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●2015年6月某日/リニア建設予定地を訪ねる〜岐阜県中津川市苗木城編〜

中津川市リニア中央新幹線第二木曽川橋梁1506linearnakatsugawa0.jpg
日本の城郭建築の常識からかけ離れた
奇想天外な城、苗木城を知ったのは数年前に立ち読みしたとある本だった。
急峻な斜面に連なる巨石を利用し所狭しと密集する木製の櫓や塀。
日本の城らしからぬその復元図に興味を引かれいつか訪れようと数年前から企画を温めていた。

さてこの城、眼下を流れる木曽川に2027年に開業するリニア中央新幹線木曽川橋梁が建設されるという。
これは城巡りと恒例のリニア建設予定地徘徊を当時に行うことができるチャンス。
さらに調べると城の麓には廃線までもが残されているというまさに一石二鳥ならぬ一石三鳥。
JRの資料を地図に落とし込む作業を行い大鹿村、名古屋市に続くリニア建設予定地徘徊準備は整った。

ところが当日、現地を訪れてみると偶然開催されていた某イベントに巻き込まれ
城はもちろん建設予定地ですら写真をほとんど撮ることができずという散々な結果に終わってしまった。
そんなわけで結局リニアなのか、城なのかよくわからない中途半端な記事、
果たしてこんなものを掲載して良いものか迷ったものこのこの一週間後、
再び現地を訪れたのでその際の写真を使い紹介していこうと思う。

※城内ではほとんど写真も撮れなかったので掲載写真のほとんどは二度目の訪問時のものです。
※JR東海のプレスリリース資料などから読み取った勝手な自由研究なので資料的価値はありません。


photo:Canon eos7d 15-85mm

リニア予定地長野県大鹿村編
リニア予定地愛知県名古屋市編
リニア建設予定地:岐阜県中津川編
リニア建設予定地:岐阜県中津川編2回目
リニア建設予定地:山梨県早川町/山梨駅編
リニア建設予定地:長野県飯田市/長野県駅編
リニア建設予定地:山梨県/早川橋梁接近編
リニア建設予定地:静岡県静岡市:前編
リニア建設予定地:静岡県静岡市:後編
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岐阜県中津川市、苗木城。
近年人気急上昇のこの城、観光客による混雑も予想される。そんな場所は早朝訪れるべしという鉄則を守り中津川市内に入ったのは午前8時30分。早朝というほどでもないがこの時間ならばまだ混み合うこともないだろう。

苗木城とリニア木曽川橋梁建設予定地合成1506linearnakatsugawa09.jpg


ところが城跡に近付くにつれリュックを背負い路肩を歩く大量の人々が目に付くようになった。そのほぼ全てが中高年。訝しがりながら車を進め、まずは苗木城史料館へ到着した。構造が非常に複雑な苗木城、展示されている復元模型とCGを頭に入れてから登城したいという目的もあってまず史料館を訪れたのだ。しかし建物周辺も人の群れで埋め尽くされていた。人気急上昇中とはいえ尋常な混み具合ではではない。中高年が好む物といえば朝市や花。物産展でも開かれているのかと思いながら周囲を観察しその理由が判明した。
看板には「さわやかウォーキング開催中」なる文字が書かれている。数千人が歩き続けるというこのイベントのコースに本日、苗木城が指定されたことで人々で溢れかえっていたのだった。この日、行く先々でこの人並みに翻弄されることになる。


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城から車道を下りてくる人並みを避けながら車を徐行させ山の中腹にある駐車場へなんとか車を入れることができた。駐車場に停められていた車はわずか二台。本来ならばその程度の観光客で済んだはずが、このようなイベントに巻き込まれるとは。運が悪すぎる。

