●2021年3月某日/失われた光景。八ッ場ダム、湛水までの日々。
- 2021/05/15 22:22
- Category: 私事

山に挟まれた早春の湖面は静かに水をたたえていた。
広大な湖はまるで遙か太古からそこにある変わらぬ光景の様に見える。
しかしこの湖はダム湖、あがつま湖。
群馬県山中を流れる吾妻川をせき止めた八ッ場ダムによってできたばかりの人工湖だ。
八ッ場ダムの総貯水容量は1億750万立方メートル、国内ランキング49位と大きいダムではないが
人里離れた山中ではなく、幹線道路や鉄道、温泉街などが水没予定地とされたため生活への影響は大きく
また首都圏に近くそのニュース性もあってか知名度の高さでも知られている。
かつて見た緑の谷間は記憶の中に沈み、変化し続けた湛水までの光景を順に追った。
photo:Canon eos7d 15-85mm
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以前から巨大建造物に魅了されダム巡りが趣味のひとつとなっていた。今でこそ市民権を得たダム巡りだが当時は非常にマニアックな趣味と思われていたようで、ダムに行くと言うと周囲からはバス釣り?心霊スポット巡り?と聞かれたものだ。
そして次第に関心はダム堰堤から、ダム予定地水没地帯へと変化した。貯水されれば二度と見ることのない「幻の光景」。2003年に訪れた国内最大の貯水容量を誇る徳山ダム水没予定地では自治体そのものが消滅する広大な水没予定地を徘徊した。
そして群馬県八ッ場ダム。大きさは中規模サイズだがその実施を巡り二転三転し注目を浴びたことで知られており、知名度は非常に高い。結果ダムは完成し地区の水没と計画に翻弄された住民との引き換えに下流域の治水という安心を手に入れた。実は以前から何度か現地を訪れていたのだが原盤が発見されず掲載するのは2017年以降の写真となる。
●2017年7月某日
初めて八ッ場ダム地区周辺を走ったのは工事自体がまだ行われていなかった頃。当時はその実施を巡って二転三転していた時期でもあったため、着工されるか確信がもてず写真もそこまでは撮っていない。しかし10年余り、再び訪れた時には時すでに遅し、水没予定地は封鎖され高台から俯瞰するしかなかった。

八ッ場ダムが建設されるのはこのような地形。群馬県から流れ出す吾妻川が作り出す急峻な渓谷を埋めるようにダムが作られる。
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緑の谷間に現れるダム堰堤建設現場。ダム堰堤本体はほとんど姿を現しておらず土台の打設作業が佳境を迎えていた。拡大してみるとアーチ型の放流管ゲートが姿を見せ始めていた。崖上にはコンクリートを製造する巨大なプラントが林立し、頭上には資材を運搬するケーブルがひっきりなし行き来し活発に工事が行われていた。これだけの土木事業ともなると建設に係わる業者の数も膨大となる。



ここから堰堤上流部に広がる八ッ場ダム水没予定地の徘徊。とはいえ前述したようにすでに立ち入りができないため周辺からの観察となる。近年は橋脚技術の発達で高高度橋の建設が可能になったため深いダム湖に予め橋が架けられることが多い。満水時の水面を見越し、高い位置に作られるため沈む前の現地の姿を望む絶好の俯瞰スポットでもある。
ここ八ツ場ダム予定地にもいくつかの橋が架けられる。その2つ、八ッ場大橋と不動大橋はいずれも遙か高所に架けられておりとその高度感には驚かされる。[下記地図]

一つ目はダム堰堤に最も近い八ッ場大橋[下記写真]。
貯水後の姿を想像することは難しいが橋桁に記されたマークからもわかるようにいずれこの真下まで湖面が迫ることになる。高さ74mの橋上に立てば、水没地帯がよく見えることだろう

