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●2019年11月某日/廃墟、天空の池、頂の先を目指す晩秋信越徘徊録/後編

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晩秋の信越徘徊記。
高原に残された廃牧場で夕焼けに包まれ長い初日は終わりを告げた。
その後夜の関越トンネルを抜け一旦関東圏へ、そして群馬県で車中泊。
翌朝冷気に包まれる道の駅から二日目がスタート、
最後の目的地、標高2,000mを越える頂を目指し出発した。
灰色のダム湖、青いダム湖、そして高所にある池で見たそれぞれの水の風景。


前回の記事

photo:Canon eos7d 15-85mm
※本記事は訪問時のものです。現在の状況は異なっている可能性もあります。



八ッ場ダム建設予定地。昨夜の雨はあがり上空は晴れ渡っているが谷底までは朝の光は届かずダム周辺の空気は冷え切っていた。目の前に広がる灰色の水面。この光景だけを見ると一見ダムは完成しているようにも見えるが試験運用中に満水になっただけで稼働しているわけではない。

八ッ場ダム1911yanbadam005.jpg1911yanba01.jpg


前回の写真と比較してみよう。
まずは試験湛水が開始される直前、2019年9月某日の八ッ場ダム堰堤の写真。その数日後に試験湛水が始まった。当初数ヶ月程度の時間を掛けダム湖をゆっくりと満水にしていく予定とされていたため来春にかけ少しづつ沈みゆく鉄橋や廃線を撮ろうと考えていた。しかしこの直後、襲来した台風によって広大な谷間が一夜にして満水になるとはさすがに想定していなかった。

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八ッ場ダム1911yanbadamu01.jpg


堰堤に水の線が残っているようにサーチャージ水位にくらべ水量は下がりつつある。そのため一旦は水没した湖底がわずかながら顔を覗かせていた。泥と流木にまみれた旧道、そして森。
今回の試験湛水は意図せず台風下に行われたため、流れ込んだ濁流がダム湖を満水にし水が引くとこのような姿があらわになった。ダム湖からは一旦水が抜かれた後、木々や構造物は撤去され再び貯水が行われることになる。

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八ッ場ダム1911yanbadamu04.jpg
八ッ場ダム1911yanbadamu06.jpg

丘陵地帯が続く群馬県嬬恋村。お気に入りの丘のひとつに車を停めで昨夜コンビニで買っておいたパンをかじる。時間の経過と共に周囲の山々を覆っていた雲が流れ去ると遠く北側に白く染まった稜線が見えた。あの毛無峠も昨夜平地に雨をもたらした雲によって初冠雪したようだ。毛無峠は災害通行止めだったため今回の目的地ではなかったがいつものようにあの場所で車中泊していたら大変なことになっていただろう。

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ツーリングマップルを開き今後の予定を思案。嬬恋村近隣にあるダム湖の青さが有名な四万ダムも気になるが紅葉がピークを迎えたこの時期、周囲道路は混雑するに違いない。
そのため同じ青いダム湖でもオリジナルの青いダム湖を目指すことにした。以前掲載した際「知られざる青い池」と書いたように今時珍しくネット上に情報はほとんどないという自分好みの青いダム湖なのだ。



「知られざる青い池」へと続く人気のないダート林道。雪解け直後の3月だった前回訪問時に比べると路面は荒れてはおらず予想以上に走りやすい。

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薄暗い斜面を登っていくと視界が開け灰色の砂防ダム堰堤、そしてその裏に水をたたえた湖面が見えた。
池と書いたが正確には砂防ダムに水がたまったダム湖となる。相次いだ台風災害によって泥流や流木が流れ込み、池が持つ澄んだ青さも失われたのかもしれない。しかしそれは杞憂だった。
今回も池は青かった。そして前回とはまだ違う青い色。

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長野県の青い池1911naganobluepond02.jpg


目を引く鮮やかな青いダム湖は数時間前に見た濁った八ッ場ダムとは対称的。
例によってここで掲載している池の写真はRAWデータではなくJPEGをそのまま貼り付けだけで色加工は一切行っていないもの。それでもこの青さ。

長野県の青い池1911naganobluepond05.jpg

このような青い池や青い海は見る位置と角度、あるいは日射しなどの外的要因によって透明度や彩度がご覧のように様々に変化する。高所から俯瞰するとその青さは最も際立つ。一方水際まで下りると青さの濃度は薄れるが逆に透明度が上がっていく。

