●2014年11月某日/長野県大鹿村、リニア建設予定地を訪ねる
- 2014/11/21 12:47
- Category: 自由研究

未来の乗り物といわれるリニア。
その技術は意外に古く日本においては70年代には無人走行ながら500kmを超える速度を記録している。
当時の図鑑には宮崎県のリニア実験線を走る赤白の昭和レトロな塗装の車両が掲載されていたものだ。
そんな写真を眺めながら大人になる頃には乗れるものだと子ども心に信じていたリニアだったが
その後、山梨に拠点を移動し細々と研究開発が続くだけの実用化にはほど遠い存在だった。
しかし2007年、一向に進まぬ計画に業を煮やしたJR東海が自費で建設するとぶち上げたことで
リニア中央新幹線計画は一気に動き始めた。
そうと決まれば動きは早い、2013年全ルート決定、そしてついに2014年国交相の認可が下り
社運どころか国運をかけ疾走をはじめた壮大なリニア中央新幹線計画。
同時に気がついたら一方的に建設予定地にされていた、そんな場所の現状はどうなっているのだろうと
2014年の晩秋、南アルプストンネル長野工区にあたる大鹿村のリニア建設予定地を訪れた。
※2014年現在のプレスリリース資料から読み取った勝手な自由研究なので資料的価値はありません・・・
photo:Canon eos7d 15-85mm
[リニア予定地:山梨県早川町編]
[リニア予定地:愛知県名古屋市編]
[リニア建設予定地:岐阜県中津川編]
[リニア建設予定地:岐阜県中津川編2回目]
[リニア建設予定地:長野県飯田市/長野県駅編]
[リニア建設予定地:山梨県/早川橋梁接近編]
[リニア建設予定地:静岡県静岡市:前編]
[リニア建設予定地:静岡県静岡市:後編]

東京名古屋間、総延長286kmのうちトンネル部分はなんと246km、全行程のほとんどは地面に覆われ全容を伺いすることもできないこのルート、リニアの技術そのものや平地を走る通常の高架部分にはあまり興味がないが、急峻な3000m級の山岳地帯が連なる赤石山脈、通称南アルプスを貫通させるという前代未聞の大工事には心惹かれるものがある。中央自動車道が南アルプスルートを断念してから50年あまり、技術は進んだと言うものの、どのように貫通させるのか。

しかし山岳地帯においてリニアが地上に顔を出すのは山梨県早川村と長野県大鹿村のわずかな谷底のみ。
どちらに向かうか悩んだ末、今回は南アルプストンネル西側の長野工区にあたる長野県大鹿村へ建設予定地偵察に向かった。
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悩んだ末、今回は太平洋側から秘境大鹿村を目指すことにした。静岡県側から長野県大鹿村を目指す場合、山岳地帯を南北に貫く国道152線、通称「秋葉街道」を北上していくことになる。延々と続くこの山岳ルート、当然のことながら道中コンビニはまったく存在しないので最終コンビニで食料を調達、気合いを入れ北上する。やがて行く手は南アルプスにから伸びる山塊によって阻まれる。この県境の尾根を超えるルートがくせ者なのだ。
そう、長野県境まであとわずかの地点で国道152号は突如分断されているのだ。消滅した152号はさらに北上した長野県内で復活、この間の数キロは空白地帯となっている。
しかし未開通区間となっている部分を繋ぎ長野県へ通じる裏道はひっそりと存在する。それが標高1165mの兵越峠を越える山岳路、兵越林道だ。かつての「塩の道」として知られ、武田信玄最後の大攻勢、西上作戦の舞台ともなった伝統ある道なのだが適当な地図には掲載すらされていないマニアックな山道。また冬期は通行止めとなり静岡長野を直接繋ぐ唯一の道路としてはあまりに貧弱だ。特にその入口、高速道路規格の広大な車線が前触れもなく終了、突如廃屋が点在する林道へ変化するインパクトにはいつも驚かされる。【3年前の記事→LINK】
【紆余曲折を経てついに着工した青崩峠貫通ルート】