20分後、移動し八ッ場大橋に立つ。吾妻川下流に目をやると緑の森の合間にダム堰堤の建設現場が見える。いずれあの森の合間から谷間を埋めるように巨大な灰色の堰堤が顔を覗かせることだろう。
手前に見える橋梁はダムに沈むため廃線となった吾妻線の跡。右下の更地部分にはかつて旧川原湯温泉駅の駅舎があった。吾妻線は水没を免れるため、右岸のはるか高台に移転され旧駅舎は解体された。


八ッ場大橋から吾妻川上流に目をやる真下には三つの橋が模型のように俯瞰できる。鉄道橋、国道145号線等いずれも使われなくなった「廃橋」だ。今後これらの橋が解体撤去されることなくダム湖に沈められるのならば、渇水時には錆び付いた橋梁が姿を現す光景を見る事ができるのかもしれない。
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水没予定地をさらに上流に向かうと現れる高さ86mの不動大橋。眼下にはやがて水に満たさせることになる広大な土地が広がっている。


いずれ失われいく広大な空間はもちろん空き地だったわけではなく生活道路や電柱、耕作地など残されてる痕跡がからわかるようにかつて人々の生活があった。そのほとんどは撤去されたが、中にはまだ取り壊されることなく残っている建物もわずかにある。一方川を挟んだ両岸の高台には斜面を削る形で平地が確保されており、生活の拠点は新たに作られた住宅地へ駅舎などの施設と共に移転した。
廃線となった吾妻線跡の錆びた軌道は夏草に覆われその姿を消し去ろうとしている。





青みを帯びた色からもわかるようにこの川はすこし特殊な性質を持っている。それが川の上流にある火山による硫黄成分影響で川自体が強い酸性を持っていることだ。上流にはこのような品木ダムや中和施設が稼働し酸性濃度を下げている。[品木ダム/下記写真]

再び不動大橋。ゆるやかな軌道を描く吾妻線の廃線上はベルトコンベヤーの格好のルートとして使用されており巨大なパイプの中を周辺の採石場から採取された岩がダム建設資材の材料として堰堤方面へと運ばれている。



下から順に旧国道、吾妻線跡、そして水没を免れるため高台に新たに敷設された国道145号。この広大な緑の谷間が水で満たされると光景はどのように変化するのだろうか。
●2019年9月某日
前回の訪問から2年あまり。2019年再び八ッ場ダム予定地を訪れた。久しぶりのダムの堰堤は見間違うほどに変化していた。打設されたコンクリートが上へと伸び堰堤自体はほとんど完成しているように見える。


再び八ッ場大橋の上から水没予定地を俯瞰する。二年前はまだその姿がなかった巨大なコンクリートの壁面が緑の谷間を埋めている。ダム堰堤に空く巨大な穴は放流管ゲートとして使用されるもの。
水没予定地の中央に架かる錆びた鉄橋は相変わらず撤去される様子はない。数年前、疑問に思ったがどうやら鉄橋や橋は結局撤去されることなく、そのままの姿でダム湖に沈められれるようだ。

水没を間近に控え遙か遠くでは何かの発掘作業が行われていていた。
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この訪問直後、堰堤本体が完成、試験湛水が行われるとの報道が一斉に行われた。半年ほどを掛けじわじわと水位を上げ、堰堤が膨大な水圧に耐えうるのか堰堤強度の測定テストが行われるようだ。定期的にチェックする八ッ場ダムライブカメラにはわずかづつ増えていく水位が日々映し出されており、この秋から春にかけて何度か現地を訪れ、ゆるやかに沈みゆく鉄橋や谷間を見ようと予定していた。
●2019年10月某日
台風19号は夜半、列島を通過中。天気図を見れば明日は台風一過の晴天になるはず。明日朝、半分ほどに貯水されるであろう八ッ場ダム湖を見ようと深夜、ダムに向け車を出発させた。すでに風雨のピークは過ぎ去っており闇の中、風と雨が時折思い出したかのようにざっと吹き荒れる。

