●2016年1月某日/森に消えたリゾート群、西島探検記
- 2016/01/24 00:57
- Category: マニアックスポット

冷え込んだ冬の某日、兵庫県姫路沖の播磨灘に浮かぶ家島諸島を訪れた。
採石によって消え行く男鹿島では日本離れしたスケールの大きい光景に驚かされながら島を一周。
その後入り組んだ集落が魅力な坊勢島で一泊、本日訪れるのは家島諸島最大の島、西島だ。
この西島、空撮によれば山が連なる島の各所に今は使用されていない謎の施設が点在している怪しい島。
とはいえこの島、定住者がいないのか定期航路もないため上陸は少々面倒だ。
[前回の記事]
photo:Canon eos7d 15-85mm
※本記事は訪問時のものです。現在の状況は異なっている可能性もあります。
兵庫県沖の播磨灘に浮かぶ家島諸島、坊勢島で冷たい冬の夜が明けた。
港で震えながら日の出を待つ。


今日は坊勢島に隣接する同じ家島諸島の西島へ渡る。
昨夜到着したこの島では民家の間を複雑に入り組む迷路のような路地に魅了されされた。
さらに島内を探索したいものの船の出港は朝8時前。朝飯を食べることなくあわだだしく民宿を出発、急階段を迷いながら彷徨い出航直前になんとか港へ到着。坊勢島はいつかゆっくりと訪れたいもの。

現在の坊勢島と西島はおどろくほど近い。
桟橋からは目の前に浮かぶ西島が間近に見える。地図だと一見繋がっているのではと勘違いしてしまいそうなほど。このように手の届きそうな距離にありながら西島上陸には意外に手間がかかる。
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まず西島への定期航路は基本的に存在しない。
今回坊勢島から乗ったき船もあらかじめ予約しておいたもの。船内には自分の他は島の水産加工工場勤務と思われる男性一人。
坊瀬港からわずか5分、あっと言う間に西島桟橋に到着。岸壁に書かれた「上陸禁止」の文字にわくわくしながらさっそうと船から飛び降りた。というのは嘘で昨日の男鹿島一周および登山によって足の各所が筋肉痛。食料を詰め込みずっしりと重いリュックとともによろめきながら船から降りた、と書いた方が正確だ。ここ数年本格的な山歩きから遠ざかっていたためこのように情けない状態になってしまった。

とりあえず無事上陸完了。次に行う必要があるのが島への上陸手続き。入島料を払うべく峠を越えた対岸にある施設めざし急な山道を歩いていく。普段ならばなんて事のない道だが筋肉痛のため思った以上にきつい。これから島を探検するというのにというのに先が思いやられる。
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そもそもなぜここまで手間のかかる島を訪れたのか。
今回の家島諸島訪問の第一目的は男鹿島。その行程を企画するにあたり、近隣に変わった島でもないかと調べてみたのがきっかけだった。坊勢島には宿泊する。家島は都会すぎる。最後にチェックした西島、一見どこにでもありそうな平凡な名前、森と採石場が広がる島をgoogle空撮写真によってスクロールしていると島の片隅「01」ポイントの森の中に発見した廃墟のようにも見える建物。国土地理院サイトで過去へ遡ってみると10年前は既に廃墟、時代を一気に40年前まで遡ると驚くべきことに今は森に覆われたこの場所を埋め尽くす謎の巨大施設が映し出された。

1975年の空撮に克明に映し出されるさまざまな建物。一棟を残し消滅してしまったこの謎を解明したい。同時に滅多に人が立ち入ることができないアクセスの悪さにも逆に魅力を感じ西島を訪れることにしたのだった。
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家島諸島最大の大きさを誇る西島、そのほとんどは深い森と採石場、沿岸部にわずかに水産工場が点在するのみ。島にいるのは施設や採石場の従業員、あとは釣り人くらいか。ネット上にはあまりに情報がないため離島図鑑シマダスを引っ張りだすと59世帯人口100人と書かれていた。ただしシマダスを購入したのは17年前だったので定期航路が消滅した現在、おそらく定住者はいないのではないか。
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まずは「01」ポイントの怪しい建物目指し島の横断を開始。
海岸線に沿って島一周を果たした昨日に比べ無人島のような西島には外周路は一切見当たらず男鹿島以上に島巡りは困難だ。さらに今日の西島採石場は操業中、風に乗って崖を削る重機のうなりがきこえてくる。そのため採石場構内を通過しない山越えルートを選択。
空撮写真を拡大して行くと桟橋近くから「01」までは稜線に沿って道のようなものが浮かび上がっている。期待はしていなかったが予想通りその実態は廃道。立入制限もされていない車道は進むにつれ、崩れ落ち、雑草に覆われていく。そんな廃道上を足を労りながらたどって行く。それでも草木が枯れ果てるこの季節だからまだ進むことが可能、夏ならば生い茂る葉に阻まれ一歩も進む事ができなかったかもしれない。峠を越えると状況はさらに悪化、途中から藪漕ぎ状態となった。


