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●2020年2月某日/秘められた夏焼集落と廃牧場。三遠南信徘徊記【前編】

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奥三河、遠州、南信濃、三県境が交わる山岳地帯、通称三遠南信。
過去に何度か紹介した秘境集落の宝庫でもある。
前回掲載した青崩トンネル進捗見学ついでに三遠南信山間部に点在する
秘境集落「夏焼」、廃牧場、現役鉱山等、マニアック地帯を徘徊。
本来はいずれも長野県側からのアクセスが容易な場所だが
訳あって狭隘な道が続く南側から延々と北上することとなった。
夏焼集落編の前編、廃牧場、鉱山編の後編との二つに分けて紹介。


※本記事は訪問時のものです。現在の状況は異なっている可能性もあります。

道中崩落した原田橋の代替路となる仮設橋を通過する。新原田橋完成もまもなく、仮設橋を渡るのもこれが最後だろう。まずは佐久間ダム。天竜川をせき止めたダム建設史に残る建造物だ。完成は1956年と古びてはいるが優雅なアーチ式とは違い重厚な外観が印象的。

佐久間ダム2002sakumadam04.jpg

佐久間ダムにおいて好きな箇所はダム堰堤周辺に連続するトンネル群の存在感。高度経済成長期、佐久間ダム完成に間に合わせるべく行われた突貫工事を感じさせられる素掘り、吹きつけ、覆道などバリエーション溢れる荒々しい隧道が次々に現れる。

佐久間ダムトンネル郡2002sakumatsuika02.jpg
佐久間ダム隧道2002sakumatsuika04.jpg


今回は久しぶりにダム湖右岸を縫うように走る県道1号飯田富山佐久間線を経由して最初の目的地夏焼集落を目指すことにした。
ダム天端を通り狭いトンネルに吸い込まれていく県道1号線と青標識。見るからに怪しげなこの県道に乗り入れるのは正直気が進まないがここを走らなければ見ることのできない光景があるのだ。

県道1号飯田富山佐久間線2002sakumadam01.jpg

佐久間ダム堰堤上を渡ると愛知県側の斜面に口を開けた縦長のトンネルに吸い込まれた。入り組むダム湖右岸をトレースするこの道、県道とは名ばかりの山岳狭路が続くため「険道」という俗称で知られている。とはいえこの程度の狭路県道は秘境、山岳徘徊において珍しくはないのだが、たちの悪いのは交通量が皆無、という訳ではなくそれどころか意外に交通量が多いことだ。
しかもそのほとんどが土砂を満載した大型ダンプ。わずかの待避所を探し厳しいすれ違いをくり返し佐久間湖畔を少しずつ北上していく。



深い山中を南北に貫く天竜川。その湖面からはエンジン音が県道を走る車まで届く。音の正体はダム湖を常に動き回る土砂浚渫船。ダム湖の最大の敵は上流から流れ込む砂、放置しておくと湖底に堆積した砂によってやがてダム湖は消滅してしまう。それを防ぐため堆積する土砂をバケットで取り除く浚渫作業が延々と返される。

佐久間連合艦隊2002sakumadam06.jpg
発電所廃墟2002sakumatsuika05.jpg

錆び付いた採石機械群に囲まれた山中の入り江に停泊する浚渫船。まるで艦隊基地。何度もすれ違った県道を走るダンプはここが起点となっている。
ダム湖を行き来する5隻の浚渫船には「佐久間連合艦隊」なる愛称?が付けられていていると知った。灰色の軍艦色、無骨な外観、深い喫水、重武装を思わせるトップヘビー、そんな外観を持った浚渫船は確かに旧海軍の軍艦か工作艦のようにも見えなくもないか。

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連合艦隊の速度は意外に速い。のろのろと狭路を進む我が車をいつの間にか追い越しダム湖に突き出た尾根の先へ消えていった。
薄暗い路肩には「富山村まで○km」と消えかけた文字が書かれた看板が定期的に現れる。しかしこの富山村(とみやま)、現在は存在しない。かつてやっていたサイトで「富山村、離島を除き最も人口の少ない村」と書いた記憶がある。調べてみると市町村合併によって富山村が消滅したのは2005年とのこと、訪れたのはそれ以前のことだろう。



[夏焼集落跡]

さて今回の目的地のひとつ、それは佐久間ダム湖畔にある戸数5棟ほどの夏焼集落跡。
秘境集落の代名詞ともなっている割と有名な場所で、自分も過去何度か遠目に眺めた事がある。ところが最近最後の住民が去りついに無人となったようだ。
夏焼集落のアクセスとしては本来は長野側が容易なのだが、ダム湖を挟んだ対岸からでないと集落の特殊な立地は表現しずらいため今回は愛知、静岡県側から北上することになった。

