●2023年2月某日/山中の彷徨。失われた廃校へ二度目の挑戦。
- 2023/05/30 22:22
- Category: 廃校

見渡す限り緑の森が続く紀伊半島の山々、
そのほとんどが杉を植林した人工林となっている。
そんな山の上に残された分校廃校を目指したのはかなり以前の冬のこと。
冬でも葉を落とすことない杉林に眺望を遮られた荒れた道なき山を徘徊、
いや彷徨しあげく廃校の痕跡を何ひとつ見つけることができず撤退、
谷間にひっそりと建つ一軒の民家を尋ね、廃校へのアクセス方法を聞くことができた。
とはいえ疲労困憊、さらに夕刻間近だったこともあって
再び山に登る気も起こらず探索をあきらめ、ふもとへと車で下った。
無駄足に終わったこの時の山中彷徨を記事にしたら、長い文章が書けるのだろうが
なにせ一枚も写真を撮っていないため記事にしようがない。
その後廃校へのアクセスを紹介したサイトの存在を知り、
地元の方からのアドバイスとサイトを手引きに二度目の挑戦を行った。
紀伊半島各所の失われた場所を巡る探索再開からちょうど10年、
その奥深さをさらに実感した徘徊となった。
※本記事は訪問時のものです。現在の状況は異なっている可能性もあります。
和歌山・奈良・三重をまたぐ山岳地帯の谷間を走る狭路を奥地へと遡った。前回の探索時と同じく、道中一台の対向車も現れずに谷の最深部の空き地へ到着、車を停めた。地元の方から指示された廃校への正しい取付口となる場所。結果として前回挑んだ取付口は数百mずれていた。わずかな違いも眺望ゼロの荒れたバリエーションルートを登るにつれその差は広がる一方、いくら山中を彷徨しても見つかるわけがなかった。登山装備に着替え山に足を踏み入れた。
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日も射し込まない急勾配の荒れた杉林をひたすら登り続ける。一帯は杉の樹冠が山肌を覆い眺望ゼロ、現在地の把握が難しく何度か外れをくり返した。やがて分岐をくり返していた廃道状態の道の痕跡が、規則性を持ち一定方向に進み始めた。間違いない。山道跡を登り続けやがて頭上に人工物が見えた。


前回、地元の方から話を伺った際には「かなり荒れているぞ」と言われたがその言葉通り、最後は山道も崩落によって途絶えた。建物は間近、薄暗く冷え込む山腹から明るい尾根上に早く出たい。
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木々を掴みながら最後の崖をよじ登り尾根上に立つことができた。森に覆われた狭い平地には山小屋を思わせる木造の建物。これが廃校となった分校跡校舎。校舎が崩落していることも想定していたため、予想よりもかなり原形をとどめているなと言った第一印象。荷物を下し息を整えると周囲を観察。


校舎が建つのは山塊が各所に伸ばす痩せ尾根の一角、わずかなスペース。地形図上とは異なり、実際に建物脇に立ちこの場所の壮絶な立地を体感、あるいは写真で表現するのは難しい。なぜなら校舎は間際まで木々で覆われ、また両サイドが崖となり切れ落ちているため、引いた状態で建物全体と現在地の高度感を捕らえることができなのだ。
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そして現在地を俯瞰した途端、孤独感をひしひしと感じた。ここに至るまで眺望ゼロの森の中をひたすらよじ登ってきたため、周囲の様子や高度感はなにひとつ掴めなかった。

谷底から山腹を登り続け、ようやく辿り着いた現在地は人里離れた山上だった。人工物は見渡す限り何ひとつ存在せず、送電線の鉄塔すら見当たらない。林道もなく、周辺に著名な山もないため登山者すらいない無人地帯。このような場所にかつて子供達が徒歩で通った分校があったとは驚きだ。
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森が不自然に窪んでいる箇所(上記矢印)にかろうじて残っている建物。四方から迫る植物の旺盛な繁殖力に飲み込まれつつある校舎屋根は密林に隠された古代遺跡のようにも見える。



