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●2019年11月某日/ダム、発電所跡。川辺の新旧建築物を巡る秋

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山々が連なる滋賀県、岐阜県の県境付近。
晩秋の某日、深い谷底を流れる川沿いにあるいくつかのポイントを徘徊した。
それぞれが非常に魅力的だったため当初の滞在予定時間を大きくオーバーしてしまい
例によって予定箇所の半分も回ることができなかった。
その中でいつもの発電所跡、そして二つのダムをピックアップして紹介。


photo:Canon eos7d 15-85mm

滋賀県山中の川沿いにある廃墟となった煉瓦造りの施設。
この廃墟は対岸に建っているため川を渡る必要がある。昨夜まで雨が降り続き水が増していることを心配していたが、いつもよりは多少水量が多い程度、川用長靴を用意していたこともあって難なく渡りきることができた。

昨夜の雨の影響で泥まみれとなった地面を踏みしめ、山の斜面を登り切ると目覚めたばかりの早朝の森に不思議な建造物が浮かび上がる。


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姉川発電所跡1911shigaruin03.jpg
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煉瓦の壁面、規則的に列ぶアーチ窓の曲面が美しい廃墟はかつての水力発電所跡。上流で取水した水を右岸山上から水圧鉄管内を落下させ水力発電が行われていた。
施設閉鎖から80年近く、現在の発電所跡は写真のように森で覆い隠されている。そのため対岸からは視認ができずその存在に気がつく人は少ない。

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姉川発電所跡1911shigaruin09.jpg


発電所跡を覆う杉の木立は施設閉鎖後に植林されたと思われるもの。冬でも落葉することのない杉が作る深い森は日中でも薄暗い。そんな森にも秋の弱い日射しが木々の合間をわずかに透過し廃墟の壁に木漏れ日を落としていた。

姉川発電所跡1911shigaruin01.jpg
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季節は冬直前、太陽高度は非常に低くあと1時間あまりで太陽は山影に移動するだろう。廃墟に日が当たるのは午前中の数時間だけ。
この廃墟を訪れるのは不思議な時間帯が多い。初めての訪問は直射日光が建物に当たることを避けるため日も昇らない明け方、二度目は夜にかけて。今回初めて「まともな」時間帯に訪れることができた。




岐阜山中の谷間を流れる渓流沿いに続く狭い道。しばらく北上すると小さなダム、神岳ダムが現れる。見た目の通りダムは非常に古く戦前に建設されたもの。こんなマイナーなダムを訪れる人もいないようで人の気配もゼロ。
特に意識したわけではないがこの日はちょうど紅葉のピークだったようで秋の日射しが降り注ぐ小さなダム湖は色鮮やかな木々に包まれていた。薄暗い廃墟から一転、空の青さと鮮やかな色彩が目に眩しい。

紅葉の神岳ダム1911gifudam01.jpg

上流に集落が存在しない渓流をせき止めただけあってダム湖の透明度は非常に高い。後ほど訪れた日本最大の人造湖を持つダムは近寄りがたい雰囲気に圧倒されたが、こちらは12月間近だとは思えない温かい日射しもあって湖畔で緩やかな時間を過ごすことができた。

紅葉の神岳ダム1911gifudam02.jpg

ダムで驚かされたのが周辺を浮遊する小さな塊。秋の逆光にきらめくその正体はなんと無数のテントウムシだった。温度の高いものに惹かれるのか車に戻るとエンジンの熱で温められたボンネットはテントウムシだらけ。気がつくと自分の服も虫だらけ。10匹ほどは車体に張り付いたまま離れることもなく、このあと10kmほどを一緒にドライブすることになった。



現在地から山を挟んで直線で15キロほど、神岳ダムとは比較にならない巨大な堰堤とダム湖が岐阜県の山間部にある。
その名は有名な徳山ダム。最新のダムらしく駐車場や展望台も整備され見学用施設も整っている。
複雑に入り組む地形のため視界も遮られてしまい広さは感じないが、徳山ダム湖は日本最大の総貯水容量を持つ。そしてこの膨大な水の底には村がまるごと沈んでいる。

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徳山ダム1911tokuyamadam07.jpg


紅葉目当てか、ダムブームの影響か、徳山ダムは大勢の観光客で賑わい満車状態の駐車場に車を停めるのも一苦労。
それにしても普段マニアックな場所を巡る自分がなぜこのようなメジャーどころである徳山ダムを訪れたのか。
実はかつて徳山ダムによって水没する前の旧徳山村を訪れたことがあったからだ。

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あれは日本一周徘徊旅の途中だったから2003年、今から16年前のこと。現在ダム堰堤が埋める谷間には建設予定地を示す白線が敷かれている程度、徳山ダムは影も形もなく水没する徳山村跡へも自由に立ち入ることができた。村ではすでに村民の退去は完了しており湛水に向け構造物の撤去が行われている最中だった。ほとんどの民家が解体された中、高台に建つ徳山小学校の白い鉄筋校舎はひときわ目立つ存在だった。

旧徳山村60-05.jpg旧徳山村60-02.jpg

上記写真:2003年撮影の徳山村。ポジフィルムを以前簡易的なフィルムスキャナーで取り込んだため低解像度です。他にも写真があるもののスキャナー故障中で取り込めず…

最初で最後となった徳山村訪問の3年後、徳山ダムは完成した。廃校は解体されることなくそのままの姿で水に沈められ徳山村は地図から消えた。徳山ダムによって最盛期には人口2,000人を超えていた自治体がまるごと消滅、ここまで大規模にダムに沈んだ例を自分は知らない。技術力や桁外れのサイズ、あるいは困難な建設史に魅了されるダム巡りは好きだが同時に下流の水害防止、あるいは電力確保のため犠牲になった集落が各地であったことは忘れてはならない。

徳山村水没後の姿を見るのはもちろん初めて。2019年秋の多雨によってダム湖は渇水することなく豊富な水で満たされているため廃校はもちろん見ることはできず。ただし隣接する資料館でかつての徳山村の写真や資料を見ることができたのは大きな収穫だった。



神岳ダムと同じく徳山ダムも紅葉のピークだった。大勢の観光客に交じりダム天端の通路を歩いているとコーンで封鎖されている箇所があった。陥没か何かの応急処置が行われているらしい。陥没箇所には昨夜の雨が貯まり観光客は水たまりを避け歩き去って行く。

徳山ダム1911tokuyamadam02.jpg
徳山ダム1911tokuyamadau05.jpg

そんな水たまりの水面が色づいた山々を水鏡のように映し出している。水面近くまで視線を下げなければ見ることができない光景のため、不審がられたのか観光客の何人から何が見えるんですか?と声をかけられる。カメラの画面を見せると皆一斉に水際にしゃがみ込みスマホで撮り始めたのがおもしろかった。

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やがて稜線に日が落ちる。対岸のオレンジ色の斜面はまだ西日に包まれているが影に覆われたダムは急速に冷え込み始め秋の一日は終わりを告げた。

[了]



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