●2019年5月某日/島、廃校、廃鉱、2019GW中国山地徘徊記
- 2019/06/25 22:59
- Category: 旅

2019年ゴールデンウィーク。昨年のGWは瀬戸内海の怪しい島を徘徊、
今年は中国山地の奥地に秘められた廃鉱山を目指した。
目的地は遥かに遠く、瀬戸内海や中国山地にある廃校やキャンプ場に宿泊しながらの道中となった。
全行程で好天にも恵まれ前半は海、後半は山を満喫した徘徊記録。
まずは岡山県沖の瀬戸内海に浮かぶ小さな島、犬島編。
photo:Canon eos7d 15-85mm
岡山県沖の瀬戸内海に浮かぶ小さな島、犬島。
島にある廃校に泊まるために犬島への航路となる岡山県の宝伝港に到着した。
時刻は早朝、人の気配のない無人の船着き場にリュックを置き港を徘徊。しばらく猫と戯れ宝伝8時発の便を乗るため桟橋へ戻るとぽつんと置かれた自分のリュックを先頭に犬島へ向かう人々の長蛇の列ができていた。しまった。この時期の犬島、瀬戸内海の島々を舞台に開催されるアート展、瀬戸内芸術祭とかぶっていた。


それにしてもすごい人だ。あふれんばかりの来島者。一方犬島への渡し船は定員80名の小型船。列を作る乗客の大半は乗り切る事はできなさそうだ。
渡し船は満席になると同時に岸壁に多くの乗客を残したまま定刻より早く宝伝港を離岸した。どうやら積み残された乗客のため臨時便を増発し、ピストン輸送を繰り返しているようだ。

緑に覆われた本土の山がみるみる遠ざかる。後部甲板で潮風に吹かれる事わずか10分たらずで犬島桟橋に到着、大勢の来島者と共に2年ぶり5回目の犬島上陸を果たした。
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人口わずか50人ほど、かつてはまったく無名だった岡山市犬島。しかし現在の犬島は10年ほど前にできた美術館、さらに芸術祭の舞台となったことで人で溢れる人気の島となっった。船から吐き出された人々は一斉に港脇に建つ美術館チケットセンターへ向かう。桟橋からは入場券を買い求める人々の長蛇の列が見えた。

本日は2019年5月某日、ゴールデンウィーク。
自分が初めて犬島を訪れたのは今から21年も前、1998年5月、奇しくも同じGWのことだった。当時の犬島は現在の騒然とする様子が想像もできない静まり返った島だった。
それにしても美術館も観光地もまだなかった犬島をなぜ訪れようと思ったのか。来島の目的は島に残ると言われていた廃墟となった精錬工場跡。当時、現在のように検索すればなんでも出てくる便利なネット環境もなく本当に廃墟は存在しているのか、と半信半疑で岡山駅から路線バスで宝伝港へ向かった。宝伝港に到着、バスから降りた自分の目に飛び込んだのは沖合ある平坦な島に立つ数本の煙突だった。ちなみに宝伝港から乗船した船の乗客数はゼロだったと記憶している。

森に沈んだ煙突、茂みをかき分け到達した発電所跡。初訪問時ここは本物の「廃墟」だった。訪れるよそ者といえば釣り人か物好きな廃墟マニアくらいしかいなかった犬島に美術館計画が浮上したのがその数年後、前章なのか2003年頃から廃墟を利用した演劇のようなものが行われていたと記憶している。精錬所廃墟に建てられた「犬島精錬所美術館」は2008年に完成、同時に古びた集落の合間にもアートなる作品が多数設置されたことで静まりかえっていた島は大きく変貌した。
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初訪問時に撮った犬島製錬所跡の写真。当時使用に耐えうるデジタルカメラはまだなくフィルム一眼レフとリバーサルフィルムで撮ったもの。見つけたポジフィルムから何枚かをスキャンした。画像に縦線が入ったり、写真の質が悪いのは安物のボロスキャナーと自分の腕のせい。



島東端の森や台地上に大正期のわずかな期間、製錬所として使用されていた煉瓦づくりの煙突や発電所などの遺構が点在していた。
赤茶けた高台から周囲を見渡すと東には海を挟んで沖鼓島と呼ばれる無人島。西には採石でできた池。そして台地を囲むように島のランドマークでもある計5本の煉瓦煙突が立ち並ぶ。森の中には地下室も存在する煉瓦造りの発電所跡もあったが現在は順路で隔離され近づくことはできない。