記憶を頼りに集落全景を視認できる場所を探しながら県道を北上。湖に突き出た尾根を越えると冬枯れの梢の合間からダム湖を挟んだ対岸斜面に点在する数棟のカラフルな屋根が見えた。数時間ぶりに目にする鮮やかな色。

夏焼集落跡2002natsuyaki01.jpg

くすんだダム湖にたむろする浚渫船の背後、急傾斜の斜面に張り付く民家。伝説の桃源郷のようにも見えるこの民家群が夏焼集落だ。今日は晴れ渡りすぎているが湖面に霧でもかかっていたら山水画のようで尚幻想的だったろう。

ただしこの光景は木々が枯れ果てる時期だから見ることのできる風景。夏場に同じ場所を通過した際は生い茂った緑の葉に遮られ視界はほとんど効かなかった。

秘境集落夏焼集落跡2002natsuyaki03.jpg
秘境集落夏焼集落跡2002natsuyaki02.jpg

秘境集落の代名詞とも言える夏焼集落。検索すると限界集落、消滅集落などのキーワードが検出される。確かにこの写真の構図だけを見ると、夏焼集落は現在立つ県道からわずかの距離にありながらダム湖に阻まれ辿り着くすべを持たない無人地帯に存在するかのような強いインパクトを受ける。
しかし自分がこれまでに目にした紀伊半島、四国、椎葉村に点在する秘境集落と比較すると夏焼集落はそこまで隔絶された集落というわけでも、極端にアクセスが不便という訳ではない。それどころか背後の山の裏手にはJRの駅舎もある。

夏焼集落地図2003sakumadammap001.jpg

実はかつての夏焼集落はそれなりに交通に恵まれた立地だった。地図上、夏焼集落周辺で不自然な急カーブを描き山に消える飯田線、そして直線に伸びる隧道がその名残だ。その痕跡をたどってみよう。



しばらく北上すると久しぶりに「町」が現れる。旧佐久間町から狭路を延々と約30km、斜面に張り付く民家、旧役場、廃校。町と呼ぶのも大げさなあまりに小さな集落が今は無き富山村の旧中心街。
その先に現れた車道吊り橋、鷹巣橋で天竜川を渡り無人駅大嵐駅へと到着。山と川に挟まれたわずかな空間に立地する大嵐駅前には天竜川以外、何も存在しない。下記写真は「大嵐駅前」の風景。

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ちなみに隣駅は秘境駅として有名な小和田駅となる。大嵐駅の立地は静岡県だが数少ない利用者のほぼ全ては対岸の愛知県の旧富山村民だろう。



2020年現在、夏焼集落への唯一のアクセスは大嵐駅が起点となる。その手段は山を突き抜ける「夏焼隧道」と呼ばれる2つのトンネルだ。
先ほど書いた痕跡とは写真の「夏焼第二隧道」。冷え切った空気、天井からしたたる水。カーブをなく直線1.2kmに渡りダム湖に突き出た尾根を南北に貫通しているこの隧道群、飯田線の鉄道用トンネルを車道へと流用したものだ。

夏焼隧道2002natsuyakitunnel06.jpg
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なぜ鉄道トンネルが廃止となり現在の車道へと転用されてしまったのだろうか。それは数時間前に通過した下流の佐久間ダムが大きく関係する。



前回掲載した青崩トンネル現場編でも書いたが三県境付近は南北に走る中央構造線に沿って地形が形成されているため、長野〜愛知を結ぶ三信鉄道、後の飯田線は谷底のわずかな土地を利用し南北に敷設された。その中でも天竜川が削り取ったV字谷区間は難工事となったことで知られている。車道はもちろん、まともな道もなく小舟で急流を行き来していた川沿いの断崖に張り付くように三信鉄道(飯田線)が敷設された。
豊根口駅佐久間ダム古写真2003sakumadamold.jpg

上記写真は以前、某資料館で撮らせてもらったもの。佐久間ダム湖が貯水される以前の谷底の様子。天竜川に沿って線路が細々と続いていることがわかる。手前の小集落、駅舎らしき建物は豊根口駅だろうか。

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夏焼隧道2002natsuyakitunnel05.jpg