とはいえこのルート、決して放置されてきたわけでもない。最短距離の青崩峠直下をトンネルで貫通、152号同士を繋げようと両県側から悪戦苦闘がくり返されてきた。しかし青崩峠という不吉な名前が示すよう中央構造線を初めとする地盤の軟弱さから掘削困難な状態が長らく続きツーリングマップル中部編にも「あまりの崩落の激しさに日本のトンネル技術が敗退」という有名な文章が掲載されている。
結果152号線の青崩峠トンネルルートは半ば放棄され、兵越峠ルートへと変更、まずは草木トンネルを初めとする自動車専用道(茶色の部分)を完成させた。草木トンネルは特筆するほどの長さではないが、中央構造線と交差したため予想以上の難工事となり莫大な費用と日数がかかったことで知られている。
この道路、いずれ開通する三遠南信自動車道として利用できるよう高規格構造を満たした立派な「高速道路」だったものの、こちらでも軟弱地盤が判明し工事は中断、ルート自体が右往左往、一向に決まらず長年にわたって放置状態となっていた。
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計画から40年あまり、試行錯誤の末、新ルートが決定したようで、兵越峠を越え長野県側へつづら折りを下った先で工事が再開されていた。
さて工事看板からついに決定した新ルートを読み取ると、草木トンネル経由、兵越峠側へ進んでいたルートは一転、逆の西方向へ進んでいる。「莫大な予算を投入した草木トンネルは当然利用、その先の兵越峠直下に本命のトンネルを掘るのではと」と勝手に考えていた兵越ルートそのものが完全に放棄されてしまった。[詳細は下記リンク]


結局、自動車専用道として作られた草木トンネル道路は、専用道から一般道へ前代未聞の格下げの上、青崩峠を迂回する峠西側に全長5kmの青崩峠トンネルを掘削するルートが「三遠南信道/青崩峠道路」として正式決定したとのこと。そして2014年3月ついに記念すべき起工式が行われたそうだ。
それにしても莫大な費用を掛け建設された草木トンネルとは何だったのだろう。新ルート完成後は旧道として朽ち果てていくだけなのか。かつては長野静岡貫通のホープとして期待された草木トンネルも検索をかけると「草木トンネル 無駄」と表示される有り様だ。
しかしここまで高規格な道路とトンネルを完成させながら、格下げという結果についてどのように総括しているのかと国交省中部整備局のサイトを覗いてみる。すると見つけた資料にはこんなことが書かれていた。
「草木トンネルを歩行者・自転車通行可能へ改造し地域の生活道路とする」
急坂が続く草木トンネルを高齢者が徒歩や自転車で移動するとはとても思えない。そもそもここはわずかの民家が点在する過疎の山中、自転車はもちろん人ですら見かけたこともない。いくらなんでも、飛躍しすぎなその発想に少し笑ってしまった。
やたらと前置きが長かった静岡長野県境貫通プロジェクトの話、要はあまりの地質の悪さにどこを掘ってもうまくいかず、ルートが二転三転、数十年かかりようやく着工にこぎ着けたという内容なのだがこの中央構造線の地盤、道路だけではなく後の大鹿村のリニアにも関係してくる。
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飯田市南信濃付近、山中に現れる建設中の橋脚は陸の孤島を繋げようと地道に建設が進む三遠南信自動車道。国道自体も訪れる度に改良が進み狭路部分をバイパスするトンネルによって今度こそ大鹿村まで一気に北上、と思いきや152号はそんなに甘くはない。再び峠によって分断される。
次に現れた152号線二つ目の未開通区間、今度は飯田市と大鹿村の間にそびえる地蔵峠。
先ほどの兵越林道と同じく一旦消滅した152号同士は峠を越える蛇洞林道によって細々と接続されてれている。この152号消滅地点、直進する立派な高架が伸びているので思わずそちらにハンドルを向けそうになるがこれは大間違い。一旦乗ってしまえばUターンもできず、4kmに及ぶ矢筈トンネルによって強制的に伊那谷方面へ連れ去れてしまう。大鹿村へ続く152号に再度合流するためには直進せず林道へ入る必要がある。矢筈トンネルは三遠南信道完成後には高速道路として組み込まれる予定。
蛇洞林道の最高地点は標高1314m。カラマツが続く峠付近は高原の雰囲気。紅葉はすでに終わり落葉したカラマツの葉で路肩がオレンジ色に染まっている。しらびそ峠方面はすでに積雪のため通行止め。
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地蔵峠を越え、つづら折りを下っていくと再び152号を示す青い標識が現れた。ついに大鹿村だ。
平行して流れる青木川と共に狭道を下って行く。この川、特徴的なのが広大な川原。通常、源流と言えば巨石が転がる薄暗い渓流、しかし青木川源流は砂防ダムの影響か川原が非常に広く灌木もまばらでどこか明るい雰囲気。いつもの場所で崖を伝い川原へ下りしばし散策。


