での古い建物の保存の難しさを改めて思い知らされる。
帰宅後、喰丸小学校の改修工事が計画されていることを知った。古びた廃校校舎がリノベーションされ、カフェ等が併設されたおしゃれスポットに変貌してしまうようだ。2018年オープンを目指し、すでに2017年6月からリニューアルに向けた校舎解体工事が始まったとのこと。あまりに老朽化が進んでいたため解体されるよりは良かったが、廃校マニアとしては改修前の素朴な姿をギリギリのタイミングで見ることができたことに安堵した。
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ところでこの喰丸小学校が建つ村の名称は「昭和村」。その由来が気になるもの。役場のサイトで沿革を調べると大方の予想通り「昭和2年野尻村・大芦村が合併、昭和村の誕生」と書かれていた。
ここからは妄想となるが、市町村合併の際どちらの名称を使用するか争いとなるのは今も昔もよくある話。両者を納得させる中立の名前、それが当時の日本で最も熱いキーワード、世に登場したばかりの新年号「昭和」だったのではないか。両村長の鶴の一声で新村名は昭和と決まり議論は無事決着。まあそんなところだろう。
しかしどんな最新のものでも時代の流れとともに陳腐化するのは世の連れ。当時最先端だった「昭和」も時を経て今やノスタルジックを現す代名詞となってしまった。平成もまもなく終わろうとしている今でも頑として昭和の名称を変えない村の姿勢にはなんだか好感が持てる。
廃校意外にも周囲に点在する古びた農家、校庭で遊ぶ近所の子供は今時珍しく枯れ枝でチャンバラ。随所に「昭和」の雰囲気を感じる廃校だった。

ゴールデンウィークといっても雪が残る東北山間部。寒さに弱いためこの時期、東北でのキャンプは避けたいもの。
屋根と暖房のある格安の宿泊設宿を昭和村周辺で探した結果、今夜の宿泊先も廃校となった。時刻は午後1時過ぎ、チェックインまでには時間もあるのでさらに奥地を目指すことにした。
次の目的地は会津山中にある銀山跡。

喰丸小学校を発ち再び峠道へ、次第に増える積雪、続いて現れた冬期通行止めの看板に焦らされたものの、幸いにも道路上は除雪され進む事がでできた。この博士峠、現在足下でトンネルが掘削中らしくこの道はいずれ旧道となると思われる。
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ダム湖畔を走り続けやがて眼下に広大な会津平野と磐梯山の勇姿が広がった。このまま進めば猪苗代湖に行き着くが、今回はここから左折、曲がりくねった狭道が続く山中へと車を進めて行く。対向車もまったく現れない山中に時折現れる数棟の集落。雪に覆われる厳冬期はどのように生活が営まれているのだろうか。

一旦は銀山跡への道を見失ったものの、地図に掲載されていない新道に行き着きたどって行く。
すると山を上りきった稜線で開けた空間が現れた。深い山中に不釣り合いな怪しい広場。廃屋が点在するダート道を進んいくと山の斜面に茶褐色の建造物が見えた。

芽吹いたばかりの緑の合間にすくっと建つ茶色いレンガ。これが銀山に残された唯一の遺構、旧大煙突。目的地、軽井沢銀山跡へ到着。老朽化のためか下部がブルーシートで覆われているのが非常に残念。
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かつてこの場所にあった軽井沢銀山、その歴史は長く、明治期からは足尾銅山の礎を築いた古河市兵衛も開発に注力したとのこと。最盛期には産出量は全国第6位に達したものの銀価格の暴落によって採鉱停止。廃鉱後、不要になった鉱山施設は足尾に送られたと看板に書かれていた。昨日徘徊した栃木県足尾銅山とはるか離れた現在地、福島県山中の銀山が関連しているとは驚きだった。
山中にあるこの平坦な空間、往事には鉱員住居や鉱山施設が密集していたと思われる。銀山との関連は不明だが現在も周辺には数棟の廃屋が残されている。


鳥の鳴き声が響くだけの人気のない山中を歩き煙突の真下へ。煙突上部は崩壊、足下には細かく砕けた煉瓦が散乱している。頭上から落下してくる煉瓦に直撃されたらたまらないので少し離れて観察。
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1886年に精錬用として建設された煉瓦造りの溶鉱炉煙突は高さは25m、見上げるとなかなか大きい。先端を空に向け真っ直ぐ建つその姿はまるでオベリスクのようなモニュメントにも見える。


奥に目をやると新緑の森にズリ山らしき斜面が見えた。山をよじ上り探索しようかと一旦は足を向けたものの時間もないため諦めた。
車へと戻る帰路、カメラのフィルターがレンズから外れてしまった。丸いフィルターは意志を持つかのように岩だらけの斜面をコロコロと転がっていく。その先には沢。あっけにとられながら目で行方を追っていくと、案の定フィルターは沢に落下。雪解け水が流れ込む凍えるような水に腕を浸し水中からフィルターを救出するはめになった。
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宿泊先の廃校に向かう道中、再び喰丸小学校跡を訪れた。

西日に包まれた日没寸前の廃校。さすがにこの時間、訪問客の姿もなく校庭は静まり返っている。午後5時過ぎ、西の稜線へ落ちる日差しが木造校舎を照らし出し、すべてのものが立体的に浮かび上がった。



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18時。日が暮れた山中を走り昭和村の隣町にある廃校を改装した宿泊施設に到着した。案内されたのは「4年」と書かれたかつての教室跡。窓からは薄暮に包まれる山桜の群落が一望できた。



四日目。暖房もよく効き、布団も快適、非常によく眠れた。
時計を見れば時刻は既に朝7時過ぎ、教室窓のカーテンの隙間から朝の光が漏れている。人の気配を感じ、カーテンを開けると朝の光に包まれる里山には三脚とカメラの砲列。彼らの視線の先には夕方見た山桜の群落。

宿泊料金の安さが決め手でこの宿に泊まったため、まったく知らなかったが実はこの廃校周辺、山桜の名所として有名な場所だったらしい。そして偶然にもGWのこの時期が山桜も満開、見頃だと言う。
2階から観察しているとカメラマン達は三脚とともに微動だにせず桜を狙い続ける。山桜の魅力はよくわからないが自分も一応窓から撮っておこう。

今日はここから会津へと北上予定。
その後、会津、新潟方面へでGW残り二日間を過ごす事となった。多くの場所を徘徊したものの、サイトに掲載するほどマニアックな場所ではないので、2017年GW編はこのあたりで終了。
西日本を回る例年のGWとは異なり、関東から南東北へと北上したため初夏から春へと季節の逆戻りを目の当たりにした新鮮な徘徊だった。
[了]
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