長野県筑北村青い栃平ダム湖1911naganobluepond01.jpg
長野県筑北村青い栃平ダム湖1911naganobluepond04.jpg

以前も書いたようにこの池の青さ、気温の低下に比例し彩度が増す傾向があるようで、氷結するまでしばらくの間この青さは続くのかもしれない。1時間ほどの滞在中ここを訪れる人の姿は皆無、相変わらず知られざる池だった。
振り返ると昨日のトヤ沢砂防堰堤から始まり二居ダム、八ッ場ダム、そして今回の砂防堰堤と特に意図せず四つもダム系回ってしまったことになる。



長野県の森の中に朽ち果てた謎のモニュメントがある。星を意味しているのか四方に伸びる鋭い鋭角。その鋭角を緑の苔が柔らかくと包み込んでいる。裏から見ると人型にも見える不思議な形状。このような星形の形状、旧共産圏の国々でよく作られたモニュメントのようだ。

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星の廃墟1911star02.jpg

例によってくだらない妄想が膨らんでしまう。

かつてのこと、大祖国戦争勝利10周年を記念するためソビエト連邦のとある地方某市ではお抱え作家によって星をかたどったモニュメントが制作され党員を招き盛大なお披露目セレモニーが行われた。地元の子ども達によって記念植樹もなされ当時プラウダの三面記事にもなったこのモニュメント、その後のスターリン批判で一部破壊されるなど紆余曲折を経た末、ソビエト崩壊によって完全に忘れ去れてしまった。

あれから60年余り、植樹を行った少年だった老人が偶然当時の新聞記事を目にしたことでし再びあの場所へ。街はずいぶんと変わってしまった。ようやく見つけた郊外にあったその場所は植樹された木々が森へと成長、当時輝いていたあの星形モニュメントは誰にも知られることなく苔に覆われ朽ちていくだけなのだ・・・

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政治的共感できないがグラフィックや工業製品などの共産圏のデザインには魅了されるものがあり東欧の国を訪れた際にはそれらが展示された博物館へ入場したことも。ちなみにこのモニュメント、当然のことながら上記の話はまったくの妄想で、実施は宿泊施設のエントランスに作られたもの。さらに奥にはいつくかの廃屋が残っているとのこと。




怒濤のような信越プラス群馬徘徊二日間も昼を回りまもなく終わりが近付いてきた。せっかくこの辺りまで来たのならば道が閉ざされる冬到来前に訪れておきたい頂がある。それは長野県南端の小さな村、大鹿村にある「天空の池」。その名の通り池は遥か高所にあるため急傾斜のダート道を突破しなければ辿り着くことはできない場所。


直接池に向かう前にまずはこの池の高所感を実感したい。天空の池からは伊那谷の様子がよく見えるため空気が秋澄んだ秋、さらに順光となる午後ならば当然西側からも見えるはず。松川町郊外のリンゴ畑の農道をさまよい高台を目指すと大鹿村方面を一望できる良い高台が見つかった。
伊那谷の段丘を挟み聳える急峻な山々。冠雪した南アルプスの手前、二児山~黒河山の稜線近くに見える茶褐色の草原部分、あの場所が最後の目的池天空の池がある標高2000mの黒川牧場。

長野県大鹿村天空の池地図1912tenkunoikemap1.jpg

天空の池へのアクセスは視界の効かない林道を登り続けるため高所にいる感覚が次第に薄れるが麓から山頂までを一望して見るとその高さを改めて実感できる。上部に見られるオレンジ色の部分は紅葉したカラマツの樹林帯だ。天空の池へのアクセス路は奥側の森を通過するため見事な紅葉が見られるに違いない。
望遠レンズで池周辺を拡大してみる。安物のため解像度は低いが枯れた草原と天空の池へと続くダート道がよく見える。池があるのは最上段にある数本の黒い木々の横。時刻は午後1時、これから遙か先のあの場所を目指すのだ。



天空の池がある長野県大鹿村は自分が好きな場所のひとつ。そのアクセスの不便さも魅力で昔からよく訪れてきた。特にリニア中央新幹線においては5年ほど前建設予定地徘徊と言った自由研究的な調査をおこなったことも。

大鹿村中心部に向かう途中にある小渋ダム。ここは訪れたことがなかったので道中立ち寄ってみた。まずはダム天端に立つ。しかしダム見学において堰堤上というものはあまりよろしくない。自身がダム本体上に立つのでダム本体の全容をうかがい知ることができないのだ。ふと上を見上げると頭上の断崖に林道のようなものが見えた。あの場所から小渋ダム全景を俯瞰できるかもしれないと車に乗り込みんだ。

