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●2020年2月某日/三遠南信に秘められた集落、そして廃牧場徘徊記【後編】

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愛知北部、静岡西部、長野南部、通称三遠南信。
特に三つの県境が交わる山岳地帯は秘境としても知られている。
数ヶ月前、いつもの習慣で変わった場所を探すべくgoogle衛星写真で
広大な山岳地帯上空をさまよっていると緑に覆われた三遠南信山中に
不自然に枯れ果てた広大な土地を見つけた。
拡大していくとそこには「牧場跡」をいう文字が表示されている。
そんなわけで夏焼集落探索に続いての探索地はこの廃牧場。
とはいえ観光地ではないためどのような場所なのか、
痕跡のようなものは残されているのかなど謎が多い。
検索するとこの廃牧場をオフ車で訪れた方のサイトがあっため、
今回にずいぶんと参考にさせていただいた。

現在地、飯田線大嵐駅から廃牧場までは直線距離で言うとさほどではない。
しかし行く手を遮る無数の山塊と各所の通行止めよって
大がかりな迂回を強いられることとなった。


前回の記事

photo:Canon eos7d 15-85mm


青白い光に照らし出される湿った洞内。佐久間ダム湖畔にある隔絶された集落、夏焼と下界を繋ぐ唯一のアクセス手段、「夏焼隧道」。
前回細かく書いたので省くが、夏焼隧道は見た目の通りかつて飯田線のトンネルとして使用されていたもの。佐久間ダム完成によって天竜川沿いの路線が水没したため現在は車道として供用されている。道は隧道を抜けた先で崩落し通行止めとなっているため行き交う車も皆無。

夏焼トンネル2003natuyakizuido01.jpg
夏焼トンネル2003sanennanshin003.jpg

夏焼集落を満喫後、長い隧道を抜けて明るい現世に復帰した。その先にある大嵐駅。無人の駅前に車を停め、次の目的地である牧場跡へルートを思案。とはいえ予定していたルートは災害通行止め。地図を眺めた感じでは一旦長野側まで北上し、再び南下するといった大迂回しかアプローチする方法しかなさそうだ。



大嵐駅から橋を渡り愛知県へ、天竜川に沿ってしばらく北上すると今度は長野県へ。わずか5分足らずで3つの県を跨ぐ。飯田線を沈めた佐久間ダムの影響は堰堤から30kmも離れたこの辺りに至っても、まだ影響を及ぼしており、よどんだダム湖が続く。

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中井侍2003nakaisamurai.jpg

天竜川左岸の頭上に急勾配の斜面に張り付く茶畑や民家が見えた。この斜面集落は中井侍だろう。以前、この集落の路地奥へ車で入り込んでしまい、転回もできず崖上の細道を延々とバックする羽目になったことがある。

長野県南部の山中を迂回を重ね予定時間を1時間以上オーバー、ようやく目的地の牧場跡が近付いてきた。
脇道に入り山道を登り続け、残りわずか5キロ。しかし無情にもこの先通行不能と書かれた看板が行く手に現れた。唖然としながら車を停め思案していると山から下ってくる軽トラがあった。ということは通行できる可能性もある、場合によっては徒歩で向かおうと狭い山道に車を進めた。やがて森の中に工事現場が現れたものの、幸い休工日だったようで現場を無事通行することができた。



気がつくと標高は1,000mを越え、木々の合間からは遙か遠く長野県の飯田付近までも俯瞰できるようになった。暖冬に見舞われた冬とは言えこのあたりまで登って来ると路肩は白い雪で覆われ始めた。

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[廃牧場編]

曲がりくねる急坂を上り詰めると勾配が緩み、同時に周囲を覆っていた黒ずんだ木々が途切れ茶褐色の草原が広がった。草原の正体は背丈ほどに育ったススキの群落。すでに目的地である牧場跡の一画に入っているようだ。

峠山牧場跡2003sanennanshin016.jpg

草原上にはいつくかの無人となった民家や建物が点在している。中には入植時を思い起こさせる質素な開拓小屋のようなものも。いずれも閉ざされて久しいのか、建物は歪み、壁は崩落し、廃村のような状態となっていた。それにしてもこのような山中でかつて生活が営まれていたとは。特に冬場の生活は非常に厳しいものだっただろう。

遡ること三ヶ月ほど前、2019年晩秋、同じように航空写真で見つけた長野新潟県付近の廃牧場を訪れた。→LINK
その際に見た牧場跡は丘陵に沿って続く広大な草原、残されたサイロを中心とした大規模な施設だった。そこに比べるとここは敷地もそれほど広くはない。

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しかし牧場跡はここだけではない。予め用意しておいたプリントした衛星写真によれば廃牧場は周辺の山間部一体の稜線沿いに続いている。
廃集落を後にしてさらに奥地へ車を進めた。アップダウンをくり返す道路脇にも地形に沿って続く急傾斜の草原が現れる。ここにあった牧場は我々が想像するなだらかなものではなく山の斜面を利用した山岳牧場だったようだ。



30分ほど前にすれ違った軽トラを最後に対向車も一切現れない狭い山道を進んでいくと前方に再びススキの群落が見えた。丘陵に沿って続く逆光にきらめくススキの群落、そしてその中央の鞍部に池があった。直径30mほどの小さな池。

峠山牧場跡2003sanennanshin009.jpg


風が収まり、凪状態となった湖面には青い冬空がくっきりと映し出されている。
対岸左奥には牛舎跡らしき古びた屋根が見えることから周辺に続く草原は牧場跡地で間違いないだろう。操業時、この池は牛の水飲み場として使用されていたものだと思われる。もちろん周囲には牛の姿はなく池は静けさに包まれていた。