国道は当然一車線、離合も困難。そんな細い152号を延々と下っていくと谷間が広がり、ようやくのことで今回の目的地が近付いてきた。ここに到着するまでの間、寄り道が多く話が脱線したが本来の目的は大鹿村リニア中央新幹線の建設地点偵察なのだ。
【PHOTO:A/青木川を渡る大沢橋】

もっとも品川名古屋間のルートのほとんどがトンネルのためリニア自体はほとんど地表に姿を現すことなく、大鹿村でも見学ポイントはわずか二つ。勝手に「A地点」と名付けたひとつめのポイントに近づき、国土地理院地図と周囲の地形と照合させながら車を北上させていく。この国道、交通量がまったくないため、地図を読むため車を停めても迷惑にならないのが助かる。「A地点」は前方に現れた古びた橋を渡ったあたりだろう。
【大鹿村を通過するリニアルートマップ】

以前から予測されてたルートによれば152号線が走る青木川の谷とリニアが交差するこの「A地点」、架橋で渡河するものだと疑わなかった。ところが2013年、JR東海が正式ルートを公式発表した際、プレスリリースされた詳細ルート図を確認するとこの場所、架橋を示すマークがない。ということは川の真下を伊那トンネル(仮称)として通過するということだ。適当にイラストを描いてみたがそれにしても川底ぎりぎりだな。

【リニアルートの断面図】
リニア計画ルートの直上「A地点」に建つ。【下の写真】
152号とリニアが直角に交わるのは地形図と照合すればちょうどこの場所となる。正確には二つの橋の間、手前に張り出す小さな「尾根」の部分。何も特徴も目印もない場所なので、訪れてみたいという物好きな方がいれば、googlemapやカーナビ等で重要文化財松下家と表示されるあたりを目標にしてもらいたい。
【PHOTO:B/青木川とリニアの交差ポイント】

【PHOTO:C/この直下に伊奈トンネル(仮称)が掘削される。吹付工のあたり】


周囲を見渡すと青木川と山の間のわずかな平地を埋めるように耕作地が作られている。
上空をゆったりと旋回する鳥と川面の流れ以外、動くものもなく静まりかえるその様はまるで百年近く変わっていないのではないかと思えるほどののんびりとした風景だ。しばらくの間、路肩に車を停めて付近を徘徊したが一台の車も通過しなかった。完成後、この足元を1000人近くを乗せた車両が時速500キロの猛スピードで駆け抜けるとは思えないのどかさ。
【PHOTO:D/北側から青木川と先ほどのリニアの交差ポイントを振り返る】


JR東海の資料を読み取ると、西側の山手にはトンネル非常口と書かれている。15kmにもおよぶこの伊那トンネル(仮称)、どちらかの坑口から一方通行で掘り進めるとも思えず、まずは非常口付近に縦坑を掘りそこから両サイドへと掘削を進めていくのだろうか。素人目には川底をくぐり抜ける土被りの薄さが心配だがさすがにその辺の見通しはあるのだろう。
【空撮1/リニアルートを北側より俯瞰】