小渋ダム1911koshibudam01.jpg
小渋ダム1911koshibudam02.jpg

数分後、彩り取りの紅葉に包まれるダム湖、堰高105mに及ぶアーチ式コンクリートダムを俯瞰することができた。小渋ダム自体はそれなりに古く、このような薄いコンクリートが50年に亘り膨大な水を支え続けてる姿に驚かされた。
小渋川上流の大鹿村は地盤の弱さ故崩落が激しい箇所。崩落箇所から流入する堆砂の影響なのかダム湖は透明度のないグレ一色だった。



ダム湖から離れ大鹿村最深部へ。道は次第に狭まり池へと続く林道に入った。この林道中峰黒川線を走るのも数十回目。標高が増すと空の青さがみるみる深まり同時に狭い林道は紅葉に包まれる。やがて周囲の色彩は黄色からオレンジ色へと変化、数時間前、対岸から眺めたカラマツの樹林帯へ突入したのだ。

大鹿村紅葉1911ooshikamura01.jpg
大鹿村紅葉1911ooshikamura04.jpg
大鹿村紅葉1911ooshikamura06.jpg
大鹿村紅葉1911ooshikamura05.jpg
大鹿村紅葉1911ooshikamura03.jpg

オレンジ色の林道を上り続け天空の池入口となる黒川牧場へ到着。すでに標高は1,700m。西側からは中央アルプスの稜線が顔を覗かせ始めた。牧場と言っても我々が想像するなだらかなものではなく山の斜面で放牧を行う山岳牧場。ただし現在は閉鎖されているのか10数年前から一度たりとも牛の姿を見たことがないのだが。



ここから道は一気にハードなものへと変化するため気合いを入れて急坂へ車を乗り入れた。しかし拍子抜けしてしまった。なんと道は劇的に改善されていたのだ。以前は余韻もなくいきなり始まる急傾斜ダートに驚かされたアプローチは舗装されガードレールまで設置されていた。
ただ安心できるのも最初の数百メートル。道はここから本性を現す。土埃を巻き上げ狭いダート道を低速でひたすら登り続ける。

長野県大鹿村天空の池地図1912tenkunoikemap.jpg

A地点。道はここで一旦傾斜を緩め、さらには車を停めるスペースもあるため一息漬ける場所。眼下には牛の水飲み場として使われた円い池が見える。
11月の本日、紅葉に包まれたこの場所も夏場は一転、このように緑に包まれたさわやかな雰囲気となる。
[夏の写真は2015年7月]
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一方上を見上げると空に吸い込まれてしまいそうな高度感、どこまでも続く道。池は草原のさらに上。



延々と続くようなダートの急坂。傾斜はさらに増し深い砂利にハンドルを取られながらあえぐように四輪駆動で登り続けた。初めて天空の池を訪れた際にはネット上に池の情報はほとんどなかったため本当にこの先に池があるのかと、引き返した方が良いのだろうか、と何度も自問したものだ。対向車が現れないことを願いながら登り続け最後のカーブを曲がりきった。


ついに頂に到着した。2年ぶりの天空の池。先ほどまでの傾斜が嘘のように緩やかな草原が広がり、その中心に小さな池がひとつ。周辺に他の車やバイクは存在せず池は静まりかえっていた。
夏場は緑に包まれる草原は晩秋のこの季節、茶色く枯れ果てている。また乾期のためか池自体の水量は少なく水際から数メートルばかりはぬかるんだ泥が広がる池塘のような湿地となっていた。

天空の池1911tenkunoike07.jpg
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オレンジ色のカラマツの林ははるか眼下となった。この場所はすでにカラマツが生息できる標高を超えている。
数時間前、池のある黒川牧場を見上げた松川町のリンゴ畑は午後の強い逆光に包まれ視認できず。天空の池で車やバイクを池の畔に停め水面に映り込む鏡面写真を撮ろうと思ったら朝から午前中がオススメ。早朝は池は稜線の影となり、また午後は逆光となるためシルエットとなってしまう。それはそれで印象的な写真ではあるのだが。



さて今回の訪問目的はこの高所から眺める夕景なので日没まで腰を据えて待つことにした。 
車を空き地に停めると池の畔を散策したり裏山の斜面で藪こぎをしたり。この場所、これまでに何度訪れたことだろう。誰もいなかった無名の時代、夏の緑の草原、濃霧、夕景、池の畔での車中泊。夜景、星空。