まともな交通手段もなく隔絶された空間でひっそりと生活が営まれていた三遠南信奥地に点在する小集落。そこに1930年代、愛知長野を結ぶ目的で鉄道が敷かれ、その副産物として中間地点の山中に複数の駅舎が設置されたことで交通格差は一気に解消された。忘れ去られたかのような山村に突然射し込んだ文明の光に村民の喜びもひときわだったことだろう。

[佐久間ダム完成前]
夏焼集落地図2003sakumadammap003.jpg

しかし戦後の電力不足を解消するため天竜川をせき止める佐久間ダム計画が浮上、上流部の飯田線区間はダム湖に水没してしまうため大きく迂回を強いられた。やがてダムは完成、あれほど苦労して敷設された飯田線ダム区間は3つの駅とともにあっけなくダム湖に沈められた。[下記地図参照]

[佐久間ダム完成後]
夏焼集落地図2003sakumadammap002.jpg

ややこしいので経緯を図にしてみた。上記の地図と比較してください。※大嵐隧道=夏焼隧道。
※飯田線の小規模隧道は除外しています


将来のダム計画を見越しある程度の高度を確保し設計された路線だったが当時世界トップクラスの巨大ダムが造られるとは想定外だったに違いない。飯田線の新コースに関しては議論の末、水窪側へと大きく迂回し大嵐駅へ接続された。大嵐駅からの不自然な急カーブは水窪駅へと続く迂回路のもの。
そして使い道のなくなった夏焼隧道は一旦掘り直された上、車道として供用されることになった。もし飯田線が沈むことなく現在でも残っていたら車窓から天竜川の流れを見下ろす景勝地の観光鉄道として人気を博したことだろう。



遙か先にあった小さな丸い光が次第に近付き、暗く冷たい隧道から抜け出ると春の日射しに包まれた別世界のような場所に出た。光を反射する佐久間ダムの湖面が広がっている。

隧道出口に立つ薄汚れ役に立ちそうもないミラーは交通量の無さを物語る。それもそのはず、佐久間ダム左岸側のこの道は隧道を出た直後に落石によって粉砕されたゲートで阻まれた廃道状態となっており、夏焼隧道は夏焼集落維持のためにだけ存在したと言ってもよい。

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夏焼集落への車道は存在しないため空きスペースに車を停め徒歩で向かう途中、森の中で地元の人と出くわした。まさか人がいるなどとは思っておらずお互い驚いた。他に停められた車も見当たらず、どのように訪れたのかと尋ねると徒歩で夏焼を訪れたとのこと。

集落からの帰路、夏焼隧道の写真を何枚か撮った。帰宅後PCモニターで写真を確認しているとあるものに気がついてしまい思わずぞっとしてしまった。[下記写真]

夏焼隧道2002natsuyakitunnel01.jpg

隧道奥の中央部に撮影時には気がつかなかった人影らしきものが映し出されている。隧道内は無人だったはず、全長1.2kmの不気味な隧道を一人で歩く人間などいるはずがない。自分は心霊的なものは信じないし信じていたらこのような趣味はできやしない。と震えながら考えると、そうか、あのとき出会った人物かと思い返し一安心したのだった。



秘境集落の代名詞として名前が挙がることも多い夏焼集落。しかしそれは現在の車社会の観点からであって最盛期にはそこまで不便ではなかったのではと推測される。その理由は失われたとある駅の存在だ。
佐久間ダム完成以前、飯田線が通過する夏焼隧道は当然通行はできなかったが、南側の天竜川左岸に白神(しらなみ)駅と呼ばれる駅舎があった[地図参照]。先ほどの人物からも話を伺うことができたが、集落からしばらく歩くと飯田線へ乗車することが可能、飯田方面、豊橋方面の「都会」へと出ることができた。車の乗り入れはできなかったが、公共交通機関に限ると利便性は意外に悪くはなかったといえるのではないか。

その後白神駅は水没したことで消滅したが、逆に夏焼隧道の部通行が可能になったため大嵐駅が最寄り駅となった。とはいっても人口は年々減少し、最後には駅を利用する住民もほとんどいなかっただろう。

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隧道出口からしばらくの間は湖面に沿った小道が続く。廃車となった自動車や棄てられた自転車、あるいはボートが散乱する山道を歩いて行くと先ほど対岸から見えた九十九折りの階段が現れた。集落ははるか上部、ここからは見ることができない。



石段を上り続け、ふと振り返るとほぼ同じ高さだった湖面がはるか眼下となった。最近になって設置されたと思われる白い手摺りがある石段を登り最初の民家へ到着した。冬空を背景に集落を守るかのようにそそり立つ城壁のような石垣下段は耕作地のもの。

