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●2017年12月某日/紀伊半島徘徊〜冬編〜

  • 2018/01/27 22:34
  • Category: 私事
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恒例の紀伊半島横断2017年冬編。
今回の目的地は廃校ではなく山岳地帯高所に位置する某秘境集落再訪。
林道を走り集落到達を目指したものの積雪のため断念させられてしまった。
そんな訳で前半の寄り道部分だけを掲載する中途半端な徘徊録。

photo:Canon eos7d 15-85mm

伸びつつける紀勢道によって年々秘境感が薄れ行く紀伊半島。
特に交通の難所と言われていた三重県南部沿岸部にも長大トンネルによって山を打通する熊野尾鷲道が2013年、ついに開通した。海まで迫る急峻な山々が行き手を阻みトンネル区間が連続、紀伊半島を一周する紀勢本線が最後に開通した区間でもあるこの場所、車道においても昔から様々なルートが試みられてきた。

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何年か前に使った図を流用。
西側から矢ノ川峠越、国道42号、そして熊野尾鷲道、時代とともに長大トンネル掘削が可能になった技術の進歩がよくわかる。



そんなわけで夜明け前には熊野市へ到着。例によってここで一旦車を停め今後の進路を検討する。このまま国道42号を走り海沿いに紀伊半島を一周するか。あるいは急峻な山間部に挑戦するか。
今回の予定地のひとつに山間部に位置する某山岳集落がある。集落へは標高1000m近い峠を越える必要があるため冬期の懸念材料は気温。しかし目的地付近にあるアメダスの未明の気温をチェックすると意外な事に今朝はそれほど低くはない。これならば凍結の心配もなさそうだ。というわけでコースは集落探索の山ルートに決定、熊野から内陸へ入った。
道中寄り道をしながら再深部を目指す予定。


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早朝8時。紀州鉱山の拠点であった板屋地区選鉱場跡。横を走る311号は何度も走ったが立ち寄るのは初めて。
操業当時の写真を見ると左手のインクラインといい、斜面を活かした建造物といい神子畑にそっくり。
現在は選鉱所は解体され骨組みだけとなり、また手前に新たに建てられた施設が視界を遮るため、予想はしていたものの正直そんなに面白くもなく、資料館は開館前。が期待せず訪れた当時の坑道を利用したトロッコが意外に良かったため掲載。

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鉱山選鉱所から山を隔てた場所にある瀞流荘駅という旧鉱山鉄道の発着場。ただの観光トロッコならば興味はないが、往事の雰囲気を味わう事ができると知り訪れた。この駅は操業時には小口谷駅と呼ばれた鉱山鉄道のターミナル。もちろん先ほどの選鉱所ともトンネルで結ばれていた。

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冷え込む早朝の谷間の構内にレトロなバッテリー車とトロッコが停車していた。いかにも鉱山らしい飾り気のない姿を見て眠気が覚めた。レールはいつくかに分岐しながら山肌に口を開けた深い穴へと消えている。

ちょうど朝の第一便が出発するところ。乗客は自分ただ1人のため4両ほどある客車のどこに乗り込むのも自由。迷った末、機関車の真後ろでは運転士の体が妨げとなって坑道の様子を見られない可能性もあるため最後尾の車両に身を屈めて乗り込んだ。結果これが正解、去りゆく風景ながら坑道を堪能できた。



運転士が機関車に乗り込みエンジン音が響いてから数秒後、前方から次第に伝わる動力音が自分の客車へと届くと同時にがたんと引っ張られるように動き始めた。全長1kmあまりの坑道の旅が始まった。

紀州鉱山トロッコ電車1712kii004.jpg


鉱山開発時に掘り進められた地下坑道は横を流れる熊野川沿いにかつて鉱山駅だった瀞流荘駅と湯ノ口駅を繋いでいる。カーブもない直線の軌道は一部の明かり取り区間を除きひたすら地底を走るため眺望を期待するような観光客にはおすすめできない。



またトロッコは鉱山鉄道のため当然快適性は二の次。非常に狭い客車内で揺られながら轟音とともにすきま風を浴び低速で走り続ける。坑道内は漆黒の闇というわけではなく数百mおきに薄暗い電灯があるため、通過する度に構内の構造が浮かび上がる。壁面にパイプやケーブルが平行するのがそれらしく入坑する坑夫の気分。

紀州鉱山鉄道1712kii006.jpg
紀州鉱山鉄道1712kii005.jpg


紀州鉱山の歴史は古く慶長年間まで遡る。地元民によって細々と採掘が行われた鉱山は昭和初期に大手資本に買収されたのをきっかけに近代鉱山へと生まれ変わった。
産出された銅鉱石は横を流れる熊野川を船によって新宮まで運搬、その後は鉄道と船であの直島まで運ばれ製錬されていた。その後も近隣鉱山の買収、最新鋭の選鉱場建設と鉱山はさらに規模を拡大、その過程で周囲の地下に坑道が次々に掘削されていった。現在わずか数キロ区間が公開されているだけの紀州鉱山鉄道だが、実際にはさらに複雑な路線を山を貫き最盛期には総延長75kmにも及んだ。
現在も紀和町の地下には封鎖された坑道が眠っている。