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気を取り直し車から降り人波をかき分け進んでいく。恵那地方は花崗岩の産地、周囲には丸みを帯びた巨岩が転がっている。しばらく森の中を登っていくと開けた平地に出た。城の入口、大矢倉跡。石垣には数メートルになろうかという自然石が使用されている。本丸から俯瞰すると森に埋もれるその姿はまるで中南米にあるマヤ文明の遺跡のよう、と書いたら大げさか。この大矢倉、帰路登ろうと考えていたもののウォーキングの参加者で鈴なりとなり近付くこともできなかった。※掲載中の写真は後日撮ったものです。

苗木城跡1505naegicastle04.jpg
苗木城跡1505naegicastle03.jpg
苗木城跡1505naegicastle05.jpg




軍事拠点としての砦であった「城」の役割が変化し始めたのは安土桃山時代あたりから。織豊政権の影響化、城は百花繚乱、城郭建築バブルの幕開けとなった。戦乱も落ち着き始めたこの時代、防御と同時に権力の象徴としての美しさを競うため築城家が試行錯誤しながら個性溢れる天守を各地で作り上げていった。その後江戸時代に入るとデザインの方向性も定まり天守の個性も次第に失われていったもののシンプルな外観が定着、「天守や城」と言ったキーワードから頭に浮かぶのはこの時代のものではないだろうか。

ところがこの苗木城、絵図や復元図を見る限り美しさは正直どこにも見当たらない。よく見る苗木城復元図は江戸時代後期の姿を絵図をもとに再現したものだという。ところがその建物は天守ですらと板屋根、板壁と白壁瓦葺きが主流となった江戸時代のものとは思えず、むしろ時代を数百年逆行した中世戦国風の城のよう。この姿で廃城令が発布された明治期まで残っていたというから驚きだ。

苗木城の面白さは急傾斜と巨岩を利用した複雑な縄張り。文章や写真ではうまく表現できないので例によって復元略図を描いてみた。概要という文字通り適当なものなので資料的価値はまったくないです。【下図】
苗木城復元図1505naegicastlecg06.jpg


現在の苗木城は深い森に覆われわずかな切れ目から遺構が顔を出しているに過ぎない。現在の城郭の多くは生い茂った木々が敷地を占め、一見それが往事の姿だと勘違いしそうになるが実際には公園として利用するため明治以降に植樹されたものがほとんど。特に苗木城のような山城においては、敵の姿を視認するため山肌の木々は伐採され地面が剥き出しの姿だったと思われる。
城跡を覆い尽くす森が取り除かれることで浮かび上がるのは巨岩が積み重なった急峻な山。山肌を埋める自然石の隙間を埋めるよう石垣を積み上げた縄張りの様子がよくわかる。九十九折りによって距離と標高を稼ぐ突出した山頂へ続く唯一の順路、生半可な覚悟では攻め込むことはできなそう。
苗木城建物復元図1505naegicastlecg07.jpg
この敷地にパンフを参考にかつての建造物を配置してみる【上図】。
時代は資料が残されている江戸時代後期を設定。先述したようこれらはその全てが赤茶色の土塀板屋根、所狭しと密集する建物群はわずかな平地に収まりきらず空中へ突き出しているものまで存在し自分たちの思い浮かべるいわゆる「江戸時代の城」の姿とはほど遠い。軍艦の艦橋のように上へ上へと増築を重ねたその姿はまるで奇想建築のよう。
防衛のために作られた要塞には美しさなど必要ないのだ!と言いたげな苗木城は原点に舞い戻ったかような男らしい無骨な城だ。工場でもこぎれいなものよりも配管剥き出しのいかにも悪そうな工場に魅力を感じる自分は、このワイルドな苗木城とても気に入ってしまった。


苗木城1505naegicastle06.jpg
苗木城1505naegicastle09.jpg
苗木城1505naegicastle21.jpg

現在立つ三の丸の平地からいよいよ突き出た城の核心部分、岩山に作られている本丸目指し登っていく。一枚岩の隙間を埋めるように作られた登城口はつづら折りに進むため何度か行き来をくり返す。振り向くと眼下に見えるのは先ほどの大矢倉跡。

