●2016年11月某日/禁教の島、野崎島上陸記.03〜光の教会〜

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残された遺構を求め約20年ぶりに訪れた長崎県の果てに浮かぶ無人島、野崎島。
曇天の朝、小値賀島を出航した町営船は飛ぶように海面を進み
20分ほどで野崎島の玄関口、野崎港に到着した。
港周辺で進む開発風景に驚かされながら野崎、野首とかつての二つの集落跡を徘徊、
続いてかつて島内に潜伏していたキリシタン信者達が解教後に建てた教会、野首天主堂跡へ向かった。


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photo:Canon eos7d 15-85mm


かつての旧野崎小中学校の廃校を利用した宿泊施設から屋外に出ると、太陽の光に思わず目がくらんだ。
見上げれば島を覆っていた厚い雲はようやく流れ去り、校庭には日差しが降り注いでいた。ここ一週間ほど雨が続いていたため、久しぶりに見る青い空。



それでは旧野首天主堂を見学。建物は廃校の目と鼻の先、校庭の真裏に建つ。積み重なる古びた石垣上にそびえ立つ日本離れした煉瓦造りのその姿はまるで東欧の古城のようにも見える。
ところでこの「天主堂」という呼称、長崎あたりでよく見かけるもの。教会と天主堂の違いって何だろうと今更ながら疑問に感じ帰宅後調べたところ、天主堂とは九州北部や離島で使用される独自の呼び名らしい。


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近年野首天主堂を含んだ九州西部の教会群が世界文化遺産候補となった事で、忘れられた島、野崎島が注目を集めることとなった。
しかしその後イコモスの勧告によって申請は一旦取り下げられることとなる。イコモスの見解としては、明治以降に建設された教会郡自体は特記するほどのものではなく、むしろ「禁教期」に焦点を絞るべきとのこと。世界遺産が無制限に増え続ける中で、質を上げようとするこの勧告は理にかなっているように思える。

その結果、野崎島においては解教後建設された野首天主堂単体ではなく、潜伏キリシタン居住地であった野首、舟森集落にも焦点を絞り再度登録を目指すようだ。それにしても一連の流れ、なんだか場当たり的な感じがしないでもないが、既に野崎港周辺では登録を見越し開発工事が着々と進行している。マニアの聖地と言われた軍艦島が文化遺産登録後、一大観光地へと変化したように静かな無人島野崎島がツアー客の喧噪に包まれるのも時間の問題かもしれない。



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野首天主堂はかつての野首集落の中心地、海を見下ろす高台に建つ。
古びた石段を上り正面に到着。建物前のこじんまりとした広場は晩秋とは思えぬ温かい日差しに包まれていた。かつてはこの天主堂の周囲を囲むよう十数棟の民家が点在していたが、今や跡形もなく土台だけが残されている。



レンガのアーチ奥にある真鍮の取っ手を握り古びた扉を開けた。
ずっしりと重い木の扉がきしんだ音をたてゆっくりと開くと同時に薄暗い室内に一筋の光が射し込み内部の様子が浮かび上がった。複雑に組まれたアーチ天井を持つ礼拝室はステンドグラスから射し込むカラフルな色彩であふれている。20年ぶりとなる懐かしい雰囲気。前回訪れた際には荒れ果てた印象を持った野首天主堂だったが、その後修復がなされたのか内部はこぎれいに変貌していた。


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当時の建築技術の粋を集め建設された立派な教会は正直、離島の寒村には似つかわしくないもの。一体どのようにして野首天主堂建設にいったのか、経緯を後に地元の方から聞くことができた。(耳で聞いた話なので聞き違いがあるかもしれないです。)



人跡未踏の荒れ地だった野崎島の野首地区に人の手が入ったのは江戸時代。
捕鯨で財を成した小値賀島の豪商が酒造用として田を作らせてみたものの、きつい傾斜と痩せた土地故、持て余していた。そこで藩命によって開拓民が募集され入植したのが下五島から安住の地を求め流れてきた2世帯の潜伏キリシタンだった。
それにしても離島の中でも最も人目の届かない辺境の地に応募とは、何か訳ありではと勘ぐってしまいたくなるのではないか。もしや役人も彼らがキリシタンだと気がついていたのでは、と問いてみるとそうかもしれない。とニヤリとした。信仰を根絶やしにするのは不可能だ。誰も手を付けたがらない離島を好んで開拓してくれるのならばと建前上、仏教信申請をした上での暗黙の了解だった可能性は高い。と自分も思う。


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どちらにせよ野首に住み着いた潜伏キリシタン達は家を建て荒れ地を開墾しながら代々ひっそりと信仰を続けやがて明治維新を迎える事になる。新政府による弾圧によって一旦は島を離れるも解教と共に集落に戻され木造教会を建設、その後悲願だった煉瓦造りの教会建築に向け動き始めた。

