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●2014年4月某日/17年ぶりの犬島徘徊記

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船の欠航により急遽予定を変更した行った四国廃校巡りの帰路、
本州へもどると瀬戸内海に浮かぶ犬島という島へと渡ってみることにした。
実はこの犬島、17年前に一度訪れたことがあった。
ひさしぶりに訪れた犬島で現代アートという名のもと変貌してしまった精錬所跡に
複雑な感情を抱いてしまったものの島自体は相変わらず魅力的。
だらだらと島内を徘徊した二日間。

[前回の記事]

photo:Canon eos7d 15-85mm


岡山市宝伝港。

スーパーで買い込んだ食料が入ったずっしりと重い登山用リュックを、それぞれ抱え船へと乗り込む。今夜はこのメンバーで島で一泊。もちろん素泊まりなので食事は自炊なのだ。昨日の青島行きは欠航してしまったが犬島はわずかな距離。穏やかな瀬戸内海、気楽な船旅だ。
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瀬戸内海に浮かぶ平らな島に建つ数本の煙突。

遠目には昔の記憶とさほど変わらないが近付くにつれ異彩を放つ黒い建物が目を引きつける。船から下りた乗客達は皆例外なく港に建つこの黒い建物へと入っていく。看板にはチケットセンターと書かれている。観光客はこの建物でチケットを購入し精錬所美術館に入館するのだろう。

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島自体はご覧のように複雑な形状をしている。面積は0.5 km²ほど。個人的にはこのくらいのコンパクトサイズの島が好きだ。右側の赤い部分が現在犬島アートプロジェクト「精錬所」としてベネッセが管理するかつての精錬所跡。
左側に浮かぶ犬ノ島は化学工場が建つ工場の島。

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さらに地図を見ると小島には似つかわしい多数の池が特徴的だ。実はこの池、採石のために掘った穴に水がたまったもの。

島は良質の花崗岩の産地であり昔から採石が行われてきたという。
では犬島の石はどこで使用されているのだろう。採石後の石を追った文献によれば、古くは大坂城、最近は遠く札幌モレエ公園など日本中で使われているとのこと。ただでさえ小さなこの島は自らその貴重な土地を削り続けてきた。採石は現在も行われているため島西岸は立ち入ることができない。


では花崗岩の産地であった犬島になぜ精錬工場が作られたのか。その理由は煙害であった。
時は明治、銅の精錬によって煙突から排出される亜硫酸ガスがもたらす公害が社会問題化していた時代。亜硫酸ガスの破壊力はすさまじく、以前訪れた足尾精錬工場跡では現在に至っても周囲の山々に木一本生えていない。その影響を軽減するため孤島に精錬工場を移すという行為は当時決して珍しいものではなく、かつて上陸を狙っていた瀬戸内海に浮かぶ四阪島も同じように四国本土から精錬工場が移転されたものだ。

この犬島精錬所も倉敷にあった帯江銅山の煙害が問題化したため島に移転されたもの。しかし犬島はに少ないとはいえ当然住民もいたわけで、その影響はどうなのかと正直複雑な気分にもなってしまう。とはいえ最盛期には会社の従業員はもちろん、家族まで呼び寄せ数千人単位で工場周辺に住まわせていたと言うから実際のところ会社としても深刻に考えていなかったのではないか。適当な時代だったのだろう。



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現在、精錬所跡を見学するにはもちろん料金がかかる。

高額なチケットを購入する前に精錬所がどのように変化したのか確かめようと観光客に混じり煙突を目印に歩き始めた。チケットセンターから精錬所跡へと続く道。かつて廃車や廃屋が点在する砂の荒れ地だった。
歩道をしばらく歩いていくと錆びたように演出された正門に突き当たる。当然のことながらこの先はチケットがないと入場できないため門の格子から内部をのぞき込む。目に入った光景はこぎれにいに整備された跡地、順路に沿ってあるく人々、鮮やかな芝生。そして美術館。

これらを見た瞬間、これは廃墟ではないと即座に感じた。管理下に置かれた瞬間、廃墟は廃墟ではなくなる。

「再生」というこのプロジェクトのコンセプトからも想像できるよう決してかつての状態を期待していたわけではないが、現在の軍艦島と同じくどうも魅力を感じることができず正門を前にして引き返した。わざわざ犬島を訪れながら精錬所を見学しないのもどうかと思ってしまうものの入りたいという気持ちが起こらなかったのだからしかたがないか。