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ともすれば山影になってしまう山岳地帯に点在する秘境集落は立地も重要。ここは登りの労力を犠牲にして高度を稼ぎ谷底を回避しただけ合って谷間とは思えぬ日当たりと眺望を手に入れることができた。

秘境集落夏焼ドローン空撮2004natsuyakidrone.jpg

夏焼集落が立地するのは見渡す限り人工物皆無のこのような場所だ(別日撮影)。正確には佐久間ダム湖は人工物だが。飯田線が走っていたのは写真右下の湖岸沿い、手前の尾根あたりに駅舎があったが満水のダム湖に沈み現在はもちろん水の底だ。



日射しが降り注ぐ春の無人集落は静まりかえっていた。と書きたくなるが実際には眼下のダムを行き来する浚渫船からのエンジン音、作業音が風にのって高台まで届いてくる。石段に腰掛け湖底から土砂を救い出す作業風景しばらく眺め続けてしまう。掘っても掘っても上流からの土砂は湖底に堆積、この作業はダム堰堤が存在する限り延々と続くのだろうか。

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夏焼集落2002natsuyakivillage06.jpg
夏焼集落2002natsuyakivillage07.jpg

航空写真によれば夏焼集落は計5棟ほどの平屋で形成されている。そられが急傾斜を活かしたわずかなスペースに密集、その合間を石段と路地が走る。特に決まった順路?のようなものはないため現れる通路や石段を場当たり的に右往左往。朝方の冷え込みが嘘のように春を感じるうららかな日。急な石段や坂を登っていると暑いくらいだ。

最も高台の民家裏からは赤いトタン屋根越しに天竜川が削り込んだ地形がよく見える。かつては飛沫を上げていた急峻な天竜川もダムによってせき止められたことで流れもなくよどんだ姿を見せていた。

夏焼集落2002natsuyakivillage08.jpg
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夏焼集落2002natsuyakivillage011.jpg

民家自体はいずれも老朽化しているといえ十分住めるような状態のものがほとんど。実際、茶畑にはの手入れがなされている場所もあり、夏焼集落は無人化したとはいえ放置されている雰囲気もなく、離村した住人が現在も手入れなどで時折訪れているようだ。自分の勝手な定義では「廃墟」「廃村」というキーワードは世間から忘れられ放置され崩壊するに任せている建造物を指す。しかし夏焼は単に住人が去っただけで、廃村と呼ぶのは大げさだろう。

夏焼集落2004natuyakidronephoto.jpg

夏焼集落で興味を引いたのはおなじみの物資運搬用の農業用モノレールの存在だ。設置の容易さから斜面を利用した農地や集落で見かけるものだがここも活用されていた形跡があった。
モノレールは等高線に沿って低勾配で敷かれる鉄道とはまるで違い、急傾斜をものともせず、分岐、集合をくり返しながら狭い集落内の路地、斜面、あるいは森の中を縦横無尽、自由自在に走っている。

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集落奥はレールが交差しまるで駅の様相だった。ここから上部の神社を目指す軌道は尋常ではない勾配を持って斜面に消えていた。かつて某集落で同じようなモノレールに乗車させてもらったことがあったがこのような傾斜も登るとは、その登坂能力に驚かされた。
レールにスマホを載せ角度を測定すると角度約45度、勾配約100%という数値を示した。各社のwebカタログで調べてみると農業用モノレールの登坂能力はいずれも最大約45度とあったのでそれに沿った数値ということになる。

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モノレール車両はこちらと最下層の二カ所に停められたままとなっていた。見た限り動力車は動くことはなさそうだ。

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片隅には山岳集落、斜面集落でおなじみの索道まで残されている。朽ちた木製荷台を吊す古びたケーブルを目で追っていくと湖の畔とを繋いでいたようで遙か下の森へと消えていた。モノレール導入前は索道を利用し物資運搬が行われていたのだろう。



タイムトンネルのような夏焼隧道を抜け再び現世に復帰した。時刻は午後1時、大嵐駅前に車を停め早朝コンビニで買っておいた昼飯で食べる。ここに至るまでの数時間、コンビニはもちろん一軒の商店も見当たらなかった。

次の目的地は例によって航空写真で見つけた三遠南信奥地に残る牧場跡地と思われる場所。ただでさえ悪路が予想される場所なのだが、ここに至る道中で目にした工事看板には予定していた道の災害通行止が記されていた。地図を眺め代替ルートを思案するも困難な道のりが予想される。

[続く]
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