苗木城1505naegicastle07.jpg
苗木城1505naegicastle10.jpg


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最後に木製の階段を登り切りついに最上段天守跡へ。
天守自体も山頂を形成する巨石を利用し設置されている。天守台が石垣ではなく自然石という城を訪れたのは初めて。よく見ると岩の表面にはノミで削り取られた基礎部分の名残が数多く残され天守が投入堂、あるいは清水寺のような懸造りであったというのは事実のようだ。現在あるこの木造展望台はかつての土台を再現したもの。この上に板葺き板張りという、安土桃山時代に乱立したきやびやかなものと比較するとはるかに質素でシンプルな天守が乗っていたという。

苗木城1505naegicastle12.jpg
苗木城1505naegicastle13.jpg

このわずかな山頂スペースもイベントに参加した人々で埋め尽くされていた。※しつこいですが掲載写真は後日撮ったものです。
本丸周囲は断崖絶壁、いかにも滑りそうな丸みを帯びた岩、溢れた参加者が転げ落ちるのではといらぬ心配をしてしまうほどで、感慨に浸る余地もない。この場所にもかつて建物が密集、特に川に向かって断崖に大きく張り出した千畳敷と呼ばれる建物からは絶景が望めたことだろう。
現在でも危険と隣り合わせのこの城、すばらしいことに安全対策のための柵を始めとする現代の人工物は見当たらない。10年ほど前に訪れた竹田城、放置具合が魅力的だったものの近年急増した観光客の転落が相次ぎ、やむを得ないとは言えロープや柵はもちろん順路まで設置、かつての姿は見る影もなくなってしまった。



さて天主台まで登ってきた本来の目的はリニア中央新幹線の木曽川橋梁予定地を俯瞰するため。
恵那山、広大な中津川の台地、そして眼下には谷を刻み蕩々と流れる木曽川と予想通り非常に見晴らしが良い。写真奥に写っている二つの橋、その手前に2027年開業予定のリニア中央新幹線橋梁が建設される。

苗木城1505naegicastle23.jpg

あとは城から下り、眼下の集落でリニア橋梁と廃線跡を観察するだけ、これでようやく人の群れともおさらばできると思いながら予定地付近を望遠レンズで覗き愕然とした。川と山に挟まれたわずかな平地、民家と農地が混在する点在する変哲のない集落だ。ところがその道路には多数の人影が。列は途切れることなく城に向かい移動を続けている。これから向かおうとしている橋梁建設現場周辺までもがウォーキングコースだったとは・・・



品川名古屋間を結ぶ総延長285kmのほとんどをトンネルが占めるリニア中央新幹線。都市部の大深度部分、南アルプスなどの山岳地帯を合わせたトンネルはなんと9割。平野が続く甲府盆地以外でリニアが地上に姿を現すのは河川が谷間を削りとった凹部分を通過するわずかな箇所のみとなっている。

リニアルート断面図1506linearnakatsugawa05.jpg


現在苗木城天守台から見下ろしているこの場所は岐阜県内でリニアが姿を現す数少ないポイントのひとつ。
長野県飯田市から恵那山トンネルに入ったリニア下り線名古屋行きは岐阜県駅(仮称新中津川駅)を通過、または停車する直前に木曽川が作り出す深い谷間に一瞬顔を出すことになる。それがこの第二木曽川橋梁だ。正確にはこの上流数キロほどにも第一木曽川橋梁が予定されているものの人里離れた場所故、よほど気合いを入れないと近づけず今回はこちら側をメインに定めたのだった。

蛇行する木曽川が浸食した深い谷。この川を渡河するため架けられた橋を望むことができる。
奥から1966年竣工「玉蔵橋」、1924年竣工「北恵那鉄道木曽川橋梁」そして写真には写っていないものの下流にあるのがもっとも新しい城山大橋。新しいと言っても1984年竣工と30年近く前のものだが架橋技術の進歩によって他の橋のように谷底まで下ることなくゆるやかな高低差で架橋する大きな橋だ。
その中間地点に2027年開通予定するとされる第二木曽川橋梁を合成。【下図】