鉱石から高純度の金属を取り出す過程で必要となる製錬作業。そのため製錬所は鉱山とセットになっているものが多い。とはいえ犬島に鉱山があったわけではなく、本土にあった鉱山製錬所の公害対策として犬島に移転されたもの。本土が駄目なら島で、というのもどうかと思うが、最盛期には会社の従業員はもちろん、家族まで呼び寄せ数千人単位で工場周辺に住まわせていたと言うから実際のところ会社としてもそれほど深刻に考えていなかったのだろう。
同じ意図で工場が作られた四阪島や契島という島が瀬戸内海にある。これらの島、昔からどうしても上陸したく15年程前、各所に問い合わせをしたことがあるが駄目だった。
初めて犬島を訪れた際には製錬時に排出された亜硫酸ガスの影響なのか工場跡地は枯れ果てた荒野のようになっていた。しかし最近撮った写真と比較すると20年の時を経て灌木を中心とした植物が製錬所跡に繁殖、自然の強い力を感じた。
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廃墟が人で溢れる観光地になったのは寂しいが放置状態が続けばそびえる煙突群はいずれ崩落していたかもしれない。倒壊寸前だった大煙突を補強し、廃墟の雰囲気をある程度残しつつ、美術館を開設した技術や資金には感服する。
再び現在の犬島。



芝生が敷き詰められ犬島石が並べられた犬島港周辺。現在はこぎれいに整備された美術館へのアプローチも当時は廃屋と廃車が点在、砂塵にまみれた荒涼とした砂地だった。
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さて今回の目的は島に安く宿泊することなので、食料を詰め込んだ重いリュックを背負い犬島対岸にある宿泊施設へと向かった。島にはかつて犬島小学校、中学校があった。最盛期には6,000人にも達した人口もその後の製錬所閉鎖、さらには慢性的な島人口の低下によって生徒数も減り続け1991年、ついに廃校となった。廃校時、生徒数はわずか2名だったという。現在は宿泊施設へと改装されその安さ故何度も利用した宿。敷地の南側には新緑に包まれる木造校舎も残されている。



廃校に重い荷物を置くと身軽になった身体で島を徘徊。廃校から反時計回りに島の一周を始めた。かつて多くの離島を巡ったことがあったが犬島は島感を感じるにはぴったりのサイズ。徒歩30分ほどでだいたいの主要な場所は回りきることができる。これが沖合に浮かぶ小豆島クラスになると何かしらの交通手段をもたないと移動も困難だ。同時に離島というほどでもなく本土から船でわずか10分たらずという近さが同時に安心感を与えてくれる。
犬島には沿岸部に2つほどの集落がある。黒壁の伝統的民家が密集する集落を歩くと2年間の変化に驚かされた。犬島の魅力、それは古びた民家と共存する人が去った廃屋だった。しかしそれらの廃屋が目に見えて減っているのだ。更地が増えた集落は歯の抜けたような状態となっている。いずれも倒壊の危険を考えここ1、2年の間に解体されたのだろう。
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日中は人で溢れんばかりだった犬島。多くの来島者が最終便で本土へ帰ったため夕方の訪れとともに騒がしかった島は再び静けさに包まれた。
瀬戸内海に日が沈む。持ち込んだ食材で自炊となる夕食の支度が完了すると特にやることもなくなり宿泊する廃校前の岸壁に腰掛け暮れゆく海を眺め続ける。静まりかえった岸壁に響くのは弱々しい波の音だけ。
5月だとは思えないほど暑さに包まれたGW、日が傾きようやく過ごしやすくなった。


海峡を行き来する客船が遥か遠方を音もなく通過し、目の前にある犬ノ島がシルエットとなっていく。
これが本土の宿ならば逆にこの時間を利用し車で夕日を見に出かけてみようだとか、食材を追加で買い出そうなど欲を出してバタバタと動いてしまうものだが、最終便が去った今、狭い島内に足止めされたことで、「なにもしなくても良い時間」というものが強制的に生まれる島巡りが好きだ。


1925年の大正期の精錬所閉鎖後、長年に渡り忘れられていた島、犬島。
初上陸から21年。その数年後廃墟を使った劇団の公演から始まり、美術館の建設、芸術祭の舞台と島民にとっても激動の21年だったのではないか。騒がしくなってしまったとはいえ個人的にちょうどいいサイズの島はやはり好きだ。
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夜の犬島を徘徊。水銀灯に照らし出される集落路地。廃校で読んだ資料によれば精錬工場が稼働していた大正時代の最盛期、犬島には多数の飲食店はもちろん「共楽館」と呼ばれる巨大劇場までもが建設され、深夜まで響く声、煌々と輝く電灯にまるで不夜城のようだったという。

しかし今や過疎化によってその多くが空き家というこの島、ほとんどの民家は闇に沈みカーテンの隙間から漏れる電灯の明かりに人の気配を感じる家はわずか。静まりかえった路地に響く自分の足音がひっそりとした平穏な夜を乱してしまうのではないかと気を遣いつい足音を忍ばせてしまう。
空には満天の星。明日こそは廃鉱山を目指し西へと向かう。
[続く]
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