背丈程の笹の下にわずかに残された踏み跡を追って山中へ分け入って行く。小島ならば困ったときは海に出れば良いがこんな大きな島で迷うわけにはいかない。振り返り退路を確認しながら進むためとにかく時間がかかる。特に下記の写真のように森から開けた空間に出た際は要注意、目印となるものを目に焼き付けておかないと帰路、森に入る道を見失う恐れが大きい。
ちなみにこの写真、どの場所から抜け出てきたかわかりますか?


答えは白い印をつけた箇所。漠然と歩いていると間違いなく帰り道を見失ってしまう。

やがて笹の密度が薄まりやや平坦な空間にでた。空撮写真と照らし合わせると既に謎の施設片隅に足を踏み入れているようだ。とはいえ現在施設は撤去され痕跡はわずかに残る土台ばかり。例の建物が残っているといいのだが。
ついに北海岸へ到達、ススキをかき分け進んで行くと、空撮で見たものと同じ建造物が冬枯れの森から姿を現した。

背丈ほどの草で覆われている建物は完全に廃墟。所々壁が崩れかけている。
それにしてもこの建物いったい何の施設なのだろう。島の廃校にしては規模が大きい。建物内には入らずぽっかりと空いた壁面から覗いた内部は意外に明るく、海を模したイラストが書かれた壁面が浮かびあがった。これだけではさっぱり用途がわからない。

周囲の草むらでようやくヒントとなるものを見つけた。薮に埋もれた朽ちかけた広告パネル。そこには「ウエスト・アイランド・クラブ」と書かれている。「ウエスト・アイランド」とはもちろん西島のことだろう。さらにはキャンプ場らしき施設の案内も、子どもが遊ぶ楽しげなイラストともに残されている。
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なるほど島にあった謎の施設郡はレジャー施設だったのだ。確かに裏手の森にはバンガローのような建物の残骸が埋もれている。おそらく当時、湾へと本土を繋ぐ定期航路が存在、桟橋に到着した観光客はまずこの建物のロビーを訪れチェックイン、そんな使われ方をしていたのだろう。


一つ目の謎は解明、二つ目の目的地、それは山の頂きにある謎の丸い建造物。こちらも空撮を眺めている際偶然見つけたもの。画面上で拡大していくと屋根が吹き飛び骨組みがむき出しの状態であることもわかる。検索してみるとこちらの謎はすぐに解けた。「八角堂」と呼ばれるかつての展望台跡なのだという。
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山頂に位置するため、坊瀬島からの船上からも朝日に照らされる姿が克明に見えた八角堂。また港にあった島のイラストマップには「廃寺」とわざわざ場所まで明記されていた。このように位置は明白なものの現在はアクセス路が存在しないようなのでルート検討を行い再び登山の装備を身につけると山道から一気に登坂を試みる。


しかし道がまともだったのは最初の数百メートルだけ。山道は灌木に覆われ消滅、森の中を右往左往しながら登っていく。海際から一気に山頂を目指すため、島を横断した先ほどより遥かにきつい急登。写真の通りほとんど視界が利かない灌木の中を身体中に刺さる枝をかき分け時折現れる獣道のような踏み跡を探しよじ上っていく。足の痛みも忘れ、真冬だというのに汗だくとなった。と言っても、闇雲に行動している訳ではなく、定期的な現在地の確認、あるいは不明瞭な箇所においては帰路の事を考え付近の特徴を目に焼き付けておくなど道迷いの対策はとっている。
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一瞬視界が開け眼下を振り返ると色鮮やかなビーチが。なんて美しく平和な場所だろう。木々を払いのけ悪戦苦闘する山から無事降りる事ができたらあの場所でのんびりと過ごそう。

