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●2023年4月某日/失われ行く痕跡を求めて。1年越しの425号縦断記[前編]。

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国道425号線2304wakayama0101.jpg

4月早朝。紀伊半島の中央部、奈良県十津川村、果無集落。
高所の集落内を世界遺産熊野古道が通過するあまりに有名な観光地。 
厳冬期の廃校登山から2ヶ月、紀伊半島の山々は鮮やかな新緑に包まれていた。
果無のような観光地をこのサイトに登場させるのも躊躇するが
山上から本日走行予定のルートを見下ろすことができるので掲載。
果無集落西側に広がる山々、その谷間に刻まれている山道がこれから走る国道425号線。
国道とは言うものの、その実態は離合困難な山道が続くため一部からは酷道とも証されている道。
昨年は前半にあたる425号尾鷲〜十津川間を走破、→LINK
今回はその続きとなる。
やがて深い谷底に日が射し込み始めた。
1年越しとなる425号横断後編と南紀マニアック徘徊スタート。


※本記事は訪問時のものです。現在の状況は異なっている可能性もあります。

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いきなり外してしまった。上記写真の奥地へと続く国道425号は次第に高度を上げ、奈良和歌山県境の峠も間近。その最高部付近から分岐した山道の先にある最初の目的地への道は残り1kmでゲートで封鎖されていた。
その先には廃校となった小学校校舎が残されているはず。この廃校は標高900m近い高所にあり、航空写真には屋根が明瞭に映し出されている。その壮絶な立地からいつか訪れたいと思い続けていたのだが・・・。観光地巡りではないためこればかりは仕方がない。

国道425号2304wakayama0103.jpg

国道425号線マークlogo.png
その後も425号はカーブ、狭路、急勾配をくり返し延々と西へと続く。一応これでも国道だ。
紀伊半島の交通網に関しては過去散々書いているが、近年高架橋やトンネルを贅沢に使用した高規格路によって南北移動は劇的に改善された。しかし東西縦断路は貧弱につきる。その中でも最も「まもと」なのが酷道と言った俗称でも有名な、現在走行中の紀伊半島山岳地帯を東西に縦断する425号。まともと言っても見ての通りの道のため、とにかく時間が必要となる。そのため、一挙走破では無く前半後半に分け走破を目指した。

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昨年2022年4月に縦断した425号、特に尾鷲〜下北山間においては現れる建物は朽ちた廃村、廃墟ばかり、数時間に亘り人の気配のない工程だった。→LINK
その際と比較すると、今回の十津川〜牛廻〜龍神温泉間の425号は沿線に居住中の民家が点在するためか、狭いものの路面は整備されている。とはいえ、民家があるということは交通量も割とあり時折現れる対向車への注意、すれ違い箇所の確認は欠かせない。



県境の牛廻越を越え奈良から和歌山へ。牛廻越からは山を一挙に下り谷底にあるひなびた温泉街の龍神温泉へと下り立った。

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約10年ぶりに行った425号牛廻越、とはいえ普段林道を走り慣れているためか、それほどの悪路には感じなかった。しかし夕刻、調子に乗って気が緩んでいたのか看板を見落とし通行止めの県道へと入り込んでしまうことに。
第一目的地の到達失敗から気を取り直し、南紀へと大きく進路を変更、次の廃校探しへ。



地方では廃校、閉校が相次いでいるが、その後の校舎に関する自治体の方針は様々のようで、市町村の境界線を跨ぐと校舎の有り無しがはっきり分かれることが多い。よって廃校が集中して残されている市町村は限られてくるのだが、その中でも紀伊半島S町は放置されている木造校舎の廃校が比較的多く、2013年に最初の探索を行っている。その後も時間をかけて回るつもりだったのだがここ一年の間に一挙に校舎の解体が始まったようで今回急遽徘徊予定地に組み込んだ。

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山道を抜けると視界が広がり明るい雰囲気の里山が現れる。その片隅の小高い丘にある学校跡へ到着、静まりかえる校庭にウグイスの鳴き声が響き渡る。
石垣上に残されていた小さな木造校舎は、かつて同じS町内で見た木造校舎と構造がよく似ている。そちらは最近解体されてしまったようだ。校舎の扉は外れており、その隙間から内部の様子を見ることができた。

