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●2019年5月某日/島、廃校、廃鉱、2019GW中国山地徘徊記.03

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2019年GWは瀬戸内海の島を経由しながら中国山地に人知れず残る鉱山跡を目指した。
廃道となった車道を登り続け、山の斜面に張り付くように残る鉱山の正面に立った。
崩壊した屋根、錆び付いた壁面。初夏の日差しを浴びる新緑の山々とは対照的な彩度のない建物。
まずは機械選鉱場と書かれた建物に案内人と共に足を踏み入れた。


photo:Canon eos7d 15-85mm

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厚く積もった埃、錆び付いた鉄階段、機械油の匂い。鉱山は時間が止まったかのように静まりかえっていた、と書こうと思ったが実際の様子は違った。
意外な事に廃墟内部は音で満たされていた。響き渡る音の正体は流れ落ちる水音。建物内を循環するパイプの一部が破損、そこから激しく吹き出す水が廃墟空間に盛大な音を響かせている。

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最初に入った建物は鉱山施設の最も下部にある「選鉱場」と呼ばれる施設。運び出された鉱石はそのまま出荷できる状態ではないため、鉱山には振り分け作業を行う選鉱場という施設が設けられていることが多い。
選鉱の際には重力に従い下ってくる鉱石を砕きながら最下層まで流して行くため斜面が必要となる。幸い鉱山というものは山中にあることが多いため傾斜には事欠かない。選鉱場の教科書のような存在でもあった神子畑選鉱場の外観がわかりやすい。→【LINK



錆び付いた階段を慎重に登り上階を目指す。鉱山閉鎖が突然だったのか、突如機械稼動が停止されたのように器機やコンベア上など至る所に山積みの鉱石が残されていた。そのため積込用ホッパー付近ではmm単位だった鉱石が施設内部を上階へと登りにつれ大きくなり最上段では岩石状態のまま放置されているという選鉱の逆過程を見る事ができた。

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上階はコンベアが上下左右に入り組んだ複雑な空間が続く。コンベアの隙間を縫うような通路、踏み抜きそうな渡り廊下、錆び付いた鉄階段。頭をぶつけないようにわずかな隙間を身をかがめ登って行く。薄暗い空間に崩落した天井の隙間から木漏れ日が落ちる。下階を振りかえるとまるで迷路のように見えた。



選鉱過程では様々な方法がとられていた。鉱車と呼ばれるトロッコから下ろされた岩石が最初に集められる上層部では手作業、また強力な磁石を使い紛れ込んだ鉄杭などを省き石を粉砕する。コンベア上の磁力はまだ生きており試しに落ちていた鉄杭を近づけると強い力で吸い寄せられた。
鉱石が砕かれると続いて数段に渡り比重選鉱が行われる。その過程で大量の水が必要となった。幸い横を豊富な水量の沢が流れるため、水に不足する事がなかったという。先ほどから響き渡る水音の正体はこの時に使用されていたパイプのもの。水は現在もパイプの中を流れ続けている。これらの過程を経て選鉱されたクロム鉱石は最下層のホッパーから出荷され製鉄所の溶鉱炉で使用される耐火煉瓦原料の原材料として使用されていた。

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この選鉱作業、仕組みが単純明快なため素人目にも見ていても理解しやすい。下手な文章ではわかりづらいので簡易的な図を描いてみた。もちろん実際には図のような単純なものではなくまた坑道も縦横無尽に地下を走っていた。あまりに複雑に入り組んだ坑道のため隣接する別鉱山と地下で意図せず接触してしまったこともあった。

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ひとつひとつの設備に魅了されながら斜面に沿って上へと続く選鉱場内部を登りきった。薄暗い空間から屋外へ出るとまばゆい光に包まれた。



そこには意外なほど広い平坦な空間が広がっていた。この場所、かつてのトロッコの停車場跡。不要になった石はここからズリとして棄てられてた。数十年間に渡り投棄されてきた膨大のズリが安息角ぎりぎりで谷を埋め尽くしている。現在立つ場所は棄てられてた石が積み重なってできたズリ山の山頂部分。

