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2018年5月/壊れたカメラと共に。2018GW編.02

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2018年GW、現在地は鳥取県東部。
鳥取砂丘の砂によって壊れてしまったカメラとともに日本海に沿って東へ移動。
カメラ自体まったく動かない訳ではないのだが調子が悪く、どうもやる気が起こらない。
荒れた日本海を左手に眺めながら海沿いを走り続けた。


前回の記事

photo:Canon eos7d 15-85mm

道中にあった古びた廃校。昨日訪れた廃校と違い小振りながら非常に凝った外観が魅力。しかし放棄されて久しいのか裏側の壁面は崩れ落ち室内がむき出しの状態となっていた。


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細かい予定地リストを消化しながら兵庫を通過し京都府へ入った。かつて狭路だった日本海沿岸部には山陰近畿自動車道の建設が着々と進み予想以上にハイペース。この調子ならば以前から予定地リストに入れていた例の箇所を訪れる事ができるかもしれない。と考えながら若狭湾に面した舞鶴市郊外へ。



舞鶴は佐世保、呉、横須賀、大湊とならぶ旧海軍軍港のひとつ。いずれも既に訪問済みだが、回数ではこの舞鶴が最も多い。以前は荒れ果て廃墟と化していた赤レンガ倉庫はリニューアルされ現在は観光地へと変貌。このように舞鶴軍港周辺に点在する戦跡の多くは近年整備が進み町おこしに利用されている。
しかし目的の戦跡はなぜか手つかずのまま放置されていると言う。いずれ整備の手が入りかねないのでその前に訪れたいと思い以前から予定地リストに入れ続けていた。今回ようやく訪れる事ができたので軽く紹介。



目的地は海から離れた山裾に残された弾薬製造工場、海軍第三火薬廠跡。市街地から外れ、林道のような道へと入る。道は荒れ始めたためわずかな転回スペースがある内に車を停め徒歩で向かう事にした。

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火薬廠は川が削り取った深い谷間に作られていた。
万一の事故を考え爆発の影響を食い止めるべく尾根に挟まれたこのような場所を利用していると思われるがその結果、非常に縦長の敷地となっている。森に覆われた道を上流へと歩き続けると当時の遺構だと思われる廃屋が現れ始めた。道はそのうち封鎖されているのかもしれないと考えていたがゲートも現れずひたすら続く。しな垂れたままの竹林を身を屈めくぐり抜けると奥にトンネルが現れた。


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一見トンネルに見えるが土被りの薄さから想像するに土を盛り谷を塞いだ土塁なのだろう。軍直轄の製造工場である工廠においては稼働時には重厚な扉と衛兵によって守られていたのかもしれない。
「トンネル」を抜けた先にあったのは植物に覆われた大きな建物。壁面にナンバリングされた392という数字を読み取る事ができる。

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灰色の壁面には茶色く錆び付いた重厚な鉄扉がはめ込まれている。開かれたままの扉から内部の様子をうかがってみる。暗闇に目が慣れると水没した室内が浮かび上がった。建物は物資が不足しがちな時代だったとは思えない程コンクリートが豊富に使用されている。他の廃屋とは一線を画す構造、火薬廠内で最も重要な区画だったに違いない。
それにしても肝心な時に鳥取砂丘で故障したカメラがまともに起動しない。再起動を繰り返し、なだめながら無理矢理撮った写真をいくつか。

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建物裏手には当時塗られたと思われる迷彩塗装がわずかながら残されていた。このような建造物への迷彩、大戦末期には街中の建造物、はたまた係留中の軍艦にまで塗装されたことは知られているが素人目には正直効果があったようには思えない。戦意高揚には寄与したのかもしれなが、敵機に軍事施設であることを余計にアピールするだけの結果になっただけではないのだろうか。

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最後に建物側からトンネルを振り返る。土塁の上は時を経て竹林となっていた。カメラの故障でろくな写真が撮れなかったがこの光景を見られただけでもよかった。放置状態だったこの場所もやがては舞鶴に点在する他の戦跡のように整備観光化されてしまう日が来るのかもしれない。



翌日、旧北陸本線の廃線を巡りながらさらに東へ。道中滋賀県と岐阜県の県境に残されている土倉鉱山跡を再訪することを思い立った。

狭路が延々と続く難所だった八草峠。現在は高規格のバイパス路が開通、さらに本日はGWということもあってか交通量も非常に多い。土倉鉱山を初めて訪問したは八草トンネル貫通直後だったと記憶している。調べてみると八草トンネル開通は2001年とあるからその頃か。

バイパスから外れ山道を進むと路肩に土倉鉱山と書かれた看板が現れた。案内がなされているということは放棄された廃墟ではなく観光地であることの証拠。ダート道を走り、10数年ぶりに到着した土倉鉱山跡は人が入れ替わり訪れる「観光地」へと変化していた。

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土倉鉱山1805gwtsuchikura02.jpg
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廃墟歴の浅かった自分が初めて目にした時には感動を覚えた土倉鉱山跡もその後の10数年間に出会った無数の物件によって目が肥やされてしまったためか今回は正直魅力を感じることができなかった。
逆に惹かれたのは空中を漂う無数の白い綿毛。わずかな風を捕まえ、鉱山上空を音も立てずゆっくりと移動する雪虫のような幻想的な白い綿毛。例によってレンズがろくに動かず撮る事ができなかった。

帰宅後、しばらくして修理に出したレンズの見積書が届いた。書面を開き今回の旅代金よりも高い金額に愕然とした・・


[了]


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