青木川に沿って下っていくとやがて両側の山裾が広がり学校などが建つ大鹿村中心地が現れた。地蔵峠から152号と一緒に下ってきた青木川はこの場所で東側から流れ込む天竜川の支流、小渋川へ流れ込むことで消滅する。川をまたぐ新小渋川橋からは冠雪した南アルプス赤石岳の勇姿を望むことができる。大鹿村で唯一平地が広がるこの場所、やがてリニア工事が始まると関係者たちが生活する仮設プレハブが建ち並ぶのだろうか。
【新小渋川橋より南アルプス赤石岳。奥の渋い橋は旧小渋川橋】

次の目的地、「B地点」はこの小渋川の上流だ。
本日延々と走り続けた152号から外れると、小渋川と平行に進む小道は次第に高度を上げながら川から離れ山中へ入り込んでいく。このあたりもやはり地盤が弱いようで木々の隙間からは斜面に広がる鳶ケ巣崩壊地とよばれる大崩落を見ることができる。

途中現れた雰囲気の良い上蔵(わぞ)と呼ばれる集落。日当たりの良い高台の台地上に民家が点在している。


銀杏の葉が逆光できらきらと輝き、立ち上る野焼きの煙が村をうっすらと包み込む幻想的な午後の風景に、まるで桃源郷のように思えてしまう。計画書を見るとJRはこの集落を迂回する工事用道路を新たに建設することで生活への影響を少なくしようとの考えのようだ。
【大鹿村を通過するリニアルートマップ】

上蔵を抜け赤石温泉を過ぎるとぱったり人の気配がなくなった。秋の木漏れ日が降り注ぐ山道を走り続けついに予定地、「B地点」付近へと到着した。
県道253号赤石岳公園線「日向休」。秘境大鹿村のさらに奥地、斜面に沿って走る山道が尾根に突き出た部分だ。手元の地形図によれば標高は1020m。足元には南アルプスから流れ出す小渋川が長年をかけて削り込んだ急峻な谷が刻まれている。
計画書によればこの谷にリニア架橋「小渋川橋梁」が建設される。全長25kmに及ぶ南アルプストンネルと15kmの伊那トンネルの間、谷を越える200mほどのわずかな部分がリニアが顔を出す数少ない場所のひとつ。大鹿村内でのリニア横断距離は13kmに及ぶが地上に出るのはこの区間のみ。適当に書いたイメージ図のように完成後はフードでおおわれ走行中の姿を目にすることはできないと思われる。橋梁通過時間もわずか1、2秒たらず。乗客は橋の存在にすら気がつくことはないだろう。
【空撮2/小渋川橋梁を南東より俯瞰】

リニア下り線は南アルプストンネルを抜けると小渋川橋梁を一瞬で渡り「B地点」から伊那トンネルへ侵入する。その後先ほどの「A地点」、青木川の真下をくぐり抜けはるか15km先の伊那谷に顔を出しやがて仮称飯田駅へと入っていく。しかしAとB、直線でわずか3〜4キロほどの距離なのに一方は川を橋で越え一方は川底をくぐる、二つの川の標高ににそれほど差があるとは思えない。

ということはこのトンネル、かなりの傾斜をもってつくられているということだ。傾斜に強いと言われるリニアだからこそ可能になったルートなのだろう。
道路脇に車をとめ橋梁予定地となる谷底を見下ろすと底の様子もうかがい知ることができないあまりにも深い谷。のどかだったA地点とは対称的にこちらは崖や岩が剥き出しの非常に厳しい地形だ。実際にトンネルが口を開け小渋川橋梁が建設されるのはさらに200mほど西側の谷底なのだが生い茂った木々によって残念ながら直接望むことができず。
【日向休より切り立つ小渋川渓谷を望む。この200mほど西側に小渋川橋梁が建設される】


【上空より小渋川橋梁が建設される渓谷を俯瞰する(2020年11月撮影)】


さらに奥へを進んでいく。そのうち山道が二手にわかれた。どちらが正しいのだろうかと手元を探るも地図が見当たらないことに気がついた。家に置いてきたか、どこかで落としたか。仕方がないので適当に左を選び進んでいくと斜面に張り付く10軒ほどの民家が現れた。
釜沢とよばれる奥の奥。背景にはアルプスの山々がそびえる。近年「天空の集落」としてなぜかいきなり有名になった遠山郷・下栗の里は先ほどの152号を少し入ったあたりだが、似たような集落は近辺にいくらでも存在する。ここ釜沢もそんな山岳集落のひとつ。