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頭上では相変わらず、さえずり続けるウグイスの声。廃校は小高い丘に立地するため、日当たりも良く降り注ぐ日射しと野鳥の鳴き声に癒やされる明るくのどかな立地だった。

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ここからわずか数キロの距離に対称的な雰囲気の廃校が残されている。数キロといっても両者を結ぶのはすれ違い不可能の山道。道沿いに流れる渓流を横目に車を進めると森が途切れた。

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川幅が広がると谷間にわずかな民家が点在する集落が現れた。その外れの山中にひっそりと佇む神社がある。
紀伊半島を代表する樹木、それは人工的に植林された無数の杉。冒頭、新緑に包まれる紀伊半島と書いたが実は少し大げさで、紀伊山地のほとんどは紅葉も新緑もない杉の人工林となっている。見渡す限りの山々を埋め尽くす杉、その一角の杉林へと続く山道へと足を踏み入れる。

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苔むした石段の先の小さな社。周囲は倒木や落ちてきた葉が積み重なっており、手入れもなされていないように見えるが、雰囲気は良い。そして参道脇には茶褐色の木の幹と同化してしまったかのような木造の建物がある。



太陽光も届かない杉の木立の中、周囲と同化したような彩度の低い建物が浮かび上がる。廃校となった分校の校舎跡。周囲には子供用の椅子や机が散乱しているため、かろうじて学校であったと判別できる。
校庭だったと思われるわずかな平地は廃校後に植えられたと思われる杉が成長し建物全容を捕らえることは困難だ。当然車道からもその姿を視認することはできない。

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この廃校は以前周辺まで達したものの、どうしてもアクセスがわからず到達できなかった場所。今回は他の方の記録を参考に訪れることができた。樹幹に覆われ航空写真からも姿を隠し、ここを入ってくとは到底思われない森への入口。最初に「発見」した方はすごいと思う。



開いたままの正面入口から中を覗く。奥には教室跡と思われる空間がかろうじて見えたため、外から望遠でズーム。様々な要素が傾いているが、机の奥で最も大きく傾く板壁は黒板だったのではなかろうか。

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壁面の窓は板で塞がれており内部の様子をうかがい知ることはできない。校舎を回り込み、裏手に回るといくつかの窓が外れていたため、窓枠から室内を観察。先ほど見た教室跡の逆アングルとなる。

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窓枠からは教室跡の全容が見えた。屋根と天井は大きく崩落、梁が剥き出しとなった状態。正面から眺めた際には、割と形をとどめているように思えた校舎だったが、雨が吹き込んだことで、床が抜け落ち廃墟と化していた。他にも部屋があるようだがそちらの様子は窓からは確認できず。

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S町山中に点在する廃校となった木造校舎の解体は西から東へと進められているように思われ、今回訪問した東端の2棟の解体も時間の問題かも知れない。とはいえ維持管理は困難だろうし、廃墟を放置しておくわけにもいかず、こればかりは仕方がないことだろうと思う。隣接する神社を参拝、廃校を後にした。



古座川上流を通過。本日は森の渓流ばかり見てきたため開放的な大河に少し新鮮な気分。
透明度の高さで有名な古座川、上流各所にある淵を偵察。夏は毎週のように渓流や海に入るという別の趣味も併せ持つため(夏の更新率が低いのはそのため)、次回はマニアックな場所の探索ではなく、泳ぎメインで南紀を訪れたい。川沿いの適当な場所に車を停め昨夜買って置いた昼飯を車内で食べる。窓から流れ込む涼しい風によって眠気を催してしまった。



神社繋がりという訳でもないが古座川沿いに北上、支流へと分岐した山中にある神社を訪れた。神社は渓流を挟んだ対岸に建つ。

古座川町若宮神社の苔2304wakamiyashrine02.jpg
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古びた吊り橋を渡り神社に到着。
境内で目を引くのが地面を覆い尽くす絨毯のような分厚い苔。ここの特徴はこの苔であり、以前から予定地マップに入れていた場所。膨れ上がる苔の厚さは場所によっては10cm以上、射し込む木漏れ日が緑を際立たせる。