しかし道中はトラブルの連続、結局八ッ場ダムへは辿り着くことができなかった。
当初目指した最短距離の県道は規定雨量を超えたため通行止め、Uターン。深夜迂回路をひた走り、ようやく高速道路へと入り走り続けた。しかし夜が明ける頃、高速道路は強風通行止めとなり、インターから下ろされた。今度は木々の葉や梢が散らばる下道を使いダムへ向かもののこちらの別ルートでは倒木に阻まれた。倒木は直前に撤去されたものの、土砂崩れでまたも通行止め。
台風一過の青空の下、様々な情報を駆使し八ッ場ダムへ向かうルートを探ったものの道は各所で寸断されており結局辿り着くことができなかった。その夜、自宅でニュースで満水となったダムの姿を見た。予想を超えた雨量はわずか一夜で広大なダム湖を満水にした。
当時スクショをとっておいた台風襲来前後の八ツ場ダムライブカメラの画像。


わずか一夜で天端ギリギリまで水位が増加した。膨大な台風の水を抱え込んだダム堰堤はなんとか支えているように見える。本来堰堤強度を調べる試験湛水中にも係わらずここまで貯水してしまい果たして大丈夫なのかと心配になってしまうほどだ。この光景を生で見たかった。
●2019年11月某日
台風から1ヶ月。晩秋の某日、車中泊をしていたダム湖畔で目覚めた。ドアを開けると冷気が流れ込んだ。冷え切った歩道を湖畔へと急ぐ。
現地には昨夜遅く到着したたため、まだダム湖の姿は見てはいない。上空に広がる早朝の青空と対称的には日も射し込ない薄暗い谷間。そこにあったはずの空間は茶褐色の水で満たされ広大な土地は失われていた。






台風の濁流で汚れきった水。かつての路面に堆積する泥、木々に絡まる流木などの漂流物。緊急放流によって水位が下げられたため一旦は沈んだ岸辺の様子が露わになった。本来ならばこの時期、鮮やかな紅葉を見せるはずだった広葉樹も一時的に水没したため立ち枯れを起こし梢の先にわずかに赤い彩度を残していた。

これでも放流の結果水位は低下しており台風通過直後には橋梁真下まで達していたようだ。思わぬ形で満水となってしまった八ツ場ダム。今度は水を抜きつつ湛水試験を続け、2021年の完成を目指すようだ。
●2021年3月某日
1952年の計画から70年近く、長い年月を費やし紆余曲折を経て周辺施設も含めた八ッ場ダムは完成した。真新しさを現す白いコンクリートの躯体。そしてその背後に広がる「あがつま湖」と名付けられたダム湖周辺、ダム本体に付随する形で資料館や展望台が整備され多くの人々で賑わっていた。


堰堤から移動しダム湖を跨ぐ橋へと移動した。早春の若木が包み込むダム湖。前回、訪問時には台風直後の泥混じりだった茶褐色の湖水は、浄化されたのか澄み渡っている。




以前は立ち入りが制限されていたダム湖湖畔には様々な施設が整備され水際まで下りられるようになっている。何度も歩いた二つの橋の予定通りの高さまで水位は増した。
不動大橋からの風景も大きく変化した。橋上に立ちダム堰堤側を望む。かつて見た建設中のダム堰堤と廃線、渓谷、森。この風景も膨大な水の底へと沈められた。


技術力や桁外れのサイズ、あるいは困難な建設史に魅了されるダム巡り。同時に下流の水害防止、あるいは電力確保のため犠牲になった集落が各地であったことは忘れてはならない。
今はまだ完成から日も浅く水没前の姿も記憶に新しい八ッ場ダム。しかし次第にこの光景が当たり前となり、年月と共にかつての光景は次第に忘れ去られて行くのだろう。初めて訪れた人は湖の底となった失われた谷の姿を想像することができるのだろうか。
[了]
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