釜沢集落から見下ろすとはるか眼下の谷底に見えるのは小渋川とわずなか平地。この平地にかつて行われたボーリング調査の跡地がある。
【上空よりリニアボーリング調査の跡地を俯瞰する(2020年11月撮影)】

上空から俯瞰する。場所は南アルプス赤石岳を源流とする小渋川と沢の合流地点。

つづら折りの急坂を慎重に下り続け平地まで降りてきた。かつてここにあったのはリニア南アルプストンネルを掘削するにあたって事前に行われたボーリング調査場だ。地盤調査の結果、掘削可能と判断、GOサインが出されたことでボーリング調査は完了しプレハブなどの施設は撤去されている。現在周辺で行われている工事は砂防ダムを初めとする小渋川改良工事。更に奥地に南アルプストンネルの掘削と残土搬出を行う坑口が2カ所、建設される。


【リニアボーリング調査跡地から見上げる釜沢集落】

ここ長野県では冬も間近、日も射し込まないこの谷底は恐ろしく冷え込んでいる。冷たい谷間で黙々と工事を続ける作業員には頭が下がる思いだ。見上げると遙か高所に先ほどの釜沢集落が西日に照らし出され輝いていた。

さて肝心の小渋川橋梁予定地だが先ほどの「日向休」からは密集する木々で遮られ完全に俯瞰することができなかった。
上がだめなら下から架橋部分を目指そうと一旦ふもとまで戻り小渋川沿いに遡ることにした。地図上には川沿いに道を示す一本線が書かれているもののしばらく車で進んだだところで採石場に塞がれこれ以上進むことができなかった。これが夏場ならば流れに足をつけながらじゃぶじゃぶと徒歩で上流へ遡行するところだが、冷え込んだ晩秋、さらに日も暮れかけた時間帯に躊躇してしまう。JRの資料によれば近辺にリニア用変電施設が建設されるようだが、その場所は大鹿発電所が建つこのあたりに広がる平地のようだ。
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それにしても問題点も多い。最も懸念されるのはやはり中央構造線が作り出す軟弱地盤。午前中に通過した中央構造線上の青崩峠はであまりの軟弱な地盤によって工事がストップ、数十年間放置されてきた。この中央構造線、先ほど延々と走ってきた国道152号にそって南北に続くため分杭峠、構造線博物館に代表される大鹿村も当然通過する。
写真は大崩落の現場。1961年、大雨の影響の大鹿村西岸の山が山体崩壊を起こし対岸の集落が消滅した。今回は時間がなく訪問しなかったものの、以前現場を訪れた際は詳しい説明版や慰霊碑が建っていた。
【50年あまりが過ぎてもいまだ生々しい傷跡を残す大西山崩壊跡地】

【大鹿村の全景を上空より撮影(2020年11月撮影)】

とはいえ南北に走る中央構造線に数キロに渡ってルートが平行する形になったため長年にわたって工事が中断した152号青崩峠越えと比べると、リニアは中央構造線と直角に交わるため影響自体はわずかだ。という意見もある。ただ同じように直角に断層と交わった戦前の丹那トンネル工事では、完成前だったため被害はごく最小限に抑えられたものの断層のずれでトンネル「切断」されるという自体が発生した。13年後に迫った2027年の開業目指し、どのようにこれらの難関を突破していくか技術力の真価が問われるリニア中央新幹線工事、今後も長い目で観察をしていこうと思う。
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そんなわけで大鹿村のリニアポイントを可能な限り徘徊することができた。気がつくと周囲は急速に冷え込みつつある。やがて雪に覆われる地蔵峠の冬季閉鎖によって南から村へと向かう道が閉ざされるのもまもなくだ。雪解け後の来春以降再びこの村を訪れることになるだろう。次は山梨県早川村かな。
参考サイト:http://kenplatz.nikkeibp.co.jp
[了]
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