行く手を塞ぐ木々、いつまでも続く急登。
さすがに嫌になりながら薮をかき分けた瞬間、緑に覆われた世界に突然赤い色彩が飛び込んできた。ついに八角堂へ到着。あまりに視界が悪く目的地に近づいている気配がまったくなかったのでその唐突さに驚いた。建物へ駆け寄りたい気持ちを抑え、まずは自分が飛び出した薮の位置をしっかりと確認。わずかでも目を離したら帰路、登ってきた場所を見失いそうな深い森。
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朱色の塗装、八画の形状といいどこか怪しい宗教施設のようにもみえる建物、二階の屋根は空撮で見たとおり完全に崩れ落ち骨組みを通し青い冬空が広がっていた。フロアは風雨によって吹き飛ばされ落下した屋根の残骸と雑草に埋め尽くされていた。






先述したようにこの展望台跡、島を紹介する看板のイラストマップには「廃寺」と掲載されていたが、それを読んでわざわざ訪れる物好きはいるのだろうか。

再び過去の写真。
1970年代に撮影された空撮写真を見ると今は深い森に覆われている西島、当時は各所を繋ぐ道が存在していたことが明瞭にわかる。先ほど訪れた海沿いの廃墟、現在立つ八角堂展望台、これらはすべて接続されていた。今回苦労して辿り着いた八角堂へ北から向かう道に至っては、ゆるやかなカーブ等から当時車両も通行できたと思われる。

この西島、かつてはキャンプ、バーベキュー、釣り等を楽しむことができる一大レジャー施設が存在していた。
島内に点在する施設は車道やハイキングコースによって結ばれ宿泊客は山歩きを楽しみながら訪れた八角堂で目の前に広がる雄大な風景に感嘆していたのだろう。現在、八角堂跡には当時を思い起こさせる刻み込まれた落書きが多数残されている。また一階には大きな空間が残されていたことから当時は食堂や土産物屋もあったのかもしれない。
その後、ウエスト・アイランド・クラブと名付けられた施設郡の閉鎖とともに道を歩く人も消滅、かつてのコースも森へ戻っていったと思われる。
八角堂から周囲を見渡せば木々の成長によって視界が広がるのは北東側のみ。当時、雄大な海を望む一大パノラマが広がっていた展望台も森に戻った道路のようにやがて木々に埋没していくのだろう。
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2016年12月追記
西島にレジャー施設が存在していた1970年代のパンフレットをとあるサイトで偶然見つけた。
全盛期の島を描いたイラストマップによれば廃墟となった展望台名称は「一願観音寺」。想像通りこの場所まで車道が通じていたようで山を登るバスも描かれていた。また当時西島へは姫路港はもちろん相生、赤穂、さらには遠く神戸港からも高速艇でのアクセスが可能だったとのこと。先ほどふもとで見つけた廃墟はホテルだったようで、さらに周囲に海水浴場、別荘、釣り桟橋までが整備されていた巨大レジャー施設がなぜ潰れてしまったのか、調査をしていきたい。
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真冬の瀬戸内海とは思えないほどの美しい砂浜は男鹿島をも上回る透明度。先ほど草木と悪戦苦闘していた山腹から俯瞰した海辺へとようやく降り立つことができた。


冷え込んだ昨日とうってかわり今日の家島諸島は溢れんばかりの陽光が降り注ぎ真冬だとは思えない暖かさ。
重いリュックを肩から下し、トレッキングシューズを砂浜に脱ぎ捨てると痛んだ足を存分に伸ばす。昨夜坊勢島の商店で買い込んでおいた食材を広げ遅い昼飯。この西島、もちろん商店などは存在しない。見上げれば山頂に先ほどまでたっていた八角堂の姿ががくっきりと見えた。
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先述したよう西島には定期航路が存在しないため帰路の船もあらかじめの予約が必要。
定められた時間に間に合うべく、とぼとぼと峠道を越え桟橋に到着した。万が一予約が通っていなかったら島に缶詰だ。リュックをおろし一人水平線を見つめ続ける。予定時刻を過ぎてもなかなかやってこない船に少しはらはらさせられたものの5分おくれで無事到着した。


桟橋を離れた船は西日に包まれる西島から遠ざかって行く。再び立ち寄った坊勢島桟橋で大勢の島民を乗せると夕日きらめく瀬戸内海を姫路港に向かい一路走り続けた。
非日常的な光景が広がっていた昨日の男鹿島、自然溢れる不思議な島、西島。双方いつの日か再び訪れてみたい。
[了]
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