●2016年1月某日/崩れ行く島、兵庫県男鹿島を歩く。
- 2016/01/12 12:47
- Category: マニアックスポット

兵庫県姫路市沖の播磨灘に浮かぶ群島家島諸島。
冷え込んだ真冬の某日、男鹿島・坊勢島・西島というそれら群島を一挙に回る島の旅に出た。
わずかの距離にありながらそれぞれまったく違う色合いを持つこれらの島、
一つ目の男鹿島は採石によって島全体が削り取られてしまっている。
そのため島のほとんどを占めている採石場内を通過しなければ島一周をすることができない。
最も気がかりだったこの件、幸いにも工場休業日ということで敷地内を歩くことができたため
広大なスケールの荒涼とした風景に魅了されながら無事島巡りを終えることができた。
photo:Canon eos7d 15-85mm
※本記事は訪問時のものです。現在の状況は異なっている可能性もあります。

子供心をくすぐるモノの一つに崖がある。
生まれ育った田舎は川や池など遊び場所には事欠かなかったものの、その中でも男子心や冒険心をくすぐる危険な場所といえば崖だった。丘陵地帯に時折現れる切り立った崖。普段決して見る事のできない地球の断面に触れられることに惹かれ何度も通ったものだ。そんな崖だらけの島が姫路沖にあるという。
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姫路港。
冷え込んだ冬の早朝、白い息を吐きながら駐車場から歩き続け到着した。多くの島々をつなぐ船のターミナルとなる姫路港は出発を待つ乗客で賑わっている。家島、小豆島など数多くある航路から今回乗船するのは坊勢汽船、男鹿島経由坊勢島行き。船は10:05の定刻通り出港した。生活物資と思われる段ボールを抱え込んだ乗客達は船室に引っ込み甲板に人の姿はない。

寒風吹きつける甲板で寒さに耐えながら水平線を眺めていると不思議な形状の島影が近づいてきた。
地肌がむき出しの荒々しい島。まるで鬼が島か要塞のようにも見える。これが一つ目の目的地、男鹿島だ。緑に覆われた家島群島の中で特異なその姿は容易に人を寄せつけないかのよう。この地形、もちろん自然にできたものではなく採石によって人工的に削り取られこのような形状となった。


到着。
船員にせかされ飛び移り、振り向くと船はすでに海面を泡立て桟橋からはなれ始めていた。停止していたのはわずか20秒たらず、今までにないほどのあわただしい着岸離岸だった。船内を埋めた多くの乗客のうち男鹿島で降りたのは自分のほかわずか一人、残りはみな終点の坊勢島へ向かうようだ。人口もごくわずか、採石場しか見所のないこの島、夏ならともかく凍えそうなこんな冬の日に上陸する観光客等いるわけもないか。
では島一周を始めるかとずっしりと重いリュックを背負う。重さの原因は食料にある。商店もないであろう男鹿島で丸一日過ごすために水を始め食材、非常食を詰め込んできた。

先述したよう島での懸念材料は採石場。地図を見ての通り男鹿島のほとんどを採石場が占める。特に海岸線まで敷地が広がっている箇所が多く島の周囲を一周するためにはどうしても構内を通過しなければならない。
港の係員や先ほど船で降りた島民に採石場への立ち入りについて聞いていると今日は休業日なので入ってもいいよとの答え。この後、三名ほどの島民とすれ違ったものの皆、口を揃え同じ答えだったので安心して採石場内を歩く事ができた。

桟橋から時計回りに海岸線を歩いてくとアスファルトが途切れさっそくダートが始まった。
厳密にはすでに採石場の敷地になるようだがここを通らねば自宅に戻れないため島民は普通に行き来している。また島の多くが私有地と言うことなのか島内で見かけた車のほとんどはナンバープレートがつけられていない。ちなみにgooglemapで島を見るとどんなに拡大しても道がまったく表記されない不思議な島。

