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●2020年12月某日/廃校、面谷鉱山、冬を迎える二本の林道。

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雪の気配が近付くと積雪地帯の林道の多くは冬期閉鎖となる。
2020年末、冬季閉鎖を控えた二本のダート林道を走った。
それぞれの林道奥地には廃校となった分校と廃鉱となった鉱山が待ち受けているはず。
石川県、福井県、それぞれの深い山中に伸びる林道と二つの物件を紹介。


photo:Canon eos7d 15-85mm
※本記事は訪問時のものです。現在の状況は異なっている可能性もあります。



いつものようにgooglemap衛星写真で各地上空を彷徨ってると深い山中の森に怪しい建物を見つけたのは今年の春先。民家にしては規模が大きい気がしたので調べると屋根は廃校となった分校木造校舎のものだということがわかった。
とはいえ場所は雪深い石川県、雪解けの林道開放を待ち訪問を予定していたが社会情勢の影響で長らく延期となっていた。

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photo:googlemap衛星写真より

2020年の冬も間近。来週辺りは北陸は初雪に見舞われるはず、本日あたりが今年最後のチャンス。前夜まで降り続いた大雨は明け方には止んだ。山裾には霧が張り付いているが好天に見舞われることだろう。

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【石川県/大杉谷林道】

石川県奥地。白山山系から流れ出す急峻な流れをいくつもの砂防ダムがせき止めている。
そんな川沿いの道から山中へ分岐する大杉谷林道へ入った。

石川県大杉谷林道2011ishikawa02.jpg
石川県大杉谷林道2011ishikawa06.jpg
石川県大杉谷林道2011ishikawa03.jpg

途中視界が開けたので泥まみれとなった車から降りる。
砂防ダム背後の崖に張り付く狭い道はこの先通過する林道。それにしても凄い場所を通るものだ。車ごと滝壺に転落しないように気をつけねば。



ぬかるんだ森のダート林道を走り続け目的地付近に到着、空撮写真と比較しながら場所への精度を上げていく。ある程度絞り込み見渡すも視界に入るのは森と山だけ。この林道自体がカーナビにも表示されず電波状態も悪いため、かなり近付いていると思われるが正確な廃校の位置は不明だ。

すると森の奥に重機が見えた。作業の気配もするので情報収集すべく現場へと歩く。廃校解体工事なのかとの考えが頭をよぎるが、おそらく杉の伐採作業だろうとさほど心配せず現場へ到着。

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作業員に廃校の場所を尋ねると指を指された先、森の中に何らかの建物の基礎部分が見える。その光景で一瞬で理解した。分校の木造校舎は建物ごと解体されてしまったのだ。



斜面を下り校舎があったはずの土台に立つ。山積みにされた板材、運び出された机、家具、崩れた建物の生々しいニオイが漂う現場。廃校の建物はまるで昨日、今日消滅したように見える。様子から見て少なくとも半月前には廃校は完全な姿で残されていたことだろう。わずかの差で逃してしまった。

作業員へお礼を言って現場を後にした。残念な結果となってしまったが観光地巡りではない、棄てられた空間を目指す徘徊のためよくあること。仕方が無い・・・。


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【福井県/面谷林道】

気を取り直し県境を越え福井県山中の林道を目指す。林道があるのは九頭竜ダム湖の湖畔。ここに至るダム湖左岸県道も2020年の開放もまもなく終了、数日後に迫った冬期閉鎖の準備に追われていた。ダム湖へ注ぐ面谷川、その流れに沿って林道が奥へと分岐している。

予想通り天候も急速に回復、先程の大杉谷林道と違い路面も乾いている。ダート林道を奥へ。

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面谷林道2011omodani03.jpg
面谷林道2011omodani04.jpg

砂防ダムやズリ山が連続する川沿いの狭い林道を走り続けると谷間が広がり目の前に茶褐色の空間が姿を現した。
崩れた崖、木も生えない崖、連続する砂防ダム。荒涼とした谷間は過去何度も訪れた足尾銅山の精錬所跡のように見える。
面谷川の対岸の斜面には古城ような古びた石垣が見上げるような段をなしている。ここが次の目的地、面谷鉱山跡。

面谷鉱山跡2011omodani05.jpg
面谷鉱山跡2011omodani08.jpg


現在、建物はすべて解体されているため往事の姿を想像するのは難しいが、古写真によれば対岸の斜面は木造の選鉱場や精錬所の施設で埋め尽くされていた。他所で見る鉱山と違い、面谷鉱山は時代が古いためか基礎が石垣造りなのが珍しい。ここが鉱山と言うよりも城郭跡に見えるのはそのためだろうか。

林道から見える小さな尾根の先端に煉瓦が突き出た場所、外国の古城か砦を思わせるあの場所をまずは目指そうと思う。

面谷鉱山跡2011omodani06.jpg
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とはいえ当時は橋でも架けられてたのだろうが、現在は対岸へと渡るアクセス路は見当たらないため、気が進まないが川を渡る必要がある。
川辺まで下りてみると渓流には先行者が川渡り用に置いたと思われる飛び石のようなものが点々としているが、へたに踏んで足を滑らせ頭から水没してはたまらないため、一気にジャブジャブと川を渡る。川幅はたいしたことはないが11月下旬の水はなかなかの冷たさ。