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鉱員、鉱石、ズリ輸送に使用された紀州鉱山鉄道。軌道自転車での通行も可能で朝夕には地下を自転車で走り通勤する鉱員もいたという。また一般人も人車への乗車ができたため山間部に住む地元民の足としても親しまれた。紀州鉱山は1978年に閉山、ほとんどの坑道は封鎖されたが、排水処理点検用として唯一残された坑道が今走っている部分。

参考文献:全国鉱山鉄道



時折明かり取り区間が現れる浅い地下を走る事10分ほど。次第にスピードを緩めたトロッコは坑口から出ると明るさに包まれた。わずか1kmほどの運行区間にもにもかかわらず低速のためか非常に長く感じた。

到着したのは山に挟まれた敷地に軌道が交差する駅のような場所。現在は閉山後に湧き出た温泉が建つ湯ノ口駅、当時は鉱山の敷地となり建物が密集していたらしい。客車から下り眺めていると運転士はトロッコを器用に操り出発した瀞流荘駅方面へと向きを変えた。

現在通過してきた坑道、5号隧道を振り返る。中央に向け勾配を持って掘られていることがわかる。

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駅を挟み反対側にも坑道の続きがあったので入り込んでみた。
こちら側はもうトロッコが走る事もないのだろう、線路や切り替え機は錆び付き坑道も坑口から10mほど進んだあたりで封鎖されていた。どうやら坑口の先には排出されたズリを棄てる堆積場があったようだ。


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紀和鉱山1712kii010.jpg


時刻表を見ると帰りは約2時間先。というわけで朝9時から温泉三昧。この先紀伊半島横断が控える身でこんな贅沢をしてよいのだろうかと思うものの、車も山向こうに置いてあるため動きようがない。

湯船から出ると新築されたばかり温泉休憩室でコーヒー牛乳を飲みながら時計の針を眺め続ける。暇を持てあましロビーに置かれた地図を見ていると意外に近い場所に景勝地、瀞峡(どろきょう)があった。せっかくなので例の建物を見にいってみるか。

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紀和鉱山から瀞峡への道のりは抜群に改善されたアクセス路に驚かされた道中となった。

瀞峡があるのは和歌山奈良三重、三つの県境と飛び地が複雑に交わり秘境と呼ばれてきた再深部。細々と続くいわゆる酷道と呼ばれる難路でしかアクセス不能の場所。そのため紀和町側からの観光バス乗り入れも困難、瀞峡を訪れるツアー客は川を走る観光船を利用する事が多い。 
この難路を解消すべく周辺では以前から道路改良工事が進められていたが、今回何年かぶりに走ると奥瀞道路三期がついに開通していた。

奥瀞道路1712kii011.jpg
奥瀞道路1712kii013.jpg

昔よく通った崖沿いの旧道を横目に見ながら橋梁、トンネルを贅沢に使用した無人の169号を走りあっという間に到着。ここまで早く到着するとは。一部狭路を残しているものの瀞峡から秘境という冠が外されるのも時間の問題だろう。

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瀞峡にやってきた目的は断崖に立つ木造建築、瀞ホテル見学。長年休館が続いていた歴史あるホテルが数年前にカフェとして営業を再開。何年か前、紀伊半島探索時にも訪れた際には営業時間前で入ることができなかった。

高所を走る奥瀞道路から外れ北山川が削り取った谷底へと下り瀞峡駐車場に車を停める。駐車場には自分以外、他の車は皆無。相変わらず人気のない観光地だ。駐車場正面には廃墟と化した木造の旧瀞郵便局庁舎。

旧瀞郵便局庁舎1712kii014.jpg

大台ヶ原を源流とし熊野灘へと注ぐ熊野川の支流、北山川は急峻な山々が入り組むこの場所で蛇行を繰り返し奇岩とともに瀞八丁と呼ばれる景観を作り出す。とはいっても観光船には一度も乗った事がないため核心部を見た事がないのだが・・・



日も当たらない道を下って行くと視界が開け明るさに包まれた。冬の日射しが降り注ぐ現在地は滔々と流れる北山川の流れを見下ろす断崖のヘリ。

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見下ろすと眼下に数人の観光客らしき姿が見えた。
先ほどの駐車場に車は一台もなく、彼らがどのように訪れたのだろうかと思いながら眺めていると時折到着する観光船から乗り降りしている。なるほどここではやはり車ではなく観光船によって往復するのが主流のようだ。


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瀞八丁1712kii020.jpg


巨岩に挟まれた渓谷を先ほど乗客を乗せた観光船が航跡を残し消え去って行く。あの奥が瀞峡の核心部なのだろうか。川が蛇行しているため視界が遮られ、確かに乗船しなければ見る事はできなさそうだ。
長い石段を下り北山川の川辺に到着した。船着き場には観光船で訪れる団体観光客向けの記念写真用ひな壇やパラソルが並びどこか昭和を感じる場所。

