2018年10月某日/崩れ行く山岳寺院、小馬寺跡
- 2019/01/19 21:18
- Category: マニアックスポット

いずれ訪れるべく予定地リストに入れたままとなっていた膨大な案件。
そのひとつに奥深い山中に眠る廃寺となった山岳寺院跡がある。
人目につくような場所でもないため後回しにしていた物件を急遽訪れることになった。
その理由は偶然目にしたweb記事がきっかけだった。
そこにはこの廃寺を巡る地元自治体主催の見学会が開催されると書かれていたのだ。
日の目を見ることのなかった棄てられた遺構が公になることで
管理下に置かれてしまうということはこれまで幾度となく目にしてきた。
この廃寺もいずれ周囲に柵でも作られ近寄る事ができなくなってしまうかもしれない。
2018年の秋、あわてて現地へ向かった。
photo:Canon eos7d 15-85mm
※本記事は訪問時のものです。現在の状況は異なっている可能性もあります。
長い歴史を持ちながら50年ほど前に廃寺となった小馬寺。その遺構は標高900mほどの峰々が連なる愛知県山中に点在している。まずは最も規模が大きいと思われる山門跡を目指す。地形図によれば山門が位置しているのは山の中腹、標高約830m地点。複雑に入り組んだダート林道を彷徨いようやくのことでかつて寺があったという山塊が近づいてきた。このまま登り続ければ本殿があった山頂に到着できるはずだが、山門跡が最初の目的地のため林道から外れ等高線沿いに山腹をトラバース。
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当日は台風通過直後。強風によって倒された木や折れた枝が散乱する荒れた道なき山肌を歩いて行くと木立の合間に人工物がちらりと見えた。
駆け寄った建造物は想像以上に大きい四層構造2階建ての山門だった。8本の柱に支えられた重厚感溢れるその姿は、著名な寺院入口で見る山門にも見劣りしない姿。一見文化財としても通用しそうな建築物に見える。

しかし全容を現した山門は、寺院入口で人々を圧倒するその姿とは大きく違い無惨な状態となっていた。
地垂木は垂れ下がり、屋根は欠け落ちている。少し引いて全体を眺めると門の反対側、正面部分は崩落しているように見える。まさに廃墟。



半壊した山門のその姿を見て思わず頭に浮かんだのはとある映画のワンシーン。映画「羅生門」に登場する崩れ落ちた門を再現したロケセットだ。実際に平安京にあった羅城門は長い間荒れ果てていたと言われているがこのような姿だったのだろうか。
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正面から山門を眺める。柱と貫はかろうじて均整を保っているが、伸し掛かる膨大な自重によって山門自体がそれぞれの方向へと湾曲しているのがわかる。片側には上階へと続く階段。崩れそうな階段に体を預ける気にならないので、階下から二層目を見上げると、山門室内は隙間からの外光が直接射み込んでいるためか、意外な程明るく見えた。

現在立っているのは山門の裏手、つまり山頂にある本殿側となる。正面はどのような状態になっているのか。崩れそうな山門はくぐらず側面を迂回し正面へ回った。
周辺に積み重なった山門の破片は相当前から崩壊が始まっていたを示す苔に覆われている。もちろん現在も崩壊は進行中で先日の台風の影響か、苔の上には真新しい切断面の木片が積み重なっていた。



山門正面は完全に崩壊していた。断面図のようなこの姿を見て一体何の建物なのか、即答できる人は少ないだろう。外側が崩壊したことによって普段目にする事のない内部があらわになり山門の構造がよくわかる。土台から屋根まで垂直に貫く巨大な心柱が建物を支えている。先ほどの階段から続く二層目の部屋も完全に内部をさらけ出していた。
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古代からあったとされる小馬寺にこの山門が建設された時期は江戸末期から明治にかけてと言われている。一方で国内に残された寺社仏閣や城郭天主に代表される木造大型建築は現在でも見事な姿を残し日本の木造建築の技術力を示す例としてよく紹介される。
しかしこれらは建物を分解した姫路城天守大修理に代表されるような定期的、かつ緻密なメンテナンスがあって木造の姿を数百年も残し続けているのだ。廃寺になったことで管理者も参拝者も途絶え、数十年以上放置されたままのこの山門は風雨にさらされ朽ち果てていく。

駒山の中腹から山頂にかけて点在する小馬寺廃寺遺構郡。山門脇にはかつての参道を辿るように作られた登山道が敷かれている。自分は何年か前には北アルプスを単独縦走した事もあるそれなりの山好きだが後ほど訪れた廃寺を有する駒山山頂は灌木に覆われ視界も効かず、登山としては正直魅力を感じない山だった。眺望はゼロ、また「不気味」な廃墟が点在するこの山を好んで訪れる登山者は少ないのではないか。
そのためか1時間ほどの山門滞在時、脇の登山道を通過した登山者はたった一人。山門廃墟を見上げるこちらの姿に向こうはかなり驚いたようで、お互いいろんな趣味の人がいるもんだなあと会話を交す。



良い事ではないが廃墟と落書きとは切っても切れない関係だ。
小馬寺山門跡もその例に漏れず無数の落書きが書き込まれている。特筆すべきはその古さ、1960年代から70年にかけてのものがほとんどで近年のものは一切見当たらなかった。登山、遠足記念と言ったたわいのない物がほとんどだが、寺社の解体中に当時の大工が書いた落書きの発見がニュースになるように、眉をひそめられる落書きも時を経れば歴史の一部となっていく。
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かつての参道はこの山門をくぐり抜け山頂へと続いている。小馬寺中枢があった駒山山頂へ向かうため少し登ったあたりから崩壊中の山門を振り返る。

ここから山頂に至るには登山ルートを歩くことになる。山道と石段を登って行くと薄暗い平坦な場所に出た。木々に覆われたここが山頂らしい。広場片隅にかろうじて建つ建物の廃墟は庫裏跡だと思われる。一方で中央にうずたかく積み重なる古びた木材の山が倒壊した本殿の残骸のようだ。
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「廃寺」と言われるものは、それほど珍しいものではない。特に明治期には廃仏毀釈によって多くの寺が消滅したことは知られているが、時代の古さゆえ基礎や石垣程度しかは残されていないものがほとんど。
しかし今回の寺は廃寺になってから浅いためか、あるいは木々に覆い隠され人目に触れる事もなくなり、解体を免れたためか、これほどの規模の建造物が生々しい状態で残されていたことに驚かされた。
しかし巨大な山門もいずれ倒壊、山頂にあった寺院跡のように木材の山となってしまうのも時間の問題かもしれない。
[了]
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