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●2012年9月某日/五島列島・福江島徘徊.02〜福江島一周編〜

  • 2012/12/22 22:44
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大雨予報に反し好天に恵まれた福江島初日。
昨夜は島のはずれの海際にある民宿に泊まり普段の貧乏旅とは違う贅沢を味わうことができた。
本日は島の北東方面を徘徊する予定。といっても帰りの飛行機出発までは約半日。
いったいどれほど回りきれるのだろうか。

photo:Canon eos7d 15-85mm


目覚め、民宿二階のカーテンを開けると朝日が雲間から昇る瞬間だった。
寝ぼけた頭でカメラを探しシャッターを押す。が下りない。何度やっても下りない。いったいどうなっているんだ。まだ夢の中なのか、みるみる朝日は昇っていく。落ちついて考えればカメラの電源が入っていなかった。低血圧なので朝はなにをやってもだめなのだ。

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雲一つない快晴の日の出や夕焼けよりもこのように雲が入り乱れる空のほうがドラマチックで好きだ。しかし今にも崩れそうな雲。案の定宿の駐車場でリュックに荷物を詰め込んでいる間にぽつぽつと雨粒が落ち始めた。昨日は大雨予報に反し晴れ間が広がった福江島だがさすがに今日は天気予報通り大雨だろう。
本格的に降り出す前に到着時、飛行機から見え気になっていた山、鬼岳へ行ってみようと昨日走った南海岸を今朝は逆に走り再び福江島の市街地へ戻ってきた。

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福江島、鬼岳。島で気に入った場所のひとつ。特に何かがあるわけではないがそれがよい。
なだらかな形状の斜面に緑の草原が続く。荒々しさは一切ないものの一応火山なのだ。鬼岳上空は福江空港への着陸ルートにあたるのか高度を下げた飛行機がプロペラ音と共に時折頭上を通過する。



続いて福江島北部を回ってみようと市街地を抜け北方面へレンタカーを走らせる。
樫の浦地区のアコウの大木。
これはすごい。巨大な幹や枝から垂れ下がる不気味な気根。まるでエイリアンの触手のようだ気根が無数にぶら下がっている。触手の先から流れ出る体液のような水分が薄気味悪さを増幅させている。足れ落ちたしずくがポタリと首筋に落下する度、その冷たさにぞっとする。

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写真だけを見ればまるでジャングルにいるかのように見えるこの場所、実はわずか数メートル先に民家が立ち並ぶ至って普通の場所。ジャングルと集落、そのギャップがおもしろい。

アコウの大木がある小さな漁村からは入り江を挟み対岸に堂崎天主堂を望むことが出来る。赤いレンガで作られた教会、堂崎天主堂はこの福江島で最も有名な観光名所であり、現在地から目と鼻の先。しかし妙にこぎれいに整備された外観に魅力が沸かず結局堂崎天主堂を訪れずことなくさらに北へ向かった。



福江島を反時計回りに北東側までやってきた。森と深い入り江が複雑に入り組む半島の果て、半泊という集落にあるという教会を目指し細い山道を走り続ける。

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まるで隠れ里のようなわずか数軒の集落。福江島の北端の入り江にひっそりと佇む小さな秘境集落、半泊。レンタカーを降りるとついに雨が降り始めた。

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雨に濡れる小さな半泊教会。集落の片隅にひっそりと建つ。
十字架が無ければ民家と間違えてしまうようなこぢんまりとした外観にどこか親近感を覚えてしまう。

教会に限りらず本来、祈りの場であったはずの宗教施設はその権威を誇示するためのものへと代わり次第に巨大化していった。ヨーロッパのゴシック教会やイランで見たモスクなどは当時最先端の巨大建造物であり民衆に圧倒的な威圧感を与えてきたことだろう。しかし人の気配がない海沿いにひっそりと佇む民家のような教会を見てしまうと本来の宗教はこういった家庭的なもので十分ではないかという気がしてしまう。



特に探しているわけでもないのに福江島では至る所で教会が現れる。今し方訪れた半泊のような細い山道を走り続けようやくたどり着くような場所にもひっそりと存在する教会を見て「沈黙」という小説を思い出さずにはいられない。

長崎の離島に潜伏し逃亡生活をおくるポルトガル人宣教師、拷問を受け棄教を迫られる隠れキリシタンの農民達。そして「転んで」しまい日本名を名乗る元宣教師との問答。かつて読んだ遠藤周作の「沈黙」には弾圧下の五島列島と長崎を舞台に隠れキリシタンと宣教師の苦しい葛藤が生々しく描かれていた。この島でもかつての過酷な弾圧の歴史を現在に伝える遺物や伝聞も残されてるという。彼らはなぜここまで過酷な弾圧を受けなければ受けなかったのか。


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教科書には「秀吉のバテレン追放令以降、弾圧が始まった。」としか書かれていなかったし子供の頃、読んでいた歴史漫画なんかでも、秀吉の気まぐれで酷い目にあう無垢なキリシタンという単純な描かれ方しかされていなかった。

しかし幼少期から多少の歴史マニアだった自分はかねてからこの件について疑問を抱いていた。どんな歴史的事件にも、必ずそこにいたる背景があるはず。信長に引き続き、キリスト教には好意的だったはずの秀吉はなぜ突如禁止令を出したのだろうか。日本史上最ものし上がった人物である秀吉自身、晩年はともかく気まぐれで弾圧を始めるような単純な人間ではあるまい。バテレン追放令から浮かび上がってくるのは当時ヨーロッパ人が行っていた植民地経営である。