そんな山上の森に残された廃校。登りきった当初は、予想よりも原形をとどめていると感じたが側面に回ると様子は一変、壁面のほどんどが崩壊し屋根は朽ちた柱によってかろうじて支えられていた。廃校への行き方を尋ねた際に地元の方がつぶやいた「かなり荒れている」という言葉にはアクセス路だけではなく、建物についての言及も含まれていたのかもしれない。

板壁のほとんどが存在しないため外部からでも建物の構造がよくわかる。校舎は片方に廊下を配置し、中央に教室を配する正方形に近い形状。北面は廊下と正面玄関となっており、上記は玄関外から撮ったもの。
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紀伊半島に残る多くの廃校を見てきたが、間取り含め和歌山県奥地に点在する分校の形状に似ており、秘境と言える奥地に分校を建てる際の基本フォーマットがあったのだろうか。よく見ると東西で屋根の材質が異なっているため、子どもの増加に併せ増築されたのだろう。


東側の窓から内部を見る。手前の床は崩落しているが、中央には間仕切りのようなものが残っており、当時教室は二つに分けられていたのかも知れない。奥の壁面には黒板が設置されていたのだろうか。

意外だったのは建物がこのような状態になっても窓ガラスの大半は割れずに残っていたこと。下記写真には卒業生が書いたと思われる訪問者に向けた「ガラスを割らないでね」との文字が写っているが、登山を行ってまで破壊を行おうとする輩もいないはず。
太陽高度が低い真冬のためか、ガラス越しに光が射し込む教室は森の中にしては意外に明るく感じた。




外から眺めただけなので、ここが学校であったことを思い起こさせる残留物のようなものは目にすることができなかった。窓枠越しに見える廃校後に訪れた卒業生が室内壁面に書き込んだ平成初期の記念メッセージが唯一の痕跡。
平成初期から30年余りが経過、当時はまだ中高年だった卒業生達も高齢化が進みハードな山道を登れるとは思われず最後の卒業生訪問となったのでなかろうか。
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気になるのは教室の床板に無造作に頃がる一升瓶。建物周囲にもいくつもの一升瓶が埋もれており学校らしからぬ残留物。こんな廃瓶は廃村探索時に必ず目にするもの。

某島の廃村を訪れた際は、島に残された大量の一升瓶は真水貯蔵用に使用されていたと聞いたこともあり、廃校周辺の集落の人々が必ずしも酒飲みばかりだとはいえないようだ。
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校舎が建つのは痩せ尾根上の一角、東西に細長いわずかな平地。ここでは尾根を削り取り、両側に石垣を積み上げ、子ども達のために少しでも平坦地を確保しようとした苦心の跡がうがえる。
その狭い敷地のほとんどを校舎が占めるが、わずかな空きスペースには錆び付いた遊具が残されており、狭いながらも校庭として機能していた。




少し不思議だったのは杉だらけの山中で校舎周辺だけが別の植栽となっていたこと。ひたすら続く紀伊半島の杉の人工林に辟易していたため、松など別の木々に少し新鮮な気分。
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樹冠が頭上を覆い尽す校庭跡。しかし当時、尾根上に位置する分校は眺望と日当たりに恵まれていたのではないだろうか。ここに至るまでの山の斜面では石垣、基礎など耕作地や建物跡の遺構を目にした。いずれも杉に覆われ、日も当たらず薄暗い場所。そんな場所で耕作が行われるはずもなく当時は開けていたはず。


以前も書いたが廃村となった集落では離村時、杉の植林が行われる事が多く、特に紀伊半島では杉林内で生活の痕跡を見ることがある。分校、山腹の集落、耕作地にも離村後、植林がなされ、成長する杉によって光景は次第に覆い隠されていった。

一時中断していた紀伊半島各所の失われた場所を巡る探索を再開したのが2013年、当初3年計画と豪語していたがその広さ故、そして新たなスポットを「発見」してしまうため10年目に入っても一向に終わらないのだ。
そして紀伊半島では、ここ数年でかつて巡った廃校の倒壊が連鎖的に続いているようだ。同時期に建てられた木造校舎は人の手を離れたことで一気に寿命を迎えたのか、多くは屋根の自重に耐えられず中央に向かい自然倒壊するパターン。今回の分校もまもなく廃校となって50年を迎える。いずれ人知れずに倒壊、森へと戻っていくことだろう。
[了]
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