振り返ると空、川、森。広大な自然の中にただ一棟の建造物、瀞ホテル本館。

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石垣上にそびえる3層の木造多層建築建造物は城郭のようにも見える重厚さ。1917年大正6年に北山川を見下ろす高台に材木を運ぶ筏師用の宿として創業、昭和初期に建物はさらに増築され現在の複雑な形状となった。
しかし2011年、台風12号が引き起こした紀伊半島大水害によって建物は浸水、大きな被害を受けてしまう。驚くべきことに増水した北山川の水位は建物の高さまで達したという。


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現在瀞ホテルだけが建つ北山川沿いの断崖にはかつては多数の木造旅館が密集していた。宿泊施設もなく、閑散としている瀞峡も多くの人々で賑わった時期があったのだ。崖には建造物の土台だったと思われる階段状の石垣が残されている。
で、前回は叶わなかった瀞ホテル内部見学はというと・・・。レトロなガラス扉には「冬期平日休業」と書かれた張り紙。またやってしまった。



仕方がないので瀞ホテル別館へのアクセス路の解明でもするか。
瀞ホテルの魅力は本館だけではなく、廃墟となったホテル別館だ。本館と別館は接している訳ではなく、両者の間は北山川に流入する支流が作り出した深い谷によって分断されている。対岸の断崖に作られた懸造の別館は前回「投入堂を彷彿させる」表現したように、建つというよりも張り付いている、と書いた方が正確だ。

瀞ホテル別館1712kii021.jpg


別館と本館は繋ぐ唯一のルートは崩れ落ちた吊り橋のみ。しかし現在この吊り橋は水害によって崩落寸前となっている。
営業時には吊り橋を利用し往来が行われていた書かれたwebサイトが多いが、人や食料品ならばともかく、建築資材を運び入れるにはあまりに貧弱。以前からどこか別の場所に建設用のアクセス路があるはずだと思い続けてきた。

そんな訳で探索開始。とはいっても周囲は切り立った断崖。一旦車を停めた駐車場へと引き返し、あたりを徘徊していると眼下の森に怪しい道が見えた。錆びついた鉄柵、枯れ葉に覆われた石段。長年使われていない事が明白な道。急な坂を下って行くとあった!二本目の吊り橋。

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先ほどの吊り橋より大型で遥かに状態も良いため、重量物運搬にも耐えられそうだ。こちらが本来使用されていた別館メインルートではなかろうか。対岸へ渡ろうと勇んで駆け寄ったものの残念ながら全面通行止と書かれた看板で吊り橋は封鎖されていた。



前回はこの後、瀞峡から山中に入り廃校、廃村探しを行った。今回は十津川方面の秘境集落が目的のため、一旦ふもとまで戻ると紀伊半島を南北に縦断する主要道、168号を北上。狭路が続いていた168号も瀞峡周辺と同じく着々と進む改良工事によって訪れる度、道路状況が劇的に改善されている。遅々として進まなかった工事だったが先ほども紹介した紀伊半島大水害によって各集落が分断されたことをきっかけに一気に進展しつつある。

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傾斜集落1712kii043.jpg


それでも時折快走路が前触れもなく終わると、路地裏を抜けるすれ違い困難な狭路も一部に残る。以前の紀伊半島の国道はこのような道ばかりだった。路肩からはわずかの土地に張り付く集落が見える。平地が貴重な紀伊山中では斜面をうまく利用した傾斜集落が続く。



快走路とな狭路が混在する168号を走り続け予想より早く十津川村を通過。本日の紀伊半島南部は冬にしては気温も高いく速度も順調、これならば集落探索も問題無し。


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168号を左折、野迫川方面へ。このあたりから天候が崩れ始めた。好天だった冬空が北から流れ込む雪雲に次第に覆われつつある。空模様を気にしながら川沿いに上流へ進んで行くと目の前に大規模な崩落地が現れた。
杉並木が広がっていたはずの山肌がはるか上部からざっくりと削られ岩盤がむき出しの状態となっている。

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ここも2011年大水害によって寸断されてしまった場所。豪雨によって緩んだ山体が深層崩壊を起こし、崩れ落ちた大量の土砂は道と川を埋めつくしてしまった。とはいえ現在開通しているのはあらかじめ調査済み。復旧作業中の現場脇に作られたダートの仮設道を上る。災害から6年。完全に復旧するにはあとどのくらいかかるのだろう。





道は次第に高度を上げ目的地までは直線距離で残り10kmほど。しかしついに曇天の空から雪が舞い始めた。雪は増し視界はみるみる遮られて行く。見上げると集落がある山塊は雪雲で覆われていた。敗退。
この集落、前回も大雨によって断念、10年前の訪問を最後にその後一度も成功しておらず。自分にとってはまさに幻の集落。そんなわけで恒例の紀伊半島徘徊は中途半端な終わりを告げた。

[了]
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