苗木城から見下ろすリニア中央新幹線第二木曽川橋梁完成予想図合成1506linearnakatsugawa01.jpg

騒音対策フードに覆われた新橋梁は川を斜めに横断。橋梁はそれなりに長いもののそれでも仮称中津川駅(岐阜県駅)に停車せず通過する時速500kmの特急においては通過はわずか1、2秒たらず、トンネルとトンネルの間のわずかな一瞬、さらにフードで覆われているため乗客のほとんどは橋の存在にすら気がつくことはないだろう。下の完成予想イメージは玉蔵橋側から見た姿を描いてみた。天守跡は奥の山頂となる。
中津川市リニア中央新幹線第二木曽川橋梁完成予想図合成1506linearnakatsugawa08.jpg

※橋梁の形状、デザインは公開されている中央新幹線環境影響評価準備書を参考にしました。


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こちらは天守台より俯瞰した玉蔵橋側から城側を向いて撮影した風景。当初のプランでは城の真下に残る北恵那鉄道の廃線遺構を巡りながらリニア橋梁予定地集落へ向かおうと考えていたものの、この道もウォーキングコースに指定されてしまいとても車で乗り入れることができないため大きく迂回しやってきた。右手にあるこんもりとした斜面が30分ほど前まで立っていた苗木城の山。道路を大勢の参加者が歩いているのがおわかりいただけるだろうか。

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この場所にリニア橋梁を適当に合成してみる。【下記】
中津川市リニア中央新幹線第二木曽川橋梁完成予想図1506linearnakatsugawa02.jpg

環境影響評価準備書を参考にしながら描いてみた橋梁完成予想図を風景に合成するとその存在感に驚かされた。

しかし見渡せば眼に入る範囲だけでも木曽川を渡る架橋は既に三つもある。その中でなぜリニア橋梁だけが違和感を感じるのか。その理由は橋を覆う土管のような巨大な筒、騒音対策のために設置される巨大フードの存在感ではなかろうか。確かに周囲に架けられた玉蔵橋、廃橋梁、後方の赤い城山大橋、そのすべてが鉄骨トラスで形成されたシンプルなデザインのためコンクリート製のリニア橋梁の存在感が増幅されている気がする。

現在、リニアが地上に姿を現す部分において高架を覆うフードを設置するか否か、騒音を懸念する沿線住民、騒音のクレームなく運行したいJR、リニアからの車窓、あるいは車体見学を売り込みたい地元自治体などそれぞれの立場から論争が起こっている。

ちなみにこのフード、試しに外してみると普通のコンクリート橋のように意外にすっきりする【下記】
中津川市リニア中央新幹線第二木曽川橋梁完成予想図からフードを外す1506linearnakatsugawa03.jpg


しかしそれでは騒音を防げないというジレンマが。
次回訪問時、この集落に住む方と話す機会があったがどちらに転んでも正直迷惑な話だろう。一方中津川市といえば苗木城天主台を「リニアが見える丘」という名目で売り出したいようで車両を見ることができないフードは取り払うべきだという論調を報道で見た記憶がある。防音か景観か、この非常に難しいフード問題の決着はまだまだ先になりそう。




川沿いの小さな集落の通りは道路一杯に広がるウォーキング集団で埋め尽くされていた。先述した廃線遺構、橋梁建設現場へ向かうつもりだったもののこの状況では車を進めるのもままならず。マラソン大会のように何時間後には確実に人がはけるという確約もなくこれ以上の探索は切り上げざるえない。
このイベント、まさか毎週開催されているわけでもなかろう。再びこの地を訪問することに決め中津川から退散、気分転換に阿寺川の清流へ川遊びに向かったのであった。



そんなわけで人波に翻弄され肝心な場所に足を踏み入れることができないという非常に中途半端な徘徊、再度やり直すべく一週間後再びこの場所を訪れることになった。
次回再び訪れた苗木城、リニア木曽川橋梁、及び岐阜県駅予定地、車両基地予定地を巡った徘徊記をアップします。

[2回目へ続く]
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