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廃墟の室内とは対照的に底抜けに明るい風景。からりと晴れ渡ったさわやかな5月の鉱山。視界一面に広がるのはどこまでも続く新緑に包まれた中国山地の山々。現在地の標高は800mほど。緑の山々も冬場はすっぽりと雪に覆われるに違いない。
ここで鉱山の下部施設は一旦終了。しかし空撮写真を見るとこの鉱山には選鉱施設以外にも多くの建物が山の斜面に残されている事がわかる。ここからは更に上部にある次の区画が始まる。



こちらは選鉱施設から一転、雰囲気が変わる。山の斜面に点在するのは木造の廃屋郡。それら建物の正体は鉱山運営施設。わずかな平地や森の中に事務所、鍛冶屋、発電所が集中する。無機質だった下層部と違い作業場や事務所がメインのため作業員の痕跡が生々しく残されている。

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そのうちのひとつ、修理工房だという建物へ入った。
廃校を思わせる木造平屋の建物。室内は先ほどまでの水の音も消え音もなく静まり返る。残留物のほとんどが工具類だ。閉鎖された日から触れられる事もなかったのか、棚上や机上に工具、器具が厚く埃を被ったまま置かれたままの状態で残されてる様子はまるで美術館の展示物のように見える。

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奥の部屋は待機所か休憩所だろうか。大型ストーブを取り囲むように生活用品のような物が置かれている。壁に貼られた不思議な記号が書かれた古びた紙。よく見ると受話器もあるため、モールス信号のような単純な信号で鉱山各部署と連絡を取り合うための記号例だろう。

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無造作におかれた作業着やヘルメット、書きかけのメモ、カレンダー、やはり閉鎖は突然だったのだろうかと思わせる生々しい雰囲気。中央におかれた錆び付いたストーブからは寒気に包まれながら作業が行われた厳冬期の様子が目に浮かぶようだ。裏手ある発電所は雪のためか屋根が崩壊、木材に埋もれた大型発電機がむき出しの状態となっていた。



このような鉱山や炭坑につきものなのが鉱員住宅。木造の長屋タイプ、あるいは鉄筋アパートタイプとその形態は様々だがここでは宿舎のようなものは見当たらない。聞いてみるとすべての職員がふもとの町から出勤していたとのこと。
過去に訪れた北海道や九州の旧財閥系炭坑においては街そのものを企業が運営、学校、娯楽施設、商店まで兼ね備えた大規模な炭坑街を作り24時間体制でフル稼働していた。そのため閉山時のダメージも大きかったがここは規模が小さかったため街全体が消滅するという悲劇は避ける事ができた。

この鉱山、保存のため残されている訳ではない。一旦途中まで解体が進みながら費用の捻出が困難となったため解体停止中とういうきわどい状態にある。施設の売却先、解体費用の目処がついたら解体が再開される可能性もゼロではない。しかし人知れず崩壊しつつある山中の巨大施設を予算のあてもなく単純に保存と叫ぶのも酷なことだろう。


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山から下り廃校脇の駐車場へ。トラックや車がひっきりなしに走る国道。時が止まったかような白昼夢の世界から現実感のある場所へと戻ってきた。くまなく施設内を案内しわがままにも応じててくれた案内人にお礼を伝え車へと戻った。それにしても時間が足りず。いつかまた再訪したいもの。



中国山地を東へと横断、日が沈む頃に鳥取市郊外のキャンプ場へ辿り着く事ができた。昨年も同じキャンプ場に宿泊し近隣の鳥取砂丘を訪れたのだが、砂嵐によってカメラが故障した記憶が生々しいため今年は砂丘には近づくのをやめよう。
瀬戸内海の犬島や山中の廃校、鉱山を満喫した濃いGWとなった。

[了]


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