●2017年8月某日/東北徘徊録〜福島・青森編〜
- 2017/10/28 22:21
- Category: 旅

三年連続の東北徘徊記。
2017年夏の東北はやませと呼ばれる特有の冷たい雨に包まれていた。
霧雨ともやに覆われる白く霞んだ東北沿岸を、北の果て下北半島を目指し走り続ける。
そんな北上途中の適当な風景続き。
photo:Canon eos7d 15-85mm
[前回の記事]
青森県
八戸の港。貨物船が停泊する人気のない港外れに巨大な建造物が廃墟となって残されている。
まるで空と同化したかのような灰色の外壁には外れかけた大きな文字が。「漁」だけがかろうじて判読できる。
おそらく「八戸漁港」か「八戸漁連」と書かれていたのだろう




建物周辺にはサイロなど灰色の光景がどこまでも続く。
灰色の空、灰色の海、冴えない天気、このままどこにも立ち寄らず下北半島先端のキャンプ場を目指した。
福島県
山形との県境に近い田園が広がるのどかな場所に赤い屋根の洋館がある。傾斜のきつい特徴的な屋根がどこかかわいらしいこの建物、かつて周辺を走っていた国鉄日中線の熱塩駅舎跡。



喜多方駅から続く日中線に戦前に建てられた駅舎、郊外には似つかわしい洋館のようなモダンな外観が特徴。
駅舎というよりも避暑地にあった昔の別荘を思い起こさせるような外観だ。日中線終着駅として40年以上使用されていたが1984年に廃線となり現在も残されている。

県境の山裾目指し、喜多方から伸びる日中線はこの場所で唐突に終わっている。このような盲腸線につきものの鉱山や炭坑に代表される産業があったという話も聞かない。駅前にも何もなく乗降客数も期待できそうもないこの場所にわざわざ鉄道を敷いた目的はなんだったのか。
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調べてみるとかつて山形福島栃木など南東北の山地を南北に縦貫する壮大な鉄道計画、野岩羽線構想というものがあったという。日中線はその一部。完成すれば平行する東北本線とともに二大鉄道路線となるはずと熱い期待の中で日中線が先行し部分開業した。しかしその後が続かず全線開通は立ち消えとなったまま結局現在立つ熱塩駅が北端となった。そんな訳で日中線の乗客数は当然のことながら一向に伸びず40年あまり細々と営業が続いたものの廃線となった。


それにしてもこの鉄道構想、仮に工事が実現していたとしてもこの先、北側にそびえる福島山形県境の山地を当時の技術力でどのように抜けるつもりだったのだろうか。先ほど山形県から南下中車で通過した121号線も近年ようやく大峠トンネルが開通した事で冬期の通行が可能になったハードな峠超えだった。


駅舎から出てかつての線路に沿って南へと歩く。踏切等残当時の遺構が点在する道。
現在は舗装された農道となったかつての日中線は緑の田んぼが輝く盆地の中央部目指し南へと下っていた。
[了]
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