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●2023年冬某日/再び森に。緑に戻る廃校。

  • 2024/03/16 22:22
  • Category: 廃校
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紀伊半島の廃校探索を本格的に再開し12年、
探索しても新たな廃校が湧き出してくるのが三重、奈良、和歌山で形成される紀伊半島のすごさ。
特に驚かされるのはなぜこのような場所といった山中からも廃校が現れること。
林道を走り続けた奥地、見渡す限りの山。その森の中から校舎が唐突に現れる。
その代表格は、K分校→LINK、H分校→LINK、T小学校→LINK あたりだろう。
とはいえ、学校があったということはある程度の子どもを
維持するだけの集落があり生活が営まれていたということ。
今回、道路復旧を待って訪れた小学校跡も典型的な紀伊半島の「秘境廃校」のひとつ。


※本記事は訪問時のものです。現在の状況は異なっている可能性もあります。

延々と続く山々と入り組む尾根。その谷底を蛇行する深い渓谷に沿いに道は奥地へとひたすら続く。
連続する素掘りトンネル、崖に張り付い頼りない道。沿線には民家はもちろん分岐路も一切見当たらない道。

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車で入る事ができるのはこのあたりまで。廃校へと続く唯一の道はこの先崩落によって車の通行ができないことは予め知っていたため、目的地の数キロ手前の空き地に車を停め自転車を降ろした。
崩落箇所を通過。自転車であれば通り抜けることができた。現場では修復作業が進められていたため、あと一ヶ月もすれば全面復旧すると思われる。



航空写真によれば廃校は大きく湾曲する川に突き出した尾根上にあるようだ。そのため道路からは見上げる形となり、さらに例のごとく斜面は植林された杉に覆われているため、その姿をまったく視認できない。目印もなく、参考にさせていただいた情報がなければ決して気がつくこともないだろう。
冬の日暮れは早く、すでに日は稜線に落ち、谷底には闇が迫りつつある。急がねば。

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自転車からおり、下草が密集する斜面をよじ登っていくと木々の合間から門柱が見えた。見るからにやわらかそうな苔に覆われた門柱だが、校名はくっきりと残されておりここが学校であったことを示している。そして奥に校庭らしき狭い平地がある。

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敷地は南北の縦長となっているようだ。最も奥で木々に埋もれている簡素な建物、これが廃校の校舎となる。
建物は飾り気もない簡素なもので一見学校とは思えない外観。

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開いたままの入口には青く塗られた跳び箱があった。
薄暗く彩度の低い光景の中で妙に目を引く存在。内部の様子はわからないが、外から見る限りでは跳び箱と草に埋もれ錆びた遊具が唯一の学校らしい残留物だった。

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校舎は植物に飲み込まれようとしていた。
規則性を持って校舎にもたれかかる10本ほどの幹は倒れたと言うよりも意図的に接地したように見える。当時は木陰を作るための東屋として置かれたものなのか。幹に這わせた蔓は人間ががいなくなったことで剪定されることもなくなり、自由を取り戻すべく縦横無尽に触手を伸ばし始めた。

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壁を這いまわり浸食する蔓は、夏場になると緑の葉を茂らせ校舎を覆い尽くすことだろう。
植物に代表される自然というものは観葉植物や街路樹のように人工的に管理されているからこそ美しく、好まれるものであり、ひとたび管理下を離れると即座に牙をむく。
樹冠に覆われた薄暗い校庭跡は日影を好むシダ系の植物に覆われている。あえて訪問時期を冬場に設定したが夏ならば近付くことができたかどうか。



何度も書くが山岳集落では離村時に植林が行われることが多く、成長した杉に埋もれた廃校、廃村は多い。
森の遺跡のような廃校だがもちろん当時からこの状態だったわけでなく、航空写真を1970年代まで遡ると、現在は密林のような山々には斜面耕作地が広がっていたことがわかる。校庭周辺の木々も切り開かれており、現在とは大きく印象が異なる明るい雰囲気だった。
尾根を削り平地を確保した校庭は小さいとは言え山岳集落においては喉から手が出るほど欲しい貴重な平地。急斜面に民家や耕作地が張り付く他の山岳集落においても、校庭は必ず確保されており、学校が重視されていたことがわかる。体育は明治期からすでに体操とよばれる科目となっており、それらを行う上でも校庭は必要不可欠な箇所だったのだろう。

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帰路は谷底を流れる紀伊半島の清流を眺めながら下っていく。狭い車道に停める場所もない車と違い、自転車だと気ままに風景を楽しむことができる、はずが迫る日暮れによって迫る闇に追われるように駆け足で山道を下ったため、そうでもなかった。

[了]
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