建築資金はキビナゴ漁を主としながら食事の回数を減らし村全体でわずかづつ貯めて行ったもの。
そして1908年、煉瓦造りの教会、野首天主堂がこの地に完成した。当時としては最先端の巨大建築物。設計建築を請け負った設計士、大工達も村の貧しさを目の当たりにし、本当に支払いが行われるのか最後まで半信半疑だったという。また廃校で読んだ資料には住民から支払われた膨大な建築費、その全てが硬貨だったと書かれおり、わずかの金を積み立てて行った様子がうかがえる。



教会に限らず本来、祈りの場であったはずの宗教施設は、次第にその権威を誇示するためのものへと変化し巨大化していった。ヨーロッパや中東の国々で自分が実際に見たゴシック教会やモスクなどは当時最先端の巨大建造物であり、民衆に圧倒的な威圧感を与えてきたことだろう。
しかし人気がない海沿いにひっそりと佇むこじんまりとした教会を見てしまうと、本来の宗教とはこのような家庭的なものではあるべきではないかと何年か前に行った五島列島福江島での教会巡りと同じ思いを感じてしまった。


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海を見下ろす天主堂脇で見つけたのが「大東亜戦争記念」と彫り込まれた石碑。
昭和に入り欧米との関係が悪化するにつれキリスト教に再び逆風が吹き始めた事はよく知られている。中央からはるか離れた野崎島でも例外ではなかったようで、国への協力体制をアピールすべく太平洋戦争開戦後、信者達が自主的に建てたと言う。自分は戦跡巡りもよくするが、体制への賛同を現す石碑や遺構は、半ば強いられたものだとはいえ敗戦後撤去され「なかった事」もされることが多く現在も残されているのは珍しい。

時代に翻弄されながら守り抜き脈々と受けづけられてきた信仰だったが、人口減少とともに信者も減り続け1971年、最後の住民が退去、野首集落は無人となり野首天主堂だけが残されている。



教会裏手には午前中徘徊した野首集落跡が広がっている。
現在民家は全て消滅、かつての生活を偲ぶ物と言えば畑の石垣、民家の土台、散乱する瓦や一升瓶。灰色の石垣と鮮やかな緑の芝との組み合わせは、まるで南米の遺跡のようにも見える。人によって手入れがなされてかのような芝、この環境を保っているのが、意外な事に島に生息する野生のシカだと聞いた。


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20年程前、野崎島に上陸した際は、まだわずかながら住民も残っていたようでシカの移動を制限するため、各所に設けられたフェンスのゲートを開け閉めしながら島内を歩いた記憶がある。
しかし今回上陸すると無人化によって管理の必要がなくなったのか、各所のゲートは開け放たれ、フェンス自体も至る所で倒壊、有名無実な存在となっていた。シカは開いたままの扉やフェンスの隙間をくぐり抜け勝手気ままに島内を移動、伸びた芝を食べ続け島内の美化?に貢献している。


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ここ野崎島においてキリシタン集落は二つ存在した。
現在立つ野首、そして島南端にあった舟森と呼ばれる集落。舟森は野首からさらに数時間、山道を歩いた先にある秘境集落。野首離村の5年前、1966年に廃村となり教会も解体され土台だけが残されているとのこと。帰路、町営舟はまゆうから断崖のような斜面にある集落跡を望む事ができた。舟森では野首を上回る厳しい暮らしが営まれていたことだろう。





廃校の厨房で湯を沸かし作った本日の昼飯。
佐世保駅前のスーパーで買っておいたインスタントラーメン、さらに鍋で温めたレトルトご飯。正直物足りないが明日まで店のない無人島に滞在する事を考え節約しておきたいもの。

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再び島内探検再開、地図を広げ行き先を検討する。一旦は野崎島南端にある舟森集落跡を目指そうと考えたものの、季節は晩秋。日も短く明るいうちに戻って来られるのか微妙なため、行き先を島中央部へと変更した。まずは朝方到着した野崎港を目指し野首海岸を眼下に望む断崖上の道を歩き峠を越えた。

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景色の良い高台に建つ廃墟。木造の廃屋ばかりが残された野崎島では珍しい鉄筋コンクリート製の建物。
後に調べるとかつての教員住宅だったようだ。割れた窓から覗き込むと崩れ落ちた室内には小さな学習机が残されていた。床が抜け荒廃した室内とは対照的に建物正面はシカが食べ続けているため、現在でも人の手が入っているかのような美しい芝生が保たれている。