ここで一旦空撮写真を見てみよう
見ての通り面積わずか4.57km²の島のほとんどが茶褐色の採石場に覆われている事がわかる。
もちろん大昔からこのような状態だったわけではなく花崗岩で出来た島を削り取る採石が本格的に始まってまだ半世紀ほど、1960年代の航空写真を見ると島は森に覆われていた。虫食いのように次第に浸食されていく島で島民は採石場の片隅にわずかに残された土地で身を寄せ合って暮らしている。そんな小さな集落のひとつ青井から男鹿島最高部を目指すことにした。

採石場のはずれの山道を登っていくと船から見えた尖った山の光景が一望に広がった。
緑の山を削り取り、地上に現れたむき出しの巨大な岩盤。普段決して見る事のできない地球の断面。この光景を見た瞬間、口にしたのは自然破壊、環境破壊といった安易なキーワードではなくただ「すごい」といった感嘆詞。迫力ある光景を作り出した人間の力に圧倒され思わず感動を覚えてしまった。
切り立ったエッジは数年前に走破した北アルプスの大キレットを彷彿させる光景。操業日となれば重機が動き回り発破の音が響き渡るだろう広大な空間は物音ひとつなく静まり返っていた。



さらに登ったあたりから振り返るとまさに槍ヶ岳かマッターホルン。人工的につくられたこの山、特に名前もないようなのでとんがり山と名付けよう。
空撮によれば島内最高部から東海岸へ伸びる緑の尾根が続いていたが数十年に渡り両サイドから削られ続けた結果、頭頂部をわずかに残すのみ。島から削り出された岩石は関西国際空港や神戸空港建設現場へと運ばれインバウンドで近年ない賑わいをみせる滑走路を土台として支えている。
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さて国土地理院の地形図によれば島の最高部は220m、海抜ゼロからスタートし気がつくとかなりの高低差を登ってきた。先ほどまで明瞭だった道も次第に草に覆われはじめ空撮写真をたよりに登っていく。やがて分岐路らしき広場が現れた。散乱する時代物の缶コーヒーの缶から察するにかつては人の出入りもあったようだ。道の痕跡は南北に分岐しているがとりあえず最高部があると思われる北側めざし斜面を登っていく。

森というよりも低い灌木が広がる島の山。行く手は木々や草に覆われついに廃道となった。森に戻りつつある急な斜面を息も絶え絶えに登っていくと次第に傾斜がなだらかとなった。どうやら稜線に近づいたように感じるが周囲を覆う灌木のため相変わらず視界はゼロ。木々を払い踏み跡を辿り進んでいくと突如森が切れ明るい空間が広がった。
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道は唐突に終わっていた。
この場所で山全体がすっぱりと切り落とされている。100m以上はあろうかと思われる垂直の断崖からおそるおそる覗き込んだ眼下には広大な採石場の迫力ある光景が広がっていた。海を隔て今日の宿泊予定の坊勢島、さらに明日探検する予定の西島の姿も見る事ができる。




過去の写真で検証すると青井集落から登ってきた廃道、かつて南端の田ノ浜集落と北端の港を繋ぎ島を横断していた主要路の名残だと思われる。しかしこれらはすべて採石によって消滅、港へと続いていたはずの道はここで崩れ落ちぽっかりと広大な空間が広がっている。またこの先に本来存在するはずの男鹿島最高地点も同じく消滅していた。地形図には今はもう存在しない山頂マークが△220.1とむなしく表記されたまま。
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1966年に撮影された男鹿島の航空写真。モノクロ写真を着色してみると現在茶色の地肌がむき出しのこの島、意外にも当時は森に覆われた緑豊かな島だったことがわかる。さらに拡大していくと既に海岸部では採石が行われていたことが読み取れるも当時はまだささやかなもの。その後土木技術の進化・大型化によって採石は加速していきわずか50年たらずで島の半分が削り取られた。

このような削り取られた島の風景、人によっては無惨な風景、あるいは環境破壊と感じるのかもしれない。しかし採石された石を使い都市が作られていく。結果として採石業の恩恵を受けている自分はこれらの事業を否定するつもりはまったくなく、むしろ日本離れしたスケールの大きい風景、巨大な重機に単純に感動してしまったほど。ただ自らの身を削り取り都心部へ石や土砂を提供してくれたこの小さな島への感謝は必要だろう。

