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●2000年春/パキスタン徘徊 Part.5〜ペシャワール編〜

  • 2015/01/10 21:44
  • Category: 海外
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7000m級の山々が連なるパキスタン北部にある桃源郷フンザ。
居心地のよいこの村でトレッキングを始め健康的な日々を楽しんでいたものの
従来の移動癖が次第に頭をもたげ始め、翌朝のバスで次の目的地、ペシャワールに向け山を下りることにした。
まずはバスの始発でもあるギルギットの町へと向かう。


photo:MINOLTA X-700 28mm/50mm/135mm

[前回の記事]

Gilgit Islamic Republic of Pakistan


パキスタン北部山岳地帯を去る日がやってきた。

山裾に広がるフンザ集落のふもとから出発する例のハイエースに乗り込みギルギットへと下る。
往路は唯一動かせるのは頭だけという恐ろしい定員オーバーを体験したこのハイエース、覚悟して乗り込んだものの朝一ということもあってか乗客はほとんどおらず拍子抜けしてしまった。
次々に現れる夕日に照らされた名峰に興奮しっぱなしだった往路に比べ帰路は緊張感、さらには高揚感も薄れたのかすぐに眠りにつき目が覚めるとギルギットへ到着していた。


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ギルギットバスターミナルの壁に書かれた時刻表。
左が時刻、次が目的地、最後がバスの種類、ノーマルやデラックスがあるようだ。うまい具合に12時30分発のRWP(ラワールピンディー)行きのデラックスバスがある。往路はバス代をけちってノーマルに乗った結果、さんざんな目にあってしまったのに懲りてデラックス夜行のチケットを購入。

さらに隙間だらけのバスで寒さに凍え一睡もできなかったことを反省しパキスタン人を見習い市場で毛布を買い込んだ。
この毛布、民族風のおしゃれな柄で日本に持って帰るつもりだったものの、帰路バンコクに置き忘れてしまった。




ラワールピンディー行き夜行バスの椅子に座り早速車内廻りを確認、今度は窓周辺に隙間やひび割れはない。行きにあれほど自分を悩ませた冷気も入ってくることもないだろう。さらにデラックスだけあってバス内には暖房も完備、買い込んだ毛布も残念ながら出番は無さそうだ。
このバス、往路と大きく違うのは運転席の脇にはライフルを持った軍人のような男が二人乗っていることだ。乗客に聞くと男達はバスの警備員、要はボディーガードなのだという。

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急峻な渓谷を走るこのカラコルムハイウェイ、山賊のメッカとも言われており数日前も路線バスが襲撃を受けたばかり。
走行中時折バーンという銃声が谷底に響き渡る。その都度、山賊の襲撃かと身構えるもボディーガードが怪しい人影に向け発砲する威嚇射撃だ。

ボディーガード付き豪華?デラックスバスは、襲撃を受けるこなく深い渓谷に刻まれたカラコルムハイウェイをインダス川に沿って下り、往路のようなトラブルも起こらず翌朝無事ラワールピンディーバスターミナルに到着した。



パキスタンといえばチキンレースを繰り返す暴走バスが有名だと聞く。
あの旅人のバイブル、沢木耕太郎の深夜特急でもこのあたりで暴走バスに乗ってしまい肝を冷やすシーンが何度か登場する。ところがパキスタンに入国してして既に2週間、いまだ暴走バスとやらに出会ったことがない。どのバスもクラクションをがんがん鳴らすとは言えそれでも予想していたよりもずいぶんとおとなしい。暴走バスは深夜特急が書かれたはるか昔の話なのだろうか。

しかし、この日、ついに暴走バスに乗り合わせてしまう時がきた。区間はラワールピンディーとペシャワールの間。
適当に買ったチケットで乗り込んでしまった名物ギンギラバスのドライバー、何が気に入らないのかクラクションを鳴らし続けひたすら前のバスやトラックを強引に追い抜き続けていく。とはいえこのあたり、砂漠の一本道というわけでもなく見通しのきかないカーブもあるし当然対向車だってやってくる。

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自分の座席は運転席の真後ろ。
おかげでシールがべたべた貼られたフロントガラス越しに前方の様子もよく見えてしまう。
対向車も迫り来る暴走バスに敵愾心を燃やされるのか絶対に避けようとせず突っ込んでくる。もうだめだと何度思ったことか。暴走バスにささやかなスリルを期待していた自分はやはり馬鹿だった。ペシャワール到着までの数時間、このバスに乗ってしまったことを何度後悔したことか。

