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●2015年5月某日/GWは西へ。中国地方徘徊記.04

  • 2015/06/21 00:30
  • Category: 廃校
1505gwtop.jpg2015GW4日目。
山口、広島、岡山と中国地方のマニアックな場所を巡りながら
東へと移動しているうちに連休最終日が近付いてきた。
今日は早朝から兵庫県の某鉱山跡を目指し山道を走り続ける。
訪れるのは11年ぶりとなるこの鉱山、どのように変貌しているのだろうか。

photo:Canon eos7d 15-85mm

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神子畑(みこばた)選鉱所跡。

11年ぶりに訪れた。朝来インターで播但道を下りると蛇行する川に沿い狭い谷を遡っていく。新緑の木々、水を張った田んぼ、鯉のぼり。5月の里山は色彩豊かでとても美しい。次第に谷が狭まりカーブを曲がると木々の向こうに巨大なコンクリートの土台が現れる。これがかつて国内最大級と謳われた神子畑選鉱所跡の残骸だ。かつてこの谷に明延鉱業の選鉱施設、そして鉱山街があった。神子畑選鉱所は閉山後も長らく関西最大の廃墟としてその堂々たる勇姿を斜面に横たえていたものの、2004年に解体撤去された。解体後の訪問は初めて。

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神子畑選鉱所1505gw0402.jpg


真下に立ち見上げると大きく変貌した姿に改めて驚かされた。かつてあった巨大な建造物は完全に撤去され剥き出しとなったひな壇のようなコンクリート土台が残るだけ。選鉱所の上下を結んでいたインクラインの軌道だけがかろうじて張り付いている。その様子は同じく建物が撤去された大仁金山跡に酷似している。
地元自治体はこの遺構跡地を生野銀山とからめた「鉱石の道」として売り出したいようで解体と平行し観光化が進み、地上にあった構造物もそのほとんどが撤去され観光客向け駐車場や展示館、さらにはバイパスのような二車線道路へ変貌していた。それでも巨大な円形ドルシックナー、あるいは山上の巨大なロゴは健在で安心した。

神子畑選鉱所1505gw0404.jpg
神子畑選鉱所1505GW0706.jpg


この土台だけでは往事の姿は想像できないので引っ張りだした過去の様子と見比べながら見ていこう。これらの写真を撮ったのは15年ほど前のこと。ポジフィルムから取り込んだスキャナーがボロなので線が入ってしまい画質が悪いです。

【2015年神子畑選鉱所】
神子畑選鉱所1505gw0403.jpg

【同地点、解体前の神子畑選鉱所、1999年頃 Kodak DINA100】
解体前の神子畑選鉱所0505mikobata01.jpg


選鉱所とはその名の通り鉱山から掘り出した鉱石を選別する場所のこと。鉱石も掘り出したままではただの石、ふるい分けることによって使えるようになる。ではその鉱山はどこにあったのかと言えば現在地からおよそ6km隔てた山の向こう(現養父市)にあった。その鉱山を明延鉱山と呼ぶ。文字ではわかりづらいのでまた適当な略図を描いてみた。


神子畑選鉱所地図1505mikobatamap.jpg

通常セットで作られる鉱山と選鉱所間がここまで隔てられている案件も珍しい。
そもそもこの場所、かつては神子畑鉱山と言われる鉱山だった。ところが一向に増えない産出量に見切りを付け、鉱山主力を山向こうに移設、こちらは選鉱専用となりやがて二つの施設は明神電車と呼ばれる鉱山鉄道トンネルによって接続することになる。トンネル以前は峠を越える馬車道、大正期になると索道によって連絡していたものの、やはり輸送力不足は否めず資金難に陥りながらも完成させた長大トンネルが輸送量を劇的に改善させ神子畑選鉱所は国内最大級の選鉱所へと発展していく。

鉱山鉄道は当時一般人も乗車できた一円電車としてあまりにも有名。当時の車両が展示されていたので乗り込んでみたがその狭さに驚かさせる。鉄道と言うよりもトロッコに座席と屋根をつけた感じ。


解体前の明延鉱山廃墟0505mikobata02.jpg

上の写真は解体前の明延鉱山。確か2000年頃に撮った写真。木造ながら入り組んだその姿は城郭のように迫力ある建物だった。こちらは神子畑解体後もしばらく残されていたものの2007年頃解体された。現在は当時使用されていた坑道見学ができるよう。お隣の生野銀山のようなライトアップされた蝋人形が列ぶ観光坑道ではなくリアルな姿のままのようなのでそのうち見学してみたいと思う。