時刻は昼過ぎ、冷たい風を防ぐ灌木の間で昼飯にすることにした。リュックをおろし姫路のコンビニで買い込んだおにぎりを食べながら消滅しつづける山を見下ろしていると幼少期読んだこんな物語を思い出した。
山と言えば「動かざること山のごとし」とも表現されるよう、悠久の時を経ても姿形が変わらぬ物の代名詞。
山の形を変えるなど誰も思いつかない江戸時代、そびえる山によって日が当たらず作物も育たない貧しい寒村が舞台だ。この問題を解消するため村の子どもが思いついたのはなんと目の前にそびえる巨大な山を削りとるという奇想天外な発想だった。もっこをかついで山に登る子どもたちを笑っていた大人たちも次第に真剣になり、ついには村人全員が山の破壊に参加する。それでも山ははるかに大きく、言い出した子どもたちもやがて老人となり寿命を終え、孫、ひ孫の世代まで延々と削り続けた結果ついに村に日が射し込んだ!といったストーリーだったように記憶している。
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廃道を下り先ほどの分岐点まで下ってきた。こんどは例のとんがり山に接近してみたいと思う。分岐点から南へと続く道を辿れば正面に見る事ができそう。こちらも同じく朽ち果てた道、とはいえ先ほどよりも多少は広く傾斜も緩いためかつてはブルドーザーのような重機の往来があったのかもしれない。


崖の端に到着。ここならばとんがり山が一望できるはず。
しかし予想に反し周囲は灌木に覆われ視界が利かないため丸い自然岩をよじ上りようやく全容が見えた。切り立ったエッジが印象的だった先ほどと変わり断崖で隔てられたこちらから見ると巨大な一枚岩の固まりのようにみえる。わずか数十年前まで今自分が立つこちら側と尾根で繋がっていたと思うと感慨深いものがある。


それにしてもなぜ一部だけが残されたのだろう。採石場跡地に植林された箇所などが見受けられるように島の採石も往事の勢いはないと聞く。このまま残すことになるのか、あるいは消え去るのか、いずれ様子を見に訪れたいものだ。

再び海岸線に沿って島の一周を再開。海水浴場と書かれた看板があったところをみると夏場は姫路辺りからの海水浴客でにぎわう事もあるのかもしれない。しかし今は吹き付ける寒風、流れ込む雪雲、誰の姿もない寒々しい季節。
外周路は次第に南向きから西へと変わり凍えながらの男鹿島一周もそろそろ後半にさしかかる。相変わらず公道なのか採石場の私道なのかよくわからない不明瞭なルートを迷いながら歩き続けた。


そういえば午前11時頃、港周辺で数人の島民と言葉を交わして以来人の姿がぱったりとなくなった。離島で必ず見かける釣り人の姿もない。この後男鹿島を一周し終え、桟橋で係員の姿を見るまでの5時間半、一度たりとも人の姿を見る事がなかった。どんなへんぴな山登りでも一時間に一人か二人、登山者とすれ違うというのにまるで無人島のような静かな島だ。







家島諸島の中でも最も異質な男鹿島を訪れようと思ったきっかけは2006年頃、島に廃校が残されていると知ったことがきっかけだった。その後、廃校は取り壊されたものの、採石の島に興味を持ち今回の訪問となった。その廃校、男鹿小学校がかつて存在していた集落へ到着した。田ノ浜という島の南端にあたる場所。現在は廃屋が立ち並ぶだけの廃村のような雰囲気となり学校跡も草原となっていた。



再び現れた峠を越え池ノ浜という集落に入ると民家の裏手に静かな池が現れた。砂塵が巻き上がる砂山を歩き続けたため、緑と豊かな水の組み合わせが新鮮に思えてしまう。この池、上で紹介した1960年代に撮影された航空写真にも明確に映し出されている。採石によって日々形状が変化していく島において変わらぬ場所のひとつだろう。