といっても何も載せないわけにもいかないので昔の犬島の写真をひっぱりだした。そもそも自分がかつて犬島を訪れたのはいつのことだろうと同じポジのコマからメモを探すとあった。1998年5月のことだそうだ。

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昔、といってもわずか10数年ほど前までは写真というものはフィルムで撮るのが一般的、凝る人はリバーサルフィルム(いわゆるポジフィルム)というものを使っていた。しかし色彩が忠実な反面、露出がシビアで扱いも難しいため失敗も多くこの日のコマにも素人らしく露出不足で真っ黒なままのコマもいくつか見うけれる。


さて17年前の犬島精錬所跡を適当に何枚か。

※画質が悪いのは激安のフィルムスキャナーと自分の腕のせいです・・・。

当時、この場所は完全に放置状態、本物の廃墟だった。
車も免許も持たず、もちろんネットもなかった1998年、時刻表を片手に電車と路線バスを乗り継ぎ、寂れた宝伝の港からこれまた人気のない定期船に乗り島に上陸したのだった。

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この後出版された廃墟写真集で一気に知名度があがった犬島だが、訪問時は画像検索なんて便利なツールはもちろん、そもそも先述したようにまともなネット環境もなく、実際に島を訪れるまで果たして廃墟が残っているのかすらわからず不安な気持ちで上陸した自分を圧倒した精錬所だった。

訪問から5年ほど後、とある劇団が錬所跡で舞台公演を行ったことがきっかけとなり静かな島が一変、やがて美術館をはじめとする巨大な施設が続々建設され、現代アートの名の元に観光化が一気に加速していった。

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当時、犬島ではなぜか軽トラの廃車が数多く棄てられていた。中には花に埋もれたこんなトラックも何台もあった。運転席をのぞき込むとどこから入り込んだのか、ハンドルやメーターまわりまで花に覆われた姿が印象的だった。

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今回、記憶を頼りにトラックを探してみたのだがどうしても見つからない。帰宅後気になって検索するとこの花トラック、アートの島として売り出し中の犬島で景観を害する廃車と判断され役所が自主的に撤去したのだそうだ。うーん。これこそ自然発生的なアートだと思うのだが。



再び2014年に戻る。

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かつて静まりかえっていた集落が印象的だった犬島も民家の合間を大勢の人々が行き交い非常に賑やかだ。落ち着いた集落の雰囲気から妙に浮いたとある平屋の前を通ると正面に立つ男からチケットはお持ちですかと問いかけられる。この建物は一般の民家ではなく「家プロジェクト」なるアートの一環なのだそうだ。見学しない人間も珍しいのだろうか、いや持ってないですと返答すると妙な顔をされてしまった。




芸術祭ブームである。
かつて日本において芸術と一般市民の関わりと言えば美術館でガラスケースの向こうにある展示品を厳かに見学する敷居の高い存在でもあった。こういった伝統?へのアンチテーゼなのか90年代後半から「参加型」ともいえる芸術祭が開催されるようになった。かくいう自分も知識はないくせに現代アートは好きで何度か足を伸ばした新潟では従来の格式張った美術館と一線を画した展示方法に新鮮さを覚えたもの。その一方、美術館のような隔離された空間ではなく、生活空間が展示会場となることにより一部地元民との軋轢も生まれていると噂される。

賑やかさに驚かされた今回の訪問だったが、実はこれでもまだ閑散としている状態のようで瀬戸内芸術祭会期中ともなればこの小さな島は足の踏み場のない状態になるという。ネットで人気に火がつきキャパオーバーの観光客が訪れる愛媛青島もそうだが、島という非常に小さなコミュニティが会場に設定されることで、わずかな島民達は肩身の狭い思いをしていないだろうかといらぬ心配までしてしまう。とはいえ過疎と高齢化はこの島でも例外ではなく島民が賑やかさを歓迎しているのならば外部の自分が口を挟むことでもないのだが。


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「アート化」が急速に進む17年ぶりの犬島に複雑な感情を持ってしまったものの島自体は相変わらずとても魅力的だ。たまに出会う島民も優しいし、いかにも「島」に来ているのだと感じさせるコンパクトなサイズもよい。これが横に浮かぶ小豆島クラスになると「島感」も一気に減少、さらに淡路島クラスになると本土の田舎と雰囲気もさほど変わらず車がないと移動すら困難だ。
雨が降ったかと思えば晴れたりと目まぐるしく気象が変わる不思議な天候の中、借りた手押し車に荷物を載せ押しながらぶらぶらと島内を散策していく。