さて明延鉱山地下に張り巡らされた坑道から掘り出された鉱石はホッパーからトロッコに積み込まれ明神トンネル経由でこちら側、神子畑に運ばれる。トンネルを抜けたトロッコは鉱山と同じ標高に位置する選鉱場直上に到着。現在地からは視認できないが解体以前によじ登った際は最上段には錆びた軌道や転がるトロッコなど点在する停車場跡が残されていた。
ここから鉱石は高低差75mの山の傾斜と重力を利用し下へ下へ流されながら選鉱作業がおこなわれる。計22段に及ぶひな壇状の選鉱場内で石を粉砕するボールミルから始まり、次第にふるいわけられた鉱石はそれぞれの精錬工場へ向け出荷される、という山の地形を巧みに利用したきわめて合理的な作りとなっていた。


神子畑選鉱所1505gw0407.jpg
神子畑選鉱所1505gw0405.jpg
神子畑選鉱所1505gw0406.jpg
神子畑選鉱所1505gw0408.jpg


かつての技師、ムーセの住居跡もこぎれいに補修された。中を覗いてみると意外にも数多くの鉱山資料が展示されしばし見入ってしまった。特に操業時の写真はもちろん、映像まで見ることができたのは大きな収穫だった。静まりかえった廃墟の状態しか知らない自分にとって夜間も煌々と輝く活気溢れる選鉱所の様子は新鮮に思えた。

これら神子畑選鉱所と明延鉱山、近代化産業遺産として注目を集めるようになったのは皮肉なことにいずれも施設解体後のことだった。とはいえ鉱山、選鉱所共々木造巨大建造物は自重で今にも倒壊寸前といった状況だったので保存も困難、解体は仕方がないことだったかなとドライに思う。



近年注目を集める「近代化産業遺産」。
GW真っ直中の前日、明治の近代化遺産群がユネスコより世界文化遺産登録勧告を受けた。その中にはあの端島炭鉱、通称「軍艦島」も含まれている。これら指定物件の中では最もインパクトのある外観だからだろう、今朝読んだ朝刊各紙にはいずれも軍艦島の空撮写真がでかでかと掲載されていた。

しかし歓迎ムードで埋め尽くされる記事を読んでいく内に複雑な気持ちになった。それは島の景観維持のため倒壊寸前のアパート群を補修していくと書かれていたからだ。観光化前以前の軍艦島に何度か上陸、実際に風化の現場を見た人間として軍艦島補修保全計画、はっきり言って不可能だと言っておこう。

島内の建物はいずれも建築基準があいまいな時代に突貫作業で建設されたもの。操業時から進行していた老朽化は無人化後急速に進行、島に降り注ぐ海水の塩分が鉄骨を膨張させ内部からコンクリートを破壊。錆びた鉄筋は剥き出し、手を触れればぼろぼろと壁面が崩れ落ちるような建物はわずかの地震でも倒壊してしまうと思われる。特に端島小中学校に至っては基礎となる地盤から完全に削り取られいつ倒壊してもおかしくない。
これが小型の建物、あるいは1棟だけならまだしも軍艦島の建造物は無数、そのいずれも隙間なくぎっしりと密集している。158億円を予算として計上する予定だと言うがそんなもので済むわけがないことくらい素人目にもわかる。直しても直しても崩れ続ける補修作業は終わることなくこの先何十年も金を捨て続けるようなものだ。こんなことに莫大な金を使い続けるぐらいならばいっそ世界文化遺産指定を辞退し放置した方がよい。

そもそも世間から忘れられた島、軍艦島が発掘されたのは朽ち果てた特異な景観が1990年代半ばあたりから「廃墟」として写真集やwebサイトで紹介され始めたのがきっかけだったはず。近代産業遺産だ、文化財だ、世界遺産だと話が膨らみ始めたのはその後だったと記憶しているが・・・。



選鉱所の横にある廃校、神子畑小学校跡。
駐車場から少し離れた森の中にひっそりと建つため観光客のほとんどは廃校の存在に気がつくことはない。

既に校舎の姿はなく校庭と遊具、そして体育館だけが残る。昔の空撮写真で調べてみると真横の現在空き地となった空間に校舎があったよう。瀬戸内海の島で汗だくとなった昨日とはうってかわり本日は乾いた風が吹き抜ける初夏らしいさわやかな日。木漏れ日射し込む緑の校庭の片隅に残されたさび付いたジャングルジムは新緑の木々に包み込まれつつあった。