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川を渡り到着した対岸の平地は煉瓦造りの基礎部分が顔を覗かせ、周辺には精錬後の廃棄物として排出されるカラミ煉瓦が散乱する赤茶けた場所だった。
ここから最上段を目指す。石垣部分を迂回しながら積もったズリの斜面を登っていく。

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傾斜を登り鉱山最上段に到達。先ほどの林道がはるか眼下となった。痕跡といったものはほとんど残されてはおらずススキ秋の西日を浴び風に揺れていた。

面谷鉱山跡空撮2011omodanidrone03.jpg

現在地が左上の四角い構造物の付近だ。斜面に連続する石垣部分にはおそらく選鉱場が置かれていたのではないだろうか。
最上段に集められた鉱石は、傾斜と重力を利用しこの斜面を下りながら破砕、選鉱が行われ川沿いの精錬所まで運ばれていたと思われる。その過程で棄てられた石は膨大なズリとなって谷を埋めつくした。

(下記参考)
鳥取県若松鉱山跡 → 【LINK】 兵庫県神子畑選鉱場跡 → 【LINK

時代はまったく違うが、他鉱山の紹介で以前描いた鉱石の選鉱概念図。

若松鉱山跡1905senkoumap.jpg


その一角に突き出ている古城を思わせる煉瓦作りの四角い構造物。
選鉱場の一部なのだろうと考えていたこの構造物、帰宅後、web上にある古写真を見ると煙を吹き出す排煙装置、煙突に見える。そして斜面に横たわる筒のような物で下部と繋がっていたことも読み取れた。

面谷鉱山跡2011omodani014.jpg

近代鉱山では開発が進むにつれ弊害も露わになった。そのひとつが煙害。精錬過程で発生する亜硫酸ガスの煙が地表に滞留、木々を枯らしつくした。もちろん事業主側も放置した訳ではなく、煙突を高台に移設したり、あるいは高さを伸ばし地上への影響を最小限に抑えようとした。



観測所を設け、気象学を駆使し試行錯誤の末、亜硫酸ガス対策の巨大煙突を作り上げる日立鉱山を舞台にした新田次郎の小説「ある町の高い煙突」を先日読んだばかり。面谷鉱山の古写真に写る斜面に横たわる筒は規模は違えど、日立鉱山にあったムカデ煙道とよばれた排煙管に似ており、この四角い構造物は煙突だった可能性がある。

日立鉱山の大煙突についてはWikipediaに読み応えのある記事が掲載されているのでぜひ読んで下さい。
LINK

15年以上前、日本一周を行った際、日立鉱山を訪れた。大煙突は既に倒壊していたが隣接する日立鉱山資料館は内部撮影可能、素晴らしい施設だった。

面谷鉱山跡空撮2011omodani019.jpg

面谷鉱山が位置するのはこのような山々が連なる地。九頭竜ダム湖(当時はもちろん存在せず)へと流れ込む支流の面谷川の最深部が開発され寄生するように鉱山街も作られた。

面谷鉱山2011omodanidrone04.jpg

面谷鉱山跡空撮2011omodanidrone01.jpg

林道は鉱山跡からさらに奥へと続いている。その脇、上記写真の左手部分の斜面に居住区画が設けられ鉱員とその家族がこ暮らしていた。
面谷鉱山においては他の炭鉱、鉱山の例に漏れず近隣で最も早く電化されたため、周囲の山村と比較すると生活水準はかなり高かったという。それでも現在は冬季閉鎖されるような場所に位置しているため、冬場は厳しい暮らしが営まれていたことだろう。

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当時の写真をみると右岸の山の斜面にあった集落民家が密集していたことがわかる。建屋は一棟として残されておらず、わずかに痕跡はここも段々畑のような石垣だけ。それもそのはず、面谷鉱山が閉鎖されたのは昭和どころか、大正時代。



人の気配のない面谷鉱山跡だったが、二時間ほどの滞在時間に1台だけバイクが現れた。荒涼とした断崖ダートを走るバイクはなかなか絵になる。しばらく会話をかわしたが、自分と同じく冬期閉鎖前に訪れたとのことだ。

面谷鉱山バイク2011omodani016.jpg


ついでに以前から予定地マップに入れていた小学校の廃校を訪問。
山道を登った先の小さな集落外れに古びた木造校舎が残されている。


岐阜の廃校2011gifuhaiko01.jpg


廃校と鉱山、二つの林道奥を目指した初冬徘徊。
実は今回、紹介した場所とは別の予定地があった。しかしそちらは数日前、アクセス路の林道が冬季閉鎖されてしまい訪れることは叶わず。
林道開放は来年の春の雪解け後。それまで建物が残ってくれれば良いのだが・・・

[了]


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