今夜の宿泊予定は島の西集落にある犬島自然の家。かつての廃校を改造した宿泊施設。教室内がそれぞれ寝室となっている。風呂もとてもきれい。しかも安い。同じように宿泊していた他のグループの連中と食料を交換し合い一緒に食べたり語ったりと子ども時代の宿泊訓練を思い出す楽しい時間を皆で過ごすことができた。

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夜の犬島を歩く。
賑やかな騒ぎが続く食堂から一人抜け出し懐中電灯を持ち、闇に沈む夜道を歩き始めた。ニつある集落はいずれも静まりかえり自分の足音が妙に響きわたる。島の夜は静かでそして闇が深い。

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やがて島の果てに行き着くとその先は漆黒の瀬戸内海が広がっていた。灯台、そして移動する貨物船の航海灯、さらにその先水平線に点滅するのは対岸の小豆島の明かりだろうか。やはり独特の雰囲気を醸し出す島の夜はよい。



犬島精錬所について少し。
この精錬所、時代が明治大正というあまりにも昔、さらにその可動期間もわずかと言うこともあってか資料が少なすぎるためか、どのサイトでも書かれているのは「1909年に煙害対策から犬島に建設された製錬所は、銅価格の暴落によってわずか10年で閉鎖。」程度。
ところが今回宿泊した自然の家には犬島精錬所に関する資料や文献が置かれており当時の豊富な写真や図面、進出から撤退、あるいは現在に至る細かい経緯を知ることができたのは大きな収穫だった。

先述した通り倉敷にあった帯江鉱山周辺の煙害対策として、島に工場建設が始まるとみるみる増築が進み最盛期には人口も5,000人あまりへとふくれあがった。工場拡張によって土地も犬島だけでは不足したためか数百メートル隔てた対岸の沖鼓島、(現在は無人島)にも多数の建造物があったことが当時の写真から見てとれる。

さらに、飲食店や旅館はもちろん従業員やその家族のため「共楽館」と呼ばれる娯楽施設までも建設されたようでとにかく現在の島からは想像もつかない繁栄っぷりだ。おそらく夜間は最盛期の軍艦島のように煌々と明かりが点った犬島は瀬戸内海に浮かぶ不夜城のような存在だったに違いない。

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ところが1919年、銅価格暴落によって突如犬島精錬所の閉鎖が決定された。この閉鎖は従業員達にとっても寝耳に水だったようで当時の新聞記事を読んでみると彼らが明日にでも大暴動を起こすのでは危惧され本土から犬島へ警官が派遣といった内容もあり非常に興味深い。当時は全国的に労働運動が激化した時代でもあった。

※ベネッセ公式サイトをはじめ数多くのサイトに書かれている10年という犬島精錬所の可動期間には諸説あり、wikiによれば1924年操業断念、他社が買収後、1925年廃止となっているから1909年から10年では合わない計算になる。さらに閉鎖の要因についても単に銅価格暴落という一因だけではなかったようだ。また最盛期の島の人口も3000人から6000人と各サイトでまちまちであり今回は文献を参照させてもらった。



「共楽館」のような厚生施設は閉鎖後そのまま元の島民へ譲渡されるなどというメリット?もあったものの、結局昔からの島民にとって工場やそれに付随する施設が島を突如埋め尽くし人口が一気に数千倍に増えたのもつかの間、即座に閉鎖、というあわただしいだけの10数年間は果たして何だったのだろうか。
犬島精錬工場の閉鎖後、島の暮らしは再び昔ながらの花崗岩採石へと戻り、精錬所は廃墟となり次第に忘れ去れていった。同時に島の人口も減り続け自分が島を訪れた1998年には100人を切るまでになっていた。


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精錬工場、産廃計画、そしてアートプロジェクト、芸術祭。
善し悪しは別にしてさまざまな外的要因に翻弄されてきた犬島。芸術祭ブームと書いたがブームというものはいずれ必ず沈静化する。17年前、静まりかえっていたこの島が今や喧噪溢れる様子を見て、大騒ぎの末わずか10数年で撤退した精錬工場の二の舞にだけはならないよう願わずにいられない。



島を発つ時間がやってきた。
昨日はあまりの変貌ぶりの精錬工場跡に正直唖然としてしまったものの、遠く岡山県までやってきながらメインを見学しなかったことも少し反省。
次回来ることがあれば今度こそ内部を見学するか・・・と心に決め二日間を過ごした犬島を後にした。

参考、出典 文献:「犬島製錬所の盛衰」『犬島の石嫁ぎ先発見の旅 犬島ものがたり』

[了]
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