●2023年1月某日/主を失った吊り橋と集落。鹿吊橋を渡る。
- 2023/05/20 22:22
- Category: マニアックスポット

無数の河川が蛇行する紀伊半島山間部には数多くの吊り橋が架けられている。
そのほとんどが生活吊り橋として住民の必要に応じ作られたもので
近年日本国内に増殖中の観光用に作られた人工吊り橋に比べ好感がもてる。
その中でも規模の大きな吊り橋のひとつが十津川村にある鹿淵(かぶち)橋。
対岸の鹿淵集落とを繋ぐ生活手段のために架けられた生活吊り橋だが、
集落が無人となった後も廃止されることなく揺られ続けている。
予定地マップに入れてあった鹿淵吊橋だが、なかなか訪れることができなかった。
その理由は意外に単純で、観光地でもない鹿淵吊橋には「駐車場」がないことにつきる。
過去の紀伊半島探索時にも吊り橋脇を通過する度に、
車を徐行させ駐車場所を探すのだが周辺には空きスペースがまったく見当たらない。
徒歩圏内に建つ民家は、いずれも自家用車を停める場所にすら難儀している傾斜集落で
狭い旧道路肩に他府県ナンバーの車を長時間路駐するのもはばかられる。
普段とは違う別の意味でアクセス難の吊り橋と、
その先の廃村をようやく訪れることができたので報告記録。
※本記事は訪問時のものです。現在の状況は異なっている可能性もあります。
広大な山岳地帯が続く奈良県十津川村。山水画のような光景が広がる雨上がりの紀伊半島。

緑に覆われた初夏の山々、その谷底を流れる熊野川に架けられた黒い線が、鹿淵吊橋。そして橋を渡った先、右手の森には廃村となった鹿淵集落が残る。場違いに思われる背後の高架橋については後述。
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そして冬、駐車場の問題は解決、再びこの地を訪れた。旧道沿いの古びたガードレールの隙間に唐突に現れる狭い石段をしばらく下ると、冬枯れの木々が途切れ視界に吊り橋全景が広がった。

鹿淵吊橋。橋長150m高さ24m、吊り橋地帯と言われる奈良・和歌山・三重の紀伊半島においても上位サイズだが観光地でもないため、人の気配はゼロ。
日が当たらない黒い森を背景に、吊り橋本体をそれを支えるメインケーブルやサブケーブル、集落へ続くと思われる架線の繊細なワイヤーが逆光を浴び浮かび優雅に浮かび上がった。そしてそれらは逆放物線を描き森へと吸い込まれている。黒い空間の先にある廃村を目指し足を踏み入れた。



遠近感を強調させるゆるやかな集中線が描くケーブルと黒い森。こんな時「揺れる吊り橋に恐怖を感じた」と書きたくなるところだが、鹿淵吊橋はその大きさ故か、無数のケーブルのためか安定感と安心感があり、また朽ちた吊り橋慣れしているためか正直なところ怖さは感じない。ゆったりと揺れる橋上を歩き、黒い空間が次第に目の前に広がって行く。
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しばらく歩き橋上から振り返ると対照的な世界が広がっていた。老朽化した吊り橋、黒い世界と対極をなす順光の空と近代的な高架橋。
高速道路を彷彿とさせる高架橋は山岳地帯を打通する土木事業、国道168号「七色高架橋」。紀伊半島山間部を南北に縦断する168号は主要路としての重要性とは裏腹に難路として知られてきた。連続する狭路カーブ、民家の軒先すれすれの集落内。すれ違いもできない箇所も多く、そんな場所で対向車として大型バスが現れると絶望の淵に突き落とされたもの。

しかし近年、紀伊半島山間部の道路は改良が進み特に2011年の水害以降、難所を突破する高規格の高架橋、トンネルが次々に建設され、紀伊半島横断時間は半分近くに短縮された。その代表とも言えるのが頭上を通過する七色高架橋だ。ちなみに七色(なないろ)とは地名が由来となっている。
延々と続く高架橋の下にはかつての国道が旧道となって現在も供用されており、交通量はほとんどないが、集落同士を行き来する地元車に利用されているようだ。


山肌に張り付きどこまでも伸びるミスマッチな高架橋は近年中国の奥地で次々に建設されている山岳高速道路を彷彿とさせる。ナビに全てを任せ無意識に走行しているといつのまにか通過してしまう高架橋だが、一旦旧道に入り見上げてもらいたい紀伊半島のマニアックスポットのひとつだ。
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吊り橋を渡り終え対岸へ到着。ここから集落跡へは森の山道が続く。古びた石段が続く薄暗い森を登り切ると、明るい空間が広がった。平坦なススキの草原を見下ろすように、いくつかの平屋の民家や小屋が斜面に点在している。ここが無人となった鹿淵集落跡。

鹿淵集落と鹿淵吊り橋、両者の位置関係。
熊野川が大きく蛇行し作り出した尾根の突端、その凸部分に尾根上に民家と耕作地がある。見た限りでは熊野川左岸には他の集落や車道は見当たらず吊り橋は孤立した集落の維持のみに使用された。七色高架橋の背後には紀伊半島の特徴でもある斜面集落が山肌に張り付いている。




中央の平坦な草原にはススキに埋もれた複数の石垣が見え隠れ。
この平坦地にもかつて民家があったのだろうと考えていたが、帰宅後、過去の航空写真を検索すると耕作地だったようで、鹿淵はそれほど大きな規模の集落ではなかったようだ。だからこそ車が通行可能な橋を架けず、簡易的な交通手段である吊り橋が選択されたのだろう。
点在する民家はいずれも古びてはいるが、それほど荒れておらず、わりと最近まで生活が営まれていたと思われる。




山裾の森の奥にも何棟かの民家や小屋が残っていることに気がついた。こちらは人が離れて長いのかいずれも朽ち果て崩れかけていた。
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鹿淵吊橋を観察するため河原へと降りた。川岸へのルートは水害のためか途中で消滅しており、最後は崖を下る。
光を浴び浮かび上がるメインケーブルやワイヤーの優雅で繊細な曲線。吊り橋は、その機能として軽量化が求められ、曲線が加わることで、重量感ある無骨な建造物が多い土木事業の中では別格の存在感を示している。


紀伊半島山間部では深い谷間を渡河する簡易的、かつ経済的な手段として吊り橋が多用された。そのほとんどが住民の声によってによって架けられた生活吊り橋。
近年、日本各所に長さ・高さを競うように「日本一」を自称する観光用吊り橋が次々に作られたが、それらの類いにはどうも興味が湧かず訪れたこともない。自分の中での吊り橋とは交通手段を望む住民の悲願によって架橋された生活道としての「生活吊り橋」。その点、同じ奈良県十津川村内にあるかつて日本一を誇っていた「谷瀬の吊り橋」は現在でこそ観光地となったが、本来は60年も前に架橋を望む対岸集落住民の声によって建設された生活吊り橋である。



鹿淵集落が無人となり主を失った吊り橋は生活吊り橋としての役割を終えた。しかし吊り橋自体は現在も維持管理がなされているように見える。集落と吊り橋に滞在中、誰一人会うこともなく人気のない鹿淵吊り橋は冬の斜光を浴び続けていた。
[了]
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