過去の徘徊記録

今回湖畔に滞在していた半日ほどの間、この場所を訪れたのはバイク一台だけだった。池の畔にバイクを立て対岸に三脚を設置、リフレクションとなったバイクと自身の姿を撮ろうとしているが10秒ほどのセルフタイマーでは全速で戻っても間に合わない。四苦八苦しているのを見かねてカメラを借りるといろんなパターンで写真を撮ってあげた。
彼と話しているうちに次第に日が傾き丘陵や深い轍が立体的に浮かび上がる。

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午後4時。
絶え間なく吹いていた微風がぴたりと止んだ。同時にさざ波だっていた池の湖面が水鏡のように空と草原を映し出した。天空の池は泥混じりのわずか10mたらずの小さなもの。上空に青空が広がることで水面が空色を反射し青く染まる。

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音もなく静まりかえった空間、水面には時折小さな波紋が広がっていく。この小さな池にも何らかの生物が生息しているのだろうか
それにしても今日の天空の池は温かい。晩秋11月の標高2,000m、凍えそうな気温を予想してきたが風がないためか、日だまりのためか高山と思えないほどの平和な時間。

大鹿村天空の池凪1911tenkunoike012.jpg
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午後4時30分。
バイクが去った草原に腰を下ろしぼんやりとしていると遙か下からゴロゴロというタイヤが石を踏む音が近付いてきた。なんらかの車両が池を目指しダート坂を必死に登っているに違いない。池のある平地に現れたのは軽トラだった。夕日の写真を撮りに来たという軽トラの地元男性と池の畔に立ち共に夕日を待つ。

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日中はまるで時間が止まったかのような悠長な太陽の動きだったが、地平線に近付くとその動きは一気に加速、夕日は中央アルプス稜線へとみるみる沈んでいく。草原を最後の光で照らしだし池の周囲はオレンジ色の光に包まれた。今回の徘徊の最後を飾るにふさわしい夕景。



ここ数年の恒例となった晩秋徘徊記。2016年秋は東シナ海に浮かぶ無人島野崎島からの夕景、2017年秋は北海道の原野や廃墟で夕日に包まれ、2018年秋は佐渡島から夕景を眺めた。そして昨日の眺めた牧場の廃屋が点在する荒涼とした原野からの夕景に続き天空の池からの夕景。秋の徘徊はいつも見事な夕景に恵まれる。

天空の池夕日1912oosikauke01.jpg
天空の池夕日1911tenkunoike0205.jpg
天空の池夕日1911tenkunoike0204.jpg


よく書いているように自分は夕日単体よりも日没後に空に広がる夕景が好きだ。池を見下ろす高台にじっと立ち待つこと20分あまり、上空の広大な空に鮮やかなグラデーションが広がった。黒と赤の世界。池の湖面が空を反射しわずかに浮かび上がる。
やがて西の空に残っていたかすかな赤みも消え去り天空の池は闇と寒さに包まれた。新潟長野群馬の怪しげなスポットを走り回った2019年晩秋徘徊記録もここで終了。



20時。
この時間、本来ならば遙か眼下に輝く飯田市の夜景の中を走っているはずだが、なぜかまだ池の畔に車と共に残っている。

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夕景を眺めた後、帰路につくつもりだったが立ち去る気持ちが起こらず久しぶりにこの場所で星でも見ようと思い立ったのだ。軽トラの男性は日没後池を去ったため再びこの広大な空間にだた一人。夜空にはすでにいつくかの星が瞬きはじめている。

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天空の池星空1911tenkunoike0208.jpg

それにしてもいつもならば浮かび上がるはずの星がいつまで待っても一向に増える気配がない。天候は湿気もなく澄み切った秋空、視界も良好。
何年かの夏、この天空の池の畔で過ごした夜のように湖面に映し出されるほどの満天の星に覆われても良いはずだ。しかし闇は増すどころか時間の経過と共に周辺は薄明るく、さらには足元の草原には夜にもかかわらず自分の影が落ちていることに気がついた。

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振り返ると青白い満月が背後にそびえる黒河山の稜線に登ったところだった。煌々と静かに照らす余りに明るい月。一向に星空が広がらないわけだ。深く考えず徘徊ついでに適当に池を訪れたため月の満ち欠けまではチェックしていなかった・・・。
冬期通行止めもまもなく、再び林道が開通する2020年5月まで天空の池は長い冬の眠りにつく。

[了]


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