少し歴史をさかのぼるとヨーロッパでは造船技術と航海術の発達によって長距離航海が可能になり現在、誰もが頭に浮かぶ「世界地図」の形が次第に明らかになっていった時代。はるか太古、アフリカから発生した人類は長い時を経て世界中に散らばり、各大陸ごとそれぞれ文明を築き互い知らずに生活していたが航海術の進歩は大陸間の距離を縮め数万年ぶりの意図せぬ接触を各地でもたらすことになった。

地球が球体であることはすでに知られていた。ライバルであるイスラム圏を迂回、アフリカ大陸南の果てを東へ回れば香辛料の宝庫インドに海路で行き着くことができるはず。

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さらに東には広大な土地と人口を持つアジアという地域、また謎の新大陸というものがあるらしい。新しい土地を「発見」すれば先住民にお構いなしに領有宣言できる時代。空白地帯の探検、土地獲得競争が始まり大船団が次々に港から出港していく。19世紀の帝国主義へつながる植民地時代の幕開けであった。
いわゆる大航海時代である。真っ白な帆をふくらませた帆船が水平線の向こうにある未知なる土地めざし大海原を進んでいく。そんな冒険心を擽られるその爽やかな名称とは裏腹に「発見された」側の先住民にとってはいい迷惑、いや迷惑どころか悲惨な時代でもあった。



特に当時の2強であったスペイン・ポルトガルはトルデシリャス条約で勝手に二分した世界で傍若無人に振る舞っていた。「発見」した土地で鉄の武器によって先住民を圧巻、わずかな人数で文明を滅ぼし、国境線を引き次々と植民地にしていく。
この侵略軍や探検隊に同行していたのが宣教師だった。彼らは持参した手土産と巧みな話術で純粋な現地人を改宗、やがて懐柔されたタイミングを見計らい、本国軍が派遣される。インディオの国だった南米の国民はなぜ「白人風」の顔をしているのか。なぜベトナムにフランス風の町があり、フィリピン人がキリスト教を信仰しインド人が英語を話し、アフリカ人がフランス語やオランダ語を話すのか。それは数百年にわたって行われてた植民地経営の結果なのだ。



そんな時代の初期、ゴア〜マニラ〜マカオをたどり東へと東へとやってきた宣教師が最後にたどり着いた「未開の地」、それが戦国末期の日本だった。荒れる海を越え未知なる国、日本へと命がけで渡ってきた初期の宣教師達。彼ら自身はおそらく純粋に布教活動を目的としていたのだろう。

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熱心な布教活動の結果、キリスト教徒は九州を中心に爆発的に増加、大名の中にも改宗するものまであらわれる。同時期、近隣に目を向けるとマカオに続きフィリピンがスペインに領有されている。貿易の利害関係、あるいは仏教界の腐敗もあってか信長と同じく、宣教師に好意的であった秀吉が、疑惑の目を向け始めるのはこの頃からであろう。

さらに当初は純粋な布教活動が目的だったと思われる宣教師の中からも、あからさまに政治力を持とうとするものも現れた。武闘派イエズス会の日本支部最高責任者であったコエリョもその一人。
自ら出陣した九州遠征において、寺社破壊や奴隷売買などキリシタン大名の領地での現実を知った秀吉を挑発したのがこの男だ。キリシタン大名達に武器供与を約束、植民地フィリピン(ルソン)からスペイン軍を派遣すると恫喝したとも言われている。
さらに密かに長崎の要塞化も判明、激怒した秀吉によって出されたバテレン追放令、その後発生したサンフェリペ号事件で秀吉の宣教師への疑惑は決定的になり、迫害の嵐が巻き起こった。当初規制は緩く宣教師のみであった迫害対象は次第に日本人キリシタンにも広がっていく。


諸説あるとはいえ、日本が他のアジア諸国、あるいは南米、アフリカのように植民地化されることなく済んだのはその距離、さらには秀吉、ついで家康に先見の明があったと言えるかもしれない。しかし悲劇的だったのはそのような「世界の事情」も知らず、純粋に信仰していた大勢の貧しい農民、漁民達だっただろう。彼らは信仰を棄てることを拒み殺害され生き残った人々は仏教徒を装いながらいわゆる隠れキリシタンとして細々と信仰を続けいくことになる。
入り組む離島が多い長崎県は海岸線が日本で最も長い県。そんな複雑な沿岸は絶好の祈りの場だったに違いない。ひそかに守り続けた信仰も何世代も続くうちやがて途絶えたり、あるいは教義内容が変わってしまったこともあっただろう。



禁教から200年あまり。欧米列強の要人が来日するようになった頃、長崎で隠れキリシタンが相次いで名乗り出てたことは世界的なニュースとなった。日本でキリスト教徒が細々ながら残っていたことはローマはもちろん、世界中に衝撃を与えたのだ。しかし彼らに対し再び弾圧が行われる。弾圧を行ったのは今度は明治政府であった。結局、日本でキリスト教が公認されるのは1873年を待たねばならなかった。このような話しを延々と書いていくと沈んだ気分になると同時に宗教とはいったいなんなのだろうと考えさせられてしまう。

[続く]

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