ちなみにこのドライバー、普段から怒り狂っているわけでもなく、休憩時間には記念撮影には気安く応じる気前の良さ。人格が変わるのはハンドルを握った時だけのようだ。

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名誉のために言っておくと写真のドライバーは別人です。




Peshawar Islamic Republic of Pakistan

辺境の地、ペシャワール。
人の良い住民、美しい大自然に心が洗われるようだったフンザとうってかわり、柄が悪そうなアウトローな街だが個人的にはパキスタン訪問で最も楽しみにしていた場所のひとつ。

この1年後、アメリカ中枢が攻撃を受けた同時多発テロに端を発したアフガン戦争が起こり、ペシャワールはタリバンが支配する謎の国アフガニスタンに通ずる唯一の窓口として入国を目指すジャーナリストで溢れかえることになる。
自分が訪れた当時は散発的にテロが発生していたもののそこまで治安の悪さは感じられることはなかった。

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暴走バスからふらふらになって降りると重いリュックを背負いピンディーの情報ノートで当たりを付けておいた町外れの安宿へたどり着いた。宿帳に記帳しているとオーナーらしき横柄な親父からおまえの英語力はその程度なのかと馬鹿にされる。こればかりまったくその通りなので言い返す言葉もない。

ところがやつが帳簿に記入しはじめると立場は逆転した。この親父、英語は話すくせに「JAPAN」すら読むことができないのだ。しかもアルファベットも書くことができないのかパストートに印刷された「JAPAN」の文字をじっと見ながら、曲がりくねったJやPを宿帳に必死に書き始めたが、三文字まで進んだところであきらめペンを放り投げた。仕返しもあっておいおい書けないのかよと言ってみると横柄な親父は初めて恥ずかしそうな顔を見せた。

この親父、おそらく英語を基礎から習ったこともないまま宿の経営者という立場上、次第に英会話を覚えていったのではないだろうか。一方自分はといえば義務教育で英語を6年間も強制的に習いながら会話はろくにできないまま。一体どちらが良いのだろう。



安宿の庭では数人の白人がトランプをしている。彼らに誘われチャイを飲みながらしばらく一緒にゲームを楽しんでいたものの、次第に気分が悪くなってきた。
実はフンザ滞在中から咳が多発するようになっていた。凍えそうだった夜行バスと暖房がなかったフンザの宿で風邪をこじらせていたようだ。昼間だというのにドミトリーのベッドに潜り込み頭から毛布をかぶる。外国での病気ほど心細いものはない。しかもここはパキスタンの辺境の地。
毛布をかぶっても熱のせいか寝ることもできずひたすら寝返りをうっていると先ほどのフランス人女性がやってきて何かを差し出した。よくみるとビンに入った風邪薬。ありがたくいただく。心細い時に限って他人のやさしさが身にしみる。



夜が明けると気分も回復、ベッドから起き上がると身支度を調える。今日はこのペシャワールの街でとある人物を探さなくてならない。

その名はババジイ。この男、もちろん当然知り合いでもなく顔も知らない。

実は彼、もぐりの闇ガイドなのだ。
ここペシャワールは市街地を一歩出ればそのほとんどがトライバルエリアと呼ばれる伝統的な部族地帯、外国人立ち入り禁止区域に指定されている。トライバルエリア内は警察はもちろん軍ですら手が出せない無法地帯でもある。1年後に起こった同時多発テロ事件の実行犯とされたビンラディンが潜んでいたというのもこのあたり。

その立地を活かしエリア内には銃密造工場や密輸マーケットが点在している。自分の興味をそそりそうなものばかりだか日本人が単身ふらりと近づけるわけがない。ところがこの自称ガイドのババジイに金を払えばそのような危険地帯へフリーパス入り込めるというのだ。

とはいえ情報ノートに書かれていたババジイに関する情報といえば年寄り、めがね、白いひげ。ただそれだけ。
こんな風貌の男、この町に限らずいくらでも歩いている。そもそもババジイが本名かどうかすらわからない。たったこれだけの情報で見知らぬ他人を外国の街中から探し出せるものだろうか。



ところがそんな心配も杞憂だった。
街中の市場を歩き始めてわずか10分。雑踏から小走りで近づき声をかけてくる老人がいる。
めがね。ひげ。

もしやあんたがババジイか?
聞けばyes,yesとうれしそうに手を差し出してくる。見た目は人の良さそうな小柄な老人だ。
よかった。偶然なのか意外にも簡単に出会うことができた。しかしこのババジイ、なぜ自分が探しているとわかったのだろう。
後で聞いた話だとババジイは町中に多数の手下を従え危険地帯に興味を持ちそうなバックパッカーが現れると直ちに彼の元に連絡が行く手はずになっているという。自分もこの街に到着したときから彼らの監視対象になっていたのかもしれない。