西海岸。
再び採石場が広がり始めた。数時間前、山頂より見下ろした男鹿島で最も大きい敷地を持つ採石場となる。片隅には埃にまみれた巨大なダンプが何台も停められ普段見る事のない巨大な重機に感動しながら歩いていく。平日はこの場所を巨大なダンプが土ぼこりを上げ走り回りとても歩き回る事などできないだろう。



あまりに広大すぎてどれが島の外周路なのかさっぱり見分けがつかない採石場。
まるで砂漠を彷徨うかのように砂に足を取られながら右往左往しながら歩いていくうち迷い込んだ支線、その先に現れた青い池。茶褐色の荒々しい光景の中でひときわ目を引く鮮やかなブルー。西日に包まれた空間で池は静かに水をたたえていた。






さらに冷え込みが増した夕刻、時計回りに歩き続けた島も次第にゴールの桟橋が近づいてきた。
今夜は隣の坊勢島に宿を予約済み、最終便は午後5時過ぎ。これを逃したら男鹿島で野宿となる。絶対に乗り遅れてはならないと足早で歩いたため、出航まで一時間近く余裕があった。寒風吹きつける日暮れの埠頭で凍えながら船を待つ事だけは避けたいと考えていたが幸いにも桟橋にはプレハブの待合室があり、さらに管理人が暖房を入れてくれたため心底あたたまる事ができた。船を待つ一時間あまり、男鹿島について話しながら時間を過ごす。


やがて水平線から白波をたてこちらに向かう小さな船が見えた。ようやく出航かと荷物をまとめていると残念ながら逆方向、姫路港行きの便だった。見たところ船は往路と同じくほぼ満席だがこの島で降りる人間は皆無、島から一人の男性が乗り込んだだけだった。


さらに待つ事30分、待ちに待った最終便がやってきた。行きと同じようなあわたただしい接岸離岸、乗り込むと同時に余韻を残す事なく船は島から離れ始めた。薄汚れた窓から振り返ると暮れ行く男鹿島、見慣れぬ雄大な断崖に感動しっぱなしの非常に魅力的な島だった。
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隣に浮かぶ坊勢港に到着した頃には冬の日はとっぷりと暮れていた。
船から降りた大勢の乗客は大きな荷物を抱えたまま原付に乗り込み一斉に島の各所へ走り去り桟橋にただ一人取り残された。とはいえ素泊まりながらも今夜の宿はあるので悲壮感もなく島の反対側に位置する民宿を目指す。ところがそう簡単には到着しなかった。


目の前に立ちふさがったのはまるで迷路のように入り組んだ坊勢島の路地。
軒先が触れ合わんばかりに斜面に密集する民家、その間を縫うように走るような複雑な路地。行き止まり、急階段、暗い闇。迷いながら歩くため非常におもしろいものの、なかなか目的地に到着する事ができない。

この坊勢島、静けさに包まれていた男鹿島に比べ非常に活気を感じる島。狭く急な路地裏をけたたましい音を響かせながら島民が運転する原付が走り回る。
また瀬戸内の島といえば猫、との期待を裏切り狭い路地の各所にたむろするのは野犬ばかり。しかもそのすべてが大型犬。路地を曲がるたびに現れる野犬の姿に毎度驚かされるものの、どの犬も非常におとなしく吠えるということもないため一安心。とはいえ途中の商店で購入した弁当の香りが犬の嗅覚を刺激するのか手に持つスーパー袋に鼻を寄せながら宿の前までぞろぞろと後をついてくるのには困ってしまった。写真は最後まで諦める事なくついてきた野犬の一匹。
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凍えそうな冬の日、冷えきった体が暖房の効いた民宿でようやく温まった。
こうなれば部屋にこもりテレビでも見ながらのんびりと過ごしたいところだが今夜は明日の計画を練らねばならない。廃道を草をかき分け山に登り、道なき採石場を通りながら島を歩いた一日だったが明日はさらなる困難が予想される島巡りが待っている。
※男鹿島を訪れてみたという物好きな方は採石場が休みになる日曜か年末年始がおすすめです。
[続く]
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