和歌山県若宮神社の苔2304wakamiyashrine01.jpg
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神社境内に人の気配はゼロ。参拝者の少なさが、苔を成長を促しているのだろう。この場所の存在が人々に知られるようになれば苔も踏み荒らされ消滅してしまうかも知れない。
初夏を思わせる好天に恵まれた本日、白浜や熊野など南紀の近隣観光地は無数の観光客で溢れているに違いない。しかし自分の徘徊する場所はどこへ行っても誰もいないマニアック旅。


国道425号横断地図2304kiimap.jpg

かつて交通網の貧弱さから秘境とも言われた紀伊半島南部。近年紀勢自動車道が東西から半島を包み込むように延伸、交通は格段に改善された。しかし、それは沿岸部に限った話。一歩山中へ入れば集落同士は谷間を縫うような細々とした道で繋がれ、山間部の生活が営まれている。


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そんな紀伊半島を代表するような道のりがまだまだ続く。それが南紀山中の無人地帯を横断する将軍川林道。過去部分部分を通過していたが、全線走行はまだないため挑戦。名前だけは勇ましい林道だが、その実態はひたすら続く杉の人工林。狭路が延々と続くが幸いなことに今回も走行中、一度も対向車には出会うことがなかった。

将軍川林道2304wakamiyashrine05.jpg

林道は将軍川と名付けられた渓流沿いに敷設されており、道中、車を停め水辺で休憩。冷え切った水に手をひたす。このように道路と水面の距離が近い道が好み。主要道だと路面は川面から高度差とガードレールで隔てられており、清流を発見しても降りることは難しい。

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将軍川林道のラストは大瀬を通過した。かの有名な廃校が残されている場所でもあり自身も10年近く前に一度訪れたことがある。当時、傾いていた校舎は今も健在だろうか。この廃校は林道脇に丁寧に案内看板があるため、見落とすことはない。



せっかくなので木々の合間から見える校舎を林道から偵察すると、校舎はまだ健在だった。ただし建物は10年前にはなかったロープで封鎖されていたので近付かず遠目に撮った。傾く廃校校舎は、いつまで残るだろうか。

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校舎脇には張り紙があり読んでみるとここを訪れる卒業生に向けたメッセージと連絡先が書かれていた。
廃校から少し離れると林道沿いの杉の一部が伐採されており、久しぶりに視界が開けた。学校が設置されたのは明治初期。このような辺境の奥地に小さながらも学校が建設され(実際にはその後少し移転)教員が派遣された明治政府の偉業には改めて驚かされる。

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まる1日をかけ南紀の山中を一周、早朝通過した311号が近づいてきた。行程のほとんどが山中の狭路だったが、対向車もほとんど現れず、通行止め箇所もなく順調に終わりそうだ。と思ったらやはり紀伊半島は甘くはなく最後の最後で通行止めが待っていた。



薄暮に包まれた夕刻。山中の一本道を延々と走り、主要道311号への合流まで残りわずか1.5キロ。そこには集落もあり、Aコープもある。今夜は車中泊になるためAコープで購入する夕飯を頭に思い浮かべながら走り続けた。
そんな浮ついた気持ちを打ち砕いたのがヘッドライトに照らし出された「通行止」看板。その数メートル先で古びた橋が封鎖されている。おそらく最後の集落で予告看板があったのだろうが、ゴールを目前にして浮かれており見落としたのだろう。車が行き交う国道は目の前だというのに辿り着くすべはない。引き返すとなると山塊を回り込む30キロ近い大迂回を強いられる。

車と停めたまましばし思案。数キロ手前に怪しい細道があったはず。十数回の切り返しで車をUターンさせ、ナビにも掲載されない闇に沈む細道へ一か八かで侵入した。次第に幅を狭める極狭山道、いつ行き止まりとなるのかと胃を痛くしながら走り続け、なんとか国道へ合流することができた。



閉店間際のAコープで割引シールが貼られた食材を購入。「袋と箸もお願いします」と今日初めてとなる会話をレジの店員と交わした。誰とも会うことなく三重、奈良、和歌山と紀伊半島の人里離れた山中を根気強くひたすらトレースした1日となった。
続きは明日にして温泉でも探し車中泊でもするか。車内に籠もり、先ほど買った食材を食べながら明日の予定地mapを調査。さすがに夜は冷え込んだ。

[続く]
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