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峠を下り再び野崎港へ戻り廃村、野崎集落跡を再徘徊。島に到着した際には雲に覆われ彩度のない光景が広がっていた廃村も天候が回復、光に包まれると鮮やかな色彩へと変化し印象も変わる。
無人のはずの集落からは時折物音が響いてくる。その正体は野生のシカ。どこからともなく感じる視線に振り向くと茂みから、あるいは崩れ落ちた民家の中からシカがじっとこちらを見つめ続ける。


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集落の北側に地元の人がサバンナと呼ぶ荒れ果てた荒野があるという。
森に覆われた集落を抜け高台に出ると小島とは思えない広大な台地が広がっていた。緑に覆われたなだらかな草原、点在する灌木。その中をシカが10匹程の群れを作り、破れたフェンスの隙間を縫い移動している。
まさにサバンナ。それにしてもこの野崎島、廃墟、廃校、ビーチ、原生林、サバンナと小さながら変化に富んだ風景を楽しめる濃い島だ。



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道もない広大な原野を彷徨い歩く。やがて緑の草原は途切れ赤土の地面となった。冬場には強い風が吹き付けるのだろう、立木のほとんどは傾いたものばかり。

静まり返る島内にエンジン音が響いた。
振り返ると遠く離れた野崎港から町営船はまゆうが小値賀島に向け出航していくところだった。時計を見ると午後三時、本日の最終便。朝方、岸壁で言葉を交わしたトレッキング客もこの便で島を後にしたようだ。明日の船が到着するまで野崎島には自分と施設管理人の二人だけ。無人島に閉じ込められたことを改めて実感。



そんなわけで貸し切り状態となった野崎島。砂浜で遊んだり、廃校の本棚に並べられた本を読んだりとだらだらと過ごしす。気がむくと石段を上り裏手の天主堂を訪れる。時間によって刻々と変化するステンドグラスの色彩に見入られてしまった。



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秋の日は短くやがて周囲の光景が逆光に包まれはじめた。
暮れ行く天主堂の石段に腰掛けぼんやりと海を眺めているとふと背後に何かの気配を感じた。振り返ると驚くほどの近距離に立派な角を生やしたシカが立ち、自分を見つめていた。数分感に渡り互いに見つめ合ったものの、何かを感じたのかシカは前触れもなくび跳ね森へと走り去って行った。



午後5時。廃校や天主堂が建つ高台は東に面しているため、夕焼けを眺めるべく西側が見渡せる裏山の斜面を登っていく。芝が広がる稜線にはシカのシルエット。いずれも人の動きを警戒し微動だにせずこちらをじっと見つめ続ける。

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稜線を登りきった反対側の斜面には30匹近いシカの群れが密集していた。5〜10匹単位の群体は何度も見かけたもののここまで大量の群れを見たのは今日初めて。
こちらも驚いたが、出会い頭に現れた人間に向こうはさらに驚き、甲高い鳴き声とともに地響きをあげ一斉に逃げはじめた。とはいえ逃げ道は島に張り巡らされたフェンスに空いたわずかな隙間。パニックになった大群はこの穴に殺到、土ぼこりを巻き上げ重なりながら、我先に体をねじ込んで行く。上に下にとシカが密集、猫団子ならぬシカ団子ができあがってしまった。
静まり返った島は突如巻き起こった喧噪に包まれたものの、最後の一匹がなんとか隙間を抜けるとあたりは再び静寂に包まれた。わずか数十秒の出来事にあっけにとられ写真も撮る事ができず。




鹿の大群と遭遇した斜面からは野崎島西側を見渡すことが出来た。
対岸に浮かぶ入り組んだ島は今朝出発した五島列島、小値賀島。意外な程の近距離に浮かんでいる。また眼下に見える夕日を反射する大きな池、水不足に悩む小値賀島へ水を送るための灌漑用ダムなのだそうだ。以前野崎島を訪れた際にはこのようなダムがあった記憶がなかったため、調べてみると2001年に完成したという。

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草原に佇む事20分あまり、やがて小値賀島方面に日が沈んでいく。
太陽が沈む瞬間、周囲は今日最後の光に包まれすべてのものが立体的に浮かび上がった。最終便が午後三時のため野崎島から見る夕景は島に宿泊しなければ決して見る事のできない風景。


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日没から30分あまり、やがて周囲は青い薄暮に包まれ、わずかな残照を背景に天主堂のシルエットが浮かび上がった。島での長い一日は終わった。廃校に戻り夕飯でも作るか。



昨夜、佐世保発のフェリーから甲板で眺めた夜の野崎島は、何ひとつ明かりもなく闇に沈む漆黒の不気味な姿だった。しかし校舎の扉を開け校庭に出ると意外な明るさに驚かされた。その原因は夜空に浮かぶ大きな月。



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虫の声が響き渡る校庭から見上げた夜の野首天主堂は月あかりに青白く照らし出されていた。

やがて野崎島は朝を迎えた。

[続く]
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