峠山牧場跡の池2003sanennanshin011.jpg
峠山牧場跡の池2003sanennanshin010.jpg

池自体は鞍部に位置するため稜線で視界が遮られそれほど開放的な雰囲気はない。
ただ茶褐色の冬枯れの草原に囲まれた牧場の池を眺めていると、山岳牧場跡にある水飲み場が話題となっている長野県大鹿村の高所にある通称「天空の池」を思い出してしまった。天空の池を最後に訪れたのは昨年晩秋。→LINK


長野県大鹿村天空の池1911tenkunoike09.jpg


上記写真は長野県の天空の池。天空の池は標高2000mを超えるため、高度感や開放感はまったく異なるが、どちらも枯れた茶褐色の草原に覆われた牧場跡の水飲み場。この廃牧場池も天空の池と同じく季節が巡り夏が訪れた際には鮮やかな緑に覆われることだろう。

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畔の老木が影を落とす水面に音もなく波紋が広がっていく。このような小さな池にもなにか生物が住み着いているのだろうか。



池からさらに進んだ奥地には最も規模が大きな廃牧場が残されているようだ。映し出された空撮写真には山上に広がる茶褐色の広大な土地、縦横無尽に走る車道らしき線が読み取れる。この草原からの眺めはさぞかし壮観なものに違いない。

しかし結果、こちらの牧場跡には辿り着くことはできなかった。ダートへと変化した雪の残る林道を走り続け、地形図を頼りに見つけた牧場入口へ続くと思われる荒れた道。車から降り徒歩で道を登っていくも行く手は封鎖されていた。仕方が無いので森の斜面をよじ登り丘陵を遠目に眺める。そこは斜面に沿って続く広大な広大な原野だった。よく見ると草原各所には苗木が植樹されているように見える。木々は成長、牧場跡地は再び森へと戻っていくことだろう。


[山中の小鉱山編]

普段我々が見ることができない鉱山や工場。しかし様々な「偶然」が重なった結果、一般人が秘められた内部の様子を目の当たりできることがある。思い返しただけでも、大分県の津久見では巨大セメント工場の構内を公道が横切るため通行人として工場撮影、また鹿児島の某鉱山では「○○石碑をご見学の方は構内を通過できます」との看板があったため石碑に用事があるとの拡大解釈で操業中の構内を歩くことができた。
いずれも2003年頃の話。検索してみると津久見の工場道路は17年の時を経て有名スポットになっている様子。鹿児島の鉱山はその後閉山、現在は坑道見学コースがあるとか。時の流れを感じてしまった・・・。



さて規模は全く異なるが鉱山の作業光景を間近に眺めることができる珍しい場所が三遠南信山中にある。2011年に訪れたこの小鉱山を9年ぶりに再訪した。分岐した脇道に入り川沿いの谷間を遡る。数棟の民家が現れた辺りに車を停め、徒歩で鉱山へ向かった。
橋を渡ると狭い谷間に一見、町工場のように思える古びた工場が見えた。

鉱山2003japanmaine01.jpg
鉱山2003japanmaine04.jpg

これが鉱山施設の一部となっている建物だ。この鉱山の特徴は、現場を間近に見ることができること。その理由は鉱業所の建物自体に壁がなく剥き出し状態となっているためだ。おかげで真横を通過する公道から丸見えの状態となっている。掲載しているこれらの写真、もちろん敷地には入らずに道路上から撮ったもの。



本日、鉱業所での作業は行われていないのか、内部に人の気配はない。とはいってもあまりじろじろと眺めるのも気が引ける。見回すと奥で作業していた方がいたので断って写真を撮らせてもらった。

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木が組まれた非常に小さな空間にトロッコの軌道が敷き詰められている。そしてレールが吸い込まれる先には坑道口。前回の青崩トンネル工事現場と同じく坑口上には安全を祈る化粧木が祭られている。
一見雑然とした空間だが、よく見ると工具類やヘルメットはキチンと整頓されていることがわかる。機械油の匂いが漂うわずかな距離感で見る鉱山は様々な要素が凝縮された古き良き鉱山といった雰囲気だった。  



鉱山施設はここだけではなく背後の山中にも点在している。奥の林道を登った先にも採掘現場があり、坑道口横には山上へ繋がるインクラインが見える。そちらには前回到達済み、今回は時間もなかったためスルーしたが、現在も採掘が行われている様子を見てなんだか安心した。

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かつて多くの炭鉱や炭鉱街を巡ってきた。特に北海道、九州で見た財閥系炭鉱では採掘だけではなく住居、交通、教育、娯楽、従業員と家族が生活する町全体がひとつの共同体を形成し、それらは炭坑の経営状態と運命を共にすることとなった。

しかしそのような巨大なものばかりでなくこのような小規模鉱山は国に無数あった。しかしその多くは廃坑となって失われている。現在日本にある鉱山のほとんどは露天掘りに代表される大規模なものがほとんど。坑道を掘る採掘方法が貴重な存在となりつつ今、ここは今なお活発に採掘が行われている貴重な場所でもあるのだ。



[廃校編]


こちらも以前に簡単に紹介した場所。三遠南信に点在する無数の廃校のひとつ。10年ほど前に廃校となった校舎は現在改装され内部を見学することもできる。

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急勾配の坂を上った山の斜面に残る校舎。子供達は大変な思いをしてこの坂を上り登校していたのだろう。教室によっては当時の雰囲気が多少残されている。なかなか良いのが図書館。蔵書には子供向け以外にもおそらく地域から寄贈されたマニアックな本も多いためつい長居してしまった。



2年ぶりに行った三遠南信徘徊録。今回は青崩トンネルから始まり佐久間ダム、周辺集落、牧場跡、鉱山などを徘徊したが相変わらず奥深い場所だった。掲載していない箇所もあるためそのうち紹介したい。


[了]

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