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●2020年9月某日/いつもの場所へ。毛無峠で過ごす夜。

  • 2020/10/30 22:22
  • Category:
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夏場、寝苦しい熱帯夜が続く下界から離れて眠る場所がある。
それが標高1,823m、冷気に包まれる高所の峠、毛無峠で行う恒例の車中泊。
今回も毛無峠を起点に新潟、長野、山梨。
廃校をはじめとするいくつかの予定地を徘徊した記録。


photo:Canon eos7d 15-85mm

いつもの場所。群馬長野の県境にある、標高1,823mの毛無峠。
木も生えない荒涼とした高地を風が吹き抜けるこの場所はいつ訪れても霧に包まれていることが多い。猛暑に包まれた下界を離れ午後遅くに到着した今日の峠も群馬県側から湧き上がる霧が流れ続けていた。

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駐車場代わりのダートの空き地に車を停め下界のコンビニで買った食材を調理しながら車中泊の準備を行う。日没直前、強風によって霧が切れると毛無峠へ一筋の光が射し込んだ。視界が開けたのもつかのま、再び毛無峠は霧で閉ざされ、そのまま夜を迎えた。夜間になっても霧は切れず星は今回は見ることができず。

過去に撮った毛無峠の写真はコチラ↓


過去の毛無峠写真

それにしても峠の変貌ぶりには驚かされる。毎年同じ時期に毛無峠で車中泊を行いはや六年。年を経るごとに峠の駐車場代わりの空き地で車中泊を行う車が増加中。
自分が毛無峠で車中泊を始めた初期の頃は、夏場でも夜間になると峠周辺に人の気配は皆無、おそらく半径10数キロに渡り無人地帯となっており、不安な思いをしたものだ。
ところが年々同業者が増加していき、最近は峠に複数のテントを張りキャンプを行う猛者も珍しくはなくなった。2020年の今回は過去6度の峠車中泊で最も車両の台数が多く、例の看板がある空き地の奥は夜半になっても車がひしめき合っていた。とはいえどの車も静かで、さらに熱帯夜とは無縁、シュラフにくるまり安眠できた。


毛無峠の朝2009kenashipass06.jpg
毛無峠の朝2009kenashipass02.jpg


午前4時、毛無峠で朝を迎えた。
結露した窓を拭くと夜間に峠に到着したのか、さらに多くの車が周囲に停められているのが見えた。車内で寝静まった車中泊中の人々を起こさぬよう静かにドアを開け車外へでると体が冷気に包まれた。

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霧が消え去った無風の峠。朝焼けを背景に浮かび上がる鉱山索道のシルエット。毛無峠で見るいつもの朝の光景。早朝、晴れ渡る峠も多くの夏山のように昼前には雲が湧き、再び霧に包まれるに違いない。朝焼けだけを眺めると日の出も待たず早々と出発、猛暑に包まれる下界へと下る。



緑のツタに覆われた尖塔が特徴的な廃校が新潟県の山間部にある。手前に広がる放置された校庭も草原と化してるようで、廃校の横を通過した撮影車で撮られたgoogleストリートビューでも緑の草原、廃校、夏の積雲、さらには横を歩く近所の親子という映画のワンシーンのような見事な光景の構図の光景が意図せず撮影されていた。
ここならば、緑の草原に立つ偽教会風の廃墟といった写真が撮れそうだと数年前から予定リストに入れてあった廃校だ。

新潟県山間部は廃校の宝庫だ。今回の目的地の周辺にも無数の廃校が点在している。ところがそのいずれも曲がりくねる山道をたどった先の集落に残り、また集落同士が山を隔てているため効率よく回ることができず、10年以上にわたり新潟山間部の廃校群を地道に回り続けているがいまだ予定地の半分も消化できていない。一方で廃校のアート施設化、あるいは解体が進み、いわゆる放置された感のある物件もみるみる減少しているのも現実。



到着して唖然とした。緑の草原が広がるはずの校庭には砂利や鉄板が敷かれ無数の工事車両や重機が所狭しと停められているではないか。さらにはプレハブの工事事務所まで建てられている。

安塚高校大島分校2009nhigatahako01.jpg

まさか廃校校舎の解体が行われているのだろうかと近付くと近隣で行われている工事の基地として校庭が使用されているようだ。遠目で見る限りそれほど古さを感じなかった廃校校舎だが近付くと建物全体がゆがみ老朽化が進んでいることがわかる。もちろん尖塔の時計も昼を指して停止したまま。



この廃校周囲の風景は田園や茅葺トタン屋根の民家が点在する新潟山間部の典型的な里山。そのような純和風の風景の中心に、尖塔と赤い屋根とステンドグラスを使用した偽教会風の洋風建築。不思議なミスマッチ感。

新潟県上越市安塚高校大島分校2009nhigatahako03.jpg

新潟県上越市安塚高校大島分校2009nhigatahako04.jpg

蔦の浸食は上へと続きついにその先端は尖塔に達している。あと数年で建物は緑に飲み込まれてしまうだろう。

ちなみに引いて撮った廃校の全景はこのような感じだ。上に掲載した写真はトリミングして撮ったことがわかる。ここが数年前、ストリートビューで見た緑の草原のままであれば・・・と悔やまれる。

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しかしこの廃校、建物は洋風校舎だけではない。実は建物の裏には別の木造校舎が隠されている。
裏に回ると空撮で確認した通りの二階建ての木造校舎が見えた。こちらは自分好みの昔ながらの日本の木造校舎。建物は黒ずみツタに覆われ廃墟感を醸し出ている。しかし周辺は背丈ほどに生い茂る緑のジャングル。この季節、草に阻まれ、到底到達できそうもない。



かつての診療所医院跡。閉鎖後、木造医院の一部を見学することができる。
以前一度訪れたことがあったが、近隣を通過したので今回は建築的な視点で見てまわった。ここについての考察は多くの方が書かれているので小物などに注目してみたい。木とガラスの組み合わせが目を引く古き良き建物。
しかしのどかさとは裏腹にこの地域に蔓延していた病気を克服した熱い場所でもあるのだ。

昭和町風土伝承館杉浦醫院2009yamanashi01.jpg
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青い空、白い積雲、緑の田、夏の風景が広がる長野県北部。季節は9月だが、まだ夏の光景が残る。県境付近の森の中に残る明治期から100年を経た木造校舎廃校。ガラス越しに覗いた内部は教室と廊下がそのままの姿で残されていた。

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信濃町立古間小学校2009naganohako03.jpg
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信濃町立古間小学校2009naganohako01.jpg
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[了]

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