神子畑選鉱所廃校、神子畑小学校跡1505gw0409.jpg
神子畑選鉱所廃校、神子畑小学校跡1505gw0410.jpg
神子畑選鉱所廃校、神子畑小学校跡1505gw0411.jpg
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神子畑選鉱所廃校、神子畑小学校跡1505gw0414.jpg
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神子畑選鉱所廃校、神子畑小学校跡1505gw0416.jpg

廃校横には銀杏の大木。最後にここを訪れたのは神子畑選鉱所の解体作業が始まる直前だった10年ほど前の晩秋のこと。その日、落葉した銀杏の葉で埋め尽くされたこの場所は午後の日射しを浴び金色に輝いていた。




神子畑を後にし東へ向かう途中に現れる生野銀山。神子畑・明延と同じように長い歴史を持つ鉱山跡だがこちらはメジャーな観光地。同じ朝来市内にありながらほとんど人影のなかった神子畑選鉱所跡、一方生野銀山方面には観光バスが次々に吸い込まれていく。自分はといえばテーマパークのように観光化された坑道には興味が湧かないのでそのまま通りすぎ中国道、東名阪、それぞれの渋滞を回避すべく新緑の山道をひたすら東へ。

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生野銀山裏手にある銀山湖と呼ばれるダム湖周囲には溢れんばかりに膨らむ新緑の木々。5月は一年を通し生命感溢れる最も好きな季節。
窓から入るさわやかな風とは裏腹にラジオから聞こえてくるのは各所で数十キロに達した絶望的な渋滞情報。高速道路の大渋滞に巻き込まれるくらいならば距離はあっても山奥の狭道を走り続けた方がよほど楽しいし何かしら新しい発見がある。青垣峠を越えた頃現れた道路脇の清流でしばし水遊び。冷え切った水に生き返った。


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兵庫県丹波市高源寺1505GW0702.jpg

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高源寺。丹波の里山に建つ古刹。本来は寺ではなく奥に建つ某神社が目的だった。ところが神社へと通じる山道はゲートで封鎖されていた。よくある害獣避けのものならば、再び閉じておけば問題はないがこのゲート、不思議なことに厳重に鍵まで掛けられてる。柵越しには杉林の中に建つ苔むした雰囲気の良い鳥居。手の届くほど距離に建つ神社を目の前にしながら訪問を断念することとなった。それにしても神社はなぜ閉鎖されてるのだろう。境内では地元民による秘密の儀式でも行われているのかとくだらない妄想に耽ってしまった。





というわけで車を停めておいた寺の駐車場へとぼとぼと戻ってきたのだった。しかし改めて眺めるとこちらの寺もそんなに悪くない。入場料が必要ではあるがせっかくなので訪れてみると予想以上に心地よい場所だった。古びた石段、新緑のカエデが作り出す木漏れ日、ふかふかとした苔。好天に恵まれたGWだというに寺には人の気配もない。延々と続く石段を上りきった先の本殿に置かれた冷たいお茶でのどを潤す。 

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帰宅後調べると高源寺がもっとも賑わうのは紅葉の時期なのだそうだ。高源寺というキーワードで画像検索すれば確かに紅葉の写真ばかり。枯れ果てた紅葉にはあまり魅力を感じない自分にとって、偶然とはいえ訪問が新緑溢れるこの季節でよかった。



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GW後半に近畿で発生する上り線Uターン渋滞を回避する恒例の方法、それは日本海側への大迂回だ。
過去敦賀周辺の下道で多少混み合うこともあったものの昨年若狭道が全面開通したことで迂回時間は大きく短縮された。今年も例年通り日本海側の若狭湾へ大きく迂回すべく現在地の丹後から福知山、そして敦賀へ。


その途中にある天岩戸神社。
駐車場からしばらく道を歩き続け急階段を川底へ下った先にある。周囲は苔むした巨岩が転がる薄暗い谷、頭上を覆う木立の合間から時折日が射し込む神秘的な雰囲気だ。渓谷の最も奥にこぢんまりとした神社がひっそりと建つ。この社、基礎剥き出しの懸造りによって崖に張り付いているため参拝は鎖で岩をよじ上ることになる。

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 京都府福知山市天岩戸神社1505gw0425.jpg
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 京都府福知山市天岩戸神社1505GW0704.jpg


古来の日本人はこのような場所に神が宿ると信じたという。
木や石等への自然崇拝から始まった古来神道、このような場所こそがふさわしい、と改めて感じる神社だった。





福井県敦賀市に入ったことには日も傾き始めていた。
本州西の果て山口県から始まり広島岡山兵庫と観光地からマニアックな場所まで中国地方のさまざまな魅力を堪能した5日間。明日は福井県を巡りながらだらだらと帰路につくとするか・・・

[了]
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