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【眼鏡、ヒゲのババジイ。アフガン難民キャンプにて】




とりあえずガイド料としてルピーを前払い。いよいよ謎のババジイツアーのスタートだ。

さてどこに連れて行かれるのだろうか。もしやタクシーかランクルでもチャーターするのかと淡い期待を抱き着いて行くと到着したのはペシャワールのバスターミナルだった。やはり自前の車などあるわけがないか。


彼と一緒に切符を買い路線バスに乗り込むと、まずやってきたのがペシャワールの町外れにある闇マーケット。
ロシアやアフガンからの密輸品、コピー製品を扱う巨大市場。カメラから時計、家電までなんでもそろう。とはいえ何かを買う予定もないし市場にはあまり興味がない。

と伝えると次の場所へ連れて行かれた。その場所は銃密造工場。怪しい建物の一角で民族衣装をまとったひげの男達が黙々と銃を作り続けている。

こちらは非常におもしろい。工場と言っても大がかりなものではなくまるで町工場。
もちろん重機械のようなものは存在せず、すべてハンマー等での手作りだ。興味深そうに眺めていると男達が銃を分解し仕組みを説明してくれた。ここで生産された大量の銃はハイバル峠を越え隣国アフガンに流れ込むのだろうか。

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それにしてもこのババジイ、その顔の広さに驚かされる。
闇マーケット、銃工場、難民キャンプ、どこへ行っても顔パス。しかもかなりの権力者なのか、ババジイを見かけると駆け寄ってわざわざ挨拶してくる男たちまでいる。

そのくせ威厳というものはまったくなくやたらと人なつっこい。さらになにかと自分の写真を撮ってくれ、とどこか子供もような一面もある。カメラを構えるとどうだ!とうれしそうにカラシニコフを構えて見せた。
しかし格好付けたつもりが弾を込める弾倉がないのでどこか締まりがない。この間が抜けた感もどこか憎めない。


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おまえも撮ってやるというのでババジイに一眼レフを渡し銃を構えるも、帰宅後現像したらぶれぶれで全然だめだった。
当時はまだフィルムカメラの時代。

そういえば旅が進むにつれ写真が減ってきたのは決して好奇心が摩耗したわけではなく、フィルム残量が怪しくなり撮影を控えるようにしたからだ。今回のパキスタン旅には約30本の36枚撮りポジフィルムKodakDINAを持ち込んだ。
ポジフィルム自体、現地でなかなか手に入るものではなく魅力的な風景を目の前にして何度シャッターを押すことを断念したことか。

今、15年前を振り返り、フィルムなし、画像を液晶で確認、ISO自由自在、さらにフィルム代、現像代いらずというデジカメの便利さを改めて思い知る。同時に浪費を気にすることなく何度もシャッターを切るため、写真一枚に込める思い入れも減っていることも事実。



丸一日かけ外国人はもちろん地元民でも躊躇するような場所を何カ所も周りババジイツアーは終了、別れ際おまえに土産をやると古びた万年筆のようなものを差し出された。金はないというとそれならばプレゼントするという。

万年筆ならば記念にもらっておくかと手にとってよく見ると万年筆に見えたのはなんとペン型密造銃だった。ババジイ曰く今なら銃弾もセットにするという。こんなもの持って帰ったら空港で捕まっちまうぜと断ると本当に残念そうな顔をして出会った市場の雑踏の中へひょこひょこと消えていった。



とまあ不思議な老人ババジイとの一日は終わりを告げた。
その後も数日間ペシャワールに滞在していたのだがどこを歩いていても必ず彼に発見され笑顔で近付いてくる。自分の行動は彼が街中に張り巡らせたネットワークによって逐一監視されていたのだろう。


※2015年現在「パキスタン ババジイ」でネット検索してみるとまだ健在なのかけっこう出てくる。あの怪しいガイドから未だに足を洗っていないようで、相変わらずペシャワールを訪れたバックパッカーを連れ回しているそうだ。その人気ぶりについに偽物まで登場したといく記事もあった。心配なのは病気でガイドからは引退する予定という記事。2000年の当時からして老人だったのだから、あれから15年、すでにかなりの年齢なのではないか。


[続く]
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